前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人たちの百歳学(175)記事再録/『一億総活躍社会』『100歳元気社会』のシンボル 「 医師・日野原重明(103)、漢字学者 白川静(96)に学ぶ」

   

 

  2015/11/05知的巨人たちの百歳学(134)

『人間、七十五歳を過ぎても、クリエイティブな能力を発揮できる』

『我は袴、君は帯、高く結ひ上げて大和路の春を歩みいたりけり』

103歳、医師「新老人」運動を実践  日野原重明 (1911年10月4日~)

『人間、七十五歳を過ぎても、クリエイティブな能力を発揮できる』

聖路加国際病院理事長。今も現役医師として元気に活躍しており、肌つやの血色はきわめて良好で、若々しささえ感じさせる。一日は早朝の6~7時に起床して、夜中の2時に就寝する。睡眠時間はわずか4~5時間で、睡眠と食事を除き、あとの18時間は働いているという。驚異的なエネルギ-である。

食事は、食べ過ぎないように一日1300カロリ-と低カロリ-に心がけている。食べ過ぎは寿命を縮め、健康に良くない。朝食は牛乳とジュースとオリ-ブ油、固形物は一切摂らない。昼食は牛乳とクッキ-のみ。夕食はご飯半膳、肉は一日おき、魚は毎日、野菜は低カロリ-なのでたっぷり摂取する。食事らしい食事は夕食のみで、「一日一食」。

日野原は不思議な運命の持ち主。学生時代に結核を患って長い療養生活を体験、戦時中は東京大空襲にあい生き残ったことから、戦後医師となって活躍する。昭和45年のよど号ハイジャック事件では機内に乗り合わせて九死一生を得た。地下鉄サリン事件にも遭遇した。これらの事件を通してクリスチャンの彼は、ミッションを感じて、世の中のため人のため精一杯生きることを誓って、いちずに実践してきた。

いま、日野原は「新老人の会」の実践と、ホスピスに熱心に取り組む。老人の定義はこれまで六十五歳とされてきた。しかし、六十五歳以上でも元気に働ける人は一杯おり、引退する必要はまったくない。老人の定義はこれから七十五歳以上に改めた方がいう。そして、名前も老人ではなく、「新老人」との呼び名を提唱。人間、七十五歳を過ぎても使っていない遺伝子や脳機能はたくさんあり、老人になってもクリエイティブな能力を発揮できる。「それを医学的に証明したい」と自ら生涯現役で、日野原パワーを老人に元気を与え続けている。

 『人間の寿命に影響を与えるのは遺伝子よりも環境。中でも食生活が一番大事、長生きしたければ、食べ過ぎないことです』

日野原は、人間の寿命に影響を与えるのは遺伝子よりも環境であると強調する。

人間の寿命は遺伝子によって決まると考える人が多いが、そうではなく、意外にも四割が遺伝子、六割が環境によって決まるという。人間の健康や寿命に影響を与える環境因子には、食事、運動、仕事、人間関係、趣味、家族、宗教などいろいろあるが、その中で長寿に大きな影響を与えるのは食事や食生活だという。とくに長生きしたければ食べ過ぎないこと、低カロリ-の食事が長寿の秘訣だと日野原は語っている。

日野原が自ら実践している長寿健康の食事として、次の五つを上げている。

  • 1日1食1300カロリー以上食べ過ぎない。腹八分目で低カロリ-
  • 脂は植物油のサラダ油。オリーブひまわり油、大豆の製品をたくさん摂る。
  • 朝はジュースにこの油を1杯飲む。135Kカロリ
  • このジュースと牛乳たっぷりのコーヒー。昼も牛乳1杯とクッキー3枚だけ。
  • 夜は肉と魚、茶碗半分のご飯、緑黄色野菜にフレンチドレッシングをテーブルスプーン1杯。消化によく、脳を活性化させるので、食事はよく噛んで食べる

また、日野原は健康のために十年ほど前からうつ伏せ寝を実行している。うつ伏せ寝は、老人特有の床ずれを防ぎ、血行も良くなる。仰向け寝に比べて、気道が確保されやすいのでいびきが軽減される。酸素を多く取り込み易いので、痰が排出されやすい。さらに、便秘になりにくく、肩こりが楽になるなど、うつ伏せ寝は健康に非常によいという。

晩年まで元気に過ごすには、やはり気持ちの持ちようが一番大事で、日野原は自らも実践している、次の5つの点を上げている。

  • 人を愛すること

  • 自然に感謝すること

  • 平和を願うこと

  • やったことのないことに挑戦すること

  • 人生に耐えること

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

96歳、漢字学者 白川静(1910年4月19日~2006年10月30日)

『我は袴、君は帯、高く結ひ上げて大和路の春を歩みいたりけり』

自他認める大の愛妻家であった。妻へのふかい思いが、彼の健康長寿を支えた最大の元気の源であった。妻について語るとき、そのごつい顔も柔和な童顔になるほど。毎日「歌日記」をつけていたが、その中にしばしば登場するのが愛妻・つる夫人であった。夫人は2年前に先立ったが、結婚してからずっと白川の健康や生活のすべてを献身的に支えてきた。夫婦ともに90歳を超えるまで一緒だったのが何よりも幸せで、長寿の支えとなった。

 

妻への感謝の気持ちは人一倍深く、愛妻が亡くなった時には気丈な白川もさすがにショックを隠しきれなかった。自分の仕事をやめてまで、晩年の父の仕事を手伝った娘の津崎史は、その時の様子をこう語っている。

「母の葬儀のとき、少し時間が欲しいと言い、母との長い生活を淡々と思いをこめて振り返った挨拶をしたとき、本当に母のことを尊敬し、感謝していたのだと思った」

白川は、晩年の生活を京都の桂離宮に近い自宅で送った。

その自宅は立命館大学を定年で辞めたときの退職金で買った建売住宅で、書斎はガレ-ジ用地に鉄筋の基礎を補強して建てた。健康のために毎日散歩を欠かさず、夫婦二人で仲良く桂川堤を散歩することが多かった。

趣味は、登山と囲碁。とくに登山は小さい頃病弱だったので身体を鍛えるために始めたもので、かなりの健脚であった。気分転換のためによくスポ-ツ観戦を楽しみ野球や相撲を見るのが好きで、イチロ-の大ファン。また、フィギュアスケ-トの金メダリスト・荒川静香は一字違いの親しさでよくテレビ観戦し、散歩の際には「イナバウア-」の真似をしたこともあったという。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, IT・マスコミ論

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
速報(163)『日本のメルトダウン』ー『ギリシャをデフォルトさせろ』★『ユーロ圏の危機、応急手当は治療ではない』

速報(163)『日本のメルトダウン』   『ギリシャをデフォルトさせろ …

no image
日本リーダーパワー史(478)日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の研究④「人跡絶えた谷間の一本杉のような男だ』(桂太郎評)

  日本リーダーパワー史(478) <日本最強の参謀は誰か& …

no image
<歴史張本人・坂西利八郎の日中歴史認識>講義⑦」「ソ連は簡単に『モンゴル』を手に入れ中国へも手を伸ばした」

   日中両国民必読の歴史の張本人が語る 「目からウロコの< …

no image
日本風狂人列伝(31) 日本奇人100選②大町桂月、岩元禎、松崎天民、佐々木蒙古王、田淵豊吉、伊藤晴雨・・・・

日本風狂人列伝(31) 日本奇人100選②大町桂月、岩元禎、松崎天民、 佐々木蒙 …

「Z世代のための約120年前に生成AI(人工頭脳)などはるかに超えた『世界の知の極限値』『博覧強記』『奇想天外』『抱腹絶倒』の南方熊楠先生の書斎訪問記(酒井潔著)はめちゃ面白いよ①』南方熊楠の方法論を学ぼう』

   2015/04/30/ 「最高に面白い人物史①記事再録 …

no image
日本リーダーパワー史 (25) 中国建国60周年のルーツ・中国革命の生みの親・宮崎滔天に学べ②

日本リーダーパワー史 (25)   中国建国60年・中国革命の生みの親・宮崎滔天 …

no image
新刊です・申元東 著, 前坂俊之監修『ソニー、パナソニックが束になってもかなわない サムスンの最強マネジメント』徳間書店 (1600円)

新刊刊行・申元東 著, 前坂俊之監修『ソニー、パナソニックが束になってもかなわな …

no image
明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑨』★『16、17世紀の明時代以降の中国と西欧列強のポルトガル、オランダ、イギリスとの貿易関係はどのようなものだったのか』★『現在中国の貿易ルールのルーツを知る上で大変参考になる』

 明治150年歴史の再検証『世界史を変えた北清事変⑨』 支那の対外貿易の原則 矢 …

日本リーダーパワー史(669) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(51)「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50)の急死とインテリジェンス網の崩壊<<もし川上が生きておれば、日露戦争はこれほど惨々たる苦戦もなく、 死者累々の兵力を疲弊させず、 さら戦果を拳げていただろう>

 日本リーダーパワー史(669) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(51)   …

no image
『 京都古寺巡礼のぶらり旅』/ 『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園です①』

ホー    2016/09/05  記事 …