近現代史の重要復習問題/知的巨人の百歳学(158)-『渋沢栄一(91歳)の国民平和外交を潰した関東軍の満州事変の独断暴走が、日本を破滅(戦争)の道へ陥れた。この4ヵ月後に渋沢は亡くなった』
2019/05/04
近現代史の重要復習問題/知的巨人の百歳学(158)
明治、大正、昭和で最高のトップリーダーはだれか!答えは渋沢栄一です。
前坂 俊之(ジャーナリスト)
●1931年夏、未曽有の大水害に襲われた中国(水没面積は日本全土の面積)
一九一三年(昭和六)夏、中国各地は異常な長雨に見舞われ、七月には揚子江をはじめ黄河・珠江、松花江などの大河が一斉に決壊、未曽有の大水害となった。とくに揚子江沿岸の洪水は八十年来といわれ、ほとんど日本全国とおなじ面積が水没した。被害人口の推定は三千四百万人、被害家屋四百万軒、中国全土の耕地面積の二七%が冠水した。農作物の被害も甚大で、貯蔵穀物の腐敗、秋稲の作付け不能など被害総額は二十億元に達した。とくに被害が大きかったのは武昌・漢口、漢陽などいわゆる〃武漢三鎮で七月二十七日に堤防が決壊し溺死者三千名、被災者三十万名を数えた。
日本ではさっそく東京商工会議所が中心となって、八月二十四日「中華民国水災同情会」を設立し、栄一が会長・郷誠之助が委員長に就任した。関東大震災のときに中国側は誠意をもって数百万円の義損金を贈ってくれた経緯もあり、日数多くの団体が積極的に「同情会」に参加し、募金活動に全面的に協力した。 日本全土と同じ面積が水没し、当面一千万の国民が飢餓に瀕しているという報道は日本国内に大きなショックを与え、救援の熱意は全面的に高まった。天皇もさっそく中国在留邦人救済のために一万円、中国罷災者救済のために十万円を寄付された。
●救援に病床を押して立ち上がった渋沢栄一、NHKで募金呼びかけを放送
同情会はさらに大々的な募金キャンペーンを展開することとなった。副委員長児玉謙次は九月五日、飛鳥山の自宅に栄一を訪れ、渋沢がJOAK(今のNHK)のラジオを通じて全国に呼びかけることを提案した。
満九十一歳と高齢の渋沢はこの年はとかく気分のすぐれない日が多く、ひきこもりがちで、とくに七月からはゼソソクの発作が起こり、自宅を一歩も銚ないで静養につとめていた。しかし、渋沢は意を決してNHKとの問に九月六日、自宅で放送をすることになった。当時、個人の自宅に放送設備を持ち込んで全国放送をするのはじめての試みだった。
6日六時三十分、放送は始まり、周囲の心配をよそに、渋沢翁の声はしっかりして、歯切れもよかった。自分が老衰と病躯をおして「同情会」の会長となったいきさつから始めて、日中関係の重要さ、震災のときに示された中国人の友情、そして最近の水害の悲惨な状況を詳細に訴えて一般国民の全面的な協力を要請した。ときどきゼンソク特有の気管が「ヒューヒュ」という音が聞こえたが、それ以外はいたって元気で・誠意を尽くした放送はたいへん好評であった。この放送を聞いて感動したからといって、募金に応じてくる人びとがにわかにふえた。
●救援物資を買い、「天城丸」で現地に輸送し、到着寸前に、関東軍が満州事変を起した。
「同情会」では、こうして集まった金で大量の救援物資を買い、「天城丸」という船をチャーターして、委員のひとり、深尾隆太郎が同乗し現地に向かった。上海入港は九月二十日、翌日出港して揚子江を遡河し、被害の中心地である武漢に向かう予定であった。宋丁文を長とする中国側の水災救済会も日本の好意を感謝して、万全の準備を整えて受け入れを待った。
ところが、ここに思いがけないことが起こった。九月十八日、奉天郊外で起こった爆発事件を理由として、満州駐在の日本軍(関東軍)が奉天を占領、ついで満州全域の占領をめざして攻勢を開始した。いわゆる柳条溝事件であり、これをきっかけとして満州事変に発展し、日本は二度とあとに戻ることのできない侵略と滅亡への道に重大な一歩を踏みだした。
満州の占領は関東軍がかねて画策していたもので、蒋介石を中心とする国民党の革命が満州に波及しないうちにこれを占領し、日本の権益と影響力を温存しょうとするものだった。それは国民政府の主権を無視し、真っ向からその政策と対決する行動だった。当然、国民政府は硬化し、厳重な抗議の意思を表明するため、天城丸積載の救援物資は受け取りを拒否するーといってきた。
天城丸の探尾委員は、「この救援物資は一般国民の純粋な友情に発したもので、軍の政策とは関係のないものであるから、まげて受け取ってもらいたい」と極力折衝に努力した。しかし、中国側は、自分たちが未曽有の災害に苦しんでいるのをしり目に、いやむしろ故意にその時をねらって日本軍が満州で行動に出たものであると考えており、その怒りは深く、とても妥協の余地はなかった。
「同情会」本部では緊急に理事会を開いて対策を協議したが、結局、事情やむを得ないものと認め、天城丸はそのまま門司に帰航させることとした。寄付金の大部分は救援物資となっているので、急きょこれを売り立てて現金化し、それを返済に当てるほかなかった。結局、百円未満の寄付金は全額を返済するが、百円以上のものは残額を一定の割合で返済することとなった。
十月十六日「同情会」は渋沢栄一の名前で寄付者全員に連絡し、天城丸の航海の悲しい成り行きについて報告し、寄付金返済についての詳細を述べてその了解を求めた。当の渋沢は、すでに不帰の病床についており、十月には腸閉塞の症状を起こし、十四日簡単な手術をおこなった。手術は順調に済んだが、十六日からは体温が上がって食欲もなく、疲労が目に見えて重なってきた。
渋沢の国民外交の最後は悲惨な結果に終わったが、すでに歴史の歯車はだれも止めることができないほど大きく回りはじめていた。明治以来の日本の外交努力のすべてが、悲惨な結末を迎えようとしていた。
●渋沢の『別れのメッセージ』『死の瞬間、病室は不思議なほど明るく、静かであった』
渋沢の活躍を支えたその頑健な肉体は衰弱の色を深めていった。十一月にはいると高熱が続き、気管支炎を併発した。十一月八日、表にたくさんの見舞い客が来ていると聞くと、最後のあいさつの言葉を贈った。
「長いあいだお世話になりました。私は百歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、こんくどというこんどは、もう起ち上がれそうもありません。これは病気が悪いので、私が悪いのではありません。死んだあとも私は皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どぅか今後とも他人行儀にはしてくださらないようお願い申します」
病室は不思議なほど明るく、静かであった。「生き残るわれわれのほうが、死んでいくおじいさんにリードされている感じだった」と、父(渋沢英雄)はよく話したものである。いよいよ最期という時には、一面非常に悲痛な思いがあると同時に、他面「あ′あ、これでよいのだ」という不思議な安らかさを感じたという。昭和六年(一九三一)十一月十一日午前一時五十分。」
(以上は渋沢雅英著「太平洋にかける橋―渋沢栄一の生涯」読売新聞社(1970年 469―475Pから転載させていただいた)
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