歴史張本人の<日中歴史認識>講義⑨袁世凱の顧問・坂西利八郎が「100年前の支那(中国)財政の混乱」を語る⑨
2015/01/01
日中両国民の必読の歴史の張本人が語る
「目からウロコの<日中歴史認識>講義」⑨
袁世凱の政治・軍事顧問となった坂西利八郎
(在中国25年)が「100年前の支那(中国)
財政の混乱」を語る⑨
以下は坂西利八郎が1927年(昭和二)二月十八日に「大阪毎日新聞社講堂」
で行った講演の全文。<「日中友好の捨石、秘録 土肥原賢二」芙蓉書房
昭和47年」に収録>
昨夜もちょっとお話したのでありますが、支那近年の財政状態の推移は私が支那滞在中に黄っておった月給として、支那政府から支払われた金の種類によっても、これを推知することが出来る。というのは、明治三十七年頃には馬蹄銀といって重い銀を、銀のまま貰いました。それからずっと後には、円銀を貰うことになりましたが、これも相応に重量があります。それから、銀でなくなってからは紙幣になりました。
そうすると、今度はその紙幣も交換をしなくなった上に、割引をされることになりました、その割引の問にも、私自ら財政部に行って強いて頼むと、銀と替えて貰うことが出来たがだんだんそれもできなくなった。財政部の現金庫へ行っても現銀の姿が見えない。そして毎月渡さるべき月給が1月おくれ、二月おくれ、三月おくれとなり、私が彼地を辞する昨年の冬には、とうとう二年半の不当月給を残して帰って来ましたような次第です。(笑声)
私は元軍人で、全く月給生活をしておりますから、月給が貰えないので困りました。けれども、これは決して私が憎くって払わないのでない。
支那の官史はみな私と同じように、支払われないのである。それでは、支那の官史はどうして食って行くかという疑問が起りますが、何も二年といっても、二年ぽっつり払わないのではない。一年に大抵三度は払ってくれます。旧の五月の節句と、八月十五日と年越、この三度には、とに角、少なくとも一月分位は貰わないと義理が欠ける。
又、たまには、月給の一割とか、二割とか、都合のいい時には、七割も貰うことがありますが、その標準は月給の少ないものには余計渡し、多いものには渡さない。外国顧問などは多い方ですから、決して渡さない。のみならず、給料を渡さなくとも、いずれ本国政府が、何とか世話するだろうからというので、支那側は思い切りよく渡さぬのであります。
(笑声)まことに嘘のようでありますけれども、これが支那財政の現状であります。それでは北京政府は、どうして暮しているかというと、今暮しているのは、鉄道の収入、少いながらも郵便の収入、電信の収入、北京の入市税、それから牛の税とか、馬の税とか、羊の税とか、いろいろなものを極くわずかなものでありますけれども徴収します。
そしてそれ等のものを掻き集めて、どうかこうかして政治をしております。北京政府だけを維持するにはそれだけの収入を充つれば、政費は十分なので、一カ月に百万円もあれば先ず暮して行ける。しかるに、今は戦さをしているから、一度政府に金が入ったと見たならば、各軍が競って財政部へ人を出して、ピストルをもって取りにやる。
面白いのには「索薪団」というのがある。薪はたきぎで、月給のことを支那語で「薪水」と申しまして、索薪はすなわち月給を求めるという意であります。
この索薪団がいざ運動ということになると、妻君でも娘でもみな出て来る、そして役所の玄関へ弁当持ちで行って寝込む。冬などは、寒くても雑魚寝をして月給をくれない間は帰らない。こんなことは、とても日本では想像のつかないことですが、彼等は体面をいとわず、
これをやらなければならん状態にあるのです。
個人に対してさえ債務が果せない。ましてや国際関係において、多くの借款等の義務を果し得る筈もない。国際債務がいよいよ果せないとなった時、対支那借款に関係のある各国がいつまでも黙っているかどうか、これは大問題であります。
ナニ支那のことで可哀想だから借款なんぞは一文も戻らんでいい
というて、宋嚢の仁を施すことが、世界各国のならいとなるや杏や。まあ仕方がない、取れないのだから、無い袖はふれないのだからと、今日までは見通して来ましたが、債権を有する国家として、いつまでも支那の不義理を黙っているかどうか。それも、支那国民が債務不履行をやるのならまだしものこと、ただ政府に立つものの政治のやり方が悪いから、債務履行が出来ないのであります。
一体、支那に対して最も債権の多いのはイギリスと日本であります。しかしイギリスは、最もずるくやりまして、最初お話しましたように、日清戦争の時に、支那が二億五千万両の対日賠償金が支払えないのにつけ込んで、うんと金を貸しっけ、その代りに海関の管理権を手に入れてしまった。
すなわち金の入ってくるところの金庫を手に振っている。でありますから、支那の現状に対しても割合に黙っている。もっとも、この頃は、帝国主義を排せとか、英帝国主義を倒せという支那人の運動が盛になったのは、その報いであるが、昨年漢口の租界を支那人に奪われ、九江の租界をも奪われるに至って、如何なイギリスでも黙っておれなくなった。
しかもイギリスは、なおこれをも忍んで、今日もなお上海に六七千の兵をとどめ、機会を待っているように見える。英国は何ゆえに上海に兵隊をもって来たのですか。これ支那人のいわゆる反帝国主義運動に対抗するためであるに違いない、すなわち支那が国際的に義務を果し得ない際に、軍隊をその後押として何事をかいわんがためであることは、最も明瞭であります。
日本は英国のように支那に金庫はもたない。しかし支那人の窮状に対して黙っておれないので、あっちに出兵し、こっちに出兵し、只今は現に揚子江方面に海軍を派遣しております。で、私は右のような国際関係から、或は近き将来において、列国協調して、何等か支那に求むることがありはしないかと想像する。
それによって支那が救われるかどうか。支那の国民現在の窮状が救われるかどうか。或は救われないとも限らない、これが一つの途であります。
関連記事
-
-
日本リーダーパワー史(865)『日本の「戦略思想不在の歴史⑰』『世界史の中の元寇の役(文禄の役、弘安の役)7回』★『計6回の使者派遣外交で日本に朝貢を迫ったモンゴルに対して、一貫して対話・交渉を拒否した鎌倉幕府』●『 千年も続く日中外交力格差ー河野太郎外相は外相専用機を要求』★『日本外相の各国訪数は中国の約3分の1』
日本リーダーパワー史(865) 『日本の「戦略思想不在の歴史⑰』 『世界史の中 …
-
-
『Z世代への日本リーダーパワー史』★『 帝国ホテル落成式は日本で初めての500人の大パーティー。開会式の2分前に突然、関東大震災が起きた』★『犬丸徹三支配人は調理場の火災を恐れて、全館のスイッチを「切れ!」と命じた。隣の東京電力本社でも火災が発生、従業員はすでに全員退退避した』★『避難の人びとにも無料で部屋を提供、日比谷公園の避難民にも炊き出しを行った』
2011/05/21 日本リーダーパワー史(155)記事再録 『 決 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(58)記事再録/『日清戦争の引き金の1つとなった防穀令事件 <1889年(明治22)>とは』★『防穀令を布いて日本への穀物の輸出をストップし、朝鮮地方官がワイロを貪ったのが原因(林董の証言)』
2016/04/24 /日本リーダ …
-
-
百歳学入門(193)―『発明王・エジソン(84歳)ーアメリカ史上最多の1913の特許をチームワークで達成したオルガナイザーの人生訓10か条』
百歳学入門(193) 発明王・エジソンーアメリカ史上最多の1913の特許をチーム …
-
-
知的巨人の百歳学(120)-『元祖スローライフの達人・超俗の画家/熊谷守一(97歳)-『文化勲章は大嫌いと断った熊谷と〝お金がもらえますからね″といって笑って答えた永井荷風〈当時72歳〉』
知的巨人の百歳学(120)- 文か勲章といえば、もう1人の奇人、超俗の人、永井荷 …
-
-
速報(87)『日本のメルトダウン』☆『原発行政訴訟を起こした江藤貴紀氏に期待する』
速報(87)『日本のメルトダウン』 ☆『原発行政訴訟を起こした江藤 …
-
-
速報(424)『日本のメルトダウン』 『元自衛艦隊司令官の香田洋二氏<中国とどうつき合うか動画』ほか中国関係
速報(424)『日本のメルトダウン』 ●『 …
-
-
(記事再録)140年前の外国新聞 (フランス紙『ル・タン』)が指摘した日本病の正体とは①論理的な学問なし②記憶力、詰め込むだけの教育③理性的学問では小学生レベルの無能な学者を量産④優柔不断で論理性のない人間ばかり⑤新しい状況に適応できない、実際的な良識にかけた人間を作っている。
(記事再録) 1874(明治7)年5月23日付 フランス紙『ル・タ …
-
-
『米中新冷戦時代に突入しているが、中国の思想・行動パターン(中華思想)を理解するためには清国新聞『申報』で150年前の日中韓対立戦争史の論説を読むとよくわかる』★『前坂俊之HPで「申報」の検索結果は 153 件あるので見てください。』
●前坂俊之HPで「申報」の検索結果 153 件ある、ので見てください。 http …
-
-
新刊です・申元東 著, 前坂俊之監修『ソニー、パナソニックが束になってもかなわない サムスンの最強マネジメント』徳間書店 (1600円)
新刊刊行・申元東 著, 前坂俊之監修『ソニー、パナソニックが束になってもかなわな …