日本リーダーパワー史(594)「世界が尊敬した日本人」(21)『アジア、欧米ともに通じた稀有のコスモポリタン・日本美術の父・岡倉天心』
日本リーダーパワー史(594)
世界が尊敬した日本人(21)
『アジア、欧米ともに通じた稀有のコスモポリタン・
日本美術の父・岡倉天心』
前坂 俊之(静岡県立大学国際関係学部教授)
<以下の原稿は2009年10月の 月刊「歴史読本」に掲載>
今、インドへの関心が高まり、政治、経済的にも『アジアを見直せ』との声が大きい。同時に、日本精神の基底にあるものへの関心も深まっているが、明治後期に『アジアは一つ』と唱え『武士道』と並ぶ『茶の本』(1906年)を英文で書いた岡倉天心の再評価が進んでいる。
総合的な英語コミュニケーション能力(会話、英文著作、国際コミュニケーション能力、国際機関、海外企業の活躍体験)で明治以来のインテリを比較すると、多分、岡倉は『武士道』(英文)を書いた新渡戸稲造らに並んでベスト3には入るのであろう。
さらに海外体験で比べると、欧米中心の留学、生活体験を持ついわば片面体験のインテリがほとんどの中で、欧米、アジアの両方に通じた思想家は数少ない。欧米にも深く通じた上に、中国奥地やインド全土も長期に周り、その民族、文化、歴史に通じて、アジアの一体性の中から日本文化をグローバルに思考した思想家といえば岡倉1人といって過言ではない。
(彼以上の存在は南方熊楠くらいではないか)。世界を股に駆けた行動力と世界的な視野で日本精神を考察した岡倉は米国でも、フランス、イタリアでも頑として和服を通して世界中を闊歩した。西欧コンプレックスから夏目漱石のようにノイローゼになることもなかった。
太平洋戦争中、にわか『大東亜共栄圏』主張者によって、岡倉が急に脚光を浴び、日本至上のアジア国粋主義者と誤解された。これまで『日本美術の父』の面ばかりに焦点が当たってきたが、真の姿は日本主義者を超えた『アジア主義思想の父』でありコスモポリタンである。
文久二年(1863)一二月、岡倉覚三(号・天心)は横浜本町生まれ。幼時に外国人から英語を学び、漢籍よりも英語の方が読み書き話せるレベルになっていたというからすごい。1877(明治10)年、東大に入学、その英語力を買われてアーネスト・フェノロサ(教授)の通訳兼助手として働くうちに日本美術に目を開かれた。その後、文部省に入り、九鬼隆一(文部少輔)に目をかけられ、フェノロサとともに日本美術の収集、研究、普及に力を注いだ。
1889年(明治22)に岡倉、フェノロサは約9ヶ月にわたって西欧を米、独、仏、イタリア、スペイン、オーストリアなどくまなく美術館、博物館を見てまわった。日本の美術教育の方針は、岡倉、フェノロサによって作られ、帰国後には帝室博物館美術部長、東京美術学校校長(現・東京芸大)に就任した。ここで教え子として横山大観、下村観山、菱田春草らを育て、日本画の発展に大きく貢献した。
1893年(明治26)には中国服、辮髪にふんして3ヵ月にわたり中国奥地までの美術調査に出かけたかと思うと、1901、2年には約1年に及ぶインド旅行で全土をくまなく回り、その仏教、ヒンドウ、美術、文化と日本とのつながりをインド思想家・タゴール(ノーベル文学賞受賞者との直接の交友を通して学んでくる。岡倉は行動する思想家であると同時に、明治のこの時代では屈指の大旅行家であった、といえる。
同37年(1904)にはフェノロサの紹介でボストン美術館中国・日本部顧問に迎えられて、日米の間を頻繁に往来しながら、日本美術院の指導と米国での東洋美術の紹介につとめた。この間、『東洋の理想』(1903年) 『日本の目覚め』(04年)『茶の本』(06)、などの英文著作を相次いで刊行し、アジアの思想と「アジアは一つ」という主張を初めて、アジア人の中の日本人が西欧に向けて広めていった。
ボストン美術館には日本以上に国宝級の「平治物語絵巻」や、日本絵画3万8千余点、浮世絵版画二万余点、その他美術工芸品四千余点という膨大なコレクションがそろっているが、岡倉が責任者として、整理、分類を行い、世界の美術の中で日本美術を正当に位置づけた。こういった業績は誰もが知るところだが、何といっても天心のすごさはその社交性と、コミュニケーション能力にあり、大変女性にもてたという男の魅力である。
ボストンでは社交界で女王・美術の大パトロンに気に入られ、多くの米女性に囲まれてジョークを飛ばして、大いに笑わせて女性にはモテモテで、美しいインド人の女性詩人とはラブロマンスを、1913年(大正2)9月、51歳で天心が亡くなる直前まで繰り広げた。熱烈なラブレター(19通が残る)を送って、それが絶筆になった。これは恋愛のできない日本人男性では稀有のことであり、西欧崇拝、アジア蔑視が大半の当時のインテリのなかでも、真のコスモポリタンであり、アジア主義者であったことの証明ではなかろうか。
関連記事
-
百歳学入門⑬ <日本超高齢社会>の過去とは③・・・ <創造力は年齢に関係なし、世界の天才の年齢調べは>
百歳学入門(13) <日本超高齢社会>の過去とは③・・・<創造力は年 …
-
TOKYO/東京ーサクラ名所めぐり② 千鳥ヶ淵のサクラは満開(4/4)ー皇居を背景に絢爛豪華なお花見散歩?『『外国人観光客で人気沸騰だよ!』
TOKYO/東京ーサクラの名所めぐり② 千鳥ヶ淵のサクラは満開(4/4)ー皇居を …
-
『『オンライン講座/日本ベンチャービジネス巨人伝②』★『“ダム経営”を行え』(松下幸之助)★『朝令朝改をせよ』(盛田昭夫)★『目をつぶって判を押せない書類はつくるな 伊庭貞剛(住友総理事)』★『 商売の本質は相互利益であり、面倒をいとわないと成功はあり得ない 江崎利一(グリコ創業者』★『●岩崎家の家訓(三菱創業者/岩崎弥太郎)』★『豊田綱領 ・豊田佐吉(トヨタグループ創業者) 』など
2013/02/09 記事再録 ★ …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(125)/記事再録★ 『超高齢社会日本』のシンボル・世界最長寿の彫刻家/平櫛田中翁(107歳)に学ぶ」<その気魄と禅語>『2019/10月27/日、NHKの「日曜日美術館ーわしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中」で紹介』★『百歳になった時、わしも、これから、これから、130歳までやるぞ!』と圧倒的な気魄!
2010/07/31   …
-
世界/日本リーダーパワー史(967)-『トランプ大統領弾劾問題と米中テクノナショナリズムの対立(下)』★『米中通商協議の期限は3月1日』★『中国経済失速へ!「中所得国の罠」にはまったのか』★『中国の「テクノナショナリズム」「<中国製造2025>のスパイ大作戦』
世界/日本リーダーパワー史(967) 『トランプ大統領弾劾問題と米中テクノナショ …
-
「Z世代のための『人生/晩節』に輝いた偉人伝』★『日本一『見事な引き際の『住友財閥中興の祖・伊庭貞剛の晩晴学②』★『〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し』★『真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』
有害な …
-
『Z世代のための 百歳学入門』(2010/01/25 )★『<日本超高齢社会>の現実と過去と未来②』 ★『人生は長短ではない。「千の風になって」の「私は墓にはいない、眠ってなんかいません」のように、命はすべて有限で、時間の長短はあれどいつかは死んで行く。肉体は滅んでも、その精神は永遠に生き続けるのです』
2010/01/25 百歳学入門⑩記事再録・編集 &n …
-
日本メルトダウン(925)東京都知事選スタート―『猪瀬氏が東京のガン・伏魔殿都議会を告発』●『何よりダメな日本の政治家選び,育て方』『橋下徹氏がいう「政治の実行プロセスを知らない候補者ばかり』
日本メルトダウン(925) 東京都知事選スタート― 『猪瀬氏が東京のガン …
-
『オンライン・日本経営学講座』★『 日本の歴代大経営者(最初はみんな中小企業) の遺言、経営訓、名言30選』★『『昭和経済大国』を築いた男・松下幸之助(94歳)の名言30選」』
ホーム > 人物研究 > ● 『企業 …
-
『六十、七十,洟たれ小僧の湘南海山ぶらぶら日記』/『つり竿さげて、鎌倉海をカヤックフィシングでさかな君と遊べば楽しいよ』★『「半筆半漁」「晴釣雨読」「鉄オモリをぶら下げて」鎌倉古寺を散歩すれば、悠々自適!』
以下は2011年7月7日に書いた「湘南海山ぶらぶ日記」の再録である。約10年前は …