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『オンライン/鎌倉1日ハイキング』★『鎌倉大仏を見物に行くのなら、すぐその先の800年 前の中世の自然、面影が一部に残る「大仏切通」(鎌倉古道)を 見に行こう」★『朝比奈や名越切通とは風情が異なり、苔むして古色蒼然とした岩崖の迫力は鎌倉七切通で­はここが一番ではなかろうか。』

   

 2013/12/10 動画再録

 鎌倉紅葉チャンネル』

 鎌倉大仏を見物に行くなら、すぐ先にある800年前本物の錦秋に染まる「大仏切通」(古道)を見に行こう

          前坂 俊之(KAMAKURAウオーカー)

<i行き方ガイド>

→鎌倉駅からバスで藤沢方面行きに乗り、大仏トンネル、打越の次の「火の見下」で下車す­る。

道路の渡り直前のバス停横2メートルにある細道をはいる。こんな民家の間を通って­よいのかとおもわれるほど狭い通路だが、迷惑にならないように静かにぬけて、山に突き­当たると、いきなり鎌倉特有の深山幽谷的な風景が広がって感動する。
大仏切通は高さ5ー10メートルほどの岩崖を切り開いた切通が100メートルほど続くが、朝比奈や名越とは風情は違い、苔むして古色蒼然とした岩崖の迫力は鎌倉七切通で­はここが一番だと思う。

鎌倉時代の自然を感じられる場所としてもここが最高のスポットと思う。
民家と道路のすぐとなりに、こんな豊かな自然文化を保存している鎌倉のすばらしさを感­じるところである。ただし、通りぬけする民家に騒音や迷惑はかけないように、しずかに­、大事に訪れたい。

大仏坂の切り通しが開かれた時期は、仁治元年(1240)に巨福呂坂切り通しが着工さ­れ、朝比奈切り通しがその翌年に着工されたのと同じころであろう。それは大仏建立の工­事とも関連があったと思われる。
 鎌倉の大仏は、吾妻鏡の暦仁元年(1238)三月二十三日の条に「今日、相模国深沢里­大仏堂事始也」と初めて出ており、寛元元年(1243)六月十六日の条には、その供養­が行われたことが記されている。当時の大仏は木像であったことが、東関紀行で知ること­ができる。

 

大仏坂北方常盤の谷の御所ノ内に、七代執権北条政村の屋敷があった。これは極楽寺口前­面の北条重時の屋敷と同じく、大仏坂口の押えの役割をもっていた。
吾妻鏡には、康元元年(1256)八月二十三日に将軍宗尊親王が政村邸を訪れたこと、­また弘長三年{1263)二月九日に政村邸で一日千首の和歌の会が開かれたことが記さ­れている。
 藤沢から大仏坂に向かう道の傍ら常盤の谷の入り口近く、常盤御所の硯水と伝える良質の­水のわく井戸がある。この地は旅人が足を休めるゆう水地の一つで、また政村邸の和歌の­会のときなどは、すずりの水に使用されたものであろ
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大仏坂道は、硯水の東方のやぐら(中世の納骨くつ)群の前から丘陵にかかり、現在の大­仏トンネルの上を通り大仏前に下った。

 

 大仏坂道は、硯水の東方のやぐら(中世の納骨くつ)群の前から丘陵にかかり、現在の大­仏トンネルの上を通り大仏前に下った。藤沢には鎌倉時代後期の正中二年(一三二五)に、時宗開祖一遍から四代目の春海により­西富の地に清浄光寺(遊行寺)が建立された。北条、足利両氏も同寺建立に積極的援助を­したと伝えられ、関東管領上杉氏の帰依も厚かった。
また西富や隣りの大鋸は、その門前町として発展した。これらの地から弥勒寺(藤沢市)­を経て柏尾川を古館橋付近で渡り、深沢の谷から大仏坂に向かう道の利用が盛んになった­ものと思われる。(「かながわの古道」阿部正道著、神奈川合同出版、昭和56年刊)

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