前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界が尊敬した日本人◎「日本らしさを伝える<小津スタイル>- 世界の巨匠となった小津安二郎」

      2015/01/01

  

 世界が尊敬した日本人

 

◎「日本らしさを伝える<小津スタイル>-

世界の巨匠となった小津安二郎」

<歴史読本(2012年12月号)に掲載>


前坂 俊之(ジャーナリスト) 


〔世界が評価した『東京物語』〕

 

 十年に一度、英国映画協会発行の雑誌に発表される「世界の映画監督が選ぶ史上最高の映画」において、三百五十八人の映画監督の投票により、小津安二郎監督の『東京物語』(昭和二十八年(一九五三))が第一位に輝いた。

「完壁な技術で、家族の時間と喪失を描いた非常に普遍的な映画」(二〇二一年八月三日付日経新聞)と評された。

 第二位は 『二〇〇一年宇宙の旅』(一九六八年、スタンリー・キュープリック監督)第三位は 『市民ケーン』(一九四一年、オーソン、ウェルズ監督)だった。さらに、同時に発表された八百四十六人の映画批評家が選ぶ名画ランキングでも、『東京物語』は三位のランクインを果たした。

 じっは、『東京物語』はこの映画ランキングの常連である。小津安二郎は溝口健二、黒澤明と並ぶ日本映画の巨匠だが、その評価は世界でも不動のものとなっている。

 

〔戦前・戦後を通じた多作監督〕

 

 小津安二郎は明治三十六年(一九〇三年)十二月に、東京市深川区(現在の東京都江東区深川) の肥料問屋の二男として生まれた。十四歳のとき、ハリウッド映画を見て米映画のとりこになり、大正十二年(一九二三)、十九歳で松竹蒲田撮影所に入り、撮影助手などの経験を積んだ。 

 二十三歳で監督に抜擢されると、中、短篇の喜劇、家庭映画を数多く手がけ、新進監督として認められた。

「小津スタイル」といわれる独特の映画技法を完成し、昭和七年『生れてはみたけれど』、八年『出来ごころ』、九年『浮草日記』と、三年連続で映画雑誌『キネマ旬報』が主催する「キネマ旬報ベスト・テン」の第一位を獲得。一躍、日本を代表する映画監督になった。

 太平洋戦争中は陸軍に応召されたが、昭和二十一年に帰国、松竹に復帰、『晩春』(昭和二十四年、キネマ旬報ベスト・テン第一位)、『麦秋』(同二十六年、同一位)、『東京物語』(同二十八年、同二位)、『彼岸花』(最初のカラー作品、同三十三年、同三位)『秋刀魚の味』(同三十七年、同八位)、などの円熟した作品を発表して、小津映画の黄金時代を築いた。しかし、昭和三十八年十二月、がんで六十歳で亡くなった。

 

昭和戦前には短編を含め三十八本、戦後は大作十三本と、生涯五+二本の映画を作った多作家でもあった。

 

〔日本文化の理解に貢献〕

 

 小津作品には四つの特徴がある。

小市民の日常生活、家族生活を中心に描くホームドラマ。主役は笠智衆、原節子ら駅撃らいつも決まっており、、カメラ、スタッフも小津組といわれ、作品ごとの変動が少ないメンバ-、キャストで作った。

ドラマチックなストーリーはなく、平凡な小市民の日常生活を描くシナリオ。畳敷の和室に座っての淡々とした会話を中心に描き、男女、親子、夫婦らの日本の家族制度を浮き彫りにした。

最大の特徴はカメラの位置がローァングル(日本家屋の床上五〇センチ、地上からは九〇センチ)に固定された状態のまま移動すること。パーン(撮影機を一ヶ所に据えたまま、左右・上下に動かすこと)することもなく、クローズアップなどの手法も拒否した。絵画的でシンプルな映像スタイルを生涯変えなかった。

④オーソドックスなストーリー、活劇、移動カメラなどの技術)とは対極にある、静かな舞台劇を見るような作風なのである。

 

 このように静語が特徴の小津作品は、国内では人気を勝ち得たが、溝口、黒澤のような海外での評価は長いあいだ得られなかった。そのあまりに日本的と思われる、反映画的な、活動的でないスタイルのためである。

 

 ところが、日本映画を海外に紹介した映画評論家、ドナルド・リチーは「小津作品は神秘的であり、宗教美術を見るような感動がある。正座、無言、無表情な日本人のコミュニケーション態度を的確に表現している」と、小津作品を評価した。これがきっかけで、海外からも注目され、高評価を得ることとなる。

 

 黒澤明は、『羅生門』『七人の侍』などの派手なアクション時代劇で日本の男をダイナミックに描いた。その一方で、小津はカメラを固定して日本の女性や家族生活を記録することで、世界における日本文化への関心に応え、日本を代表する映画監督であるだけでなく、世界の映画監督にも大きな影響を与えた。

 

 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン講座/現在のミサイル防衛・抑止力論議の先駆的事例の研究』★『 日中韓150年史の真実(7)<ロシアの侵略防止のために、山県有朋首相は『国家独立の道は、一つは主権線(日本領土)を守ること、もう一つは利益線(朝鮮半島)を防護すること」と第一回議会で演説した』

●『敵基地攻撃能力が抑止力にならないこれだけの理由』 https://busin

no image
知的巨人の百歳学(161 )記事再録/作家・宇野千代(98歳)『生きて行く私』長寿10訓ー何歳になってもヨーイドン。ヨーイドン教の教祖なのよ。

  2012/11/22  百歳学入門( …

『オンライン作家講座②』★『知的巨人の百歳学(113)・徳富蘇峰(94歳)ー『生涯現役500冊以上、日本一の思想家、歴史家、ジャーナリストの健康長寿、創作、ウオーキング!』

    2019/11/20  『リーダ …

no image
日本リーダーパワー史(707) 安倍首相の<多動性外交症候群>『日露領土交渉』で再び失敗を繰り返し てはならない②『日露首脳会談】プーチン氏、北方領土で日本マネー取り込み「愛国機運」背景に軟化の余地なし』●『北方領土「新たな発想」、局面打開の具体策は見えず「この3年、何も動かず」露ペースに懸念』●『なぜ今、日露首脳会談? 実現に意欲の安倍首相、大局的な狙いを海外メディアが考察 』

日本リーダーパワー史(707) 安倍首相は『日露領土交渉』で再び失敗を繰り返し …

no image
日本リーダーパワー史(478)日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の研究④「人跡絶えた谷間の一本杉のような男だ』(桂太郎評)

  日本リーダーパワー史(478) <日本最強の参謀は誰か& …

「鎌倉ウィングサーフィンチャンネル(2023年3月9日午後5時半)-夕陽に向かって海面をトビウオとなって飛翔するウィングサーフィンは超楽しいね

ウインドサーフィンの次世代・ウィングサーフィンが鎌倉材木座、由比ガ浜でも最新流行 …

◎「オンライン外交史・動画講座/日本・スリランカ友好の父」★『ジャヤワルデネ前スリランカ大統領ー感謝の記念碑は鎌倉大仏の境内にある(動画)』

    2014/11/30 &nbsp …

no image
日本メルトダウン( 984)『トランプ次期米大統領の波紋 』★『予想的中の米教授、今度はトランプ氏「弾劾」の予測』◎『焦点:トランプ新政権と敵対か、メルケル独首相に最大の試練』●『コラム:トランプ勝利が招く「プーチン独裁」強化』●『仏の右翼政党党首、大統領選勝利に自信、トランプ氏当選で』★『首相「信頼関係構築を確信」トランプ氏と会談』●『トランプ氏、司法長官やCIA長官ら指名 強硬派そろう』

    日本メルトダウン( 984) —トランプ次期米大統領の波紋  …

『50,60,70歳のための晩年長寿学入門(93)★『エジソン(84)の<天才長寿脳>の作り方①」★『発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功10ヵ条①』★『生涯の発明特許件数1000以上。死の前日まで勉強、研究、努力を続けた生涯現役研究者ナンバーワン』

     2015/01/01百歳学入門(93)再 …

『オンライン/日本の戦争講座④/<日本はなぜ無謀な戦争を選んだのか、500年間の世界戦争史から考える>④『明治維新直後、日本は清国、朝鮮との国交交渉に入るが両国に拒否される』★「中華思想」「華夷序列秩序」(中国)+「小中華」『事大主義』(朝鮮)対「天皇日本主義」の衝突、戦争へ』

    2015/07/22 &nbsp …