前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『Z世代のための百歳学入門(94)★『エジソン(84)の<天才長寿脳>の作り方②」★『★『世界の発明王」エジソンは小学校で先生から「成績が悪い、劣等生だ」と叱られれ、以後、小学校には行かず、母親から「百科事典」(今でいうならGoogle)を基に教育を受けた。天才、リーダーは学校教育では作れない』★『秀才、優等生よりは、落ちこぼれ、落第生の方が天才になれるのよ』

   

 

「逗子なぎさ橋通信、24/06/22/am700]ひさしぶりに富士山がその美姿を影絵のようにあらわした。

2018/02/03『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究➄』 記事転載

前坂俊之(ジャーナリスト)
日本の過度の学習塾・受験詰め込み教育がすべての子供が持つ『豊かな創造性と個性・多様性』をつぶして、有名大・東大卒の受験マニアル人間・創造力ゼロ・問題解決の能力ゼロのロボット人間を大量生産するのみ。その実力のない。学歴自慢の、実力のない、結果を残せない官僚、政治家をたちが「バカの壁」となって日本をつぶしてきた。
「世界の発明王」エジソンは小学校で先生から「成績が悪い、劣等生だ」と叱られれ、以後、小学校には行かず、母親から「百科事典」(今でいうならGoogle)を基に教育を受けた。天才、リーダーは学校教育や受験予備校では作れないのだ。
 
「天才は1%が霊感(インスピレーション)、99%が汗(パースピレーション)である」は、エジソンの格言の中で、最も短くて最も有名である。
秘書のインサルが天才について質問した時、エジソンはこう答えた。「99%はうまく行かないことを知ることで、他の1%が天才かも知れない。だが私が、何事もやり遂げられと思う唯一のほうほうは、忍耐強い観察を続ける努力である」

 

トーマス・アルパ・エジソン(1847~1931)
 
 トップリーダーを育てるための英才教育の必要性や、幼児教育の重要性を説く人が最近、増えている。しかし、残念ながら天才は学校からは生まれない。平均点の優秀な児童・生徒はつくれても、リーダーは学校教育でつくりだすことは無理だと思う。天才はいずれも学校では落第生だったことが多いという事実は考えさせられる。
 たとえば 『天才の通信簿』(ゲルハルト・プラウゼ著、丸山匠ほか訳、講談社、1978年)では西欧の三千年の歴史の中での天才の学校生活を調べているが、天才、トップリーダーを学校でつくりだすことは非常に難しいことを示している。
アインシュタインのケース
相対性原理などでノーベル物理学賞を受賞した天才の中の天才・アインシュタインは先生がサジを投げたような最低の生徒だったという。発育が遅く、口を利くのがひどく遅かったので、両親は知的障害ではないかと心配した。
 やっと話せるようになっても、しゃべり方はぎごちなく、おそろしく無口だった。このため、アインシュタインは学校嫌いになった。アインシュタインは子ども心に自分に興味のない科目をなぜ勉強しなければならないか、理解できなかった。学校の教育方針に従わなかったので、先生ちからひどい目にあった (前掲書)。
 二〇世紀の最大の天才・トーマス・エジソンも小学校を退学したことは有名である。「私はいつもクラスでいちばんできのわるい、落ちこぼれの生徒で、父でさえ私が低能であると思いこんでいた」 (同前)。 ある日、担任の先生が全員の前で「きみの頭は空っぽだね」と冷笑した。八歳の少年にとって、この言葉は笛でムチ打たれるよりこたえた。いきなり教室をとびだし、そのまま家に駆けもどり、「もう学校へ行くのはいやだよ」と母に涙ながらに訴えた。
 この先生の言葉は、トラウマとなり一生涯脳裡に焼きついて離れることがなかった。「その日から二度とその小学校には足を踏み入れなかった」。あとは母が教育して読書を教えて、一緒に本を読み仕事をしながら独学で「大発明王」 に成長していったのである。エジソンの成功物語は教育とはいかなるものかを学ぶ絶好の材料である。
 優等生や既存の試験に強い、先生からはめられる「優等生的な」児童・生徒はつくり出せても、大発明や英雄になるような大天才は「逆境」や「苦労や貧乏の実体験」の中から育つという例証である。先生もあまり肩に力を入れる必要はない。どこまで人間形成に役立つ教育をするかである。
本来の学校の意味はこの(スクール)という単語は、ラテン語の「スコラ」に由来し、語源はギリシア語の「スコレ」で「仕事から解放されて自由になる」という意味である。つまりスコレは、古代ギリシアでは、自由市民が精神修養をはかる余暇を意味するものであり、やがて人々が集まって話を聞いたり、討論しながら学習する場所を指すようになった。
 これが、一四世紀以降の西欧では読み書き計算を教える学校、寺、私塾が生まれ、一七世紀になると今日の小学校に相当する普通学校が成立し、一八世紀には急激に増加している。義務教育が導入され、全児童が少なくとも小学校に就学する教育体制が確立したのである。これと比べると、日本の義務教育制度は一八八〇年(明治二三)の教育令(三年間)で導入され、二〇〇年以上は遅れたのだ。

福沢諭吉の子供教育論

日本の教育制度はどう発展したのか。日本の近代教育制度は文部省の東大など官立校に先駆けて福澤諭吉の慶應義塾(一八五八年(安政五年)に開校した蘭学塾がスタート、一八六八年(慶応四年、明治元年)に「慶應義塾」と名前を変えた)が開かれたが、福澤は明治元年五月、上野に立てこもった彰義隊と官軍の戦争が始まり、江戸が戦火に包まれる瀬戸際でも講義を続けて、生徒に言ったという。

 「これから新しい日本が始まる。過去の日本は亡びる。これからの日本はお前たちが背負って立たねばならない。われ関せずで黙って勉強しなさい」

 そのうち、上野の山に官軍が大砲を撃ち込み、その砲昔が響いてきた。
学生が落ち着かなくなると、「しばらく講義を止める。みんなハシゴで屋根にのぼって、バカどもの騒いでいるのをみろ」と、屋根上で見物させ、それから、一心不乱に講義を続けたという毅然としたリーダーシップを示したという。
教育こそ国の盛衰を左右する。福澤の決然として、若者の未来に託した姿勢こそ真に教育者の姿であろう。いま、少子高齢化で国難に遭遇している日本にとって、教育で優秀な人材、世界で活躍する人材を育てて、二〇年、三〇年後に国運を立ち直させることこそ重要である。 
福澤は慶應義塾で経済こそその国を独立、繁栄させる基盤であると役人養成ではなく、実業家の育成に取り組んだ。これが、明治の「富国強兵」の人材養成になったのである。
九人の子どもがいた福澤は小学校教育について、体育を中心にして子どもの活動を妨げるなとして、こう語っている。
「子供の教育法は、もっぱら体のほうを大事にして、幼少の時から読書などさせない。まず体を作った後に心を養うというのが私の主義で、生れて三歳、五歳まではいろはの字も見せず、七、八歳にもなれば手習いを少し、まだ読書はさせない。それまではただ暴れ次第に暴れさせて、ただ衣食にはよく気をつけてやる。自由自在にしておくのは、犬猫の子を育てると変わることはない」
と自然流で、勉強、勉強などといっていないのだ(福沢自伝より)。
 

 東大の教育法を批判、息子を退学させた。

また、次のように親にくぎを刺している。 東大の教育法を批判、息子を退学させた。
「世間の父母はややもすると勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてはめるが、本をよく読むといってほめたことはない。
長男、次男の二人を東大に入れて勉強させていたところが胃痛で体をこわした。家に呼び返し文部大臣に『東大の教授法は生徒を殺すか。殺さなければ頭がおかしくなる、
大は少年の病気製造所と命名してよろしいか』と抗議して二人を慶應義塾に入れて卒業させて、アメリカの大学に留学させた」((福沢自伝より))とまで書いているのだ。
 福澤は日本の教育制度を変えた男であり、慶應大を創設して教育を実践してきた先覚者である。その方法論は現在の大学制度の改革を先どりしている。
外国人もどんどん採用し、多くの学生を海外留学させ、ハーバード大の日本分校にすることも検討していた。東大が旧来からの官僚養成学校であるのに対して「経済大国」の基礎をつくる経営者、実業家、リーダーを送り出した。

「逗子なぎさ橋通信、24/06/22/am700]

低気圧一過、ひさしぶりに富士山がその美姿を影絵のようにあらわした。

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

人気リクエスト再録『百歳学入門』(233) -『昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝!➀」★『法に深切、人に親切、自身には辛節であれ』★『「正法(しょうほう)興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ」「葬儀は絶対に行なわざること」(遺書)

    2012/06/01  記事再録 百歳学入 …

no image
知的巨人たちの百歳学(170)記事再録/元祖ス-ローライフの達人「超俗の画家」熊谷守一(97歳)●『貧乏など平気の平左』で『昭和42年、文化勲章受章を断わった。「小さいときから勲章はきらいだったんですわ。よく軍人が勲章をぶらさげているのみて、変に思ったもんです」

    2016/07/10 /百歳学入門(151 …

no image
百歳学入門(27)お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣・内田百閒の『一笑一若、一怒一老』は超おもろいよ

百歳学入門(27) お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣・内田百閒の 『一笑一若、一怒 …

『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論②」の講義⑩『日中韓150年対立・戦争史をしっかり踏まえて対中韓外交はどう展開すべきか➂ー尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(上)(1901年(明治34)11月「中央公論」掲載)』

    2013/07/07 日本リーダ …

no image
世界最先端技術「見える化」チャンネルー『Stratasys(ストラタシス)の最新3Dプンリンターはここまでできる。モノづくりの常識を変える』

世界最先端技術「見える化」チャンネル 第1回 次世代3Dプリンタ展(TCTJAP …

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』★『 新型コロナ、大災害多発、世界大恐慌の襲われる地球世界(下)』★『米中の覇権争いの勝者は?』★『米国先住民の警告―「最後に人はお金は食べられないことを知るだろ」』 

                前坂 俊之(ジャーナリスト) 米中の覇権争いの勝 …

no image
日本メルトダウン脱出法(821)『視点:日本に必要な「3つの変化」=イアン・ブレマー氏』●『アングル:中国「爆買い」の火は消えるか』●『北朝鮮核実験で明らかになった世界の現実ー「他人任せ」の日本に3つの危機が迫る(古森義久)』

  日本メルトダウン脱出法(821)   視点:日本に必要な「3つの変 …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争カウントダウン(35)』/『開戦2週間前の『仏ル・タン』報道ー『日本国民は自分たちの力と軍事力に対する節度の感覚を失っています。中国に勝利して以来,日本はロシアにも簡単に勝てるだろうと思い込んでいる』●『「対露同志会」がメンバーを旅順や満州,ウラジオストクに派遣して,極東におけるロシアの状況を調査している』

『日本戦争外交史の研究』/ 『世界史の中の日露戦争カウントダウン(35)』 『開 …

『リーダーシップの日本近現代史』(236)/百歳現役入門― 団塊世代は元気な百歳をめざそう, <健康長寿の秘訣はこれじゃ>『「少くして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老ゆとも衰へず。老いて学べば、則ち死すとも朽ちず」(佐藤一斎)』

   2018/02/09 /百歳学入門(198)/記事再録 …

no image
「オンライン/外国人労働者の受け入れ問題講座』ー『政府はこれまでの方針を大転換し、外国人労働者を受け入れの入管難民法案を提出、2019年4月からは14業種で計約4万人を受け入れる』★『日米戦争の引き金になった「排日移民法」、大正時代に米国カルフォルニア州の日本人移民と現地の白人住民の間で生活、宗教、経済観念などの摩擦、対立がおこり「米国に同化できない民族だ」として1913年に「排日移民法」が成立した』

    2018/11/14 記事転載 日本リーダ …