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『リーダーシップの日本近現代史』(152)再録/『知的巨人の長寿学』の牧野富太郎(94)に学べ<植物研究と山歩きで、世界的な植物学者になる>★『学歴差別をものともしなかった「日本の植物学の父」』

   

     記事再録

 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 

牧野富太郎(94)-学歴差別をものともしなかった「日本の植物学の父」

 
「わしは植物の精だよ」―牧野富太郎は小学校を中退、独学で植物の研究をしながら東大植物学教室へ出入りし、『植物学雑誌』や『日本植物志図篇』を私財をはたいてまとめ上げて、日本の植物分類学の基礎を作った。生涯、採取標本は約40万枚、新種や新品種など発見1500種類以上にのぼる。東大では学歴学閥の厚い壁にはばまれ万年講師に甘んじながら、借金と貧乏にめげず膨大な『牧野植物図鑑』をまとめ上げた。まさし「日本の植物学の父」であると同時に、博物学者・南方熊楠とならぶ「学問の巨人」である。
牧野は文久2年(1862年)5月、高知県高岡郡の裕福な酒造家の1人息子に生まれた。子供のころから植物にとりつかれ、22歳で東大植物学教室の出入りし、「植物志」(図鑑)をつくる決意をした。全国各地の植物を採集し、調査分類して自費出版した。「ヤマトグサ」や「ムジナモ」などの新種を発見、初めて学名をつけて英語で発表し、世界に知られた。31歳でやっと東大理学部助手に。このころ研究費を支えていた郷里の酒造業も傾き、生活苦に襲われるようになる。
 
明治23年(1900)、38歳で結婚し、子供が相次いで13人も生まれた。43歳でやっと講師になるが助手の月給(15円、当時の牧野の家賃も15円)と講師(月給25円)はあまり変わりない。食うにも困って借金がかさみ、二年ほどで二千円にも膨らんだ。このため毎月、利払いに苦しみ執達史に研究室や借家の植物標本、書籍まで差し押さえられた。家財道具の一切が競売にかけられて食事のテ-ブルもないこともあった。
しかも、子供が多い上、ぼうだいな標本の保存、収納のためには狭い家には住めない。このため、借家の家賃も払えず、何度も家主から追い立てをくった。毎年、大みそかになると、本郷周辺を引っ越しする生活が続き、計十八回も引っ越した。部屋に全部標本を積み重ねて子供は標本と標本との間で寝ていた。家計を助けるため、寿衛子夫人は渋谷待合を経営したこともあり、借金取りの応対は夫人が一手に引き受けた。
 
 
 『不遇の植物学者、苦心の標本も売る羽目に』〔大正5年12月16日 東京朝日〕より。
 
 不遇の学者牧野氏 植物記載学の大家として誰知らぬものなき牧野富太郎氏は、年ごとに迫り来る家計不如意の結果、負債山積しその始末に窮して、今回三十余年間に亘りて実地採集したる植物標本の珍品十万点を売却して、この急場を脱せんとして居るという噂を聞いて、記者は小石川指谷町牧野氏邸を訪ねて見た。
 
平常、金銭のことにかけては至って無頓着な純学者肌の牧野氏も、今度ばかりはいささか困ったと云うふうで、「恥かしいことだが、どうしても出来なければ、惜しくて溜らぬ標品だけれど、なんとかそんなことをして始末をつけねばなるまいと思って居る。外国へ出しても珍しい標本が随分あるから、二万や三万の金は出来る訳だが、僕の集めた標品の価値を認めて、この急場を救ってくれる富豪が日本にあるかどうか。出来得るならば散逸せず、なるべく一箇所に纏めて、標本館でも設立して欲しいものだ」と云っていた。
 
これらの標本は、いずれも氏が非常なる危険を冒し、時には案内者が谷底に墜落、惨死せる事などもある。そしてその中には、従来日本に絶無なりと伝えられていた食虫植物むじな藻(明治二十一年東京近郊にて発見)を初め、菊の原種野路菊(土佐)、やまと草、奴草等は世界に誇るべきもので、その他氏の新発見にて世界学界に発表したものは約四百種の多きに上っている。
 
これらについても約一千頁の大論文を発表しているくらいで、実に学界の珍とすべきものである。なお氏が今日まで三十年近くも東大理科植物学の講師を奉職して居り、「大日本植物志」「日本植物図説」その他多くの優れたる著述あるに係わらず、今日のごとき不遇の地位に沈治しっつあるは不思議なようだが、明治二十七年、初めて菊池男の推薦によって理科大学植物学の助手となった時が月給十五円、今日になってようやく三十五円の月給にまで漕ぎつけたような有様。あの高名なる牧野氏がタッタこれだけとは嘘のようだが、これは事実である。
 
かくまでに薄給であるから、或いは博物館や農事試験場などの嘱託となり、夏期講習会の講師となって、零細な報酬を得て生活して来た。それでも家族が多くなり、生活も向上するにつれて、到底これだけではやり切れず、田中光顕伯、豊川良平、土方寧諸氏の尽力で、かって岩崎家から家政の整理をして貰ったこともあったが、財源が細くて無理な生活をして居るのだから、またまた今回のような破目に陥った。
 
世界に誇るに足る大植物記載学者が金のためにかくまでに惨苦をなめ、それに植物記載学の方面では博士以上の実力ありとの定評ある牧野氏が、まだ学位さえ貰って居ないで諸所から不義理な借金さえ嵩んで苦しんでいるとは、実に気の毒なことだ。今年五十四歳の同氏は、「これから髪の研究をやって見たい」と言って居るが、なんとかこの不遇の学者を救う途はないものか。
 
 
借金取りから逃げ回る
 
家の門に赤旗が出ていると、借金とりの合図にして、この赤旗をみると、牧野は家に入らず、まわりをブラブラして、いなくなったころに帰った。貧乏生活に耐えながらで研究に没頭し、1千頁を越す博士論文を書いた。
牧野が若くして「大日本植物志」などを自費で刊行し業績をどんどん上げるのに対して、金、地位、論文をめぐって植物教室の教授たちとの間にネタミ、嫉妬による軋轢が生じて、邪魔者として一時、大学からを追われる事態にもなった。
 
大学差別に苦しんだ牧野は意地になって「学者には学問だけが必要なのであって、裸一貫で仕事が認められればりっぱな学者、学位の有無など問題ない」と理学博士の論文提出を長年拒否してきたが、昭和2年、65歳になってやっと学位を受けた。世界的な植物学者でありながら万年助手、講師生活47年。78歳となって昭和14年に東大を退職した。
しかし、牧野はサラリーマン研究者ではなく、生来の学者であり、「植物の精霊」そのものだったので、九四歳で亡くなるまで全国をくまなく、中国まで駆け回り採集と、分類の研究を続けた。新種1000種、新変種1500種を発見した。
牧野は自らの生き方をー「朝な夕なに草木を友にすればさびしいひまがない」「いつまでも 生きて仕事にいそしまん また生まれ来ぬ この世なりせば」と詠っているが、その独学の勉強法15ヵ条はーー。
「耐え忍んで研究はとことん精密に行う。草木を多量に観察する。古今東西の書籍を多く読む。洋書をできるだけ読む。研究発表では最も適した画図の技法を学ぶ。文章力を練ること。植物学に関係ある学問を幅広く研究する。跋渉(ばっしょう)=野山のフィールドワークの労をさけるな・・・」(高知県立牧野植物園のHPより引用)
 
その牧野富太郎は「私の健康法」 (昭和22年11月1日)、と題してこう回答している。
 
最近の日常生活ぶり
 
 今日は時節柄、毎日得られるだけの食物で我慢し生活せねばならぬのだが、しかしなるべく栄養分を摂取する事に心掛け、わが学問のために何時までも自分の体力を支え行かねばならんと痛感しています。それでも元来自分が幸いに至極健康であるが故に今日のところ身体は別に肥える事はないけれど仕合せにはまた敢て弱りもしません。けれども戦前に比ぶれば食の関係で多少痩せた事は事実である。この頃は脂油を得るに難いから、ために皮膚の枯燥を招いています。まことに困ったもんです。
 
 私は生来割合に少食です。その食物は物によりすき嫌いはあるが、また特殊な好物もなくまず何んでも食っています。胃腸が丈夫なのでよく食物を消化し、一体食物には不断に世話のやけない方です。しかし従来、生ぐさ嫌いのために余り魚類を好きませんでしたが、この頃は食味が一変してよくそれを食しています。
 
牛肉は幼年時代から一かんして嗜好品ですが、鶏肉は余り喜びません。コーヒーと紅茶とは至って好きで喜んで飲みますが、抹茶は余り難有思いません。今日は右コーヒーと砂糖とが得難いので困っていますが、しかしヤミで買えば何んとかなるようです、
酒と煙草とは
 
私は酒と煙草とは生来全く嫌いで、幼少時代から両方とも呑みません。元来私は酒造家の息子なので、幼い時分から一向に酒を飲まなかったのです。従来この酒と煙草とを用いなかった事は私の健康に対して、どれほど仕合せであったかと今日大いに悦んでいる次第です。故に八十六のこの歳になっても少しも手が頁わなく、字を書いても若々しく見え、敢て老人めいた枯れた字体にはならないのです。また眼も良い方でまだ老眼になっていないから老眼鏡は全く不用です。
 
そしていろいろの書き物写し物は皆肉眼でやり、また精細なる図も同じく肉眼で描きます。しかし、頭髪は殆んど白はげになりましたが、私は禿にはならぬ性です。歯は生まれつきのもので虫歯はありません。この頃は耳が大分遠くなって不自由です。それから頭痛、肩の凝り、体のだるさ    倦怠、足腰の痛みなど絶えてなく、按摩は私には全く用がありません。また下痢なども余りせず両便とも頗る順調です。
 
病 歴
 私は文久二年四月の生まれですが、まだ物ごころのつかぬ時分に早くも両親に訣れて孤児となりました。わが家の相続人に生まれた私は幼ない時分には体が弱々しかったので家人が心配し時々灸をすえられたが、それから後次第に息災となり余り病気をした事がなく、そして何等持病というものがありません。しかし今から最早や二十
程前に医者に萎縮腎だといわれましたが、小便検査にも一向蛋白が出ず、あるいは
時々山に登りあるいは相当に体を劇動させても爾後何の異条もなく今日に及んでいます。
 
しかしこの二、三年以来重い物を抱える際に突然座骨神経痛様の強い痛みが偶発する事があるが、それはおよそ一カ月位で自然に全快します。また昨年以来不意に三度も肺炎に侵されLが幸いに平癒して以来何んの別条もなく、この頃は一向に風邪にも躍らず過ぎ行いています。 数年前に本郷の大学の真鍋物療科で健康診断をして貰った事があったが、その時血圧は低く脈は柔かで若い者の脈と同じだ、これなら今後三十年の生命は大丈夫だと、冗談交りにいわれた事があり、そしてこの血圧の低い事と脈の柔かい事から推しますと、まず私は脳溢血に罷る事はないように思われます。またある医学博士は、先生の身体は槍造りで何処も何等の異条がないと褒められた事もありました。       

 また私の体は創をしても滅多に膿を持たず癒るのが頗る早いので、小さい創は何ん
の手当てもせず何時もその儀に投り放しで置きます。つまり私の体は余り徴菌が繁殖せぬ体質とみえます。すなわちバクテリアの培養基としては極めて劣等のものと想像します。そして何んだか自分にもそのように信ずるので、流行病のある時などでも電車中でマスクを掛けた事はありません。それから私は常に鼻で呼吸をしている。
 
信 仰
 
 信仰は自然その者がすなわち私の信仰で別に何物もありません。自然は確かに因果応報の真理を含み、これこそ信仰の正しい標的だと深く信じています。恒に自然に対していれば私の心は決して飢える事はありません。
 
趣味趣向
 
 私は生来いろいろの趣味を持っていますが、その中でも音楽、歌謡、絵画は最も興深く感じます。また自然界の種々な現象、種々な生物ならびに品物についても趣味を感じ、殊に火山については最も感興を惹きます。けれども他に超越して特に深い趣味を感受するものは、何んといっても天性好きな我が専門の植物その者です。 草木に対していれば何の憂鬱も煩悶も慣潜もまた不平もなく、何時も光風寧月でその楽しみいうべからずです。まことに生まれつき善いものが好きであったと一人歓び勇んでいるのです。そしてそれは疑いもなく私一生涯の幸福であると会心の笑みを漏していま       

す。従って敢て世を呪わず、敢て人をば怨まず、何時も心の清々しい極楽天地に棲んでいるのです。
 
養生訓、処世訓
 
私は体が至って健康な故に、別に養生訓というものに、ついぞ注意を向け心を労した事がありません。つまりいわゆる養生に無関心な訳で、私の体にはその養生というものに対して心配する程な、欠陥がないからです。故に畢寛敢て気に留めないのです。また処世訓も同様で、私は敢て世態に逆らわずに進退し、常にそれに順応して行く故に、特にいわゆる処世訓というような題目に心を配ってそれをとやかく論じ理窟をいって見た事は一度もありません。
 
近詠
 
 いつまでも生きて仕事にいそしまん、また生まれ来ぬこの世なりせば
 何よりも貴とき宝もつ身には、富も誉れも願わざりけり
 
 
牧野が94歳の長寿を保った
 
植物採集で日本全国をくまなくまわった健脚と植物学にかけた情熱からであった。ただし、もともと丈夫なタイプでもなく何度も死線からよみがえっている。48才のとき、肺をわずらって喀血し、一時は再起を危ぶまれ東大へ死後遺体解剖の予約をしたが、生きながらえた。
 昭和24年、87歳で大腸カタルで危篤になった。医者が臨終を宣告、枕辺の人たちが唇に死に水をふくませているうち、のどが鳴り、目をさまし完全に生きかえった。昭和31年も、時間の問題といわれながら回復した。
 昭和32(1957)年1月の亡くなる前、水さえ飲まず、強心剤、栄養剤などわずか200カロリー(成人の必要量は2400カロリー)だけでなんと2ヵ月間ももつという強じんな体力の持ち主だった。死後解剖の結果、心臓は六十歳くらいの若さで、血管の動脈硬化はほとんどなかった。娘・鶴代の話では
「日本にはサクラが少ない。もっとたくさん植えて、四月頃に飛行機から見ると、下はサクラで埋まっているようにしたい」と話していたという。

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