終戦70年・日本敗戦史(56)A級戦犯指定・徳富蘇峰 『なぜ日本は敗れたのか』⑧大東亜戦争では陸軍、海軍、外交、廟謨(びょうぼ、政府戦略)はそれぞれバラバラ、無統制であった。
2015/04/11
終戦70年・日本敗戦史(56)
マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る
『なぜ日本は敗れたのか』⑧
「蘆溝橋事件処理に、軍は一定の方針なし」
わが国の大陸政策は、陸軍部内の歩調は揃ってない。支那事変中ばかりでなく、
大東亜戦争となっても、最後の終戦に至るまで、陸軍は陸軍、海軍は海軍、
外交は外交、廟謨廟謨(びょうぼ、政府の戦略)は廟謨、めいめい勝手の建前で
、勝手な行動をしたのである。
。
「蘆溝橋事件処理に、軍は一定の方針なし」
蘆溝橋事件処理に、軍は一定の方針なしと愚痴を繰返すようだが、後事の訓戒として、さらに一言する。蘆溝橋事件は、突発であったにせよ、そうでなかったにせよ、この事件に対する方針を、当時の陸軍では、一定していなかったようだ。
ある者は、余計な事をしでかして、困ったものという考えと、よく面白い事をやり出した、これで一仕事出来るという者と。別言すれば、満洲だけに切り止めるという意見と、支那(中国)大陸に延長するという意見と、二派あったに相違ない。
それでも、何れも北支(北中国)だけと、タカをくっていたようだが、それが上海に飛火するに至って、陸軍では随分意見があったようだ。元来上海の飛火なるものは、偶発であったか、特発であったか、その詮議はさくおき、少くとも北で陸軍が動けば、南で海軍が動くという事が、常識から考えても、推察が出来る。
それで上海事件は、ほとんど海軍に一任し、当時参謀本部の要職を占めていた満州事変の主な立案者の一人、石原莞爾は、如何に現地から矢の催促をしても、出兵には賛成しなかった。
現に私は、海軍の末次信正から、石原等の指金で、海軍は上海では、酷い目に遭ったと、もらしていた事を聞いている。しかしやがては、陸地の戦争は、支那大陸を挙げて、ことごとく陸軍が受け持つ事となった事は、これまた勢のしからしめる所であった。
元来、陸軍では、ソ連を仮想敵とし、海軍では米英を、仮想敵としていた事は、わが伝統的政策と言ってもよい。それで支那事変の当初においても、それが南方に飛火するという事になれば、陸軍は全く方向転換とならねばならぬ訳となった。何となれば、日本が手を揚子江流域に伸ばす限りは、相手は蒋介石でなくして、むしろ米英である事は、必然の勢であった。
それで陸軍が、南方に向って、出兵すれば、早晩、米英を相手に、一戦を交えることは、必然であって、陸軍でも大なる方向転換が、行われざるを得なかった。最後まで軍でも、南から手を引いて、断然伝統的の北進論を、固守した者もあったが、それは軍の内でも、漸次少数となり、恐らくは支那事変の発展と共に、北進論は当分中止の姿となった。
分析すれば、わが大陸政策は、陸軍そのものの部内でさえも、歩調が揃っていなかった。いわんやわが国の外交政策、国際戦略の上で、廟謨(びょうぼ、政府の戦略)が一定し、1つの筋書に基づき、陸海軍の両翼、車の両輪の如く、同一の目的に向って、同一歩調をとるなぞという事は、言葉の上では、兎にも角にも、事実の上には、皆無に近かかった。
それは支那事変中ばかりでなく、発展して大東亜戦争となっても、またこの通りであった。最後の終戦に瀕する際まで、陸軍は陸軍、海軍は海軍、外交は外交、廟謨廟謨(びょうぼ、政府の戦略)は廟謨、めいめい勝手の建前によって、勝手な行動をしたのである。
試みに冷静に、支那事変の成行を考えて見れば、陸軍が火の玉を北支に投げ、それを見て海軍がまた火の玉を南支(南中国)に投げ、南支の火の玉が更に拡大して、火勢が手に負えぬようになりそこで陸軍がまたその後を引受け、支那事変は、殆ど陸軍のみの独り舞台であったが、海軍でも、知らぬ顔をして見ている訳に行かず、また三沙島とか、海南島とか、南方海上の活動が頻繁となり、海軍と陸軍とが、因となり緑となり、押したり押されたり、引いたり引かれたりして、互に大東亜戦争の渦中に、日本国を引っ張り込まねばならぬ次第となった。
今ここにに改めて言わねばならぬが、大東亜戦争は、専ら陸軍が責任を負って、海軍は嫌や嫌やながら、そのお相伴を食ったというような事を言う者があるが、これは決して公正の論ではない。
勿論海軍は、必ずしも当初から、米英と開戦する事を、希望したのでは、なかったかも知れないー中には確かに、かく希望した者も、あったに相違ないがーしかし日本の方向を、北から南に、大転換をしたのは、海軍の力である。陸軍は海軍から引摺られて、遂に大陸戦争にまで、及んだものと言わねばならぬ。もとより海軍から引摺られたる陸軍は、そのために責を逃れる訳もなく、責を軽くする訳もない。むしろ陸軍が、自主的見識の欠乏を暴露したものとして、その罪証を提供したのに過ぎない。しかし事ここにに至ったのは、海軍が、無心にせよ、有心にせよ、故意にせよ、偶然にせよ、その責任を免がれる事は出来ない。
言わば、陸軍に手柄を与えようとして、海軍がちょっかいを出し、出したちょっかいが、意外に大事件となって、その後は事件の本家本元たる陸軍が、引き受けねばならぬ事となり、陸軍の手の届かないところは、海軍がこれを引伸ばし、海軍の伸ばしたる手に乗って、陸軍がまた進出し、互にマラソン競走の如く、競争して、あげくは大東亜戦争となったのである。素よりここまでに日本を追い込んだ者は、米英である事は、改めて言うまでもない。
(昭和22年1月17日午前、晩晴草堂にて)
関連記事
-
-
『5年前の記事を再録して、時代のスピード変化と分析ミスをチェックする』-『2018年「日本の死」を避ける道はあるのか⑤』★『アベノミクスで政権100日は成功、この難題山積のナロウパス (細いつり橋)を素早く突破しなければ、日本の明日は開けない』★『スピード突破できずTimeout、釣り橋から落下の運命が迫りくる?』
★『2018年「日本の死」を避ける道はあるのか ー―日本興亡150年史』⑤― < …
-
-
知的巨人の百歳学(121)-「真珠王・御木本幸吉(96歳)の長寿、健康訓」★『エジソンは人工真珠の発明を世界一と高く評価した』★『70歳のころの生活からたとえば九十歳頃の朝食は・・』
日本リーダーパワー史(714) <記事再録>百歳学入門(69)2013年3 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(267)★『6年前のSTAP細胞問題の小保方晴子氏会見をみて感じた 「死に至る日本病」の正体とは・』★『説明責任を果たさない公人側と厳しく追及しない日本の記者会見の無責任体制はいつまで続くのか』
2014/04/10 日本のメルト …
-
-
『大谷翔平<3打走投>流の「YAKYUDOU」(野球道)とは何か』★『ベースボールと野球道の違い』★『大谷のルーツは宮本武蔵の二天一流兵法(「五輪書」を書いた霊巌洞の動画あり)』★『「打撃の神様」の巨人・川上哲治の「ボールが止まって見える」(心技体一致)』
激動の2024年を振り返って、私を一番「ハッピーな気持ちと元気にしてくれた」のは …
-
-
日本リーダーパワー史(611)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑥『1888年(明治21)、優勝劣敗の世界を視察した末広鉄腸の『インテリジェンス』②<西洋への開化主義、『鹿鳴館」の猿まね外交で、同文同種の中国 を排斥し、日中外交に障害を及ぼすのは外交戦略の失敗である>
日本リーダーパワー史(611) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑥ 『188 …
-
-
『日露インテリジェンス戦争を制した天才参謀・明石元二郎大佐』⑦終 『ロシア革命影の参謀、レーニンとの関係、ロシアの国情分析』
『日露インテリジェンス戦争の情報将校・明石元二郎』⑦終 『ロシア革命・影の参 …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(516)2014年、安倍首相の「日本丸」の正念場ー靖国参拝は対立軸を固定化する不毛』
速報「日本のメルトダウン」(516) 2014年、安倍首 …
-
-
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1056)>『中国政府を批判し有罪となり、服役中にノーベル平和賞を受賞した人権活動家の劉暁波氏が7月13日、肝臓がんのため中国・瀋陽の病院で亡くなった。』★『日清戦争の原因の1つとなった「金玉均暗殺事件」はこの中国の人権弾圧、テロ国家の体質から生まれた、同じケースである』
『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < チャイナ・メルトダウン(1056) …