前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉔ 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(下)(英タイムズ)

      2015/01/01

 


『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史

日中韓のパーセプションギャップの研究

 

 


日中150年戦争のルーツは中国が冊封体制によって属国としていた

『琉球王朝』(日中両方に朝貢していた)を明治維新
後に一方的に「琉球処分」して、日本が沖縄県に編入したことが

対立の発火点なのである。

これが「壬午事変」(明治15年)「甲申事変」

(明治17年)とエスカレートして、「日清戦争」(明治27年)へ
と爆発する。

 

この三国関係の外円には西欧列強の英国、フランス、ロシア,アメリカ、ドイツ

が加わって中国、日本、朝鮮の弱小国を餌食(「植民地」)にすべく19世紀
の帝国主義的戦争、外交が繰り広げられた。

列強の最大のターゲットは中国で、フランスがベトナムを巡って清仏戦争
を仕掛けており、フランスは日本を取り込んで中国と戦争させようとあの手
このてで策謀を仕掛けてくる。
これには賢明な日本の伊藤博文、井上馨らはその手には乗らなかった。

クリミヤ戦争(1853-56)で英仏に敗れて、ロシアのトルコへの海軍の
不凍港を求めての南下政策が失敗し、ロシアは一転して、全精力をあげて
シベリアからの南下政策に転換、日本へのペリー米艦隊と
ほぼ同時に開国を迫ってやってくる。

ロシアの不凍港を求める強引な南下・膨張政策で中国、朝鮮、日本と対立、
紛争を連発し、英国も危機感から、朝鮮巨文島事件(1885)でロシアと
一触即発となった。

いちばん弱国の中国の属国・朝鮮を巡って、列強の代理戦争が勃発し、
ドイツは李鴻章の私設秘書となったドイツ人が朝鮮王宮を牛耳っているの
をうまく利用し、フランスと組んで策謀を巡らせてた。
(日清戦争後、独仏露の『三国干渉』の前哨戦)

一方、英国はアジア最大の植民地利権を死守すべく、多国間外交インテ
リジェンスを展開、抜け目のない中国・李鴻章も盛んに裏の手外交を展開し、
朝鮮王宮(大院君,閔妃の絶え間のない内部抗争)の外交は
コロコロ変わり、そのとばっちりで2度も在留邦人多数がテロで殺害され、
日本公使館も焼き討ち、襲撃されるなど、外交音痴の日本は

翻弄され続けたのである。

以下の記事は「朝鮮争奪戦の内幕、西欧列強の砲艦外交、策略と陰謀と
暗躍の外交裏面史」をえぐっており、「日中韓戦争史」を知る上では
必読の記事である。

 

 

1885(明治18)年1231日英国『タイムズ』

 

『中国,日本,朝鮮(中国の属国)の対立と戦争』(下)

 

 

そしてついに,伊藤伯爵を団長とする日本使節と李鴻章との間のさまざまな会議を経て,この問題は解決したのだ。暴動の最中に日本人を殺害した者を罰するという条項以外に.公表された取決めの中で唯一重要な項目は,将来類似の衝突を起こさないために,両国の軍隊は朝鮮から引き揚げ,朝鮮に軍隊を送り込むときには,まず相手国に連絡をしなければならないという項目だ。

 

 トンキンに関する討議の最終日に起きた事件が,このエピソードをきわだったものにしたため,ここでそれについて語っておこう。もしグラングィル卿の14か月前のフランスと中国の間の仲裁の失敗について書くことのできるときが来るとしたら,おそらくビスマルク公の,フェリー氏に対する並々ならぬ友好的態度についても説明できるようになるだろう。グラングィル卿の失敗と,ビスマルク公の彼の友人であるフランス首相が喜ぶようなことをしたいとい

うあふれんばかりの願望との間には.一見したところではわからない,深いっながりがありそうだ。

 

そして,フェリー氏の大臣としての最後の6か月は,2脚のいすに休むことの危なさを説く古いことわざの真実をまたもや証明してくれたようだ。

 こうして話は,メーレンドルフ氏の末成立に終わったロシアとの条約と彼の没落にたどりついた。彼は,中国の影響のとりでとして期待されて,朝鮮に送り込まれた。

中国と日本は,かろうじて惨事を免れたところで,将来このような危険が生じるのをどうして避けるかが今や問題となっていた。朝鮮の国王が1人で事を行えないのははっきりしていた。李鴻章は自分の私設秘書を見誤ってしまっていた。では中国は,国王に助言を与えると同時に朝鮮を中国につなぎとめておくような人間をどこに求めるべきだったのだろう?

国王の父で,李鴻章の治める地方に2年間追放きれていた大院君が,この任に選ばれ,9月に出された皇帝の勅書で彼の釈放が命令された。

勅書は,彼が捕らえられた状況と追放中に彼が不自由しないためにとられた手段を説明した後で,このたび大院君は息子の孝心による嘆願の結果,釈放されるものであり,両名は過去の誤りを反省し.「有徳の人たちと交わり.近隣諸国に親切にし,常に国を正しく治めることを念頭に置けば」(次のように勅令は締めくくられている)「国内の問題も消滅し,国外との戦争も起こらないだろう。こうして.彼らは,朕の深い保護的な配慮に値しないようには見えなくなるだろう」と述べている。

 

10月の終り,華やかな儀式の中で,大院君は中国人に送られて天津から祖国に戻った。だが,最近の報告が信頼できるとすれば,彼は祖国では息子からほんのわずかな歓迎しか受けなかった。

 

おそらく息子は,父の支配的な力を再び身近にすることを喜ばなかったのだろう。また最近朝鮮政府の仕事に就いた外国人役人たちも,中国政府から直接任命を受けている。

 

ということは,中国の朝鮮に対する政策は属国の政策に対して責任を負うのを恐れたため.滑り落ちるに任せていた朝鮮における支配権を再び取り戻そうとする方向に向けられているのだ。

 

今年までは,外国が,それは日本でも大英帝国でもアメリカ合衆国でもかまわないのだが,朝鮮で起きた不当行為に対する補償を要求するため,あるいは朝鮮と条約を結ぶために中国に話を持ちかけた場合.「朝鮮は,確かにわが属国だが,われわれは決して朝鮮の問題には介入しないし,朝鮮の行為に対する責任は一切否認する。したがって,直接朝鮮に赴いて.補償なり条約なりを朝鮮から獲得した方がいい」と答えるのが常だった。

 

朝鮮は,こうして.李鴻章の言葉を真に受けた国々によって一独立国として扱われるようになっていた。ところが.ロシアとの条約は中国を荒っぽく目覚めさせ,中国はさらに悪い事態がふりかかってこないように,朝鮮における宗主国としての義務と責任を果たすことを決意したのだ。

 

中国は.これを日本政府の賛同と支持の下に行っている。日本は朝鮮では先駆者的存在だったために.いっも戦闘の矢面に立たされ,はかのどの国よりも中国のどっちっかずの政策に悩まされてきた。

 

殺されたのは日本の臣民であり,襲撃に通ったのは日本公使館だった。日本はすべてのつらい仕事を背負わなければならなかったのだ。ここ数年,日本が朝鮮に対してどのような領土的野心を持っていたかはわからないが,そんなものを持っていたにしても,その野心は今や完全に捨て去られた。そして朝鮮に対する宗主権を真の効力のあるものにするために,中国は確かな筋によると,「日本が推奨・支持し、中国の朝鮮半島で支配権を事実上認めたことで容易になった政策を実際に追求している」という。

 

したがって,この2回は,朝鮮情勢から生じる両国に対する危険を回避するための政策をとるということでは一致している。その政策

とは,中国の宗主権を強化し有効にすることだ。この2国間の最近の条約や協約の条文中に,この目的を妨げる箇所がある場合は,日本側はこれを無視するだろう

 

こうして.極東の2つの帝国の間の困難と不信の元になっていた朝鮮問題は,東洋の政治から姿を消すのだ。

 最後に,朝鮮問題に関するイギリスの立場に触れてみたい。イギリスの最大の関心は平和にあると言われてきたが,東洋に関して言えば,これ以上適切に力強くあてはまるものはない。なぜなら,

 

東洋の交易の大半は,われわれが行っているからだ。東京と北京で公使を務めた故サー・ハリー・バークスは,晩年,朝鮮を巡って,日本と中国との間に戦争が起きるのではないかと恐れていた。彼はこういう紛争は簡単に起こすことができると感じていた。どちらの

国もそれができたのだ。だが,それがどういう結果をもたらすかはだれにも予想がつかない.と彼ならこう言っただろう。その戦争が両国の一時的利益に与える災いは,その害悪の中のほんの小さな一部に過ぎないだろう。だが永久的な取返しのつかない災いのほうは,はるかに大きなものとなるだろう。

 

このような戦争は,他の国々が自らの利益のために終わらせるだろうし,そうなれば,両国は領土を大幅に失い,将来的な防衛力さえ弱体化する可能性がある.と彼は思い込んでいた。彼が悲惨で自殺的だと考えていた紛争を防ぐために,一時期軍事力の使用を進言する気になっていたことは,あり得なくはない。

 

日本と中国が平和を保つだけでなく,国内の秩序を保つと同時に,外からの攻撃をはねのけるだけの強さと結束を持っていることは,イギリスの利益になることなのだ。われわれはグレート・ブリテンあるいはグレーター・

ブリテンとして,東洋の2つの大国が,仲よく,はかの国々から等敬されて,力強く,妨げられることなく自らの運命を進み,進歩と交易の道を歩むのを見守ることに至上の満足を感じるものだ。

 

 

 - 現代史研究 , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン/真珠湾攻撃(1941)から80年目講座➂』★『日米インテリジェンスの絶望的落差』★『ルーズベルト米大統領は、カントリーリスクマネージメントの失敗を是正するため新しい情報機関(CIA)の設置を命じた』★『一方、日本は未だに情報統合本部がな<<3・11日本敗戦>を招いた』★『2021年、新型コロナ/デジタル/経済全面敗戦を喫して、後進国に転落中だ』(下)』』

    2011/09/17  日本リー …

no image
知的巨人たちの百歳学(176)記事再録/「東洋のビール王」「大日本麦酒創業者」(アサヒ、サッポロビールの前身)・馬越恭平【88歳) 「健康10ヵ条」ー「2つの養生<体の養生と財布の養生とは怠るな>」 「四気の保持を忘れぬこと―元気、勇気、長生き(気長の意味) 、腹の落付き(沈静)の四つ」

  2015/09/16   &nbsp …

『Z世代への日本リーダーパワー史』『 決定的瞬間における決断突破力の研究 ②』★『 帝国ホテル・犬丸徹三は関東大震災でどう対応したか②』★『関東大震災でびくともしなかった帝国ホテルの建築』★『焼失した各国大使館、各メディアは帝国ホテルに避難して世界に大震災の情報を送り続けた』★『フランク・ロイド・ライトは世界的な名声を得た』

犬丸は語る。 「最初の晩は、火事が心配であった。次の夜は、暴徒の侵入が恐ろしかっ …

『Z世代のための世界現代史入門講座』(23年4月20日まで)ー『混迷する世界と「チャットGPT」●『トランプ前米大統領の裁判』●『プ―チン氏の戦争犯罪』●『習近平氏と台湾有事』●『日本の話題はWBCと大谷選手に集中』★「チャットGPT」が日本の救うのか』

  混迷する世界と「チャットGPT」   『米国+NATO+ …

no image
百歳学入門(94)天才老人NO1<エジソン(84)の秘密>➁落第生 アインシュタイン、エジソン、福沢諭吉からの警告

   百歳学入門(94)  「20世紀最大の天才老人NO1<エジソン( …

『Z世代のための日本世界史講座』★『MLBを制した大谷翔平選手以上にもてもてで全米の少女からラブレターが殺到したイケメン・ファースト・サムライの立石斧次郎(16歳)とは何者か?』 ★ 『トミ-、日本使節の陽気な男』★『大切なのは英語力よりも、ジェスチャー、ネアカ、快活さ、社交的、フレンドリー、オープンマインド 』

    2019/12/10 リーダーシップの日本 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(100)記事再録/「脱亜論」でアジア侵略主義者のレッテルを張られた福沢諭吉の「日清戦争開戦論」の社説を読む」④『道理あるものとは交わり、道理なきものは打ち払わん』★『現在の日中韓の対立、紛争は125年前の日清戦争当時と全く同じもの』

2014/06/07 /日本リーダーパワー史(510) 記事転載 ◎< …

no image
日本メルトダウン脱出法(859)「日本をもっと優秀な国にするために最初にすべきこと 卓越性、多様性、流動性をつけたければ「逆」の排除を」)●「若者のフェイスブック離れが進む“SNS疲れ”の深層」●「中国のアジア戦略が失速、日本への態度も軟化? 強硬な戦略がもたらした「不都合な結果」とは(古森義久)」●「日本株式会社:よみがえった国家介入主義M&Aブームの陰に経産省あり(英FT紙)

日本メルトダウン脱出法(859) 日本をもっと優秀な国にするために最初にすべきこ …

『ウクライナ戦争に見る ロシアの恫喝・陰謀外交の研究⑧』★日露300年戦争(4)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『ロシア皇帝・アレクサンドル一世の国書を持って、通商を求めてきた第2次遣日使節・ラスクマンに対しての幕府の冷淡な拒絶が報復攻撃に発展した』

2017/11/18 /日露300年戦争(4)記事再録   &nbsp …

no image
速報(262)★3・11から1年ー『孤立無援の中で警鐘を鳴らした河野太郎の危機のリーダーシップ

速報(262)『日本のメルトダウン』   <日本の政治家の中で、唯一、 …