湘南海山ぶらぶら日記ー「外国人観光客への鎌倉古寺一番おすすめは「妙法寺」ー京都の「苔寺」より上だよ」
湘南海山ぶらぶら日記
「外国人観光客への鎌倉古寺の一番おすすめは「妙法寺」ー京都の「苔寺」より上だよ」
「苔美、わび、さびの神髄ー鎌倉時代の武士をみたいのなら妙法寺に往けー「夏草や兵どもが夢の跡」
妙法寺の境内に入ると、純白のもくれんが咲き、中央にある朱塗り仁王門の2体の金剛力士像が鎌倉武士の精神、烈パクの気魄を伝える。ちょうど早春(3/22)で、鮮やかな緑の新芽の苔がびっしり生えた苔の石段とシダが見事に調和してグリーン一色で美の極致である。鎌倉古寺の中では、ここが一番、コケの美がいつきても心に残る古刹である。
妙法寺(鎌倉市大町4-7-4)
- 鎌倉駅東口より京浜急行バス、名越経由逗子駅行きまたは緑ヶ丘入口行き、「名越」停留所徒歩3分。 鎌倉駅より徒歩では20分
- 妙法寺は佐竹山と向かい合う山下にある寺で、楞厳寺山蓮華院(りょうごんぎんれんげいん)という。建長五年(1253) 鎌倉入りをした日蓮は、松葉ガ谷に草庵を結んだ。日蓮の熱心な布教は念仏宗徒による小庵の襲撃事件を引き起こした。この『松葉ガ谷法難』の旧跡に、妙法寺は立てられたという。ほかの寺にも同様なものがあるが、日蓮ゆかりの寺である
延文二年(1357)、この寺を日叡か再興した。日叡は護良親王の遺児で幼名を楞厳丸(りょうごんまる)、のちに足利尊氏の叔父日静の弟子となり、妙法房と称した。山号、および寺名はこれに因む。
「新編相模国風土記稿」によると、山門のほかに四脚門、二王門、鐘楼があり、塔頭も五院を数えたというから、南北朝時代から室町時代にかけては名刹であった。しかし、江戸時代には荒廃し、破壊された本堂の修複もできなかったといわれる。寺伝によれば徳川家斉(11代将軍)も参詣し、御成の間が明治三十年頃まで残っていたという。本堂の脇間に安置されている極彩色の多宝塔は家斉寄進のもので、永代橋の供養のときに下賜され、以後、隅田川の川施餓鬼のときの本体となったと伝えられる。
現在の本堂は肥後細川家が江戸時代に造立したものである。総檜造りで、堂内の杉戸や欄間に極彩色金箔の絵が描かれている。本堂前の小堂は大覚堂である。
仁王門から釈迦堂址へいたる石段が「苔の石段」である。その右脇の石段をたどると釈迦堂跡で、宝形造の法華堂が建っている。この堂字は文化年間(1804-1818)に水戸徳川家が寄進したものである。中には彫刻に金箔をほどこした大厨子があり、厄除祖師像を安置している。開扉は八月二十七日、九月十二日の両日である。
日蓮は、松葉ガ谷法難の際に、「山王様のお使い」と思われる白猿の導きによってお猿畠(名越切通しの北方)に難を逃れたといわれる。この白猿は日蓮に山中の生姜(なましょうが)を捧げたといい、以来、妙法寺では、松葉ガ谷法難会(八月二十七日)と龍ノロ法難会(九月十二日、十三日 には生姜が供され、「厄除け生姜」として参詣者にも供養される。妙法寺三十二世の住持日応は、水戸領の久昌寺から移った僧なので、水戸家の支援を得て寺勢を拡げた。
境内の仁王門から法華堂へ上がっていくと、うっそうとした樹木の合間で空気はひんやりと、鳥がさえずり、森閑としており、石段は厚い苔におおわれ、地面は湿気を含んでシダ類が多数繁茂し、鎌倉の古寺でも一番、原始の森にたつ寺の雰囲気が癒しの最高のパワースポットになっている。「苔の寺」というよりも自然の森の寺である。石段の両側が白車シャガの花に
包まれる五月から夏にかけての、あざやかな緑は特に美しいが、年中おとずれてもそれぞれの趣がある。是非、一人で巡礼の旅として訪れたい古寺である。
鐘楼の脇から石段、そして山径をたどると、護良親王の蓋、開山日蓮、中興開山の日叡の墓があり、また、南の山鼻に、鷲宮がある。由井長者時忠の児(のちの良弁)をさらった鷲を、頼朝が祀ったとの言い伝えがある。
関連記事
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記( 2017年11月10日)ーイナダ(35㎝)、シイラ(30-40㎝、30匹)、カワハギ5匹、ソーダカツオ3匹と爆釣
鎌倉カヤック釣りバカ日記(11/10)ーイナダ(35㎝)、シイラ( …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(46)記事再録/『江戸を戦火から守った西郷隆盛と勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の(三舟)の国難突破力①』★『『人、戒むべきは、驕傲(きょうごう)である。一驕心に入れば、百芸皆廃す』
2011/06/04 日本リーダーパワー史(157) &n …
-
-
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2,020/4/3am730-11)➀-「コロナパニックを吹き飛ばせ」とキス竿が折れんばかりのカワハギ(25㎝)、大サバ(35㎝)が釣れたよ、こいつは春から縁起がいいね。
コロナ自粛で自宅に閉じこもっていると気分も体力もなえて、フニャフニ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(156)再録/「昭和史決定的瞬間/名シーン』-『1941年(昭和16)12月3日の山本五十六連合艦隊司令長官の家族との最後の夕餉(ゆうげ、晩ご飯)』★『家族六人一緒の夕食で山本も家族も何もしゃべらず無言のまま』(日本ニュース『元帥国葬」動画付)
2018/06/17/山本五十六の長男が回想する父との最後の夕餉(ゆ …
-
-
『オンライン講座/日本を先進国にした日露戦争に勝利した明治のトップリーダーの決断力②』★『2011/ 3/11から2週間後に書いた記事- いまリーダーは何をすべきかー「海軍の父」山本権兵衛 から学ぶ』★『山本権兵衛は歴代日本宰相のーのベスト3に入るリーダーパワーを発揮した『坂の上の雲』の真の主人公>
2012/05/27   …
-
-
『京都名刹・名園ぶらり散歩動画は楽しいよ」★「静かに名園、長谷川等伯を観賞できる穴場の『智積院』(ちしゃくいん)はステキだね」
京都名刹/名園ぶらり散歩(2017年9/3)ー静かに名園、長谷川等伯を観賞できる …
-
-
片野勧の衝撃レポート(57)戦後70年-原発と国家<1941-45>封印された核の真実②幻に終わった「日の丸原爆」(下)
片野勧の衝撃レポート(57) 戦後70年-原発と国家<1941~45> 封 …
-
-
『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(5)』「イタリア・ベネチアふらり、ぶらり散歩(4/19-4/28)「ベネチア・サンマルコ広場の巻➂」
2015/05/25 『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッ …
-
-
『オンライン60/70歳講座/渋沢栄一(91)の見事な臨終の言葉』★『日中民間外交/水害救援援助に 尽力したが、満州事変の勃発(1931年9月)で国民政府は拒否した』★『最期の言葉/長いあいだお世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、今度はもう起ち上がれそうもありません。私は死んだあとも皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしないようお願い申します』
百歳学入門(234回) 「近代日本建国の父」渋沢栄一の名言② 1931年(昭和6 …
-
-
『リーダーシップの日本史』(290)★『日本長寿学の先駆者・本邦医学中興の祖・曲直瀬道三(86歳)の長寿養生俳句5訓を実践せよ
2013年6月20日/百歳学入門(76) 日本長寿学の先駆者・曲直瀬 …
