人気リクエスト記事再録『百歳学入門』(221)荻原井泉水(92歳)の『天寿・長寿10ヵ条』「随」の精神で「天」に感謝し「天」に随い「天」を楽しめば【天寿】となる
2018/04/03
2015/01/01の百歳学入門(47)
荻原井泉水(92歳)の『天寿・長寿10ヵ条』
<俳人・荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、92歳)
1884年(明治17)6月-1976年(昭和51)5月 )>
① 中国の「左伝」に「上寿百二十歳、中寿百歳、下寿八十歳」とある。この中国流なら八十歳以下は「寿」に入らない。だから七十歳が「古稀」、七十七歳が「喜寿」となる。
② しかし、私は天がその人に与えたところの「寿命」を正しく生きぬいたのがホントウの天寿であると思う。
③ 私は何事にも「ありがたい」という気持をもって毎日を暮してゆきたいと思う。
④ この感謝は何に感謝するのかといえば、「天」に感謝するといわなくてはなるまい。
⑤ 天を信ずるが故に、私は天の定めた寿命といったものを信ずる。健康のために格別な養生などはしない。
⑥ 天の命ずるところに従っておれば、生きられるまでは生きられる。それが天寿である。
⑦ 「としよりの冷水」というコトワザがあるが、老人には冷たい水ほどクスリになるものはない、と新解釈をしている。行く先々でグッといっぱいの冷水を所望するが、それのなんとうまいことか、これが長生きの秘訣である。
⑧ 私のいわゆる「随」の精神とは、「天」に感謝し、「天」に随い、「天」を楽しむということだ。
⑨ 人間が天(太陽)を信じ、大地にふかく根をおろした気持で生きれば、樹木のごとくたえず生長する。
⑩ これが、すなわち天に逆うことのない、つまりは天にしたがう以上、何人も天寿は当然である。
前坂俊之(ジャーナリスト)
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17)6月-1976年(昭和51)5月 91歳)俳人。
河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)の新傾向俳句運動に参加し、明治44年(1911)に文芸誌『層雲』を創刊。大正時代になると碧梧桐とは対立し、季題と定型を排した無定形自由律俳句を唱え、俳壇に大きな影響を与えました。
門人には種田山頭火(たねだ・さんとうか)、尾崎放哉(おざき・ほうさい)ら異色の俳人もいます。句集、随筆、紀行など200冊以上の著作を残しました。
ウイキペディアによると、大正12年、妻・桂子死去。翌年、母も死去し、一時仏道を志して京都の禅宗寺・東福寺の塔頭に寄寓、以降各地への遍歴の旅が多くなる。その心境の変化は句集の題名にも反映されてくる。享年91と、門弟の放哉や山頭火と違い、天寿を全うした。
俳号は生年の納音から井泉水と改めた。因みに、山頭火も井泉水に倣い俳号を納音から付けたが、これは本人の生まれ年からでなく単に音の響きが良いので決めたようだ。
荻原井泉水の『天寿・長寿論』
いったい「天寿」とは何歳をもって標準とするのだろうか。これには幾多の説もあろうが、中国の「左伝」に「上寿百二十歳、中寿百歳、下寿八十歳」と出ている。これで行くと、八十歳以下は「寿」のうちに入らないのがホントウらしい。
したがって、七十歳が「古稀」だとか、七十七歳が「喜寿」とかはすこぶる気の早いことになる。まして、日本で昔からとなえている、四十歳での「初老」なんかは笑わせる。
さて、上下の中をとった百歳をもって「天寿」と称すべきかというに、私はあえてそうは考えない。天がその人に与えたところの「寿命」を正しく生きぬいたのがホントウの天寿であろうと私は考える。
七十を天寿として与えられたものなら七十がその人の天寿、八十を天寿として与えられたものなら八十がその人の天寿、とにかく与えられたものを十分に生かしきり、生きぬいたものが、人それぞれの「天寿」であることを知りたい。
「生きる」感謝
私は何事にでも「ありがたい」という気持をもって毎日を暮してゆきたいと思う。
これがなかなか実際にはできないことなのだけれども、せいぜいそのつもりでそのように心がけたい。
毎朝、目がさめれば、きょうもパッチリ朝を迎えたことはありがたいと思い、夜眠るときは、きょうもラクラクと枕に頭を載せられることはありがたいと感じさえすれば、いわゆる「日日これ好日」ということになろう。
一日一日を健康な生活をしていればなおさらのこと、たとえ多少の病気をもっていたところで、今日も生きているということ、そのことだけで感謝すべきだろう。
この感謝は何に感謝するのかといえば、「天」に感謝するといわなくてはなるまい。宗教的に考えるなら、「神」とか「仏」とか虻感謝するということになろうが、私は東洋の古い素朴な考えにしたがって、「天」といいたい。「天」を象徴するところの太が・・・・‥・・」
天の命ずるところ
私は天に感謝すると共に天を信じている。天は私に悪いようにはしてくれないということを信じている。
その代りつねに天を敬うという気持を失わない。天に逆うということをしない。言いかえると、天に従うのだ。一切の無理をしない。私は仕事にかかるとひたむきに取組んでする。しかし、疲れたと感じたら、すぐやめてしまう。天が「もうやめろ」と命じたことだと解釈するのである。
天を信ずるが故に、私は天の定めた寿命といったものを信ずる。むろん、一切の不注意、不心得はこれを排するが、健康のために格別な養生などということはしない。
おとなしく、天の命ずるところに従っておれば、生きられるまでは生きられると信じている。不健康な生活は絶対に排除する。しかし、寿命は天を信じ、天に任せきって生きる。これがいちばんの健康長寿法とも考えている。私は楽天主義でもあるし、また持って生まれた楽天性に生きるのかも知れぬ。
老人の冷水
「としよりの冷水」というコトワザがあるが、わたしは、これを、老人には冷たい水はどクスリになるものはない、という新解釈をしている。わたしは冬も冷水を愛用する。暑中はもとよりである。医学者はなんと説明するか知らぬかとにかく、これがわたしの健康の大きな支えになっていると自分では思っている。
水のたのしさは、見るよりも、浴するよりも、わたしはなんといっても飲むことにl番をおいている。
わたしはつねに行く先々でグッといっぱいの冷水を所望することになっているが、そのうまい、まずいもよく分かってきており、美水に行き当たるとまったくうれしくなる。
日本にはいろいろうまい物もあるが、水の味ではまたおそらく世界一だろう。水無量寿経に水の八つの功徳(くどく)が説かれている。一に澄浄、二に清冷、三に甘美、四に軽軟、五に潤沢、六に安和、七に除心、八に増益というのがこれである。
「随」の生活
私のいわゆる「随」の精神とは、「天」に感謝し、「天」に随い、「天」を楽しむということだ。何事も「自然」と「自分」とを調和せしめること、「自然」に随った「自分」というものを毎日の生活に見失わぬことだ。
「自然」と「自分」とが合一すれば、何事にも無越がなく、また何事にも拘束されずに行動できる。これがほんとうの意味での「自由」ともなる。
この「随」の行き方は、私のかたい信念であると共に、できるだけ多くの人々にも備えたいとも願うところだ。人間が天(太陽)を信じ、大地にふかく根をおろした気持で生きれば、樹木のごとくたえず生長する。そしてマツの如く、ヒノキの如く、あるいはウメの如く、ツバキの如く、その個性にしたがって生長し、かつ枝葉が繁茂しょう。そしてその天寿をまっとうするだろう。
これが、すなわち天に逆うことのない、つまりは天にしたがう以上、何人も天寿は当然である。
関連記事
-
『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論⑥」の講義⑭』★『憲政の神様・尾崎行雄の名解説「本邦の朝鮮に対して施すべき 政策を諭ず」を読む』★『日本公使館を焼き打ちした壬午軍乱の賠償金40万円を朝鮮発展のために還付した日本政府の大英断』
2018/02/15/日本リーダーパワー史(874)記事再録 平昌オリンピックを …
-
東京国立博物館で開催の「運慶」展(9/26ー11/26)は入場者が60万人を突破する大人気』★『運慶仏像を間近に見ることが出来る鎌倉杉本寺を紹介する』★『その裂ぱくの大迫力にエネルギーをもらう』
上野の東京国立博物館で開かれていた「運慶」展(9/26日から11/ …
-
<鎌倉釣りバカ、カヤック日記>『稲村ケ崎沖でついに大カワハギを爆釣したよ』<「美食は外道なり」
<鎌倉釣りバカ、カヤック日記> 『稲村ケ崎沖でついに大カワハギを爆 …
-
『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座】㉝」★『120年前の日露戦争勝利の立役者は児玉源太郎、山本権兵衛』★『日露開戦4ヵ月前、前任者が急死したため児玉源太郎は二階級(大臣→参謀次長)降下して、決然として立ち、日露戦争全軍を指揮した』★『わが戦略が失敗すれば、全責任を自己一身に帰して、内閣にも、参謀総長にも分たず、一身を国家に捧げる決意で取り組む」と決意を述べた』
児玉源太郎副総理(内大臣、台湾総督)は二階級(大臣→参謀次長)降下 …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(54)記事再録/「世界が尊敬した日本人―「司法の正義と人権擁護、冤罪と誤判事件の弁護に 生涯をかけた<史上最高の>正木ひろし弁護士をしのんで』★『「日本は戦前も、戦後もー貫して暗黒なんだね。国民は一度もルネッサンス(人間解放)を経験していない。僕はこの暗黒の社会を照らす〝残置灯″を自負しているのだ。将来の日本人の一つのモデルになればと思っている。いわば僕自身の人生が実験だね」』
2013-11-11 <月刊「公評」(2013年11月号)に掲載> 前 …
-
小坪沖のカヌー釣りは30センチの巨メバル、キス、ベラの大漁じゃよ
小坪沖のカヌー釣りは30センチの巨メバル、最高じゃ 前坂俊之(カヌーフィッシング …
-
日本の「戦略思想不在の歴史⑽」『高杉晋作の機略縦横と突破力③』明治維新に火をつけたのは吉田松陰、徳川幕府を倒したのは高杉晋作である』★『男子は困ったということだけは、決していうものじゃない』
明治維新に火をつけたのは吉田松陰であり、230年惰眠をむさ ぼった …
-
『F国際ビジネスマンのカメラ・ウオッチ(91)』「瀬戸内海「しまなみ海道」,村上水軍城跡、京都下鴨神社へ、外国人観光客の人気スポット紹介(1/12)➂
『F国際ビジネスマンのカメラ・ウオッチ(91)』 ★「瀬戸内海の「しまなみ海 …
-
日本リーダーパワー史(79) 辛亥革命百年(16 ) 康有為、梁啓超らの来朝と犬養毅の協力
日本リーダーパワー史(79) 辛亥革命百年(16)康有為、梁啓超らの来朝と犬養毅 …
-
日本経営巨人伝⑩岩下清周ーー明治の大阪財界に君臨した岩下清周<百歩先をいった男>
日本経営巨人伝⑩岩下清周 明治の大阪財界に君臨した岩下清周 &nb …