百歳学入門(189)『大隈重信(83歳)の人生訓・健康法』➀語学の天才になる。②コミュニケーションの達人になる③楽天的、陽気な、話好きになり「大風呂敷を広げる』④『わが輩は125歳まで生きるんであ~る』⑤『人間は死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』⑥『恐れるな、愚痴をいうな、過去を忘れよ』⑦『将来に望みをおけ、人のために善をなせ』
百歳学入門(189)
『早稲田大学創設者・大隈重信の人生訓―
➀語学の天才になる。
②コミュニケーションの達人になる。
③楽天的、陽気な、話好きになり「大風呂敷を広げる」
④『わが輩は125歳まで生きるんであ~る』
⑤『人間は死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』
⑥『「恐れるな」「愚痴をいうな」「過去を忘れよ」
⑦「将来に望みをおけ」「人のために善をなせ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9A%88%E9%87%8D%E4%BF%A1
前坂俊之(ジャーナリスト)
「125歳まで生きるんであ~る」
「わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る」。
この「あるんであ~る」というのが雄弁家・大隈のしゃべり方の特徴で、なんでもかんでも最後は「あるんであ~る」で結ばれた。明治、大正期に何をきかれてもたちどころにまとまった話ができた政治家は大隈が第一であった、頭の回転が早く巧みな弁舌とハッタリと大物の態度で、民衆的な人気は抜群の政治家であった。
大隈重信は天保九年(一八三八)二月十六日に生まれた。佐賀藩士。明治維新に倒幕運動で活躍する。参議、外相、首相2回と政界で活躍し、東京専門学校(のちの早稲田大学)を創立して総長となった。
大隈はオランダ語、英語の語学の天才、タフネゴエーター
幕末から明治初期にかけて,最もむずかしいのは外国人相手の外交部門であった。そこで明治初年には伊藤博文,井上馨,五代友厚,寺島宗則,陸奥宗光などの中堅の新官僚が外務省に集まり大隈はそのリーダー格であった。
このとき,キリスト教徒の処分問題に対する外国側の干渉がやかましく,これに対する談判が,外交上の課題となっていた。明治初年4月,大阪東本願寺で各国公使団とのこの談判が開かれ、イギリス公使パークスと大隈がはげしくわたりあった。
パークスは「野蛮な行為」としてきびしく抗議し、大隈はキリスト教徒処分問題は日本への内政干渉にあたる」と反対して対立し、激しい議論は終日続いたが、大隈の一歩も引かぬ強い態度に結局、抗議は立ち消えとなった。
このタフネゴシエイターぶりが買われて,同年暮れ外国官副知事(外務次官)に抜擢された。
大隈は楽天的で人柄が明るく,陽気な話好きのタイプ
才気煥発、やる気満々、なにごとにも自信満々、自信過剰であった。政治家として,この才気・覇気で颯爽と登場して,栄達したが、その反面に自信過剰による失言や不用意な言動により,政敵から足をすくわれて失敗するケースも多く、政治的には挫折した。
コミュニケーションの達人、そのあけっぴろげな人柄
の大隈のもとには晩年になってもたくさんの人々が集まってきた。晩年の大隈は溢れるばかりの覇気を文化、教育事業に投じた。教育ではみずから創立した都の西北にそびえる早田大学を育て,晩年その総長に就任した。
政党家,新聞記者,在野学者,文士を輩出させて,自由と独立の私学精神を鼓吹した。早稲田の豪華な邸宅は、日々、内外の客の先客万来で大にぎわいだった。
来日外国人は東京の名所大隈邸を訪問するのが,その日程となっていたほどで,その名は世界各国にまでひろまっていた。この来客相手に、得意の文明論を展開し東西文明の調和を説く「大風呂敷」を広げて、快気炎でまくしたてた。同時に機会あるごとに演説を行い,とくに旅先の車窓演説は有名であった。
このコミュニケーション上手、話し好きが、頭の回転を良くして、長生き健康、125歳説主張の1つになったのであろう。
人間の寿命は「125歳説」は大隈重信の口癖
ともいえる名言で、大風呂敷といわれた。
明治の元勲はほとんどが薩長(鹿児島、山口)や土佐(高知)出身だが、大隈はただ1人、佐賀藩の出身である。早稲田大学の創設者で、いまも〝都の西北″早大構内にいかつい顔をした銅像が立っており、学問の独立と自治の精神を訴え続けている。
大隈はいつも125歳まで生きると公言していたが、一九二二(大正11)年一月一〇日、八三歳で亡くなった。これとて、平均寿命が50歳に届いていない当時としては大長命だが、死ぬまで活動するの「生涯現役」臨終定年」はその通り実践した。
「人間は老年になるに従って、いっそう急進的になり積極的になり、不動明王のごとき火を背負うようにならねばならない」を信条として頑張った。
外相、首相2回などトップにのぼりつめたが、自由民権運動、国会開設を唱えたことから大半は、野党的な立場に立っていた。
その長生き健康法はー
午後、毎日入浴し、湯のなかで、しきりに手足を動かして一種の自由体操を行う。全身に血液が循環してよいからだ。浴室を出ると、居間に敷かれた床に横たわる。休息し、読書し、お茶の代わりに牛乳を飲む。クスリはいっさい用いず、ただ胃腸剤を飲んでいた。
「わが輩は怒ったことがない、といわれるが、しやくにさわると風呂に入る。糠袋(ぬか)でごしごし体を摩擦する。自然に疳癪(かんしゃく)がおさまる。それでも治らぬときは酒を一杯飲む。そして寝る。胡麻豆腐を毎日昼食に食べる。それが長寿法の一つだ」と豪語していた。
議会で、痛烈に大隈攻撃をしつづけている自由党の星亨(とおる)を自邸に招いて台所に案内し、「あそこに釣ってあるのが神戸の牛肉、こっちのは樺太(いまのソ連領サハリン)産の鮭じゃ」と説明した。そして、「洋食と日本食とどちらがいいか」と聞いた。
西郷隆盛はウナギが大好物だった。
それを知って大隈が「ウナギをご馳走しますので、ぜひおいで下さい」と誘うと、西郷は大喜びで「連れがあるのでそのつもりで」と返事した。
連れの分まで十分用意して待っていると、西郷はただ一人でやってきた。不思議に思った大隈が問い質すと「連れは玄関でまっているのでたくさんご馳走してくだされ」という。改めて玄関に行ってみると、西郷が可愛がっていた犬がお供して待っていた。これは頭山満の話だが、「クマ(大隈)のご馳走には犬くらいが適当と思ったのじやろう」と頭山は大笑いした。
憲政の神様・尾崎行雄が、西園寺公望と大隈重信を、料理の上で比較した。西園寺家に招かれて御馳走になると、出る料理の品数は少ないが、一つ一つは精選されていて、すばらしくうまい。大隈家の料理はこの反対で、品数は豊富でみた目は豪華だが、個々の料理は必ずしもうまくない、と評している。
最後に余談として・・
大隈の天敵が山県有朋である。山県は明治の元勲として、主要な軍人、官僚の多くを子分にして最大勢力の「山県閥」をつくり、そのボスとして明治、大正の政治を壟断した。伊藤博文、大隈重信らが作った『政党政治』を徹底して毛嫌いした。伊藤が暗殺された後は、山県の天下が続いた。
その山県は『日本の行方をかじ取りする』政治への情熱を失い、隠居老人よろしく『庭造り』に没頭した。10年ごとの節目に生涯9カ所に別荘をつくり、贅をつくした『庭園』を造り、自己満足していた。
山県は不惑の歳の四十歳に東京目白に「椿山荘」をつくった。政敵・大隈重信の早稲田をちょうど見下し、富士山、皇居の森や筑波山などを遠望する約六万平方メートルという広大な敷地に、回遊式林泉庭園を作った。
三重塔をいただく小高い山の部分と、池や滝など水の流れを中心にした部分からなる見事な庭園で家屋も一緒に建てた。山県は晩年までここを本邸としており、政治の舞台となった。民衆に圧倒的な人気を博した大隈の動向を監視する意図もあった。
大正十二年二月一日、山県は85歳で亡くなった。
山県は国葬となったが、衆議院で「国葬の者は真に社会民衆の幸福を計ったものに限る。公は維新の元勲だが、憲政の発達を阻害し、民衆政治に極端な圧迫を加へ、国家の隆盛を軍閥の功に帰するような行動は国民から何が感謝の要あろうか」(『東京日日新聞』二月三日付)との国葬反対演説まで飛び出した。
山県の葬儀はガラガラの不人気、大隈のは数万の参列者
山県の国葬は2月9日に日比谷公園で営まれた。参列者は最前列には元帥東郷平八郎、陸相山梨半造らの陸海軍将校がズラリと礼装で並んだが、民衆には全く不人気で、一般の人々の参列者は少なく、一万人収容の葬儀場はガラガラ、千人ほどしか参列者しかなかった。
ちょうど一カ月前の1月10日になくなった大隈重信の葬儀は数万人の民衆がおくるという盛大な人気と比べると、全くさびしいものだった。
日本リーダーパワー史(287)タフネゴシエーターの大隈重信①英国のパークス公使と堂々と対決して、議論に勝った30歳の大隈
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2280.html
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