日本リーダーパワー史(33)『日本とインドの架け橋』―大アジア主義者・頭山満とインド人革命家・ボース
2015/01/02
『日本とインドの架け橋』―大アジア主義者・頭山満とインド人革命家・ボース
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
◆天下の奇人
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また頭山は大塩平八郎の『洗心洞察記』を愛読し、知行一致を実践した。「平素は眠っているが、一度び目を開いてある人物を名指すと、その人の家庭はたちまち不幸になる」と、フランスの新聞は紹介している。
頭山の命令一下、命を投げ出す配下の「玄洋社」の社員がゴロゴロしていた。
大隈重信に爆弾を投げつけた来島恒喜も頭山の配下で、そのテロリズムに政治家はおびえた。しかし、物腰はいたってやわらかで、血を吸った蚊を殺さずに逃がすほどのやさしさが同居していた。
頭山は自らを「俺は低能児じゃから」「俺の一生は大風の吹いたあとの様なもの。あとには何も残らん」と語っているが、中江兆民は「頭山満君、大人長者の風あり。且つ今の世、古の武士道を存し得て全き者、独り君あるのみ」とその著『一年有半』の中で最も高く評価している。
天下人が、まさに天下の奇人を知るといったところである。頭山のエピソードを一つ紹介しよう。
ある時、頭山は「玄洋社」社長の進藤喜平太と一緒に大阪市長を訪ねた。頭山はこの時、サナダ虫がわいたため下剤を飲んでおり、尻がムズムズしはじめた。頭山は尻に手を突っ込み、サナダ虫を引っぱり出した。
それを目の前の火鉢に並べた。次々に出てきたので、火鉢に二回り半にもなった。市長がおくれて現われ、火鉢に手をのせると、白くニオイのあるものが当たった。頭山が「それは僕の尻から出たサナダ虫たい」と言うと、市長は「ワァ」と驚いて、応接間から飛び出して行った。このように何をするかわからん、〝古代人″なのである。
頭山の大アジア主義は日本が中心となり、植民地化された中国やインドを助け、英米の勢力を駆逐して独立し、自由を獲得することにあった。わが身を捨てて、大アジア主義実現のために戦った。このため、頭山邸は〝亡命客引受所″といわれるほど、本国の独立に邁進するアジアの革命家や志士が庇護を求めてやってきた。金玉均、孫文、インドのラス・ビバリ・ボースらである。
頭山は「来るものは拒まず」で、命がけで彼らを援助した。頭山はいかなる人物か、その思想と行動を一番端的に表わしているのが、インド独立の志士のボースをかくまった事件である。
◆ボース事件
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このため日本への亡命を決意。大正四年六月、インドの詩聖タゴールの来日に際してその付け人になりすまし、ピー.エヌ・タゴールという偽名を使って来日した。英国官憲は大物革命家として執拗に追及した。やがてボースの身元がバレ、日本政府へ退去命令の要求を出した。
十一月二十八月、ボースは警視庁へ呼び出され、五日以内に退去するよう言い渡された。この間の船便は上海しかない。上海に行けば、ただちに英国官憲に捕えられ処刑されることは目に見えている。「せめて米国行きが出るまで待ってほしい」とボースは日本政府へ要請したが、拒否された。
犬養毅や日印協会会長が政府に何度か交渉してもダメで、「日本の外務省は英国の手先か」とボースも憤慨した。八方ふさがりとなったボースは、頭山のところに頼みに行った。静かに聞いていた頭山は、「何とかしましょう」と答えた。ボースらはその調子があまりにアッサリしていて同情も憤慨もないので「これはダメだ」と思ったという。
期限は、十二月二日午前十時に横浜港である。このためには東京を午前七時に出なければならない。「出発せねば手錠をかけても強制連行する」と、警視総監は言明した。
三十日夜、頭山は杉山茂丸、内田良平らを呼び、「窮鳥フトコロに入るの情けじゃ。オレは断然彼らを助けてやる。彼らを隠す工夫を何とかやってくれ。その代わり、牢屋にはオレが行って座る。これならオレにもつとまる」と申し渡した。
時間は刻一刻と経っていく。一日夜、ボースらは刑事四人の監視を受けながら、頭山宅へ別れのあいさつに行った。刑事たちは玄関前で見張っていた。
午後十一時ごろになって、関係者がゾロゾロ帰るので、刑事が「ボースらは」と聞くと、「午後九時ごろに帰ったよ」との返事。青くなった刑事らが頭山に面会を求めると、頭山は「君たちはよい功徳をした。君たちがクビになっても、インドの志士が助かり、インド三億の民も助かる。たいした手がらじゃ」とホメたたえた。これには刑事も仰天した。
ボースらは、頭山家で神かくしにあったように行方不明となったのである。
革命家・亡命者に対する政府の態度を物足らなく思っていた国民は、この事件に拍手カツサイした。頭山を恐れていた警察は、御本尊にはいっさい手が出せず、出入りの八百屋や魚屋を調べた。
英国大使からの要求に対し、警察は、「頭山邸の家宅捜索など不可能」と断わった。翌年三月、石井菊次郎外相と頭山の間で話し合いがつき、警視庁の追及はやんだ。
ボース神隠しの真相はーーーーー、
新宿のパン屋の中村屋の主人相馬愛蔵が隠れ家を提供することを約束。頭山宅でボースらにトンビ合羽・帽子などを着せて変装させ、裏木戸から隣家伝いに脱出させ、中村屋の離れ座敷にかくまったのである。
◆託したアジア解放の夢
日本政府とボースとの間では了解がついたが、英国官憲はスパイや刺客を使って、ボースの行方を執拗に探索した。ボースは日本に帰化するまでの八年間、約三十カ所の隠れ家を転々と逃げ回った。ある時は、英国のスパイに殺される寸前という危機一髪の時もあった。頭山が手下を使って助け続けたのである。
しかし、いくら手下でも常時、一緒につけておくわけにはいかない。そこで、英語の達者だった相馬の長女俊子に白羽の矢が立った。頭山が俊子とボースの結婚をあっせんした。
相馬も俊子もインド独立のためにとOKし、頭山がボースの親代わりとなり、大正七年七月に頭山邸でひそかに結婚式を拳げた。ボースと俊子との間には二人の子供が生まれた。
長男が生まれた時、ボースは頭山を訪ね、名前をつけてくれと頼んだ。「名前は親がつけるものだ」と頭山が断わると、ボースは「いや、私はあの時、助けてもらわねば今日の父にはなり得ない。あなたは私の父であり、子供にとっても父だ」と答えた。
頭山は楠正成の「正」と豊臣秀吉の「秀」をとり、正秀と名づけた。命をかけて助け合ったもの同士、厚い信頼で結びついていたのだ。
頭山は、ボースら在日のインド革命家たちを援助し続けた。ガンジーはサインした写真を頭山に贈り、戦後来日したネールも亡き頭山一党に感謝の言葉を伝えた。
ボースばかりではなく、孫文の亡命でも、頭山は宮崎滔天とともに援助を惜しまなかった。大正二年の孫文の亡命では、当時の内閣は孫文の上陸を許可しない方針だったが、頭山が犬養毅を通じて首相を動かし、内密に上陸させた。
頭山はアジア解放の夢を孫文やボ-スに託し、「オレが最後に牢屋にゆけばよいのだ」という自己犠牲を実践した。頭山のアジア主義の原点は、「たとえ支那(中国)が日本の厚意に対して忘恩の行為があったとしても、われはわれだけの心を尽くしたものとして愚痴は書わぬものじゃ。愚痴という了見では、初めから他の世話をする資格はない」と大度量を示していた。
ボースは日本に帰化後、防須(ボース)・ラス・ビバリと日本名に改めた。昭和十六年(一九四一)十二月、太平洋戦争が起きると、インドに英国からの独立を目ざした自由インド仮政府が誕生。ポースは最高顧問に就任し、チャンドラ・ボースと協力してインド国民軍の祖国進軍に参画した。
しかし、こうした活動で疲労が重なり、祖国解放を目前にした昭和二十年一月二十一日六十歳で亡くなった。やがて頭山とボースの日本とインドに架けた橋は約三十年ぶりに実り、インドは独立を勝ちとったのである。
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