前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

世界が尊敬した日本人(56)松旭斎天勝―世界公演で大成功した「魔術の女王」として、「ジャポニズム」 を巻き起こした。

   

 

世界が尊敬した日本人(56)

松旭斎天勝―世界公演で大成功した「魔術の女王」

「東洋一の女マジシャン」として、「ジャポニズム」

を巻き起こした。

 

前坂 俊之

(静岡県立大名誉教授)

 

明治後期、大正、昭和戦前の三代にわたり「魔術の女王」として一世を風靡した松旭斎天勝。一座は日露戦争前後に、米国、ヨーロッパを5年間巡業して、天勝は「東洋一の女マジシャン」と賞賛され、「ジャポニズム」を巻き起こした。

日本の奇術は天保14年(1843)にたらい回しなどで世界 一周した足芸師・高野広八や慶応三年(1867)のパリ万博で綱渡りなどの曲芸師・鳥潟小三吉がヨーロッパで活躍したケースはあるが、松旭斎天一、天勝のコンビはそれまでの大道芸を一挙に近代マジックの地位にまで高めた。

松旭斎天勝(本名・中井かつ)は明治19(1886)年5月、東京神田で質商の長女で生まれた。家業が傾き、十二歳で明治随一の奇術師・松旭斎天一のもとに前借金25円で売られた。

天一は明治二十二年に明治天皇の天覧を浴し、奇術界のトップとして、百人を超す弟子を持っていた。天勝の素晴らしい素質を見抜き、「天下に勝つ」との意で天勝と命名、2号として奇術を教え込んだ。最初、自殺を図った天勝もその後は奇術を一生懸命学び、一座の花形となった。成長して美しくなった天勝が東京・本郷座などに出演すると、学生たちがどっと集まり学校の出席率が落ちるというほどの人気ぶり。

明治34(1901)年7月、一座の選抜組8人が米国に・サンフランシスコに渡り、日本人街でまず興業した。二年前に渡米した川上音二郎、貞双の一行はサンフランシスコで二人の死者を出し、公園で野宿しながらの惨々の興行だったが、天一一座は大成功をおさめた。

サンフランシスコでは、天一の前口上で日本流に「未熟な芸を披露します」というと、現地で雇った演奏者たちは「侮辱された!」と一斉にやめたり、テンヤワンヤの大騒動。一座は伝統的にゆっくりした日本奇術の「水芸」などをスピードアップして週給1万2千ドルで2年間の米国巡業の契約にこぎつけ、ニューヨークや東部の一流劇場を回った。着物姿の天勝がカタコトの英語で「ワン、ツー、スリー」と順番に数えて「シックス」という発音ができず、「セックス」と言うのが、大ウケし、“セックスガール”と大評判となった。一行はシカゴ(3週間)、ニューユークからヨーロッパに渡り、ベルリン(六週間)デュッセルドルフ、パリの「カジノ・ド・パリ」に出演、アムステルダム、ロンドン、再び米国、ニューヨーク、デトロイト、ピッツバーグ、クリーブランドなどの大都市を巡った。いずれの公演も満員の盛況で、その背景には日露戦争前後であり日本への関心が高まった「ジャポニズム」があった。

天勝はその後、小山内薫の協力を得て豊満な肉体美を誇示した「サロメ」に挑戦して大ヒット。日本女性では初めてのドーラン化粧アイシャドーのメーキャップで登場し、洋舞や西洋マジックを取り入れたショウは圧倒的な人気で、「魔術の女王」だけではなく、大正時代の芸能界の女王として君臨した。

天勝の人気にはいくつかの要因がある。

  • 最新の米国マジックを大胆に取り入れて、当時の最新技術の電灯、照明を巧みに利用した近代的なマジックに仕立て上げた。
  • 宝塚歌劇ができる前の時代に、当時はめずらしい美人女芸人をたくさん登場させ、天一は、洋装のタイツ姿でグラマーな肉体を誇示した。
  • 観客へのサービスを徹底し、懸賞金や貯蓄債権を進呈するなど今でいう顧客満足度や宣伝PRを行った。
  • 自前のプロ球団「天勝野球団」まで持ち、巡業に合わせて国内各地、中国、台湾などまで転戦し、大毎野球団を破るなど21勝1敗の好成績を残した。

―テレビはもちろんなく、芝居演劇が中心で、映画がまだ創生期の時代に、奇術から芸能、野球までのショウビジネスに大成功して、大衆の心をつかんだ天勝のショウマンシップは今でも大いに参考になる。

日本風狂人伝(24) 「ジャポニズム」の先駆者・松旭斎天勝―世界公演で大成功の「マジック女王」

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3634.html

 

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中韓対立のルーツ『日清戦争』を日本の新聞は どう報道したのかー徳富蘇峰,福沢諭吉、朝比奈知泉らの主張は・② 『直ちに開戦を』ー福沢諭吉の主張〔明治27年7月24日 時事新報〕

日中韓対立のルーツ『日清戦争』を日本の新聞は どう報道したのかー徳富蘇峰,福沢諭 …

no image
「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本の新聞が伝えた日英同盟報道」①『日英の友好深まり、同盟の風説しきり〔明治31/1/20 ) 国民新聞〕●『露、独に対抗し日本と同盟すべしと英紙]』(31/1/26 国民〕●『イギリス誌、ソールズベリの同盟論を支持〔明治31/2/19 国民〕』●『<スクープ>英政府、日本に正式に同盟を申し込む〔明治34/12/27 二六新報〕』

  ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本の新聞が伝えた日英 …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑪『英ノース・チャイナ・ヘラルド』/『日露開戦半年前ーさし迫る戦争 それを知る者より』●『日本の忍耐が限界に近づいていることは.1度ならず指摘している。満州撤兵の約束をロシアに守らせるというのは,イギリスやアメリカにとっては元のとれる仕事かどうかの問題に過ぎないが,日本にとっては死活問題なのだ。

 『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑪ 1903(明治36)年7 …

no image
日本リーダーパワー史(115) 陸軍参謀総長・川上操六⑰こそ『帝国陸軍の最大・最後の立役者なり』-

日本リーダーパワー史(115)   陸軍参謀総長・川上操六⑰『帝国陸軍 …

no image
速報(286)『世界初の内部被曝研究会が発足、総会を開催ー肥田舜太郎氏『内部被曝の真実』『『澤田昭二氏の講演』①

速報(286)『日本のメルトダウン』 ●『世界で初めての内部被曝研究会が発足、総 …

no image
日本リーダーパワー史(54)辛亥革命百年③『日本は覇道から王道をめざせ』と忠告した孫文②

日本リーダーパワー史(54) 辛亥革命百年―『日本は覇道から王道をめざせ』と忠告 …

『オンライン/鎌倉カヤック釣りバカ日記』★『10年前の鎌倉海は<豊穣の海だった』★『Midsummer in KAMAKURA SEA』<シーラが海上を大乱舞、イナダ、ソーダガツオとカヤックフィッシングは大漁じゃ>

  2011年8月10日(水曜日)は1ヵ月ぶりの鎌倉沖合いで、夏本番の …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑮ 』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス①>★『日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は 腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、すぐ渡米し、 ルーズベルト大統領を味方につける工作を命じた。』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー 金子堅太郎の世界最強のインテジェンス(intelligence )』

  2017/07/24 記事再録 ★ 明治裏面史『日清、日露戦争に勝 …

「オンライン・日本史決定的瞬間講座⑩」★『「電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力①』昭和戦後の日本が敗戦によるどん底から奇跡の復活を遂げたのは松永安左エ門(95歳)が電力増産の基盤インフラ(水力発電ダムなど)と9電力体制を万難を排して実現したことで高度経済成長が実現した』①

第4章 「電力の鬼」・松永安左エ門(95歳)の「岩は割れる」①   昭 …

no image
日本リーダーパワー史(548)<日本のスーパーマン>川上操六伝(陸軍参謀総長、インテリジェンスの父)②

日本リーダーパワー史(548) <日本のスーパーマン> 明治の奇跡「坂の上 …