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「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実㉗「朝鮮,属国状態にされる」「日本は高圧的手法で全行政官庁を掌握.朝鮮人を国なき民として放置」

      2018/01/12

「 英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が

報道した「日韓併合への道』の真実㉗

「ニューヨーク・タイムズ」1908(明治41)年5月17日

「朝鮮,属国状態にされる」「日本は高圧的手法で

全行政官庁を掌握.朝鮮人を国なき民として放置」

(トーマス・F・ミラード)

ソウル 4月2日

朝鮮を,政治的な意味で,国家として表記することはもはや正しくない。そして,この国は日本によって統治されてはいるが,日本の一部ではない。政治的には朝鮮は属国であり,自治の最後の痕跡もはぎ取られて内政のごく些細な事柄についてすら発言力を持たない。

したがって,4年前には政府と数千年の文明を持ち,世界の大国と外交関係を結んでいた独立帝国を構成していた1000万の朝鮮人が現在置かれている状態を確かめるのは興味深いことだ。

一国の統治は,必ずしも政府の形態によって判断することはできない。東洋では特にそうだ。しかし政府の形態は比較の基礎となることもある。

皇帝が1904年と1907年に日本に強制されて署名した一連のいわゆる「協約」により,日本の実質的な宗主権が国際的に確立したが(これはすでに軍事占領によって事実上確立していた)・これらの協約を再検討する必要はない。それらは日本の指導のもとで朝鮮の統治体制を再編する基礎となった。

皇帝は国家の名目上の元首の地位にとどまり,朝鮮人からなる内閣が彼を補佐することになっていたようだ。日本の利益の保護には,統監府が・外務、財政,税務、司法.郵政、電信などの通常の行政部門とともに当たることになっていた。

朝鮮人内閣の各閣僚は日本人「顧問」を雇うことを強制され,行+政問題に関して.この顧問の助言を求めることとされた。半年前までは,朝鮮の権力の表向きの義轟が,なんら主導権をとれないとはいえ、には,6000ないし8000人の部隊と宮廷の衛兵から成る朝鮮陸軍があった。

しかし、昨年7月に朝鮮の自治が最終的に消滅する前ですら,皇帝は宮廷に隔離された状態だったし、彼の大臣たちは常に日本軍に監視され束縛されていた。

伊藤か選ばれた理由

この取決めにより.日本人は間もなく中央政府のすべての部門を引き継いだ。日本政府は日本による朝鮮統治が世界から厳しく監視されいると感じたので,伊藤侯爵を促して・ソウルの統監の地位を引き受けさせた。たぶん日本では,伊藤ほど西洋で名声のある日本人は他になく,彼の名前は重みを持つだろうと,考えられたのだろう。

伊藤の朝鮮赴任で賢明で人道的な統治の保証として、多くの方面で歓迎されたが,間もなく当地の日本勢力の分裂を促進した。伊藤が来たときは,軍が完全に支配権を握っており,そのような状況では毎度のことだが、軍は文官政府に権力を委譲したがらなかった。

伊藤ほどの有力者でなかったら,軍の支配に屈したことだろう。しかし、彼はすばやく強引に決着をっけ,自分が全権を握るという了解のもとでのみ朝鮮にとどまるつもりだと東京政府に通知した。軍部は,表向き政府で従属的な地位を占めざるを得なかったが,打ち負かされたわけではなく,勢力を保っており,伊藤はその勢力をこれまで抑制してこれたが,完全に支配しているわけではない。

朝鮮にいる日本人の中には,文官派と武官派の2つの派閥がある。そのうちの文官派が,もろもろの行政を名目上指揮しているとはいえ、武官派の方が数でも影響力でもはるかに圧倒している。

伊藤侯爵は,多くの場合,日本へ出かけて不在であり,たとえ朝鮮にいても,全国各地の状態や,行政の些細な詳細をすべて知ることはおそらくできないので、彼が知らないか,部分的にしか知らされていないことが数多く運行していることは確かだ。

これが1907年7月の一般的な状況だった。このとき,日本は,朝鮮使節団がハーグ会議に姿を現したことで生じた好機をとらえて.しばらく前から検討していた処置,つまり皇帝の廃位を実行した。皇帝(今では公式には退位した皇帝と呼ばれる)は日本の占領に激しい敵意を持っており,この王国を取り戻す方法をいっも模索していた。

日本はたぶん,まだ朝鮮においては名目上の帝国元首をなくすわけにはいかないと考えているだろう。しかし日本は,以前からの皇帝をもっと従順な人物と取り代える機会を得て喜んだ。そのような人物はすぐ手近にいた。それは皇太子で,大半の事柄については白痴同然で,日本の支配に抵抗す朗釦、性格を全く持ち合わせていなかった。

1907年7月16日,朝鮮の内閣は統監の指示のもとに皇帝に伺候すると.皇太子に位を譲るか,それとも以下の条項に同意するか,いずれかを選ぶように申し入れた。

(a)1905年11月17日の宗主権協約に自ら署名捺印すること。

(b)摂政の任命に同意すること。

(c)東京へ赴き、日本皇帝に直接会って謝罪すること。

後の2つの条項はおのずと明らかだが,最初の条項は少し説明が必要かもしれない。朝鮮が日本の宗主権を認めた1905年11月17日のいわゆる協約を日本が世界に発表した後で,朝鮮の皇帝は日本人衛兵の監視の目をうまく盗んで声明を公表した。

その中で彼は自分はこの協約に調印しなかったと述べて,この文書に彼の玉璽が押されていない事実に注意を促した。

したがって,最初の条項は,日本が皇帝に,いったん否認した協約に正式に捺印して批准するよう要求したことを意味した。もちろん,彼が同意してもしなくても,現状に変わりはなかった。

いずれにせよ日本は主権を行使していたからだ。皇帝は,日本へ赴くという条項にひどくおびえた。なぜなら彼は,その当否はまず判断できないが.日本で囚人として拘束されると信じたのだ。

彼は朝鮮で囚人になっているが,実際に国を追われるのにはしりごみしたのだ。

徒労に終わった国民への訴え皇帝は,考慮時間なしに条項に同意することを拒否した。大臣たちは,日本の要求に対する答えを得ることなく立ち去った。その夜,皇帝は,コーリアン・デイリー・ニュースの編集者E・H・ペセルへ伝言し.状況を知らせて,皇帝の苦境のニュースを載せるように頼んだ。

これは翌日の同紙の英語版と現地語版双方で実行された。このニュースが国民の間に伝わるや,大群衆が,この条項に同意しないよう古来の朝鮮の習慣に従って皇帝に請願する目的で宮廷付近に集まった。

群衆は整然としていて,騒ぐことなく日本兵に追い散らされた。その間一にも皇帝にはさらに圧力が加わり,7月18日,彼は皇太子を摂政に任命した。これが国民に発表されると,再び大群衆が宮廷の門外に集まった。

日本軍が群衆を鎮圧しようとしたために多少の暴動が起こり,その間に日本人と朝鮮人が何人か殺傷された。しかし人々は追い散らされ路上から一掃された。その夜,総理大臣の家と,他の親日派役人の家が焼かれた。

数日間,朝鮮人の怒りはくすぶっていたが,それ以上の示威運動はなかった。朝鮮人は,摂政職は一時的なものに過ぎず,皇帝が復位するだろうと想像していたのだ。7月23日,日朝関係を定める新たな協定が,伊藤侯爵と,摂政代理として総理大臣・李完用との間で調印された。

この文書は広く公表されているものではないが,この国での日本統治の方法を知る糸口となるので,次にその全文を掲載する。

第1条-韓国政府は,行政改革に関して統監の指示に従う。

第2粂-韓国政府は,統監の事前の承認がなけれは,いかなる法律または勅令も制定せず,いかなる重要な行政措置も実

行しない。

第3条-朝鮮の司法は,通常の行政事項とは区別されなければならない。

第4条-朝鮮人高等官僚の任命または罷免は,統監の同意なしで行ってはならない。

第5条-韓国政府は,政府内の公的地位に,統監の推薦する日本人を任命する。

第6条-韓国政府は,統監の同意なしにはいかなる外国人も雇用しない。

第7条-明治37年8月22日に調印された日韓協約の第1項は,ここに廃棄される。

この協約により,朝鮮の政府は,どんな些細な法律も制定できず,官僚を任命も罷免もできず,いかなる行政措置をも実行も中止もできず,日本の統監が推薦するすべての日本人官僚を任命しなければならない立場に落ち込んだ。

言い換えれば,朝鮮政府は.政府のどの機能も自由意思で実行できなくなった。この協約の発布に合わせて,統監は皇帝を強制して∴最終的で絶対的なものに改訂された退位に調印させ,こうて意思の弱い皇太子を皇帝の座に就けた。

皇帝廃位のニュースが国内に広まると,国民は大いに憤激し,各地方で暴動が発生したが,これは朝鮮軍を解散させる際の日本人の行動によって険悪化した。日本人の主張によれば,彼らは,韓国陸軍内に反乱を起こして退位した皇帝を復位させる陰謀が存在するという情報をつかんでいたという。

軍がほぼすべての朝鮮人と同様,日本の支配に不満を抱いていたのは確かだったが,そのような陰謀の確かな証拠はないようだ。しかし,統監は思い切った行動に出ることにした。

8月1日午前6時,統監の命令が,新皇帝の承認のもと,ソウルの朝鮮軍兵舎の各指揮官に与えられた。この命令の内容は,将校は直ちに各部隊を武器を持たせずに閲兵し,彼らに解散命令を読み聞かせるよう指示していた。そのような意向は事前に全く内示されておらず,この命令は,朝鮮人士官,下士官兵にとって全くの不意打ちだった。日本人のこの行動は非道で拙劣だった。

朝鮮軍の中には人道にもとる連中も確かに多数いたが.何千という正直者もいた。彼らは,解散の前にせめて武器を持って閲兵され,労をねぎらわれてもよかった。このような状況では,それが普通だ。この命令は,1棟を除くすべての兵舎でおとなしく順守された。朝鮮の連隊が隊列を解くか解かないうちに,外に配置されていた日本軍の分遣隊が入って兵舎を占領し,施設を引き継いだ。

西門兵舎では,印象的なできごとがあった。大佐が命令通りに部隊を閲兵し,解散命令を読んで聞かせた。次に,従う以外にないと言って,解散するよう部隊に勧めた。そして宿舎へ戻ると彼は剣に突っ伏した。彼の自殺の知らせはすぐに広まった。

一部の兵士は武器を取ると,兵舎の占領の準備をしていた日本軍の分遣隊に発砲し始めた。他の兵士も反乱に加わり,全面的な銃

撃戦になった。日本軍部隊が現場に急行し,小銃と機関銃の激しい射撃が兵舎へ浴びせかけられた。

日本人はしばらく前から朝鮮部隊を弾薬不足の状態に置いていたので.それはじきに使い果たされて,反乱部隊は効果的な抵抗の手立てがなくなった。大多数は戦闘をやめて逃亡を試み,多くがそれに成功した。

一部の者は.日本軍が兵舎へ侵入し,彼らをすっかり包囲するまで戦闘を続け,そこで射殺された。最終的に数百人の元兵士が地方へ逃れ,「義勇軍」と呼ばれる反乱者と合流した。こうして,この運動は新たな活力を得た。朝鮮軍のうちで国内の他の地域に配置されていた部分を解散させる際には,いくつかの衝突が発生し,人命が失われた。

朝鮮情勢についての親日派の報告ではば一様に言われているのは,日本の支配(通常は「改革」と呼ばれている)に対する敵対行為は,新体制のもとで「収賄」が廃止されたのに気づいた朝鮮の腐敗官僚から発生し.彼らによって扇動されているということだ。

事実はその正反対だ。腐敗官僚の大多数は日本人によって「扶養」されているっ彼らの多くは高い官職にあり,職務を遂行せずに俸給を得ている。

このやり方で黙らせられない人々は追放されるか投獄されている。日本の権力に屈しない道は,亡命か窮乏またはその両方しかないので,朝鮮の腐敗官僚の大多数は,不可避の運命を受け入れて,新しい大王たちの命令に従っている。

現在の反乱は,専ら民衆の間から発生しているもので,この階級こそ,その利益のために,いわゆる日本人の改革が執行されていると思われている階級なのだ。

朝鮮の民は,ほとんど不平を言わずに自国の官僚と政府の等巌菜耐えたが,それが今や,指導者も有効な手立てもないのに,日本人に対して彼ららしく弱々しげに武器を取っているのだ。この理由は調べるだけの価値がある。

日本の行政改革

概して、日本人が朝鮮政府の構造を徐々に改善し,その行政手法を近代化していることは認めてもいいかもしれない。統監府が最近発行した「朝鮮の行政改革」と題する小冊子では,その目的は「日本政府が朝鮮の行政改革を遂行する中でこの国へ施している援助の性格の概略を明らかにすること」にあると述べられている。

そして次には,着手された改革が列挙されている。これは書粗上は堂々たる改革であり,それに含まれるすべての事柄は,一般的な言葉で叙述される卓,通常は有益に思えるようなものだ。

しかし,そのような事柄は,仮説的な主張ではなく結果によってしか正しく判断できないのであり,結果に照らして検証すれば,朝鮮における日本の改革の大半は精細な調査のもとでは異なる様相を呈するのだ。

これらのー「改革」の多くは,水道などの公益事業のような営利事業にはかならず.日本人株主に対する配当支払が期待されているものだが、もし適正に運営されれば,公共の利益をもたらすだろう。

日本の体制のもとで開始されたいわゆる改革の優に半分は,この部類に入り,日本の開発制度のこの国への適用の一部をなしているが,これはほとんどの国では,「行政」事項とはまず呼ばれないだろう。教育,財政,警察,司法などといった事柄は,政府の行政領域に完全に含まれ,日本は,この国でそれらすべての改革を試みた。

今までのところ,教育改革の主な内容は,朝鮮人とヨーロッパ人の教師を日本人に代え,朝鮮語と以前使われていた中国語を日本語に代えることだ。やがてこれが有益に作用することもあるかもしれないが,これまでのその直接的影響は,授業能率を低下させ, 朝鮮人を怒らせることであり,多くの朝鮮人は子供を通学させなくなった。

警察制度は.日本人だけで構成される多数の憲兵隊の創設によって再編されており,憲兵隊は以前の朝鮮の警察隊に代えて,全土に配置されている。

日本が誇りをもって示す改革は,司法制度の改革だ。朝鮮軍の解散で節約された歳費は,司法の運営の改善に充てられると発表されている。日本人判事をもって最高破毀院が設立されている。じきに下級裁判所でも日本人裁判官だけが裁判を行うようになるだろう。法典は改定され,近代的な基礎に据えられるだろう。これは称賛に値するが,日本がこの間題の処理を急いでいるのは治外法権廃止の同意を列強から取りつけたいからだ。

一方,裁判の運営では目につく改善がない。実際,朝鮮人は,自国の腐敗して能率の悪い政府の支配下にあったときよりも,おそらく恵まれていない。

この国は日本人によって副統監区に分割され,それを統治する副統監は朝鮮人知事を政府を有名無実にしているが,それは,統監が皇帝を有名無実にするのと同じだ。各地区で統監たちは,日本の軍と憲兵隊に支援されている。

下級裁判所はまだ朝鮮人判事が司どっているが,拒否権を持った日本人が同席している。事実上この制度軋朝鮮人の生命と財産を全く日本人の意のままにするものだ。

収賄の二重制度

行政の多くの分野では,この制度の結果,二重権力が生じている。朝鮮人は,かっては小役人を1人収賄しければならなかったとしたら.今では2人収賄しなければならない。

もっと上位の役人についても同様だ。日本の行政の腐敗が統監府の戸口まで及んでいるからだが,統監をじかに取り巻く中枢にまで浸透しているとさえ考えられている。

私の知り得る限り,伊藤侯爵の潔白は疑問視されていないが.彼の主要な顧問が,発生した大半の問題を彼に知らせず,多くの事柄で彼の判断を惑わせていることが知られている。

全体として,朝鮮にいる日本人下級官僚の性格は,日本にいる者にすら劣っている。本国では彼らの不正は枠をはめられているが,この回では十分に広がる余地を見出している。また日本が,やがて朝鮮の官界から朝鮮人を事実上締め出すっもりなのは明らかだ。

朝鮮政府に雇われている日本人は,今では3100人以上になる。今年末までに(先の協定の第5条に基づいて)この数は5000人を超えるだろう。日本人は,上から下まですべての役職の独占を行おうとしている。

火をたき,宮殿や政府の建物を掃除するために雇われていた朝鮮人苦力ですら.日本人苦力に代えられている。

どんなに地位が低くても,その職にありつこうとする日本人入植者がいる。ソウルでは,まだ警官として雇われている朝鮮人がいるが,日本人の警官だけが火器の携帯を許され,また朝鮮人の数は一貫して減っている。朝鮮政府に雇われている日本人官僚の数は,現在の割合で増加すると,今年末までに4年前の朝鮮人官僚の数を上回るだろう。

朝鮮人を日本人と入れ替えるだけでなく,歳入が耐えられる限り多くの新しい地位をつくるのが日本の政策だからだ。

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