前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(583)「世界が尊敬した日本人」(37)「財界のナポレオン」-『鈴木商店」の金子直吉<カーネギー、ロックフェラーと並ぶ偉大な事業家>と海外メディアは評価

   

日本リーダーパワー史(583) 

世界が尊敬した日本人(37)

「財界のナポレオン」―『鈴木商店」の金子直吉

大正期に三井、三菱財閥を抜き一大コンチェルンを築きあげたが、昭和金融恐慌(1927年)で倒産し『世界三大倒産」といわれた。「もし、金子が米国で生まれていたら、カーネギー、ロックフェラーと並ぶ偉大な事業家として成功していたであろう。

二人には科学的な頭脳はなかったが、金子は持っており、無から有を作る事業家であった」と海外メディアは評した。

 前坂 俊之[静岡県立大学国際関係学部教授]

かって大正時代に、世界を席捲したグローバル企業があった。鈴木商店・金子直吉である。

第一次世界大戦という千載一寓の商機に、全財産を投げ打って買いまくり、巨利をえて、今度は化学工業や実業、ベンチャーにつぎ込んだ。三井、三菱財閥を抜き一大コンチェルンを築きあげたが、昭和恐慌の中で、倒産に追い込まれた悲劇の風雲児となった。

金子は慶応2年(1866)、高知県吾川郡の生まれだが、質屋で丁稚奉公などをしながら、明治19年(1886)、20歳で神戸の貿易商、鈴木商店に入った。明治27年、当主の死亡後は鈴木ヨネ夫人の下で金子が大番頭となり、その大胆、積極的な事業展開で大発展していった。

大正3年(1914)七月、第一次世界大戦が勃発。ヨーロッパは軍需品、生活用品、食糧など物資が欠乏、日本は一大供給国になり、鉄鋼、船舶、繊維などが一斉に暴騰した。当時、総合商社の先駆けとして金子は、ロンドン支店=高畑誠一支店長(後の日商岩井社長)=を置き、米国、ロシアなどにも支店を作り、世界的なネットワークいていたが、金子はすべての商品に買い出動の大号令をだした。

「金子はついに狂ったか」と世間では噂したが、鈴木商店は買いまくった。予想どおりの大暴騰が始まった。金子は貨物船も大量に発注、食糧品など船ごと売り渡す「一船売り」を行うなど、買っては売りまくった。鈴木商店はヨーロッパで最も有名な商社となり、一時、スエズ運河を通る船の一割が鈴木商店のものといわれた。

大正六年秋、金子は高畑に対して約十mという長い書簡を送り、その中で「天下三分の宣言書」を書いた。三井・三菱を上回るか、この三つと天下を三分するかという、意気天を衝く内容であった。

この年、すでに鈴木商店は三井物産を抜き、三菱商事をはるかに凌駕して、商社日本一の座に躍り出た。貿易額は十五億四千万円で十二億円の三井物産を抜き、当時の 日本のGNP の約1割を占めた。

こうして、もうけた利益を金子はそっくり事業につぎ込んだ。貿易家以上に事業家の性格の強かった金子は、大日本製糖、神戸製鋼所や 人造絹糸製造(後の帝人)と全く未知の事業に矢継ぎ早に手を広げた。

金子は商社の情報機能をフルに活用し、多角化経営、工場の現地立地主義、借金経営の近代的な経営手法をとった。最盛期の鈴木コンチェルンは六十五社(資本金総額五億六千万円)、従業員総 数二万五千人にのぼり、支店、営業所も国内、世界中に百五十ヵ所が張りめぐらされ「日本一の鈴木商店」とうたわれた。

金子の育成企業は日商岩井(鈴木商店の後身)、帝人、神戸製鋼、豊年製油、石川島播磨重工業、三井東圧化学、三菱レーヨン、昭和石油、日産化学工業、日本化薬、日本製粉、サッポロビール、ダイセル、大日本製糖など日本を代表する企業として、その後大きく発展した。

しかし、その金子の旺盛な事業欲そのものが仇となった。1927(昭和2)年3月から発生した昭和金融恐慌

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E9%87%91%E8%9E%8D%E6%81%90%E6%85%8C

によって、鈴木商店のメインバンクの台湾銀行が破綻し、融資の停止によって鈴木商店も倒産に追い込まれた。借金経営と三井、三菱財閥のように銀行を持っていなかったことが鈴木商店の没落につながった。

鈴木商店は台湾銀行をメーンバンクにしており、この破綻と融資の停止で倒産に追い込まれた。借金経営と三井、三菱財閥のように銀行を持っていなかったことが没落につながった。一代にして日本一のコンツェルンを築き上げた金子は大帝国を築き、悲劇的な最期を遂げたナポレオンと似ており「財界のナポレオン」とたとえられた。

鈴木商店の倒産は世界三大倒産の一つといわれた。

「もし、金子が米国で生まれていたならば、カーネギー、ロックフェラーと並んで偉大な事業家として成功していたであろう。二人には科学的な頭脳はなかったが、金子は持っており、無から有を作る事業家であった」と海外メディアは評した。

「国家、企業のための事業振興」という使命の金子に私利私欲はなく、私財は一切なかった。月給をもらっても三、四カ月も引き出しに忘れており、夫人が思い余っての請求に調べてみると、袋にはいったまま出てきたり、全盛期でも金子は会社のオンボロ貸家に住んでおり、倒産後、見るに見かねた部下たちが金を出し合って老後の自宅を提供したほど。亡くなった時、わずか十円しか持っていなかった。

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『 京都古寺巡礼のぶらり旅』★5 『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』(9/3)―わが 『古寺巡礼』で深く心にしみた古刹、庭園、五重塔です①』

                                         …

『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究④』★『明治最大の敵国<恐ロシア>に対して、明治天皇はどう対応したか』(2) 大津事件で対ロシアとの戦争危機・国難(日露戦争)を未然に防いだ 明治天皇のスピード決断、突破力に学ぶ(下)

  2019/09/21  『リーダーシップの日本 …

no image
日本近代史の虚実「山県有朋の外交音痴と明石元二郎伝説➀」ー「安倍/プーチン/ロシア外交と100年前の山県外交との比較インテリジェンス」★『戦争に備える平和国家スウェーデンのインテリジェンス』

  「日本の政治を牛耳った山県有朋の外交音痴と明石元二郎伝説」     …

『Z世代のための百歳学入門』★『芥川龍之介の文学仲間で、大正文士の最後の生き残り作家・小島政二郎(100歳)の人生百歳訓』★『足るを知って分に安んずる』★『いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と借金』★『起きて半畳、寝て一畳、天下取っても、二合半』

2012/11/23  百歳学入門(56)記事再録  作家・ …

no image
下村海南著『日本の黒幕」★『杉山茂丸と秋山定輔』の比較論

2003年7 月 前坂 俊之(静岡県立大学教授) 明治国家の参謀、明治政府の大物 …

no image
日本リーダーパワー史(133)空前絶後の名将・川上操六(22)その急死とインテリジェンス網の崩壊

 日本リーダーパワー史(133) 空前絶後の名将・川上操六(22)その急死とイン …

『リモート京都観光動画』/初春の京都・大原三千院をぶらり散歩(2019/2/23)-大原バスターミナルから茶店の並ぶ参道をゆっくり歩きながら三千院山門までの風情を楽しむ』★『-御殿門を入り、客殿の庭園「聚碧園」、宸殿、有清園、往生極楽院など、青苔の庭園の幽玄の世界に浸る』★『京都大原の来迎寺(2/23)三千院より呂川沿いの山道をしばらく登ると来迎寺はある。』

   初春の京都・大原三千院をぶらり散歩(2/23)-大原バ …

no image
『最強のリーダーシップの日本近現代史』(235)/ 歴代宰相で最強のリーダーシップは1945年終戦を決断実行した鈴木貫太郎ー山本勝之進の講話『 兵を興すは易く、兵を引くのは難しい。』★『プロジェクトも興すのは易く、成功させるのは難い』●『アベクロミクスも先延ばしを続ければ、 ハードランニング、亡国しかない』

       2016/10/31&nb …

no image
名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑫『勝負師に年齢はない』(大山康晴)『愛嬌は処世上の必要条件』(大倉喜八郎)

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集⑫           前坂 俊之 …

no image
『『オンライン講座/日本ベンチャービジネス巨人伝②』★『“ダム経営”を行え』(松下幸之助)★『朝令朝改をせよ』(盛田昭夫)★『目をつぶって判を押せない書類はつくるな 伊庭貞剛(住友総理事)』★『 商売の本質は相互利益であり、面倒をいとわないと成功はあり得ない 江崎利一(グリコ創業者』★『●岩崎家の家訓(三菱創業者/岩崎弥太郎)』★『豊田綱領 ・豊田佐吉(トヨタグループ創業者) 』など

  2013/02/09  記事再録 ★ …