『 新選/ニッポン奇人・畸人・貴人・稀人・伝伝伝』② 『泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症・』●『封筒が手を離れてポストの底に落ちても、まだ安心出来ない。原稿がポストの周囲に落ちていないだろうかと不安に襲われて、三回はポストの周囲を回わり、最後にもう一度振り返って見る』
『 新選/ニッポン奇人・畸人・貴人・稀人・伝伝伝』②
『泉鏡花・幻想文学の先駆者は異常な潔癖症・・』
泉鏡花の作品ではじめて活字になったのは『冠弥左衛門』であった。巌谷小波が京都の『日の出新聞』から何か書いてくれと頼まれたが、多忙で直ぐ書けない。
誰か書く人はあるまいかといって紅葉のところへ相談に来たので、紅葉が弟子の鏡花を推薦したのである。鏡花は大変な意気込みで、印刷にならぬ前に同じ弟子仲間の風葉や春業に読んで聞かせる。
「泉、お前は大層皆を弱らせるというじゃないか」と紅葉にいわれてようやく気が付いたほどであったが、京都の読者は一向感心しない。
あの小説はやめて貰いたいという不足の手紙が、小波のところへ十九通も来ている。小政から紅葉までその事を伝えて来たけれど、「若い者にそんな事をいって失望させるのは可哀そうだから」といってなだめたので、どうやら小説は掲げることが出来た。驚くなかれ、不足の手紙十九通である。(『鏡花全集』)
鏡花が紅葉の玄関番であった当時、紅葉が『読売新聞」に載せる小説を、毎日ポストに入れに行くのが日課であった。
封筒が手を離れてポストの底に落ちても、まだ安心出来ない。原稿がポストの周囲に落ちていないだろうかという不安に襲われて、どうしても三回はポストの周囲を廻わり、最後にもう一度振り返って見る。ある時これを紅葉に発見されて、「お前は何故そんな見苦しい事をする」 と叱られたので、原稿投かん上の迷信は一時に消失してしまった。(同上)
紅葉が匿名でモリエールの喜劇を翻案した『夏小袖』を春陽堂から出し、その筆者を当てるという懸賞があった。
この時の原稿の清書は鏡花がやったので、それが紅葉の作であることは、紅葉と鏡花と春陽堂主人の外は誰も知らなかった。この秘密は遂に漏れなかったので、鏡花は紅葉の信用を篤くすることになった。(同上)
『即興詩人』は鏡花の愛読書の一つであった。
あの菊判本上巻210頁4行目に「吏。様か、左」というところがある。何しろ一字どころか、字の一画といえどもゆるがせにせぬ鴎外の事だから、何か「左様か」をわざと裏返しにした意味があるに相違ないと思って、浜町の常盤であった雨戸会の席上で、鴎外に聞いて見たら、「そうですか、そんなところがありますか」と二つばかり軽くうなずいて、「誤植々々」といってくすくす笑っていた。
鏡花自身もあとで考えると汗が出る。英雄人を欺いたのではない、此方が眩惑されたのだといっている。(同上)
鏡花は『膝栗毛』を愛読し、旅行に出る際には必ず携帯した。自ら喜多八をもって任じ、弥次郎兵衛に擬せられたのが年上の笹川臨風である。この事は鏡花の書いたものにしばしば見えており、臨風も『明治すきかへ』の中に書いている。
鏡花が京都からよこした端書の宛名が「笹川弥次郎兵衛様」とあったため、附箋付きで京都に逆戻りし、封筒に入れて再送したなどという滑稽もあった。
鏡花は神経質であったから、食物には非常にやかましかった。泉家の御馳走は鮭の塩引と豆腐であったが、さすがに吟味してあるだけあって、鮭はかいなでの魚屋にはあるまいと思われる新巻きの極晶であった。豆腐は煮奴では
あるが実にうまい。その外は鳥鍋で、これも初音にかぎる。この店は白木屋の裏の木原店からあった頃からの馴染みで、その後京橋の五郎兵衛町に移っても依然鏡花の常得意であった。この外にはあまり大した好みもなかったらしい。(笹川臨風音『明治すきかへし』
鏡花が父の訃に接して郷里に帰った時、家計が困難で米塩の料は尽きる。しばしば自殺の意を生じて、近くにある百聞堀という池に身を投げようと心したこともあった。
この際に成ったのが『鐘声夜半録』で、その原稿を東京に送って紅葉の校閲を乞うと、紅葉は一読して鏡花の心状を看破した。鏡花のところへ来た手紙に「其の担の小なる芥子の如く、其の心の弱きこと苧穀の如し、さほど貧苦が苦しくば、安ぞ其始め彫聞錦帳の中に生れ来らざりし。破壁残軒の下に生を享けてパンを咬み水を飲む身も天ならずや」とあった。
唯一の師と悼む紅葉の言葉だから、鏡花はたちまち心機一題することが出来たが、後年の『女客」の中にも、この時の片鱗がちょっと出ている。(鏡花全集)
鏡花が『北国新聞』に『黒猫』といぅ小説を掲載中、ちょっと金沢へ帰ったことがある。銭湯へ行くとその主人が『北国新聞』を読んでいるので、一っ評判を聞いて見ようと思ったが、ぶっっけに聞くわけに往かぬから、「なんですか、この前の小説はどうです」と聞いて見た。
すると、「この前のは『何とか御殿」というので大変面白かった、一日も欠かさず読んだが、今度のはさっぱり訳のわからん、面白くも何ともない小説だ」といわれたのでがっかりした。(同上)
鏡花の原稿は、必ず半紙と極まったもので、半紙を二つ折にして、その間にお手製の罫紙を鋏み、これもお婆さんの遺愛の、極めて小さな硯で、克明に墨を磨って、毛筆で鏡花一流の華奢な文字で書き続ける。・・
つづく
関連記事
-
日本リーダーパワー史(906)-「終戦内閣」鈴木貫太郎首相(77)の「和平を胸中に深く秘めた老宰相の腹芸」★『阿南惟幾陸相との阿吽の呼吸』★『総理大臣執務室の机の上には書類は全くなく、ただ一冊『老子』が置かれていた』
日本リーダーパワー史(906) 鈴木貫太郎 https://ja.wikiped …
-
日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史『日米戦争の敗北を予言した反軍大佐/水野広徳の思想的大転換②』-『軍服を脱ぎ捨てて軍事評論家、ジャーナリストに転身、反戦・平和主義者となり軍国主義と闘った』
2018/08/19 …
-
日本リーダーパワー史(485)幕末・明治(約60年)は「西郷隆盛・従道兄弟政権 時代」が、日本大躍進をもたらした。
日本リーダーパワー史(485) 明治人物ビックリ仰天の新しい視点― 徳川 …
-
人気記事再録/日本天才奇人伝③「国会開設、議会主義の理論 を紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民―③<明治24年の第一回総選挙で当選したが、国会議 員のあきれ果てた惨状に「無血虫の陳列場」(国会)をすぐやめた>
2012/12/02明治24の第一回総選挙で当選したが、あきれ果て …
-
『オンライン百歳学講座/天才老人になる方法②』★『長崎の平和記念像を制作した彫刻家・北村声望(102歳)の秘訣』ー『たゆまざる 歩み恐ろし カタツムリ』(座右銘)★『日々継続、毎日毎日創造し続ける』★『カタツムリのゆっくりズムでも、10年、20年、30年で膨大な作品ができる』★『私の師はカタツムリ』
2018/01/17百歳学入門(187)記事 …
-
日本リーダーパワー史(80) 日本の最強の経済リーダーベスト10・本田宗一郎の名語録
日本リーダーパワー史(80) 日本の最強の経済リーダーベスト10・本田宗一郎の名 …
-
湘南最高の海辺のテラス(逗子なぎさ橋珈琲店)から眺めるワンダフル富士山・江ノ島・逗子海岸(2023/6/17am7.9)
Wonderful Mt. Fuji, Zushi Bay, Zushi Coa …
-
『大谷翔平<3打走投>流の「YAKYUDOU」(野球道)とは何か』★『ベースボールと野球道の違い』★『大谷のルーツは宮本武蔵の二天一流兵法(「五輪書」を書いた霊巌洞の動画あり)』★『「打撃の神様」の巨人・川上哲治の「ボールが止まって見える」(心技体一致)』
激動の2024年を振り返って、私を一番「ハッピーな気持ちと元気にしてくれた」のは …
-
『オンライン100歳学講座』★ 『日本一の大百科事典『群書索引』『広文庫』を出版した物集高量(朝日新聞記者、106歳)の回想録」★『大隈重信の思い出話』★『大隈さんはいつも「わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る、と話していたよ』
国語学者・物集高量(106歳)の思い出話は超リアルだよ。 大隈さん …
-
世界/日本リーダーパワー史(894 )ー『米朝会談前に米国大波乱、トランプの狂気、乱心で「お前はクビだ」を連発、国務省内の重要ポストは空っぽに、そしてベテラン外交官はだれもいなくなった。やばいよ!②」
世界/日本リーダーパワー史(894) トランプ政権の北朝鮮専門家、広報部長、ス …
- PREV
- 『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉒『開戦3ゕ月前の「米ニューヨーク・タイムズ」の報道』★『国家間の抗争を最終的に決着させる唯一の道は戦争。日本が自国の権利と見なすものをロシアが絶えず侵している以上,戦争は不可避でさほど遠くもない』★『ロシアが朝鮮の港から日本の役人を締め出し、ロシアの許可なくして朝鮮に入ることはできないということが日本を憤激させている』
- NEXT
- 『 新選/ニッポン奇人・畸人・稀人・変人・伝伝伝』 『幻想文学の先駆者・泉鏡花の奇行、お笑いエピソード』③『お手製の罫紙については、エピソードがある。』★『ウサギ狂の鏡花』●『尾崎紅葉夫婦は、彼れをネズミという愛称で呼んでいたらしい』