前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑱』★『台湾有事の先駆的事例<台湾出兵>(西郷従道)の研究講座㉔』★『中国が恫喝・侵略と言い張る台湾出兵外交を絶賛した「ニューヨーク・タイムズ」 (1874(明治7年)12月6日付)「新しい東洋の日本外交」』

   

 
2013/07/20    日本リーダーパワー史(396)記事再編集

日中韓150年対立・戦争史をしっかり踏まえて外交力を再構築せよ⑤ 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

中国の恫喝外交、国際法無視の外交は140年前から変わったのか。日本の外交は中国とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家であると絶賛しているのである。政府、外務当局は明治外交を研究せよ。

たいわんしゅっぺい【台湾出兵】 とは以下の説明である。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5

1874年(明治7)清国台湾に日本が出兵した事件。開国後最初の海外派兵。征台の役,台湾事件ともいう。1871年琉球宮古島,八重山島の漁船が台湾に漂着し,乗組員多数が原住民に殺害され,さらに73年には岡山県の船員が略奪されるという事件が起こった。このため早くから征韓論を唱えて大陸進出をめざしていた外務卿副島種臣は,これを台湾征討の理由とし,あわせて琉球の帰属問題を国際的に明確化しようとし,前厦門(アモイ)駐在のアメリカ領事ル・ジャンドル(李仙得)を顧問に雇い,その助言によって出兵を計画した。

1874年(明治7)126日付『ニューヨーク・タイムズ』

「新しい東洋の日本外交」

当世の日本人の文筆家たちは,「東洋的」という言葉で自国を形容したがらない。彼らは.とりわけアメリカ人が日本のことを東洋諸国の一員と呼ぶと,あれこれ理由をあげて.それが地理的に矛盾していると主張する。しかしながら.日本を地理的にどう呼べば正しいかは別としても.この国は民族学的特徴においては完全に東洋の範囲に入る。この一般的見解が示す真理の明らかな例外は,日本の外交だ。中国は東洋的特徴の典型であり.諸外国への対応は陰険で欺瞞に満ち.無慈悲,かつとらえどころのないものだ。中国は各国公使に威張りちらし,それからあれこれと引き延ばす作戦に出る。二枚舌はいつの時代にもヨーロッパ使節団を煙に巻く方便だった。日本はこの種の外交をまず行わない。アメリカの遠征による率直で執拗な働きかけを受けて世界に国を開いてから,日本は尊敬に値する寛容な国家であることを身をもって示し.今ではわれわれも認めるところとなった。

日本の外交が収めた今回の勝利は.台湾紛争の名誉ある解決といえよう。

 文明諸国でさえ,台湾の狼籍には手の施しようがないとして,長い間甘んじてきたのだった。台湾は半蛮族の住む大きな島で.ヨ一口ッパとアジアの重要な交易路にあたっていた。このきわめて排他的な島の海岸に上陸した者は,遭難した場合でもそうでない場合でも.虐待されるか殺されるかした。表向きは中国が台湾を統治していることになっていたが,ほとんど有名無実で,どこの国もそれを本気で認めてはいなかった。
ついに,日本のジャンクが島の海岸に流れ着き.乗組員が例によって虐待を受けたため.日本はあれこれ質問することなく,台湾人征伐の兵を派遣した。戦闘が始まって数週間もたたないうちに,18部族のうち16部族が日本軍の司令官に降伏を伝え.残りの2部族の平定を助けると約束した。

 

北西から自国の領土に不名誉な侵入を受けて気分を害していた中国は,けんか腰でこの敵対的侵略に対する説明を求めた。

日本は驚きながらも友好的な態度で,中国が台湾を統治もしくは所有しているのか,と尋ねた。そのとおりであるとの返事を受けた日本は,当島はどこからもきちんと統治されておらず,そのために文明社会の厄介者になっている.と伝えた。さらに.台湾人は厳しく成敗されて行儀よくなっており,日本としては当島の正統な所有者が見つかったからには遠征隊を引きあげる,と付け加えた。しかし.島民をしつけるという厄介な仕事にかかった費用は.当然中国が支払うべき筋のものだと。

中国側は多分に虚勢を張って戦争も辞さない構えを見せた。しかし,日本は.フランスとの交渉で終始「メキシコから出ていけ」と主張したあのシュワード国務長官のような断固たる態度で臨んだ。今回.中国は.東洋の抜目のなさと西洋の容赦のなさをいっぺんにつきつけられ,日本の遠征費として75万ドルを支払うことと台湾の平静を保つことを約束した。これは文明国の仲間入りをした最も若い国(正式認知や年代順に数え上げれば)が誇りにしてよい勝利だ
事態は終始,威厳と洞察力をもって,しかも世界の国々の親しい付合いの要である国際礼譲をきちんとふまえて進められた。望んだものをすべて手にした日本は,中国が支払いを承諾した賠償金の一部だけを受け取るか、もしくはまったく受け取らないと申し出るのだろう.と言われている。
そうなれば.これは少しばかり英雄的な行為と言えるだろう。なぜならば,日本は現在それほど財政的にゆとりがあるとは言えない状態だからだ。しかし.それは古くて新しい日本という国の外交慣習にぴたりと一致するものだろう。つまり世界に向かって.実際にこう言おうとしているのだ。「われわれは,通商と人類の利益のために.こうしてひと働きしたが,それは近代文明に対するわれわれの貢献であり,経費はすべて自腹を切るつもりだ」と。
1874(明治7)年1112日『ノース・チャイナ・ヘラルド』

問題解決から得られた教訓

中国をはるかに劣小な国に譲歩させた原則の価値は過大評価が困難なほど大きい。たとえどのような立場から考えるにしろ.それは日本が訴えてきた主張のみならず,それを押し通した方法においても正しかったことを認めたことになるのだ。

琉球のジャンク数隻が台湾沿岸で難破し,乗組員が台湾の蛮族に殺されたのだ。もし台湾のその地域が中国のものでなかったとしたら.中国に賠償金を求める口実は存在しない。

だが中国のものである場合は,蛮族に悪事を働かせないよう統治し.犯罪者を罰するのが地方政府の務めだ。もし地方政府がその自明の義務を怠るか,あるいは中央政府が,通常の義務を運行できないほど無力な地方政府をはうっておいたとするならば,中央政府は,友好国の臣民が受けた不当な行為に対し.明らかに損害賠償の責任がある。

これが日本のとった立場だった。中国政府はいっものように責任をひたすら否定することによって義務を逃れようとした。そして中国は主権を主張し,日本の遠征は主権を犯すものと断言する一方で,その主張に付随する義務を拒否した。そのような議論や論理は,今まで先進国の外交官との交渉で幅をきかせていたが,新参の国家はそういう考え方ややり方を理解できなかった。

若い文明国の活力は,先進国の疲弊した無気力とは全く異なるもので,先進国が試みたら間違いなく失敗したことにも成功したのだ。日本が中国に与えた教訓は,今後北京の外国公使たちに影響を与えるだろう。というのは,ちょっと熱心に毅然たる態度で臨めば効果があることがわかったからだ。

北京の各国公使館事務局に眠っている中国に対する要求.それはまた無気力に主張され,そしてきわめて不十分で幼稚な理由によって棚上げされているのだが,その要求のすべてとまではいかないまでもほとんどが.日本間題,すなわち不法行為を被り,それが補償されなかったという問題の根底にあるものと全く同じ性質のものだ。

日本のおかげでそのような問題の解決方法が今.示されたのだ。先進国の公使たちは.文明国の中で最も若い国を控え目にまねしながら.作り出されたその先例を早速利用するものと思われる。ところで賠償額があまりに少ないため.中国政府は教えられた教訓を遺憾ながらすぐに忘れてしまうというおそれはある。

しかし、今後わが代表たちは,これまであまりに頻繁にそうだったように中央政府.地方政府,個人のいずれに責任があるかという.際限のない議論の中に要求の決着を埋没させるようなことは許されないだろう。

1874年明治7)1112日『ノース・チャイナ・ヘラルド』

台湾問題の解決

日本の大使.大久保利通と多数の随員を乗せて到着したのだ。解決の条件を記した条約文書は,1031日,日本の大使と総理衝門の高官とによって署名された。われわれが確かめた限りでは.条約により日本は.中国が台湾全土に対し主権を有することを認め.中国は,日本が臣民である琉球人の虐殺に際し遠征隊を派遣したことと.両国間に友好通商条約の交渉が行われたときにとられた行動についての正当性を認めた

条約には50万テールという金額の支払が規定されている。その5分の1は殺された琉球人の家族に対する補償金で直ちに支払われる。残る40万テールは,台湾で日本軍が作った道路や建物に対する賠償金で,日本軍が台湾から撤退するとき支払われ.その撤退時期は12月20日までと定められている。賠償金は福州と天津の関税収入から支払われる。日本の大使はこのように問題を解決し終えると.すぐに北京を発った。

 問題に決着がつく直前,交渉は非常に危険な局面を迎えたように見えたので.首都から.平和かあるいは戦争かという正反対のうわさが広まった。10月の半ばごろ,障害は調整されそうになったが.数日後.賠償金の問題が持ち出されると,部分的に合意に達していた交渉は振出しに戻った。

大久保は日本軍が撤退し,中回の台湾全土における主権を認める代価として500万テールの陪償金を提案したが.中国側に拒絶され,今度は賠償金額を引き下げ,日本政府の台湾遠征の正当性を全面的に認めることを提案したとのことだ。

中国はこの提案にも譲歩することを拒否したが,難破した琉球人の虐殺に対しては10万テールの支払いを申し出た。日本の大使はこの申出を拒否.両国の頑なな態度から決裂は避けられないものと思われた。

10
24日土曜日,日本の大使と公使は,次の月曜日の朝,北京を発つとの意向を表明した。ル・ジャンドル将軍と使節団の一部は.大使たちに先立って出発したが,天津に着いたとき,大使たちが予定時刻に現れなかったので少なからず困惑した。しかし25日,イギリス公使ウェード氏が,われわれの思うところでは中国の要請により,大久保に出発を延期し.平和的解決に向けてさらに努力するよう説得した。ウェード氏の仲裁により,続く1週間の交渉の後.最初に述べた合意が得られたのだ。

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
  『百歳学入門』(168)ー『長寿な人に共通する9つの習慣とは–「生きがい」を持つだけで寿命は7年伸びる』●『これを見ても「時間がない」って言える? ”人生を2回生きる男”が語る、自由に生きるための時間生産術』★『これが長寿のヒミツ!! 目からウロコ「100歳長生き健康法」』●『健康寿命を延ばす「10の方法」 生活習慣と食事、運動がカギ!』★『「100歳まで元気な人」はやっている?たった3つの意外な長寿法』

  『百歳学入門』(168)   長寿な人に共通する9つの習慣とは–「 …

no image
エピソードにみる明治のリーダーの面影

1 エピソードにみる明治のリーダーの面影         03,8月 前 坂 俊 …

no image
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」-「日英同盟の影響」⑭ 1902(明治35)年11月8日『米ニューヨーク・タイムズ』 ●日露戦争開戦2ゕ月前『満州を条約をうまく利用して占領、開発したロシア』★『嫉妬深い日本ですら,ロシアの領土支配に武力で立ち向かおうとはしないだろう。ロシアの支配権はそれほど確立しているのだ。』

     ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の影響」⑭ 190 …

『Z世代への遺言 ・日本インド交流史の研究②』★『インド独立運動革命家の中村屋・ボースを<わしが牢獄に入っても匿うといった>頭山満の決断力』★『ラス・ビバリ・ボースの頭山満論』

2023年5月20日、「グローバルサウス」の代表格で核保有国 インド・モディ首相 …

no image
『日中韓150年戦争史年表』-『超大国・英国、ロシアの侵攻で「日中韓」の運命は? ―リスク管理の差が「日本の興隆」と「中・韓の亡国」を招いた』

日中韓150年戦争史年表 超大国・英国、ロシアの侵攻で「日中韓」の運命は? ―リ …

『オンライン/-『早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法] 『わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』

  2018/11/27 記事再録/知的巨人たちの百歳学(112)- …

no image
『「申報」『外紙』からみた「日中韓150年戦争史」(64)『(日清戦争開戦50日後)-『ロイターと戦争報道』

『「申報」『外紙』からみた「日中韓150年戦争史」 日中韓のパーセプションギャッ …

no image
終戦70年・日本敗戦史(68)大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」「東条首相、国民に殉国の覚悟を説くー」

 終戦70年・日本敗戦史(68)  大東亜戦争開戦日の「毎日新聞紙面」 「 東条 …

『Z世代のためのトランプ米大統領講座㉔』★『ChatGPT対ディープシークのパラドックス』★『AIは今世紀における最も重要な地政学上の戦場』★『ディープシーク「ディスティレーション(蒸留)」の疑惑』

中国の人工知能(AI)スタートアップ「DeepSeek」(ディープシーク)が低コ …

鎌倉サーフィンチャンネル』★『材木座ウインドサーフィン(23年4月16日)ブルースカイとキラキラ海で、カラフルに舞い踊る』

鎌倉材木座海岸ウインドサーフィン(23年4月16日)ブルースカイとキラキラ海で、 …