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日本リーダーパワー史(784)-「日本史の復習問題」「日清・日露戦争の勝利の秘訣は何か」明治人のリーダーパワーとリスク管理能力、外交力を現在の昭和人のそれと比較する』

      2017/03/20

 日本リーダーパワー史(784)

「日本史の復習問題」

日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワーとリスク管理

能力、外交力を現在の昭和人のそれと比較したい。

トランプ大統領の就任2ヵ間が過ぎた。

「今年、世界は第二次大戦後で最も変動の激しい節目の年、米中関係が急激に悪化する可能性が高い」(著名な国際政治学者のイアン・プレマー氏)の予測通り展開となった。金正男暗殺事件にみる北朝鮮の暴発エスカレート、韓国パククネ大統領は弾劾辞任に追い込まれた。トランプは堪忍袋の緒を切った。きな臭いにおいが朝鮮半島に立ち込めている。

トランプ暴風雨で、世界中で政権を揺るがす大問題が噴出しているのに、朝鮮半島に最も近い「国難迫る!」日本の状況は一体どうか。

上から下まで、ノホホンホンの平和ボケ、永田町国会では100万円をもらったの、贈っていないなどの、証人喚問となった森友学園問題でてんやわんや、南スーダンの陸上自衛隊日報問題での稲田朋美防衛相の234転どこまで続くのか答弁食い違い問題などなど。

「国難迫る!」を前に、あきれ返る小さい小さいコップの中の嵐に1日のごとく、時間つぶし、国力つぶし、税金無駄使いにに政治家は熱中夢中、

一方、『アジェンダセッティング』(議題設定能力)を忘れ去ったマスメディアはペットドックよろしく、追っかけ専門で画一的な発表情報、ゴシップ情報の垂れ流しのオンパレードである。

今年は大政奉還、明治維新からちょうど150年。幕末の黒船による第1の敗戦、太戦争での第2の敗戦、そして、原発事故、グローバリズム、中国の勃興による第3の敗戦が迫りつつある。

ここで、日本興亡史150年のなかで、日本の第一の興隆である「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワーとリスク管理能力、外交力、勝利の方程式をを現在の昭和人のそれと比較したいと思う。

 

ロシアは満州撤兵拒否

 

1902年(明治35)230日に「世界を驚かせた」日英同盟が成立したが、これに促されるように2ヵ月後の4月8日、ロシアと清国間で満州還付条約が締結された。ところが、ロシアはこの満州撤兵の確約を、無視して満州に強引に居座り続けて撤兵拒否したのが、日露戦争の原因となったのである。

満州還付に関する露清協約は、ロシア軍の撤兵を三期に分け、それぞれ六ヵ月ずつの期間をとり、合計一年半で撤兵を完了することとした。 第一期は、盛京省の遼河の線以南から、第二期は盛京省残部と吉林省から、第三期は黒竜江省から、となっていた。

 

その条件として、ロシア軍が撤兵するまでは、

 

➀満州における清国軍の兵員数と駐屯地は、ロシア軍務省との協議によって決定すること、

② 撤兵完了後は清国側の自由となるが、ただし、その後も兵員の増減はロシア側に通告すること、

③ 清国はロシア軍が撤退した地域を他の国が占領するのを許さないこと、

④南満州での新たな鉄道建設は、 あらかじめロシア政府と清国政府のあいだで協議してからでなくては行なえないこと、

⑤清国に返還された鉄道について、ロシアが経営、修繕のために費した費用を償還すること、などが規定された。

 古屋哲夫「日露戦争』(中公新書)

 

 

『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』1903(明治36)年430日『英ノース・チヤイナ・ヘラルド』 『ロシアは満州撤退せず』『ロシアと日本』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/22321.html

 

この条約文をみると、清国の主権無視したものが多く、さらには、北清事変では、連合軍の再三の要請により、一万の兵と五十六門の砲という最大の兵力を派遣した、わが国の負担に比べて、出兵四千、砲十六門という、その数,日本の半分にもならなかったロシアが、なんと償金額において、日本側五千万円に対して四倍に近い一億八千万円を吹っ掛けた、なんというロシアの無法、傲慢、強欲ぶりが連合国側(英国、フランス、ドイツ、米国、オランダ、ベルギーなど8ヵ国)に大きなショックを与え、強い批判がでた。今の北朝鮮の無法国家と同じパターンである。

しかし撤兵条約においては、いかに強欲なロシアといえども、これだけは条約どおり実行するだろうと各国はみていた。

 ところが、ところが、

 明治3510月8日が、第一回の撤兵期日であった。ロシアは同月2日をもって錦州から駐屯兵を撤退し、翌3日、野戦郵便電信局を閉鎖し、順次に撤兵して遼河に至り、7日までに規定区域全部の撤兵を完了した。すなわち第一期撤兵は、条約どおりほぼ実行したのである。

 

続いて半年後には、盛京省の残部と吉林省全部の撤兵を行なわねばならない第2期撤兵の期日は翌36年年4月8日である。

 

ところが、、この第2期の撤兵期にあたり、ロシア軍は全くその誓約を無視して、約束の撤兵に着手すべき模様が見えなばかりか、逆に3月下旬から、若干のロシア歩兵、騎兵、砲兵は新たに奉天及び遼陽から鴨緑江右岸、鳳凰城、安東児方面に進駐させ、撤兵期日が迫ってくるにつれて、営口付近に増兵を行なった。

 

撤兵期日の4月8日が来た。この日、ロシア軍は奉天において一度撤兵の態度を示し、小部隊の撤退はあったが、残りの大部隊は、鉄道停車場まで行軍したが乗車せず、再び、駐屯旧営舎にもどってしまった。

 

年荘のロシア軍も撤退しなかった。ロシアは道台不在のため還付の手続きのとれないとの理由に挙げたが、実はその道台はロシア軍によって奉天で抑留されていたのである。

 この第二期撤兵区域は、満州の大半を占める広大な地域で、軍事上、経済上でも満州の中心部をなすものであり、ロシア軍の撤兵如何は、わが国にとっての重大な影響をあたえる。このことは、満州の地域的問題に留まらず、ロシアの東アジア侵攻状況を示す決定的な態度として、日本側も重大危機事項として注視した。

 

 この満州撤兵問題は、ロシア政府において撤兵論の穏和派と、占領維持の強硬派とが対立していた。明治三36年3月27日の閣議で、外相ラムスドルフが「条約の決定事項及び関係国の正当利益は、尊重せねばならぬ、極東問題の商議解決は、外交官の手でなされなければならぬ」と論じたのに対し、内相ブレーヴは

 「ロシアの今日あるは、外交官の力ではなくして銃剣の力である、極東問題は外交官のペンに依頼しないで、銃剣で解決するを要する」と豪語した。また時の陸軍大臣クロバトキンは、彼の『日露戦役回顧録』で、「余は撤兵論者であった」としてこう書いている。

 

 『蔵相ウイッテ、外相ラムスドルフ、及び余の三人は、わが国が約束の撤兵を依然延長して、まことにべゾプラゾフの北韓(北朝鮮)における活動を停止することが出来なければ、ロシアは危険に遭着するを免れず、と意見一致した。べゾプラゾフは、鴨緑江流域にロシアの軍事的位置を固めるべきだとの意見だが、この意見を審議するため、特に開かれた1903年(明治36年)4月18日の御前会議では、われわれ三大臣は強硬にこれに反対した』という。

(黒木勇吉「小村寿太郎」講談社 1968年)

 ロシア宮廷政治の乱脈

 

ではなぜ、ロシアは、日英同盟による国際情勢の不利を直視しながら、満州撤兵を実行せず、満州占領を強引に進めて韓国進出の足場とし、日本の反発を招いたのか。

そのためには、当時のロシアの宮廷政治の内幕を見る必要がある。

ロシアの宮廷政治には、穏健派と主戦派の対立があった。穏健派は国務大臣ウイッテ、クロバトキン、ラムスドルフらであり、いわば政府系、主戦派は、べゾブラゾフ、アバザ、プレーヴらであり、皇帝ニコライ二世を擁した宮廷派の勢力である。皇帝ニコライ二世皇帝の背後には、ドイツのカイゼルがいた。またべゾプラゾフは、侍従で国務顧問官を兼ね、皇帝の信任が一番篤かった。

 

        ドイツのカイゼルは躍る

 

 ドイツのロシアに対する政策は、常にロシアの勢力を東アジアに向かわせて、欧州の平和を保ち、ロシアの力を極東で消耗させて、ロシアの同盟国で、ドイツの宿敵のフランスを孤立させることにあった。

 

これはビスマルク以来一貫した政策であった。

このドイツの外交戦略は100年以上たった現在にも引き継がれており、メルケルもこの対ロシア外交の上に立っている。

これがウィルヘルム二世になって、より激しくなってきた。彼は1901年(明治34年)に、ロンドンに赴いた際、新英王エドワード七世に対し、「日本は極東において優越の海軍を有するが故に、日本をドイツとイギリスに結びつけておくことが必要だ」と力説した。すなわち日、英、独三国同盟を示唆したのであり、日英同盟の話し合いは、最初はドイツからの提案であった。

 ところがドイツは、いよいよ日英同盟が出来る段になると、手を引いてしまった。これは日英同盟と露仏同盟と正面衝突させて、「漁夫の利」を占めようという戦略である。

カイゼルは、さらに一歩進んで、露帝ニコライ二世の「極東への野望」をあおり続けた。ウィルヘルム二世が〝黄禍論〃を唱えたのは、日清戦争直後のことであり、日清戦争後のロシア、ドイツ、フランスによる「三国干渉」も、バックで糸を引いていたのはウィルヘルム二世といわれる。

黄色人種への征服は、ロシアの使命であるとたきつけて、しかも、欧州の背後は微動だもなさせずと約束して、機会あるごとにロシアの極東侵略を煽動した。

ロシアのニコラス二世はロシア建国以来の、『温暖の地』をもとめての南進、東進政策を継続して、また、ロシア民族特有の、世界制覇を一代で実現を目指しており、ドイツのウィルヘルム二世はこれを扇動して、火に油をそそいだのである。

                             つづく                                                     

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