「2022年コロナ・デルタ株終息後のパクスなき世界へ(下)」(2021/9/15 )★『パラリンピックの熱戦が人々に勇気と力を与えた。』★『人間には無限の可能性がある』★『バイデン大統領はアフガン戦争から撤退した』★『日本興亡史のサイクルは77年間』★『「富国平和・軽武装国家」で2回目の興隆サイクルへ』
2021/11/03
「2022年コロナ・デルタ株終息後のパクスなき世界へ(下)」
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パラリンピックの熱戦が人々に勇気と力を与えた。
(B)「では話題をパラリンピックに少し戻しましょうか。私は個人的なことを言いますが、障害者問題を初めて知ったのは小学生の頃に母から教えられた大石順教尼(1888-1968)の「無手の法悦」物語からです。
大石順教尼は京舞の芸妓だった17歳の時、1905年(明治38)に発生した「大阪堀江六人斬り事件」の巻き添えとなり、ただ一人、両腕を 切り落とされながら生き残った女性です。その後、苦難の人生の途中で、カナリアが嘴(くちばし)で数羽の雛(ひな)をかいがいしく育てているのをみて、ハッと気づき筆を口にして書くことを思いつき、書画の世界に入った。1933年(昭和8)、高野山で出家得度。身体障害者福祉相談所を設けて、二百人以上の婦女子を収容して、福祉活動に生涯を捧げた人生で、子供心に大変感動しました。パラアスリートの活躍を見るたびその勇気と挑戦に心がふるえて、大石順教尼を思い出して、涙がとまらなかった。」
(A)「私も感激したよ。障害者問題を他人事と考えていたことを恥ずかしくおもった。今回の東京パラリンピックのコンセプトは「WE HAVE WINGS」。(勇気を出して翼を広げることで、思わぬ場所に到達できる。人間の可能性は無限である)でした。片肺の飛行機に扮した車イスの少女が主人公で空へ飛ぼうとして挑戦、奮闘するパフォーマンスが演じられた。盲目のピアニスト・辻井伸行さん(32)の演奏や、ギタリストの布袋寅泰さん(59)ら著名人とともに障害者が多く参加して、華麗なプロジェクションマッピングや花火などで盛り上げた開会式は、世界中の人々に勇気と感動、生きる力を与えた。高齢者の私にも生きる元気と勇気が伝わってきました。」
人間には無限の可能性がある
(C)私は「多様性と公平、平等性を掲げる」パラリンピックを見て、改めてパラ競技の面白さ、奥深さ、ルール作りの公平、平等性を強く感じた。車イスラクビ―は車イス同士の激突、転倒の連続で手に汗握る格闘技である。ボッチャはカーリングに似ており、戦略性に富む知的ゲームで面白い。いずれもゲームの背後に困難と闘い続けるパラアスリートたちの不屈の人間ドラマが凝縮されていて感動的でしたね。「開会式でアンドリュー・パーソンズ会長は、「コロナと戦っている世界中の障害者たちに自信と希望と、より明るい未来を開くためにもパラリンピック開催の意義は大きい。人間には無限の可能性があることを世界の子供たちに伝えたい」と述べたが、その通りと思った。五輪以上に面白かった。」
(B)「私も同感。この2ヵ月間、いや1年間以上にわたって延々とコロナ敗戦、デジタル敗戦を続けてきた日本政府のオウンゴールと、一方その正反対に、困難を克服して挑戦、活躍するパラアスリートたちの輝く姿、米大リーグで前人未到の結果を続けている大谷選手の大活躍ぶりの3本立てのリアルドラマを新聞、TV,Youtube,スマホなどで寝るヒマもなくウオッチに熱中してきた。
その中で「人々を鼓舞するスポーツ力」と「国民の平和と経済と生活を犠牲にする政治無力」の余りの巨大な落差に愕然とし、私は今すっかり虚脱状態に陥った。
確かにスポーツ五輪では日本は大躍進したが、政治五輪では(国際競争力ランキング)では日本は後進国に転落している。永田町政治村は自民党総裁選、衆議院選挙に向けて政治家は右往左往、混乱しており、この政治的危機に対して現状打破できる突破力のある政治家や、政治集団の姿はまだ見えていない。」
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自民党総裁選の行方は?
(A)「結局、自民党総裁選は9月10日、河野太郎コロナ担当大臣が正式に出馬を表明し、石破茂氏が出馬しないので、これで岸田文雄元外相と高市早苗前総務大臣の3人による総裁選(9月17日告示、29日投票)となったね。総裁選を背後で操るキングメーカーの安倍元首相は早々に高市氏を支持、麻生財務大臣(副総裁)は「がんばれよ」と河野に声援を送った。勝ち負けの明白なスポーツと違って、人気投票、金、コネ、看板、当選回数、年功序列、根回し、ポスト争いをめぐる「不透明な」総裁選となりそうで、各派閥のは「勝ち馬」にのる策謀を巡らしている。」
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バイデン大統領はアフガン戦争から撤退した
(C)「菅首相が総裁選に出馬ないことを決めたとほぼ同時にバイデン米大統領は決断突破力を発揮して米国史上最長のアフガン戦争の終結を宣言したね。負け戦争を終結するの一大決心がいりますよ。トランプからさんざん「寝ぼけバイデン」などと批判されていた同大統領だが8月31日を期限に駐留の米軍、米国人らの退避作戦を実施した。一方、日本も自衛隊機を派遣し、500人を退避させる計画だったが、わずか1人しか退避させることができず完全に失敗したといえる。」
B)「アフガン戦争は2001年9月11日からの20年間で、戦費総額は2兆2600億ドル(約247兆円)に達した。約2500人の米軍兵士、約4000人の米国の民間人が死亡。6万9000人のアフガン軍人、4万7000人の民間人も死亡、膨大な人的犠牲と経済的損失を出した。
今年は日本軍の真珠湾攻撃(1941年12月8日)の太平洋戦争開始から80年目にあたる。太平洋戦争は終結まで約5年間。日本側死者は約310万。経済的損失は経済評論家・加谷珪一氏の計算によると「当時の国家予算(日中戦争開戦当時の一般会計)に対する比率では約280倍。現在の価値に置き換えると、4400兆円もの天文学的な費用がかかった。」
(A)「20世紀は戦争の時代だったが、戦争を起こすのは易しく、引くのは難しいといわれる。勝っても負けても経済的な大損害を被る。アフガン戦争で負けた米国は長期的な国家衰亡に陥っており、台頭著しい中国との覇権争いに危機感を募らせている。勝ったタリバン側とて、国内制圧後も統治能力はゼロなので、新国家建設は容易に進まず混乱が長引くものと思われる。」
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日本興亡史のサイクルは77年間
(B)「自民党総裁選挙に関連して、ここで日本政治興亡史におけるキングメーカー(元老)の存在について振り返ってみたいと思いますね。
今から130年前。1890年(明治23)11月に帝国憲法が施行され、第1回帝国議会が開会された。 山県有朋首相は「富国強兵」「殖産振興」をかかげて西欧列強からの日本独立を守るために軍備増強、行政制度の整備、産業振興の重点予算を組んだ。明治の三傑(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允)はそろって明治10年に死亡、野党の板垣退助や大隈重信が14年に失脚後は、長州閥(山口県閥)の英語ができる外交通の伊藤博文と軍事・陸軍の父・山県有朋が最高指導者(キングメーカー)となった。
以後、大正末までの約30年間は伊藤博文(1909年(明治42)没)と山県有朋による2大元老時代が続いた。山県は軍、内政を一手に握り日清戦争、日露戦争では子飼いの桂太郎首相(憲政史上2番目の首相在任2886日)らをすえて戦争に勝利した。第一次世界大戦後の1920年(大正9)には国際連盟常任理事国(4ヵ国)になり、「坂の上の雲」に達したわけですね。国際的地位は一挙に向上し日本は一等国になったとうぬぼれた。山県はこの翌年、スペイン風邪にかかり1922年(大正11)に83歳で没します。
その後、昭和時代に入り1930年代の世界大恐慌に突入、山県軍閥の2代目、3代目の昭和軍閥が暴走し「国際連盟を脱退」(1933年)、議会政治をつぶし、日中戦争、日独伊三国同盟、太平洋戦争で敗戦した。明治維新から数えて77年間の日本興亡史の第一幕です。大国・企業の興亡の法則「コンドラチェフの波」(景気循環の一種で、約50年周期(40年~70年)説)と一致した。ちなみにソビエト連邦も73年間で崩壊している。
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リーダーシップとインテリジェンス不足
(C)「日本亡国の原因は①リーダーシップの欠如②外交・戦争の失敗②インテリジェンスの欠如(叡智、国際的見識、時代の洞察力、科学技術力への無知)④ダーウイーンの適者生存の法則(大きいもの、強いものが生き残るのではない。状況に適応したものが生き残る』の無知➄太平洋戦争では孫子の兵法第一条「敵を知らず、己を知らなければ百戦百敗」などの複合失敗の結果だったのです。
つまり。戦争(国家政策)は起こすのは簡単だがm日うのは難しいということ、日本の富国強兵政策は77年で大失敗に終わった。特に太平洋戦争は百戦全敗のの例は世界史にもありませんよ。」
「富国平和・軽武装国家」で2回目の興隆サイクルへ
(A)「では、昭和戦後の発展はなぜ起きたのでしようか。それはこの敗戦パターンの逆を行ったことです。1946(昭和21)年に首相になっ吉田茂(政権在職日数は2248日で第5位)は「負けっぷりを良くせよ」「戦争で負けて外交で勝った歴史はある」との戦略を胸に秘め、マッカーサー司令官(GHQ)と5分5分の外交力を発揮して軍国日本からの脱皮を図った。米国はマッカーサー憲法(現憲法)を制定し、日本独自では到底できなかった旧憲法下の前近代的な国家システムを全面改革してくれて、西側世界に日本を組み込んだ。このおかげが大きいと思いましすよ。
吉田首相は強力なリーダーシップと外交力によって占領期の大混乱を見事に乗り切り、「全面講和」を退けサンフランシスコ平和条約と日米安保条約を1951年(昭和26)にセットで結び、米国の傘の下に入った。インテリジェンスのある吉田首相は勝ち組の米国・西側に乗ったのです。吉田政権は七年余の長期におよび55年(昭和30)の保守合同を実現し、自由民主党を結成し、「富国平和・軽武装国家」の基礎を築いた。第一回東京五輪開催(1964)を契機に高度経済成長の波に乗り米国に次ぐ世界第2位の経済大国に躍進させた。米ソ冷戦下の30年間は「軍事、防衛はアメリカ任せで日本経済のみにまい進できたことが大きい。」
2022年は2回目の日本興亡サイクル77年目となる
(B)「吉田首相は昭和戦後のキングメーカー、元老として、吉田学校の優等生の池田勇人、佐藤栄作、田中角栄らの後継者を次々に育て上げた功績は大きい。吉田後のキングメーカーは何といっても田中角栄首相だが、ロッキード事件で失脚後も「目白の闇将軍」として田中軍団(国会議員139人)を率いて権力を握り続けた。
田中派の分裂、自民党戦国時代に突入し政治混乱を長引かせ日本政治を停滞させる汚点を残した。1989年(昭和64)、バブル経済は頂点に達したが、ここでベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊(1991)となり戦後の国際秩序は大転換した。
その大波に翻弄された日本経済はバブルが崩壊し「平成の失われた20年」から30年の下降衰退カーブに陥った。安倍首相の通算7年8ゕ月間の最長期政権下の「アベクロミクス」でもこの経済衰退を止めることはできなかった。来年でこの2回目の日本興亡サイクルは77年目となる。1回目の興亡失敗パターンと同じで、経済繁栄、バブルにおごり、孫子の兵法第一条とリーダーのインテリジェンス(国際的洞察力、時代を見抜く力)が欠如した結果です。」
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中国40年間でGDPを46倍、日本の2.7倍に。
(C)「中国は、この40年間でGDPを46倍に拡大し、日本の2.7倍の規模になった。GDPは米国に次ぐ世界第2位、日本は3位に転落、日本の一人当たりGDPは約400万円で韓国に抜かれて30位に転落、欧米先進国と比べて「貧しい国」に衰退中だ。
「世界デジタル競争力ランキング(2020年)(IMD)よると、1990年代には総合順位で連続1位を続けてきた日本だが、2019年の総合順位をみると転落の一途で日本は63ヵ国中の第23位、アジア太平洋地域でも14ヵ国中8位と順位を下げ続けている。
日本は「平成のベンチャー精神を失なった30年」で、ついにデジタル後進国に転落したといえる。日本憲政史上最も長い安倍政権の「アベクロミクス」も失敗に終わったもです。今回の、総裁選では「この自民党の失敗を逆転突破できるリーダーこそ選ぶべきですね」
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