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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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「Z世代のための日本宰相論」★「桂太郎首相の日露戦争、外交論の研究③」★『日露戦争勝利はロスチャイルドの外債(戦費)のおかげとして、桂首相はお礼外交に出かけたが、明治天皇崩御で途中で引き返した』

   

2011年日本リーダーパワー史(121)『秋山定輔の国難突破力』の記事再編集
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
これまで、明治以来の政治の黒幕として杉山茂丸、秋山定輔の2人を上げたが、今回は秋山定輔についてみていく。
明治、大正、昭和戦前で『政界の黒幕』として暗躍した筆頭は秋山である。明治36年(1903)の河野広中衆議院議長の桂太郎内閣を弾劾した奉答文事件(ほうとうぶんじけん)をかげで1人で仕組んだのは秋山であり、孫文の辛亥革命を全面支援し、スポンサーに軍資金を提供させたもの秋山である。
その後、世界情勢をつぶさに自分の目で確かめるために、世界一周に旅たち、アジア解放の国家戦略を志向して政敵・桂太郎と手を結び、桂新党の結成に動き『日英同盟』を破棄して『日中同盟』を桂対孫文の提携によって実現しようと工作して、実現途中で、桂の急死によって瓦解した。近衛文麿のバックにも秋山の存在があった。
「怪傑・秋山定輔」「黒幕・秋山定輔」の活躍については、その自伝の中でも、関係者が数多く証言をしている。
『秋山定輔は、最高の曲物(くせもの)である。明治以来、歴代の内閣を倒す背後の黒幕は常に秋山だといわれたくらいで、日本一の偉傑である。東京麹町の邸宅から一歩も出ないでいて、日本一、各方面の情報が集収されている』
『蒋介石の言だそうだが「常磐松からは、時に秘密が洩れることはあるが、麹町からは秘密が洩れたことはない」と感歎していたそうだ。頭山満翁は常磐松に住んでおられ、秋山先生は麹町に住んでおられたのである。先生は、実に寡言の方であった』と。
 
しかし、『秋山定輔伝』(全3巻)を仔細に読むと、そこからは日本人の政治家としては稀有の思想性と行動力を有した哲人政治家の顔があらわれてくる。
 
 
その秋山は明治三八年(一九〇五)、明治中期に最も元気のあったジャーナリズムで社会の不正と真正面から戦った『二六新報』を「東京二六新聞」と改題した。同年九月の日露戦争ポーツマス講和条約では、講和に最も反対する新聞として強硬な反対の論陣をはり、日比谷焼打事件では政府攻撃のこれまた急先鋒となった。
講和反対の新聞では「東京二六新聞」「萬朝報」「都」の三紙が急先鋒だったが、日比谷焼打暴動となって爆発したため、政府は東京に戒厳令をしき、反政府系新聞を一斉に取り締まった。中でも「東京二六新聞」が最もきびしく弾圧されて、九月七日に発行停止となり、以後一〇月一〇日までの三〇余日間という長期の発禁処分をくった。
 
その後、政府の『二六新報』秋山潰しの一環で『露探』の汚名を着せられ、秋山は議員を辞める。そして、日本のその後の将来を考えた国家戦略を立案して、それまでの立場から180度転換して政敵・桂太郎と手を結び、『日中同盟』を模索する行動にまい進する。
孫文を援助したのは秋山流の『世界の中で日中同盟』という方向である。
 
ところで、秋山は桂太郎の参謀役として、いろいろな智慧をさずけているが、その1つに日露戦争でのお礼の行動というのがある。
一国の総理大臣、政治家、トップリーダーたちはこの先輩の『日本興亡秘話』を傾聴すべきであろう。
 
日露戦争の本当の勝因は何であったのか?ーロスチャイルドの応援
 
秋山は日露戦争当時に総理をつとめた桂太郎に次のように話している。(以下は『秋山定輔は語るー金・恋・仏』(昭和23年、関書院)より、抜粋、現代文にする)
 
『あなたが総理大臣として直接遂行された日露戦争は真に日本の国運を賭した大戦争です。しかも、戦う前に誰も日本の勝利を確信するものはなかった。
 
その時に、13億円もの戦費を日本へ貸してくれた人は誰ですか。(注・当時、アジアの全く無名の貧乏小国日本の国家予算は2億5千万円ほどなので、13億円というと実に5倍、今で計算すると約400兆円にも相当する)
 
ロスチャイルドが1手で日本の国債を引き受けてくれたではありませんか。幸い勝ったかからいいようなものの、もし負ければ13億円は反故同然になる。
 
良く貸したと思います。日本がロシアに勝った、ある意味では奇跡です。ギリシャがペルシャを破った以上です。誰が日本の勝利を信じたでしょう。
 
ところが、ロスチャイルドは13億円もの金を日本に貸した。このおかげで戦争を遂行することができて、日本は亡国をまぬがれた。戦争のはじまりからおわりまでこの国の総理大臣として、すべてにその任に当たられたあなたほど苦労した人はありません。
同時にあなたほどこの外債の成功を喜ばれた人はありますまい。戦争は終った。あなたは大勲位公爵、功一級、文字通り位人臣をきわめた。もし、これが反対だったらどうなりますか。
 
もし、あの時、ロスチャイルドが金をかしてくれなければ、いくら強い軍隊をもっていても戦争はやれない。そうすれば、ロスチャイルドは日本の恩人です。
 
このロスチャイルドに対して、戦争が済んだあとに何かお礼をなさいましたかあいさつをなさいましたか。私は商人の常識でこのことをうかがうのです。なるほど国債だから5分とか6分とかの利子がつくでしょう、コミッションもあるでしょう。
 
しかし、そんなことは戦争に勝ったので言えることであって、初めは問題にならんと思う。貸すか、貸さなぬか、の2つです。ロスチャイルドがいかに世界一の金持ちであっても、13億円という巨額の日本の国債を一手に引き受けたということは尋常のことではありません。
 
この絶大な行為に対して、大恩に対してなんらの感謝の道を講じていないとは何事ですか。いまもって、一片のあいさつもしないでいるとは驚き入った次第です。サーベルをさげた軍人や袴をつけや役人の社会はしらぬこと、そういうことは前垂れかけの社会(ビジネス)では許されないことです。」
 
会話はこのような調子だったが、あとは秋山の自戒の言葉が続く。
 
当時の日本人はロシアに勝った。やれ世界の1等国だの、2等国になった、日本人ほど偉いものはないと一挙にうぬぼれて、天狗になってしまった。
勝てるとおもってなかった日本があの世界の大強国を相手にして勝利したので
世界の人が驚いて、日本は偉いとほめてくれたのをその通りに喜んで、戦勝気分に酔って有頂天になっていた。
なるほど、勝ったには違いないが、それは勝たしてくれる人があったので勝ったのだと言うことを忘れてしまった。
本当に戦争して勝つということは、軍費はもちろんなにもかにも一切自国で賄って勝った場合をいうのである。
 
日露戦争のように軍費のほとんどを外国に仰いでは本当に勝ったことにはならない。しかし、私自身も当時、日本の偉大さを信じた1人であった。
 
ここから、秋山の次なる洞察が生れてくる。
 
秋山は国会議員を『露探』容疑でやめて、ヨーロッパ、アメリカなどに2回にわたり、大旅行をして、世界への見聞をひろめた。世界の日本観をグローバルな視点で客観的に眺めることで、『日本の危うさ』『日本の地位が本当にわかった』のである。
 
「ロシアに日本が勝って、1等国になったといっても西欧人の方はまるで日本をしらないのだ。はなはだしいのは日本は島国で相変わらず支那の属国とおもっている。
事実、西欧各国と比べてもその国力、文化、あらゆる点で比較にならない。1等国はおろか、3等国も難しい。こうした世界情勢を目の当たりに見て帰国した、日本をみると浮かれっぱなしで、これではだめだと痛感した。やれ、藩閥だ、やれ軍閥だ、官僚だ、政党もいくつかにわかれて各々角をつきあわせて、国内の政争、カタツムリの争いに浮き身をやつしている。日本はそんなことをしている時ではない。
 
そんなとき、思いもよらず、山県有朋公から「桂にぜひ会え、桂はいまでは心境が変わっている。しきりに君に会いたがっている」との連絡があり、不倶戴天の敵だった桂とあって、両者の提携が始まったのである」
 
100年ほど前の秋山の言う当時の日本の状況は日露戦勝利のバブルにうかれ、世界情勢には目をつぶり、政治も党利党略、国家の方向よりもコップの中の政局にあけくれている現在の日本の姿、政治とダブッテ映る、全く違っていないことを示しており、慄然としてくる。
 
秋山の証言に戻る
 
秋山のロスチャイルドの話に対して、桂は心打たれたのか大きくうなずき、しばらく黙ったままであった。ややして
「よくわかった、わかりました。ありがとうじつにありがたい。そんな大切なことに今まで気づかなかった。あなたなればこそ、そこまで私に
忠告してくれたのだ」とそのイカズチ頭をさげて、「ところで、どうすればいいのか、先方へ感謝の意を表す方法は・・」と聞いた。
 
秋山は続けた。
 
「本来ならば、戦争が済んだならばすぐ、天皇がロスチャイルド家に対して、ご挨拶があるべきと思います。それが、難しいならば
総理大臣のあなたが何をさておき、すっ飛んで行って『おかげで戦争もすみました。誠にありがとうございました』とお礼を申し上げる
べきであった。
 
しかし、すでに5,6年たった今日この頃にいたって、お礼をいって贈り物をしても、先方は冷めたご馳走をだされたようで有り難くも思わんでしょう。
 
先方はヨーロッパ第一の金持ち、それも1代や2代の金持ちではない。何百年も続いた大富豪とあってみれば物に不自由はない。
 
お茶一杯でもさし出して先年は誠にありがたかった、あなたのおかげで日本は救われた、私も役目を果たすことができましたと、心からお礼を
述べられたら、それ以上の方法はないと思われます。それだけの誠意が一番の贈り物でしょう。」
 
「いや、全くその通りだ。では一刻も早くいってその通りやりましょう。言われてみれば1日もこうしておれないので、
早速出かけることにする」とさすが桂も最高指導者の器である。決断は早い、即実行したのである。
 
桂が明治45年にヨーロッパに外遊した真の目的は秋山献策のこのお礼の旅だったのである。シベリア鉄道でドイツを通るため、ドイツの皇帝に会う前に、ロスチャイルドを訪問するわけにはいかない。ロスチャイルドに最初に会うルートをいろいろ秋山が考えて献策して、いよいよ後藤新平、若槻礼次郎らを随行して、一行は出発した。
ところが、好事魔多し。シベリア鉄道に一行が乗って向かう途中に、明治天皇の崩御の報が入った。旅行は中止となったのである。
 
リーダの心得はどうあるべきか。何を歴史の教訓とすべきなのかー秋山はこのケースから次のように結論づけている。
 
「受けた恩義には感謝の誠を表わすべきである。個人の場合も国家の場合もそれは変わらぬ礼であり道徳である。
高利貸しの金をかりた場合でも、それで自己破産が免れたならば感謝すべきである。それを独力で破産をまぬがれたと過信してうぬぼれていると、最後には破綻に立ちいたるのが人生の定法である」
 
「日露戦争はただ日本の力によって勝ったという人はその戦費の大部分を外国から借りた言う事実を忘れている。外債ができなければ、あるいは負けていたかもしれないことに思い至れば、日本の実力がロシアの実力に勝ったのではないということを自覚して、日露戦争後の対応も全く違ったはずである。
 
ところが、ロシアに独力で勝ったと過信、妄信したので、その後、日本の実力を錯覚、過大評価して、自己過信、うぬぼれて間違った方向に突き進み、圧倒的な資金力に差のあるアメリカとの戦争に発展していった。
 
もともとは日露戦争での決定的要因である戦費、『腹が減っては戦ができぬ』の根本を忘れてしまった。

 

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