日本リーダーパワー史(479)杉山茂丸の研究⑤ 『日清戦争勝利の陰で陸奥宗光、川上操六、荒尾精を操った<もぐら>
<日本最強の参謀は誰か–「杉山茂丸」の研究⑤ >
◎『日清戦争の勝利の陰で陸奥宗光、川上操六、
荒尾精を縦横に操った<もぐら>』
前坂俊之(ジャーナリスト)
日清戦争の開戦については明治天皇は反対の意向が強く、伊藤博文首相もそうであった。陸奥宗光外相と川上操六陸軍参謀次長が桶狭間の戦をみならって先手必勝で突っ走ったが、その裏で杉山がマネージメントしていたのである。荒尾精に川上同様に資金を提供し、清国情勢の把握と日清貿易を促進させる用意周到さである。外交、軍部、玄洋社の3位1体の「オールジャパン」体制を築いたのも杉山である。
●<野田美鴻著『杉山茂丸伝・もぐらの記録』(島津書房、平成4年)の
154P以下によると、
「明治23年12月、茂丸は荒尾精を知ったようである。さて、この荒尾精
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B0%BE%E7%B2%BE
なる人物は尾張の人で陸軍に入り、明治一八年、二八才時に参謀本部附支那課勤務翌一九年春、命により支那における諜報勤務に従事することとなり、上海に渡った。後に叔父甥の契を結んだ26才年長の岸田吟香と出会うのである(これは川上が岸田を紹介している)
荒尾は岸田の物心両面に亘る支援を受けて漢ロに入り、長江河畔に楽善堂の看板を掲げて支那官憲の眼を逸しながら多数の同志とともに支那全土にわたる活発な諜報活動を展開した。彼はこの任務遂行の間に極東地区に於ける日本の安全獲保には日支間の和平親交こそ最重要政策であって、それには両国間の貿易振興を図るべきだ、と考えるに至った。
http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=590
荒尾は明治22年春、兵籍を離脱し、上海に日清貿易研究所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%
E8%B2%BF%E6%98%93%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
なる学舎を設立して人材養成機関とすることを企画し、その具体案を持って同年四月に帰朝した。帰国した後は首相黒田清隆、蔵相松方正義、農商相岩村通俊、同次官前田正名等を説いて賛同を得るとともに各府県知事に対する紹介状も手に入れて全国遊説に旅立った。
福岡に入ったのは、22年12月である。荒尾は紹介状を持って安場知事を訪れたようだ。安場は頭山を紹介したことと考えられるし、頭山はまた茂丸を紹介したのであろう。
荒尾が福岡で講演は玄洋社のバック・アップにより行われたものと考えられる。
こうして茂丸と荒尾は交友関係を結ぶに至り、いろいろな話しの中で荒尾は茂丸の香港貿易希望を知り、茂丸は荒尾から支那事情の専門知識を吸収し、特に香港情報、広東人で荒尾に好意を持つ人物の所在についても聞き知った。
明治22年12月、茂丸は香港を目指して第一回渡航を敢行した。香港での茂丸の行動は始めに荒尾の友人を訪ね、その紹介で英商シーワンと面接、日本炭の輸出を相談したようである。(俗戦157頁)
茂丸は先ず若松港の問屋に狸掘り石炭の集荷を依頼した。
この狸掘り石炭とは当時、筑豊の全炭山が海軍の管轄下にあった中で、ここに住む農民達が細々と内職的に掘り出した石炭の名称である。また、この集荷に当っては当時既に遠賀川流域における石炭運搬舟を取り仕切る川筋者として大兄貴分となっていた茂丸の幼友達、吉田磯吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%A3%AF%E5%90%89
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1157338
なども大いに助勢したのではなかろうか。
集めた石炭は門司港に停泊中の英国船ベンラワー号に船積みして香港へ.と出航、同地シーワン商会にこれを渡して二八〇〇円の利益を得、内2000円を荒尾に渡した。(俗戦157頁)という」
日本リーダーパワー史(128)空前絶後の名将・川上操六⑲
日清戦争前哨戦のインテリジェンス・・<川上の対中国インテリジェンス網>
http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=590
日本リーダーパワー史(71) 明治のトップリーダーの素顔は・中江・山県・川上・・・
<頭山 満が語る明治リーダー真の姿>荒尾精が日清貿易研究所を作って金に窮した時、
川上が番町の自宅を抵当にして四千円の金を都合してやったことなどは、誰も知らない>
http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?p=2245
日本リーダーパワー史(257)『明治の巨大国家プロジェクトを組み立て、日清、日露
戦争の勝利方程式を解いた稀代の名将・川上操六(36)http://www.japanesemission.com/detail/680
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