鎌倉歴史ウオーキングー800年前の面影を唯一とどめる鎌倉古道の名越切通しをぶらり巡礼す』★『名越切通し、第一切通し、ウグイスの初鳴きを楽しむ、道案内してくれる。緑の間から鎌倉武士が出てくる雰囲気だね。』『まんだら堂やぐら群(百数十基の中世の墓群)に強者どもの夢の跡、諸行無常を感じる』
2017/03/10
鎌倉歴史ウオーキングー800年前の面影を唯一とどめる鎌倉古道の名越切通し➀
3月7日朝、近くの名越切通を散歩した。すっかり観光化、俗化した鎌倉の神社仏閣、町並みには中世の鎌倉をしのばせる自然、文化景観はいまやほとんどない。それも800年も前ならば、時の流れの中、人の営みのなかでは仕方ないことである。その中で、唯一、鎌倉時代をしのばせる景観は鎌倉の自然、古道にあり、名越の切通し、まんだら堂への山道にあるのではないかと思う。
半年ぶりに歩いてみた。ウグイスがすでに鳴き始めている。鎌倉観光ではぜひこの道を歩いて、往時をしのびながら、安国論寺、妙法寺、妙本寺、日蓮辻説法跡、鎌倉八幡宮を半日オプシュナルツアーであるけば、鎌倉時代をよりよく知ることが出来るのです。
▼名越えの切通しへはどういくか。
一番、簡単な方法は鎌倉駅前の「緑が丘入口」行きのバスで名越えのトンネルに出て終点の「緑ヶ丘入口」で下車しリサイクルショップ「くるくる」の前の階段から登ればよい。
もう1つは、昔の切り通し道を辿るもので、長勝寺前でバスを降り、横須賀線の線路わきを辿ってもよく、又街道を少しトンネル側に進み、小さな踏み切りを通って線路沿いに上ってもよい。道は線路の横の土手を次第に上り、やがてトンネルの入口を眼下に見ながらその上に出る。
そこから、林の間を上ると・次第に古道らしい苔むした岩の露出した山合いへと入って行く。しばらくそうした人影のない林間の道が続くが、やがて、右手に杉林の谷戸が見え、その上のふちをぐるりとう回して通る。この谷戸がさきに記した火葬場のある所で、目の前にその煙突が立っている。
谷戸の真上に当る左側の山ふちに「史跡名越えの切通し」解説板がある。そ
の少し先に、前に配した「まんだら堂」正面入口がある。(ここは現在工事中で、だれもはいることはできない、12月21日も工事関係者が作業をしていた)
まんだら堂へ上らずに峠道を行くと間もなく苔蒸した切り通しの跡がある。更に進むと、道が下りになりとたんに岩肌を縦に切り取ったはざまに入る。これが切り通し入口で史跡「名越切り通し」の四角い杭が立っている。いにしえの古道の趣きが弱冠そのまま残っている。
しかしそこを抜けると小坪の亀ケ岡団地の住宅が拡っている。長勝寺バス停からのあるいての距離はせいぜい20分ほどの短い古道で、昔の山道の面影、雰囲気の距離は近年の開発で少なくなっており、約500mほどである。
また、近年の台風、大雨、強風によって山道の杉その他の倒木が目立ち、道をふさいでいるところもある。その分、荒廃した古道の感じがよくでていて「強ものどもの夢の跡」の雰囲気を一部かもしだしているのでハイキングの値打ちは十分ある。
切通(きりどうし)とは一体なにか。
「鎌倉事典」(平成4年版、東京堂書店)によると、鎌倉は三方を山に囲まれた要害の地であるため、鎌倉とその他を結ぶ道路を開くには、山場を越える道を切り開く必要があった。これが山を切り開く、切通しといわれる。俗に鎌倉の七切通し・七口とよばれ、西から極楽寺・大仏坂・化粧坂・亀ケ谷坂・巨福呂(小袋)坂・朝比奈・名越の各切通をいう。鎌倉防禦の上で重要な意味をもち、また、切通しの外の地域は、ほぼ北条一族で占めていた。
極楽寺付近は赤橋氏、大仏坂・化粧坂の外地、常盤に北条政村の別邸があり、巨福呂坂の外、山ノ内は北条得宗領、という類である。京都七口を模しての呼称であろう。
名越切通しは倉から三浦へ通じる重要な道であった。旧道は名越トンネル上にある。名越坂ともいう。道筋は「古事記』にいう日本武尊が東夷征伐のさい、いまの横須賀走水の海をわたって蝦夷に向かった、いわゆる古東海道であろうといわれる。峠は、いま鎌倉市と逗子市との境になっているが、昔も鎌倉と三浦との境界であった。国の史跡に指定されている。
ちなみに、名越(なごえ)は大町の東の一帯の総称で、鎌倉時代からの地名で『吾妻鏡』のところどころにこの名が現れる。北条時政以来北条氏の居館があった。問注所執事三善氏の屋敷もここにあったという。中世には寺院や武士の邸宅の多かった地域である。
三浦勝男『鎌倉の史跡』(かまくら春秋社、昭和58年刊)によると、
「国史跡・名越切通」は『玉舟和尚鎌倉記』が「名越坂三浦口」と書いているように、この切通は鎌倉から三浦へ通じる重要な道で、名越トンネル上に昔の古道の姿をとどめている。名越は古くは「なごし」とよばれたが、その由来は“難越〟にあったといわれるほど、文字どおり険路であったことが、現況からもよくわかる。「鎌倉志」も「名越切通は三浦へ行道也、此峠、鎌倉と三浦との境也、甚瞼峻にして道狭、左右より覆たる岸二所あり、里俗大空洞・小空洞と云ふ、峠より東を久野谷村と云、三浦の内也、西は名越、鎌倉の内なり、」とつたえている。峠は、いま鎌倉市と逗子市との界になっている。
名越切通が開かれた時期は未詳だが、巨福呂坂や朝夷奈切通の新道造営が北条泰時の仁治元年{(1240)で、いわゆる鎌倉七口の開整整備は、ほぼこの時期とあい前後して行なわれたであろうと思われる。
当時、北条氏が最も恐れた勢力は、源頼朝いらいの旧臣で三浦半島の雄、三浦一族の存在であった。名越峠の整備と防禦施設の強化・完備は、鎌倉防衛を名目として大勢の武士たちが動員され、多くの期日を要して着々と進められたことであろう。かくして名越峠は鎌倉の他の切通と比較して、最も厳重に防備されたのは、ひとえに北条氏が三浦一族を牽制し生きのびようとした証左にはかならない。
宝治元年{1247}6月、北条氏は永年の宿敵三浦一族をついに滅亡することに成功した。これを宝治合戦とも三浦の乱ともいう。
三浦一族ら五百余人とともに頼朝の法華堂にこもって自害し、ここに三浦一族が滅亡したのであった。
これによって名越峠とその周辺の性格は徐々に変化していったと思われる。厳重に防備された砦としての機能よりも鎌倉・三浦往還の要路としてのイメージを濃厚にしたにちがいない。あわせて「まんだらどう(曼荼羅堂)」なる地名の存在とそ意味するところを考えると、もう1つの機能-葬地と化した名越山が想定される。現状のおびただしいやぐら群や五輪塔群から推察しても、明らかに鎌倉時代を中心とした一大葬地であったことがわかる。
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