再録/百歳学入門(11)<日本超々高齢社会>の過去とは・<明治から1945年(昭和20)までは、人生90歳時代の現在とは真逆で、人生わずか50年だった日本>
百歳学入門⑪
<日本超高齢社会>の過去とは<60年前までは人生わずか50年だった日本>
前坂 俊之
(静岡県立大学名誉教授)
●それでは、日本人の寿命の歴史的な変遷について話してくれますか。明治以後の平均寿命はどうだったのか。
『そうですね、酒井シヅ「病が語る日本史」講談社[2002年]などによりますと、日本で平均寿命の統計が出たのが明治二十四年(1891)のことですが、このとき男は四二歳、女は43歳です。その前の明治十九(一八八六)年では平均寿命は男女とも岡子規が結核で死んだのは明治三十五年九月で34歳わずか約33歳というデータがでています。
だから、明治、大正期には夭折の詩人や歌人が多かった。俳人・正、明冶45年4月には石川啄木がやはり結核で二十六歳の若さで亡くなっています。明治の文豪・夏目激石が胃潰瘍で死んだのは大正五(1916)年12月に49歳ですから、明治の日本人の寿命は男女ともわずか約40歳前後だったんですよ。
平均寿命がなぜこんなに低かったのか、まずあげられるのはコレラ、天然痘、赤痢、結核、梅毒などの伝染病の蔓延であり、乳幼児の死亡率の異常な高さです。
大正時代、昭和10年代になっても、寿命はほぼ横ばいで、40歳から余りのびていません。国民的な詩人となった宮沢賢治は昭和八年(1933)九月、「病のゆゑにもくちん いのちなり みのり に棄てば うれしからまし」など辞世2句を残して、岩手県花巻市の自宅で肺結核で三十七歳の若さで命を終えている。翌九年九月には「命短き 恋せよ 乙女」の大正浪漫を代表する画家・詩人の竹久夢二も五十歳で同じく結核で亡くなっているんですね。
昭和十年(1935)になって、やっと平均寿命は男が四七歳、女が五十歳に伸びてきます。乳幼児の死亡が減少したためですが、太平洋戦争が始まり、終戦の昭和20年には、なんと、男24歳、女37・5歳とガタ落ちになります。
ただ、平和になると平均寿命はすぐ回復するんですね。平均寿命が五〇歳をこえるのは戦後になってのことを欲覚えておく必要がありますね。
昭和二十二年が五〇歳、二十六年に六〇歳代に、四十六年に七〇歳代に突入して、ぐんぐん伸びて生きますが、乳幼児の死亡の低下、伝染病の減少、特にそれまで死の病といわれた肺炎や結核への抗生物質の登場が大きい。国民全体の栄養状態がよくなると、高度経済成長の波と同時に、平均寿命も驚異的にのびていったのです。
1970年(昭和四十五)前後から、長寿国の仲間入りをして、六十年には男女とも世界一の長寿に。平成十二年には男七七・六歳、女八四・二歳であった。
四十年で平均寿命は先進諸国の中で最下位から一気にトップになりました。経済大国化と長寿大国はコインの両面なんですね。歴史的に見ると、明治、大正、昭和戦前記「戦争の時代」は「人生30年時代」といってよく、半世紀かかって昭和戦後期の平和の時代になって「人生80年」時代に3段飛びしたわけです。
●なるほどね。長い歴史の中でも、長寿になったのはごくこの半世紀の現象であったのが、よくわかりました。ではもっと古い時代、江戸時代の寿命はどうだったの。
『これも、酒井前掲書などでは、江戸時代は信頼できる統計がないため、全国的な平均寿命はわかりませんが、飛騨高山地方の寺の過去帳をもとに行われた部分的な調査では、江戸後期の百年間のこの地方の平均寿命は、男二七・八歳、女二八・六歳です。信州諏訪地方での別の統計では江戸後期では男三六・八歳、女二九・〇歳となっています。
なぜここまで短命かというと、生まれても、乳幼児が天然痘や消化不良で多くがなくなっていた。兄弟姉妹が6、8人と生まれても、半分も残らない。天然痘を無事に乗り越えたときに、はじめて誕生を祝い、名前をつけた地方もあったほどです。
生まれても一人前に成長するまでに大変だったので、こどもの成長にあわせた753とか通過儀礼がたくさんあったんですね。
だから、この幼少期の死線を突破すれば、人生50年とある程度長生きしていたんです。芭蕉はちょうど五十歳で亡くなっていますが、当時でも7,80歳を越える人も珍しくなかった。貝原益軒は八十五歳の長寿ですが、亡くなる前年にライフワークの『養生訓』を書き上げています』
●還暦、古稀、喜寿、米寿などこれまでの寿命観は現代と相当ズレてきてるということですね。
『女性は85歳、男性は79歳で約4人にひとりは65歳以上という人類史上でもこれまでなかった老齢社会となり、周りがお年寄り、老人だらけとなると、年齢観、寿命間もいまで通りにはいきません。
六十歳の還暦といっても、まだまだ若い、青年のままの人が多いですよね。七十歳、古希(古来まれなり)ではなく、最近では70歳で亡くなるとが早死にですねと、逆にお悔やみをいわれる始末ですね。
長命と長寿は違うんです。寝たきりの生活や認知症になって、命長らえるだけでは本人も回りも惨めだ、明日への希望と夢を失わず、生涯現役で最期まで仕事なライフワークに燃焼してこそ、長寿は輝かしいものになりますね』
「確かにね。古希は、中国唐代の「詩聖」とよばれた詩人『杜甫』(とほ)((712~770)の「曲江詩」の中にある「人生七十古来稀なり」に語源は由来します。
日本でいうと奈良時代であり、今から千二百年以上も前の人。このころの平均寿命は約30歳ほどではないでしょうか。それから見ると70歳は確かに、古来まれな長寿だし、七十七歳の喜寿、八十八歳の米寿、90歳の傘寿もしかり、いずれも古代中国から伝えられたこの寿命観、人生観が日本に入ってきて、いまも相変わらず使われているわけで、年齢の認識ギャップは大きく広がっているわけです。
●人生80年以上の時代なのに、今も織田信長の『人生50年』の人生観から脱皮できていない人も多い。私もそうでしたが・・
「信長が好んで謡い舞った「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」という『敦盛』の1節。桶狭間に出陣する時も信長は謡ったこの有名な「人生50年」が近代日本人の寿命の基準となったのです。
私なんかもオヤジが52歳で亡くなったので、若いときから「人生わずか50年、25年は寝て暮らす」と友人たちと飲んでは謡い、人生太く短く生きたいと思ってやってきて、いつの間にやら64歳にもなって、・・・ゾッとしているんですね。」
「この敦盛は平家物語にその名が出てくる、平経盛の第三子、敦盛が作った歌です。そうすると、これまた1300年も前の寿命、無常、ものの哀れの思想で現代人のライフサイクルとは大いに異なる、現代とは3,40年の寿命観のズレが生じる。
その面で、今は、老人観、寿命観を180度必要がありますよね。とくに、老後についてね、60歳など老人ではないし、第2の成人式といっていい。75歳から老人と呼んでいい新老人運動が起きています。70歳代が中期高齢者、80歳代が後期高齢者とか言うらしいが、70過ぎてやっと老人の仲間入りと言う感じですね」
「敦盛の全文を知っていますか。次のようになっているんです。
『思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
きんこくに花を詠じ、栄花は先って無常の風に誘はるる
確かに、南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり、
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」
で、確かに日本人の無常観がよく出ていますが、1300年前に戦(いくさ)で死んだ20代の辞世の歌なので、こんなもの現代日本人に通用するものじやないね』
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