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片野勧の衝撃レポート(48)太平洋戦争とフクシマ(23『なぜ悲劇は繰り返されるのかー 沖縄戦と原発(上) 

      2015/02/17


片野勧の衝撃レポート(4

 太平洋戦争とフクシマ(23) 

   『なぜ悲劇は繰り返されるのか 沖縄戦と原発()

片野勧(ジャーナリスト)

 

全交流電源が喪失

福島原発を知り尽くした熟練技術者と会ったのは、東京のJR市谷駅にほど近い、とあるホテルの喫茶店。高さ10メートルはあろうか、大きな窓から秋らしい陽光が注いでいた。
「やあ、お待たせしました」
約束の時間をちょっと回ったところで、「東北エンタープライズ」会長の名嘉(なか)幸(ゆき)照(てる)さん(74)が現れた。2014年9月10日午後2時45分。柔らかな物言いと物腰――。テーブルにアイスコーヒーが2つ、運ばれてきた。コーヒーカップにストローを当てながら、ゆっくりと語り始めた。
3・11。午後2時46分――。揺れは突然、やってきた。「その時、私は富岡町の自宅で、わが社の新婚夫婦と話をしていました。まさか、この日が家で生活する最後の日になろうとは、露にも思っていませんでした」
富岡町に住み始めて1年3カ月経っていた。子どもの頃、過ごした沖縄のように、海の見える小高い丘に立てた理想の新築の家――。ベランダからは太平洋の水平線と、南には福島第2原子力発電所の巨大な建屋がくっきりと見えた。
海はまだ、静かだった。しかし、不吉な予感が走った。それは津波――。東北の太平洋沿岸は過去に幾度も地震による津波の被害を受けている。
津波――。恐れていたものが現実になった。40分後、黒く大きな水の固まりが海岸に向かって押し寄せてくるのが見えた。遡上高14m~15m。自宅から見える第2原発のタービン建屋に巨大な波がぶつかるのが見えた。5メートル以上の津波が来たら、海水ポンプは水没し、確実に機能を失う。
“ああ、きてしまった……。もう、ダメだ……”
名嘉さんはため息をついた。実際、非常用ディーゼル発電機は起動していたものの、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機は海水に浸かって全交流電源喪失状態になった。
原発は、核燃料が発する熱を適切に制御しなければならない。その熱を除去するのに、海水を使う。それをくみ上げるのが海水ポンプだ。それが動かなくなると、原子炉内の燃料が冷やされなくなり、メルトダウンする。
そのころ、自宅から北に10キロのところにある福島第1原発は、第2原発同様に巨大津波に襲われていた。あらゆる電源が喪失。原子炉の暴走が始まっていた。
第1原発にも第2原発にも、名嘉さんの会社「東北エンタープライズ」の社員が出向していた。第2原発にいた社員に電話したら、なんとか電源は確保できると言った。しかし、第1原発にいるはずの社員とは、携帯電話がつながらない。

ヤードの海水ポンプ、全滅!」社員が叫ぶ

第1原発はどうなっているのだろう。名嘉さんは現場へ車を走らせた。着く直前、携帯に電話が入った。社員の声だった。「ヤードの海水ポンプ、全滅!」。現場の状況は、刻一刻と悪化していった。まず1号機が水素爆発。続いて3号機、4号機と連日のように爆発が続いた。
名嘉さんは食堂でテレビを見ていたら、枝野幸男官房長官(当時)が、「ただちに、人体に影響を及ぼすことはありません」と言っているのを聞いた。これを見て、名嘉さんは東電や政府の事故後の危機管理に失望した。
「あのとき、枝野さんは真実を知っていながら、隠していたのではないでしょうか」と今も思っている。さらに言葉を続ける。
「不条理な現実は今も続いています。それは私が生まれた沖縄にも同じことが言えます。日本は民主主義国家です。原発の再稼働問題も沖縄の基地問題も、あくまでも民主主義という論理の枠で考え、行動しなければならないと思います」
こう言って、名嘉さんは自分自身の生い立ちについて語り出した。以下、名嘉幸照著『福島原発――ある技術者の証言』(光文社)を参照させていただく。

ふるさと沖縄は米軍の空爆で廃墟と化す

「私は1941年、沖縄県北部の伊是名(いぜな)島(じま)で生まれました。ちょうど日本が戦争を始めた年です。4歳のとき、日本は負けました。そのとき、私の記憶に残っているのは、艦砲射撃による光と音です」
ピカッという鋭い光。ドカーンという爆音。ふるさと沖縄は、アメリカ軍の猛烈な空爆を受け、廃墟と化した。戦後、沖縄は本土から切り離され、アメリカの統治下に置かれた。7歳だった1948年、不発弾処理中、米軍の船が数百メートル先で爆発。10歳の時、米軍機が近所に墜落し、米兵の遺体収容を手伝った。
そした高校から大学に進んだ矢先、米兵による暴行事件が起きた。学生運動をし、大学にいられなくなり、沖縄から東京へ脱出。代々木上原の沖縄県寮に身を寄せた。ここで船の一等機関士の免許を取得した。
貨物船に乗り込み、台湾、香港、バンコク、シンガポール、ビルマ(今のミャンマー)、インド、イラン……と世界を回った。独学でアメリカ船の機関士の資格も取り、アメリカ船籍のスーパータンカーに乗った。
「そのときです。原子力潜水艦に乗ったことのあるアメリカ人の同僚から、原子力をやらないかと声をかけられたのです。原子力発電という、原子力の『平和利用』が世界的に叫ばれていた年でしたので、私はやってみようと決心しました」

ゼネラル・エレクトリック社(GE)に雇われる

 名嘉さんは大学で熱力学を学ぶため、単身、渡米した。しかし、途中で辞めてゼネラル・エレクトリック社(GE)に雇われた。
「私は原子力と原発について、徹底的に仕込まれました。福島第1原発に導入されることになった沸騰水型原子炉(BWR)のオペレーターの資格も取りました」
その後、GEの原子力本部があったカリフォルニア州のサンノゼと日本を往来するようになった。福島第1原発はGEが東京電力から受注したもので、その管理と技術指導のために、福島に着任してきたのは昭和48年(1973)。住まいは「GE村」の単身赴任者用の寮だった。
「あの頃、私は30代になったばかり。以来、40年余り。東京電力の福島第1原発、第2原発で、ずっと仕事を続けてきました。地元の女性と結婚し、家族もつくりました。やがてGEから独立し、40歳になる頃、自分の会社を立ち上げました」
原発設備メンテナンス会社「東北エンタープライズ」てある。仕事は順調に進み、現場を駆け巡った。そして社長を長男の名嘉陽一郎さん(40)に譲って自分は会長におさまり、齢も70を越えた。もう十分、働いた。
余生を平和に笑って、残りの人生を送るつもりでいた。しかし……。海が牙(きば)をむき、原発が壊れていった、あのときから4年。先行きの見えない日々が続いている。

「私たちは棄民ですか」戦後の沖縄と重なる

放射能の汚染水は、いつなくなるのか?
かつて住んでいた場所に、じいちゃんばあちゃんは本当に戻れるのか?
名嘉さんはこう書いている。
「原発の技術者として、原発の安全を守ることに生涯をかけながら、果たせなかった無力感。子どもたちから、大切なふるさとを奪った悔悟の念。原子力の平和利用を信じ、原子力発電を進めてきた身にとって、いてもたってもいられない絶望感……」(前掲書)
「原発ムラ」の一員だったことを悔やむ。しかし、諦めるのはまだ早い。たとえ、ふるさとの一部を失ったとしても、ふるさとのすべてが失われたわけではないのだから。
かつて名嘉さんは沖縄で、「自分たちは日本人ですか」と本土の人たちによく言ったという。沖縄は、本土に見捨てられたのではないか? そんな思いを込めて。
放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)の情報が遅れたため、線量の高い地域に避難させられた双葉町の井戸川克隆町長(当時)は、「私たちは棄民ですか」と言った。名嘉さんの耳の底には、この言葉が沖縄の戦後の状況と二重写しになって、蘇ってきたのだろう。
「今、福島の地が、かつての沖縄に重なって見えるのです。福島を見捨てられた地にしてはなりません」

生まれ故郷の伊是名島にも陰惨な虐殺

名嘉さんが生まれた沖縄県伊是名島における沖縄戦をインターネットで調べていたら、石原昌家著『虐殺の島――皇軍と臣民の末路』(晩聲社)と仲田精昌著『島の風景』(同)という2冊の本を見つけた。なかでも石原さんとは沖縄国際大学教授時代、何度か取材でお目にかかったことがある。彼は沖縄戦の実相を民衆の側から科学的に捉え、それを次代に伝え続けてきた研究者の一人である。
さっそく、私は立川市図書館でその2冊の本を借りて読んだところ、驚くべきことに、この伊是名島にも空襲と虐殺があったという。なかんずく、私は元高校教員の仲田さんの体験に引きつけられた。当時、国民学校6年生。
1944年10月10日。自習時間に突然、頭上に鋭い雷の轟音が鳴った。アメリカ軍による空襲である。生徒は一斉に校舎の床下に潜った。真っ暗闇の中、息をこらした。幸い、生徒は皆、無事だった。
しかし、2日ほどして、伊是名の被害を見に行ったところ、子ども2、3人が逃げそびれて銃撃され、1人が死亡。字仲田に停泊していた伊福丸も銃撃され、船長が死亡した。また10・10空襲では本島各地の港の施設はほとんど破壊された。小録や伊江島飛行場も爆撃された。那覇も空襲を受け、おびただしい死者を出した。
そのころ、伊是名から見た夜空は毎晩、朱色に染まっていた。ヒュル、ヒュル、ヒュル……艦砲射撃は鋭く空気を切り裂いた。伊是名の人々はみんな御嶽や山間の壕で避難生活をした。
「鉄の暴風」と形容される沖縄戦は老若男女の非戦闘員を地上戦闘に巻き込み、凄惨な様相をきわめた。それは砲煙弾雨のなかだけでなく、同胞の間でさえ陰惨な虐殺が行われた。
ある人は、スパイの汚名を着せられて。ある人は、売国奴、非国民の烙印を押されて。また、ある少年は、兵隊に背後から日本刀で斬首されて。まさに沖縄戦は住民にとって「虐殺の広場」だったのである。伊江島から漂着した2人のアメリカ兵も虐殺された。仲田さんは少年時代、軍人に憧れていたが、このむごい人殺しを見て、幻滅を感じたと言う。
しかし、虐殺を実行した旧戦争指導者たちは、この悲惨な体験を事実から目をそらして語らないばかりか、語らせまいとする。そして戦争責任は不問にされ、彼らの戦争体験を語るのはタブーとされてきたのである。

フクシマもオキナワも「国策の被害者」「国策の生贄(いけにえ)」
私は、この2冊の本を読んで、「フクシマとオキナワ」の相似性を考えないわけにはいかない。軍事基地オキナワと原発地帯フクシマ――。福島原発の背景に見えるのは、原発の「日米同盟」による「国策の被害者」であり、軍事基地オキナワは対米追随による「国策の生贄」ではないのか。あるいは、「原発の中のフクシマ」は「基地の中のオキナワ」と置き換えることもできよう。
疑いもなく、フクシマとオキナワに共通しているのは、「国策の被害者」「国策の生贄」である。さらに、沖縄の旧戦争指導者たちの戦争責任が不問にされ、タブー視されている構図は、今なお原発避難者16万人もいるのに、誰も責任を取らない構造とそっくり。

つづく

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