前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

(再録)世界が尊敬した日本人【3】日本・トルコ友好の父・山田寅次郎ートルコを世界で最も親日国にした男

      2016/01/07

(再録)世界が尊敬した日本人【3】 2006年8月

日本・トルコ友好の父・山田寅次郎

前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授 )

一八九〇年(明治23年)九月十六日夜、トルコ皇帝の特使が乗った軍艦「エルトゥールル 「エルトゥールル 号」(2344 トン)が和歌山県串本町沖 和歌山県串本町沖の熊野灘で暴風雨によって遭難、沈没した。

同号はトルコと日本との友好を深めようと約六百人の大使 節団を乗せ、一年もかけてアジア もかけてアジア一周の大航海の末に来日 して明治天皇にも会見し、日本側の大歓迎を受けた。

三 月間の滞在を終え、神戸港に向かって帰国途中であった。

遭難には地元串本町 には地元串本町らの住民が必死の救援活動に当たり六十九人を救出したが、トルコ軍人五百八十一人が犠牲となった。

日本政府は生存者を軍艦二隻で送り届けたが、この丁重な日本 の措置はトルコをいたく感激させた。

遭難を聞いて「犠牲者の遺族に弔慰金を送りたい」と立ち上がった 青年がいた。山田寅次郎、二十四歳である。

山田は一八六六年(慶応2年)八月、江戸見坂(現、東京都港区)生まれ。

小学校をおえると英、独、仏語などを学び、外国雄飛を夢見ていた。 ジャーナリストとなり柴四朗、尾崎紅葉らの文学者や福本日南らの新聞人とも親交があり、 茶道「宗偏流」の家元でもあった。

「同じアジアの民として、遭難したトルコ人民に同情する」と新聞ででキャーペインし、全国各地 で講演会を開いて義援金五千円(今では約1億円に相当)を集めた。外務大臣・青木周蔵のアドバイスで自ら届けることにしイスタンブールへ渡り オスマントルコ皇帝のアブドゥル・ハミド 二世に会見し大歓迎を受けた。

皇帝は山田が気に入り、「ここに留まって日本文化を軍人に教えてほしい」と要望した。

山田は士官学校教師 は士官学校教師となり、日本語や日本学を教える が、その教え子の青年将校の一人に、一九二三年(大正12年)に 「トルコ共国」を誕生させた近代トルコの父共和国初代大統領・ケマ ル・アタチュルクがいた。

当時、日本とトルコは隣国・ロシアから侵害、圧迫を受け、ロシアが共通の敵であった。日露戦争が始まるとトルコはその行方に最大の関心を示した。

山田は諜報活動でこの勝利に陰で貢献した。 ロシア・パルチック艦隊がどのルートで日本に向うのか。ロシア 黒海艦隊が本体に合流するかどうかが、勝敗の行方を左右するため、日本側が一番知りたい情報であった。

駐ウィーン公使・牧野伸顕(吉田茂の義父、のちの宮内大臣)から「黒海艦隊の動向を監視して欲しい」の秘命を受けた山田 はボスボラス海峡を見おろす丘の民家を借り、望遠鏡で看視した。

ある日のこと、ポチヨムキン号らの艦船が石炭を積込み、艦隊が出航 したことを牧野伯に急報するなどバルチック艦隊の情報を逐一流し続 けた。

士官学校を辞めた後も、山田はイスタンブールに留まり、中心街に立つガラタ塔近くで日本の工芸品を扱う“日ト貿易”の店を開店し、トルコ貿易の先駆けになった。これがその後の「大阪日土貿易協会 大阪日土貿易協会」に 発展していく。

一九二四年(大正13年)五月、日本はトルコ共和国と正式に国交を樹立、翌年にイスタ ンブール、東京にそれぞれ両国大使館が開設されたが、開設に当たっては、山田が全面的に協力し実現した。

山田は明治から大正にかけて、通算約二十年間、イスタンブールに滞在し、国交がなかった日本とトルコの間に友好の架け橋を築いた「民間大使」であった。トルコ人ムスリムた ちは、『アブドル・ハリル山田パシャ』と呼んで、尊敬していた。

「トルコ人の最もよく知っている日本人」なのである。トルコを世界で最も親日国にした男なのである。
トルコでは宿敵ロシアを破った日露戦争の勝利をわがことのように喜び、町中の道路に「東郷通り」「乃木通り」や『東郷ビール』などの日本人名がつけた。 1957年(昭和32)91歳で亡くなった。

WIKI山田宗有
http://www.ammanu.edu.jo/wiki1/ja/articles/%E5%B1%B1/%E7%94%B0/%E5%AE%97/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%AE%97%E6%9C%89.html

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(180)<国難突破力ナンバーワン・出光佐三を見習う②>『石油メジャーに逆転勝利』

 日本リーダーパワー史(180)   <国難突破力ナンバーワン・出光佐 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(98)記事再録/ 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(31)<川上参謀総長からロシアに派遣された田中義一大尉(後に陸相、首相)はペテルスブルグで活躍<ダンスを習いギリシャ正教に入信して情報収集に当たる>②

   2016/01/14/日本リーダーパワー史(638) …

no image
日本の「戦略思想不在の歴史」⑵(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか②『「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日本を攻めようにも風涛艱険で、 モンゴル軍が安全に進攻できるところではない』

「モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』『日 …

no image
日本リーダーパワー史(216)「坂の上の雲」③秋山真之の師事したマハンの『日本海海戦の講評』(英タイムズ掲載)

日本リーダーパワー史(216)   <『英タイムズ』が報道した「坂の上 …

no image
速報(110)『日本のメルトダウン』動画座談会ー『原発メルトスルー』5ヵ月後の日本の政治座談会(7月27日)

速報(110)『日本のメルトダウン』 <毎月動画座談会(3人ジャーナリストの会) …

no image
速報(49)『原発メディアリテラシー』ー原発大国フランスのメディアはセクハラはニュースではない。原発反対も小さい

速報(49)『原発メディアリテラシー』 原発大国フランスのメディアは政治家のセク …

no image
『百歳長寿経営学入門』(209)―『生涯現役の達人・渋沢栄一(91歳)の晩年・長寿力に学ぶ/『老人になれば、若い者以上に物事を考え、楽隠居をして休養するなどということは、絶対にしてはいけません。逆に、死ぬまで活動をやめないという覚悟が必要なのです』

2011/05/04記事再録 生涯現役の達人・渋沢栄一(91歳)の晩年・長寿力に …

no image
速報(111)『日本のメルトダウン』<小出裕章情報2本>『原発は巨大な「海温め装置」-エネルギーの3分の2は海に棄てられる

速報(111)『日本のメルトダウン』 <小出裕章情報2本>『10シーベルトの被曝 …

「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力②』★『戦時下は「渇しても盗泉の水をのまず 独立自尊の心証を知らんや」と隠棲し茶道三昧に徹する』★『雌雄10年、75歳で「電気事業再編成審議会会長」に復帰』★『池田勇人と松永安左エ門の「一期一会」』★『地獄で仏のGHQのケネディ顧問』』

   2021/10/06/日本史決定的瞬間講座⑪」記事再録 …

no image
『オンライン/山本五十六のインテリジェンス、リーダーシップ論』★『2021年は真珠湾攻撃(1941年)から80年目、日米戦争から米中戦争に発展するのか!』

  山本五十六×前坂俊之=山本五十六」の検索結果 85 件 &nbsp …