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日韓併合からちょうど100年目ー蛮行の清算いまだ終わらず

   

日韓併合から100年ー蛮行の清算いまだ終わらず
『日本史を変えた大事件100」「別冊歴史読本」1994年4月号より
         前坂俊之(ジャーナリスト)

併合への道
 明治四十三年(1910)八月二十二日、日本は大韓帝国と「韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」(第一条)という〝日韓併合条約″を調印し、韓国は日本の領土と化した。

併合した夜、東京で開かれた祝宴の席で、韓国統監(後に朝鮮総督)となる予定の陸軍大将寺内正毅は「小早川、小西が世にあらば、今宵の月を、いかに見るらむ」と歌い、豊臣秀吉の朝鮮役の先陣役を務めた武将を偲んで悦に入り、この歌のあと「朝鮮人はわが法規に屈服するか、死か、そのいずれかを選ばねばならない」と述べた。
 

一方、歌人の石川啄木は「地図の上、朝鮮国にくろぐろと、墨をぬりつつ、秋風を聴く」と歌ったが、併合を聞いた朝鮮人たちは大地をたたいて慟哭し、その声が地をおおった、という。
 
 韓国側は国号として「韓国」名を残すよう希望したが、日本は拒否して「朝鮮」とした。併合によって、それまでの韓国統監府は朝鮮統監府(後に朝鮮総督府)と改称され、立法・行政・司法・軍の統帥権の一切を司る強大な権限を持って朝鮮を植民地化し、世界でも類例のない憲兵警察統治をひいた。
 
 日本の韓国併合、侵略への道は明治六年の征韓論に発し、ロシアの南進の阻止、防衛のための前線基地化と植民地化の両方が目的であった。
 明治八年に江華島事件によって朝鮮に軍事的挑発を行い、日本が欧米諸国から押しっけられた以上の不平等条約である江華条約を朝鮮と締結した。
 明治二十七年の甲午農民戦争に際して、朝鮮への武力干渉のチャンスとして清国に共同歩調を呼びかけたが、断られたため、同年七月に強引に日清戦争を開戦した。
 
 さらに日清戦争後の明治二十八年十月には、朝鮮公使の三浦悟楼、日本公使館、日本軍らと壮士の岡本柳之助らによって、朝鮮の王妃である閔妃の虐殺事件がひき起こされた。王宮に侵入、閔妃を殺害して焼きはらうという前代未聞の蛮行であったが、三浦梧楼らは裁判では証拠不十分として無罪や免訴となった。
 
 満州・朝鮮をめぐる日本とロシアの対立は日露戦争(明治三十七年)となって爆発する。韓国は局外中立を宣言したが、日本は植民地化するための要求を一層エスカレートし、日韓議定書(同年二月)、第一次日韓協約(同八月)と強制的に結び、軍事・外交・財政面での発言を強化、顧問政治をひいた。
 
 さらに、日露戦争に勝利すると、英米露に対して、韓国への日本の独占的支配権を認めさせ、第二次日韓協約(十一月十七日)を結び、国家主権の中でも最大の「外交権」を奪い、韓国を保護国化したのである。
 
 この第二次日韓協約の締結に際しては、伊藤博文が乗り込み、王宮の回りを軍隊で囲んで威嚇し、協約締結を拒絶する韓国官僚を一室に閉じ込め、暴力と脅しで無理やり署名させたものであった。実質上の併合はこの時点で既定事実と化した。
 明治四十年、オランダのハーグで第二次万国平和会議が開かれたが、韓国皇帝は使節三人を送って、日本の韓国植民地化の悲惨な状況を列国代表に訴えようとしたが、日本側が察知して、拒絶された。
 
 この事件を口実に日本側は皇帝に退位をせまり、第三次日韓協約を結んで、司法権を奪い、軍隊も強制的に解散させたものであった。
 日本のこうした植民地化への実行に対して、韓国では激しい抵抗運動が起きた。各地で義兵運動を中心とした民族運動が燃え上がった。
 
 明治三十九年から同四十四年までの五年間にわたって、愛国的農民や武装反日部隊によって組織された義兵たちは日本軍と約二千八百回にわたって戦闘を交えた。義兵への参加人員は十四万人にのぼったが、日本軍や憲兵も大々的に弾圧し、約一万八千人の義兵を殺害し、約二千人を逮捕した。
 こうした一連の経過の中で、日韓併合は行われたのである。
 
苛政の実態
 併合後、朝鮮総督は司法・行政・立法の三権を握り、士皇帝と呼ばれた。その士皇帝となった寺内総督は、徹底した武断政治を行った。軍隊と憲兵の武力を背景に、朝鮮人民を力で押えつけ、一切の政治結社を解散させ、政治的集会や講演会、演説会も禁止した。言論・出版・結社の自由も奪い、御用新開以外、朝鮮人による新聞発行・図書出版を禁止した。
 
-およそ近代法とはいえない「朝鮮苔刑令」を朝鮮人に限って適用した。「三カ月以下の懲役、拘留に処すべきもの」「百円以下の罰金、科料に処すべきもの」や「朝鮮内に二足の住所を持たないか、無産者」に対して苔刑が行われた。受刑者を刑板にしぼりつけて、口に布をあて声が外にもれないようにして督部を露出して三十回打つという残酷な刑罰だが、実際は百回近く打って不具者や死亡者が統出した、という。
 
 総督府は朝鮮農民から土地を収奪するため、明治四十五年から大正七年(一九一八)にかけて大規模な土地調査事業を行い、全農地の約四〇%を取り上げた。識字率の低い農民に短期間での複雑な書類作成、手続は無理なのを承知で土地の収用が目的であった。
 
 取り上げられた土地は東洋拓植会社を通じて日本人に安く払い下げられ、全山林の五〇%以上も日本人の所有にしてしまった。土地を失った朝鮮人は小作人や流民となって、日本や満州へ流れていった。
 長い圧政の中で、朝鮮民衆の民族運動の高まりは内部で蓄積されていたが、第一次世界大戦、ロシア革命など民族自決運動の世界史的うねりの中で、一挙に火を噴いた。
 
日韓併合から約十年経った大正八年三月一日の三・一運動である。この日ソウルで「独立万歳」を叫んだ犬のデモが行われ、「朝鮮国が独立国であり朝鮮人が自由民であることを宣言すゑ」との独立宣言が読み上げられた。朝鮮各地で一斉に独立万歳を叫ぶデモが起こり、満州、中国、アメリカにも広がった。参加人員は約二百万人にものぼった。
 
 これに対し、総督府は陸海軍を動員し、激しく弾圧し、約七千五百人が殺され、一万五千人が負傷し、逮捕された朝鮮民衆は四万七千人を数えた。
 
 この三・一運動は武力で封圧されたが、日本側に大きな衝撃を与え、それまでの武断政治を一部緩和し、文化統治を掲げたが、内実はより巧妙な植民地支配に切り換えた。朝鮮総督の武官制を文・武官制にかえ、「朝鮮日報」などのハングルの新聞の発行を認め、憲兵警察を普通警察制度に転換した。しかし、植民地支配の本質はかわらなかった。
 
 日中戦争(昭和十二年=一九三七)が開始されると、それまでの同化政策は「皇民化政策」に発展し、「創氏改名」が実施され、民族固有の名前は一切禁止され、日本名をつけることを強制した。日本は朝鮮と一体であるという「内鮮一体」「日鮮同視」のスローガンのもとに皇民化政策が推進され、昭和十四年の国家総動員法によって、約八十万人の朝鮮人が強制連行され、炭鉱、鉱山、工場で苛酷な労働に従事させられた。女性は従軍慰安婦としても動員されたのである。
 
 日韓併合より三十六年。昭和二十年八月十五日の第二次世界大戦の終結、日本の敗北によって、やっと朝鮮は解放された。しかし、新たな分断と困難が立ちふさがった。
 
 北緯三十八度線を境として、南北に分断されたまま、現在に至っている。日本の朝鮮支配の影響、清算は今だに尾を引いているといえよう。   

                                 (前坂俊之)

 

 - 現代史研究

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