高杉晋吾レポート④ ギネスブック世界一認証の釜石湾口防波堤、津波に役立たず無残な被害③
2011年3月24日
ギネスブック世界一認証の釜石湾口防波堤、津波に役立たず無残な被害<仮説河川・海に巨大構築物建設の危険性を問う>③
[地球の結論「巨大構築物で地球活動を止めるなど空想は止めよ」]
高杉晋吾(フリージャナリスト)
国交省の海難防災課の角氏はこう電話でコメントした。
「空から見ただけだが、釜石防波堤が一部沈下していた。湾口防波堤が、津浪から守れなかったということだが、津波の想定の高さを超えており堤防に掛る外力が設計した想定を超えていた。しかし、普通の風波による害も守っているので、湾口防波堤はなくてもよいとは言えない。全く作らないということにはならない。」
こういう場合、必ず出てくるのは『想定を超えた地震災害津浪だった』というせりふである。人間の想定と地球の起こす現実との食い違いは『孫悟空とお釈迦様の手のひら』の違い以上であろう。チリ津浪などの巨大津波に対して百年持つという宣言をして湾口防波堤賛歌まで作ったのに「普通の風波被害を守っているから良いんだ」、などと云いだすのでは、私のお天気男のホラと同じレベルで、かなりお粗末だが、このお粗末さはダム建設の場合の日常的な現実であり、八ッ場ダムでの高水論争と云う屁理屈のコネ合いも同じことなのである。
私は角氏に聞いた。
「それでは湾口防波堤は今回の地震と津波防止ができなかったのだから、さらに大きな地震や津波に備えて湾口防波堤をさらに巨大なものにするとか、沖合に更に二重の湾口防波堤を作るという考え方があるのか?」と。
返事は、またしても「検証が必要」である。
地球は厳然たる事実を証明、人間の巨大施設は地球活動を誘発
以上の状況は何を物語っているのだろうか?
第二に、事業管理者や一部学者らは、その有効性を証明したいためにいろいろと湾口防波堤を弁護する立場で発言をしているようだ。弁護者らは、弁護の論理として、「湾口防波堤があった場合」と、「無かった場合」を比較して、どちらの被害が大きかったかを比較して検証しなければならないという論理である。
第一の目的が崇高であるということについては『その通りであろう』と考える。
だが、其の崇高な目的が実際には巨大な湾口防波堤は惨憺たる大被害と云う結果だけを残した。
第二に、湾口防波堤が「あった場合」と『なかった場合』の被害比較によって検証することなどは、「できるはずがない無理難題」の提起なのである。
この検証をやるためには次の条件が必要だろう。まず「今回の津波の事後測定」を行ない、動かすことができない津波の実態と被害の定量的、定数的実態を明らかにする。
次に「湾口防波堤を取り払って、湾口防波堤がない場合」を創出し、「さあ!今回の津波と同じ規模の津波さん来てください」と云って津波に来てもらい、双方の比較をするしかない。
皆さん、こんなことができると思いますか?
連戦連敗を招く空理空論合戦「高水論争」
できるはずがない実証実験を提起すること自体が巨大構築物を作りたい連中が考え出した浅はかな策略だろう。私は八ッ場ダムの高水論争を『ダムを作りたい連中が反対運動の浅はかなリーダーに仕掛けた罠、つまり猫じゃらしである』と云っている。猫じゃらし遊びを果てしなく続けても反対の効果はゼロ、推進側にとっては反対の効果がなく、反対のガス抜き効果はある。
ダム推進にとっては、痛くも痒くもないのだからありがたいことこの上ない。こうした罠で空理空論の猫じゃらしが果てしなく始まるのである。
こういう誤った仮説を前提にした論証とデイベートは成り立つはずがない。あえてやれば、至って現実離れし、かつ下らない空理空論の空中戦にならざるを得ない。結果は、今回証明され、空理空論は一瞬にして消し飛んでしまった。
空理空論の結果が住民や地域の取り返しのつかない危険を齎さないならば、遊びだったと笑って済ませる。しかし『地獄への道は善意で敷き詰められている』という言葉があるように善意の結果が釜石の悲劇を招く。それは絶対に避けるべき道なのである。
大量生産、大量消費のためのダムづくりの論理
「無駄な抵抗をやめよ」という言葉がある。災害をなくすという目的は崇高なものである。しかし、それが地球活動に巨大構築物で対抗しようという論理の誤りを正すことにはならない。それは企業が鉄やセメントを供給したいための論理であって、有害無益な結果を齎す。一言でいえば崇高な目的で造られた巨大構築物は地球活動の前には、巨象の前の蟻の抵抗ですらないのである。
偉大な自然の前に、人間の考える枠の中で『巨大な構築物』を造って『自然の害に逆らう』と云う人間の営みは、産業革命以来の近代化の中で大量生産、大量消費、大量廃棄というシステムを作って営々と行われてきた。その生産の動力を作り上げてきたのがダム建設によるエネルギー創出であった。そのエネルギー創出は原発につながっている。背後では鉄やセメントの膨大な素材提供とゼネコンによる談合と云う利権エネルギーこそが巨大構築物建設の張本人なのである。
大量に生産し、大量に消費することによる膨大な利潤の創出の目的で水力発電が社会システムのインフラとして、社会のシステム化された。其の大儀名分として公共事業があり、下流の利益《都市の利益)のための上流《山村過疎地》の犠牲論がある。
その理屈の出発点は、これだけの洪水があるから、これをカットするためにこれだけの規模のダムを作ろうという〔高水論〕であり、それに過大か否かという数字と理屈で立ち向かう高水論争がある。
この論争は水掛け論でしかない。果てしない論争は財界と政界の味方として裁きを下す裁判官の結論による『ダムをつくる』という結果を導き出す。いくら抵抗しても無駄な論議が延々と続く。結果は見えている。政官財の土俵で冷笑を浮かべた行司が出す結論は、きまっている。ダムは必要と云う結論である。こういう抵抗を私は「猫じゃらし遊び」だと云っているのである。
根本的なことは、自然と地球に対する人間の巨大構築物による抵抗は『無駄』の一言で終わる。つまり巨大地震と巨大津波によって『巨大ダム』も『高水論争』も一瞬にして消し飛んでしまう。以下、森武徳氏『脱ダムここに始まる』を見てみよう。
「脱ダムここに始まる」森武徳(もりたけのり)著
1960年、森武徳氏は下筌(しもうけ)ダム反対闘争の訴訟代理人庄司進一郎弁護士から訴訟代理の仕事を手伝いながら全面的に一任され、蜂の巣城闘争の現地に張り付いて、法律関係一切の面倒をみてきたひとである。
「計画高水量というのは、(高杉、国交省の)河川治水計画一切の基本となるもので、(高杉、森武徳氏の蜂の巣城闘争の体験によれば)筑後川計画では長谷地点で毎秒8500立方メートルと決定された。
ところが、その直前1956年(昭和31年)10月15日付けの九州地方建設局計画書では毎秒9000立方メートルであった。(高杉、僅かに一年半の間に科学的であり変化のないはずの計画高水量が500立方メートルも少なくなっていることに注目)。
更に、『昭和28年6月下旬水害に関する夜明けダム調査結果報告書』では、最大洪水流量が毎秒9000立方メートルから10000立方メートルであった』としている。」
「特定の河川で最大洪水流量と計画高水量とは、過去どこでもイタチごっこを繰り返している。最大洪水流量にあわせて計画高水量を決めると、それを超える洪水流量が発生する。そこでそれに合わせて計画高水流量を上方修正する。するとまた:::。」
「実際には計画高水流量に基づく治水策が完了したことはないし、洪水は、社会的環境の変化によって、集中豪雨が増え、河川への流出量が増し、流出速度が速くなったりして、最大洪水量が増えはしても減ることはない」
「最大洪水流量は放っておくと、無限に増え続ける。地表の状態が森林原野から畑、水田、宅地と変わり、建物の屋根は草類から瓦ぶきへ、道路は砂利敷きから舗装へ、建物は木造からコンクリートへ変わるたびに降雨の河川流入量が増え、その速度も速くなる。また蛇行した河川をショートカットしたり、ダムなどの構築物を設けたり、霞堤や無堤で存した自然遊水池を連続堤にして失わせたりすることで、河川容量を人為的に減少させた」
(高杉コメント)
森氏は国交省などが提起する高水量は社会構造が変化すると変幻自在であると指摘し、その関係は「いたちごっこ」だと喝破している。つまり住民が災害から命を守りたいという願望を利用して鉄とセメントを投入する利権、しかしそれら素材を投入して巨大構築物を造った結果は、必ずその想定を超えた地震が起き、津波が起きる。想定と災害はいたちごっこなのである。自然の状態での流量に対応して巨大構築物を河川などに作れば、それを一挙に超えた災害が発生する。この関係は釜石市災害でも同様である。
東北関東大震災と大津波、日本が乗っている
二つのプレートの押し合いの均衡を破ったものは?
こういう森氏の指摘にあるダム災害の現実的な被害と、実際の戦いの中から生まれた方向性の的確さを我々は正しく受け止めるべきではないだろうか?
この川辺川周辺の方々の指摘とともに、淀川水系流域委員会の二人の前元委員長今本博健氏、宮本博司氏らも高水論争に対するかなりはっきりした批判を加えている。
一方、私は拙著「谷間の虚構」(p88―で92)で河川中に設置された巨大構築物が地震を引き起こす実例を上げた。これはすでに学界でも確立した実例であり、周知の事実である。
私の仮説であるが、この実例は河川でなくても、海中の巨大構築物であっても例外ではなかろうと思う。河川ではなく海中の巨大構築物が地震を起こし、津波を引き起こすという実証はなされていないかもしれないが、(有ったら御教示願いたい)巨大構築物が自然に影響を与えるであろうというのは仮説としては成り立つだろう。
以下、素人の仮説である。 宮城県沖の太平洋プレートは1年で10センチ程度、日本の本州が乗っている北アメリカプレートの下に東北沖で東からギシギシと押されて西側下に潜り込んでいる。
其の二つの巨大なプレートの押し合いを相撲に例えてみよう。
二人の巨大な力士が押し合っているが、二人の力量は均衡してなかなか動かない。しかしつぶさにみると、東側の力士は、最初は西側の力士と顔を合わせていたのに、次第に頭を西側力士の咽首から胸に沈めて行っている。こういう光景を思い浮かべていただきたい。
ぎりぎりの力の均衡があるので両力士は目に見えるようには動かない。しかし仮に誰かが、この均衡の一方に加担して、かすかな力であっても、ちょいと突いたらたちまちこの均衡は破れてしまうだろう。ギネスブックも保証した世界一の超巨大な海中構築物・湾口防波堤がこのぎりぎりの力の均衡の場所に作られた。二つのプレート力士の均衡は破れたのではないか?
宮城県沖ではこの大地震と大津波が37年に一度発生している。東西力士の押し合いの均衡はちょっとした均衡破りがきっかけで破れるのである。まあ素人のたわごとと云って笑って済ませていただいても結構だ。しかし巨大ダムは地震を起こすというのは素人ではなく専門家の定説なのだ。
世界と日本の主なダム災害
ダムがなぜ地震を発生させるというのか?それには三つの要因がある。
①震源付近にある基礎岩盤の岩石の不連続面、断面などの水圧がかかり、その水圧が原因となって地震が誘発される。
②地中深くに浸透した水によって乾燥状態の岩石が湿潤状態になると、小さな水圧が加えられてだけでも岩石が壊れてしまうような状態になる。
③岩石の不連続面を通して水が浸透すると、その不連続面に沿って、岩盤が滑り、地震が起こりやすくなる。
いろいろな要因があることは確かだが、共通しているのは、巨大構築物が造られていること。色々な要因によって地震が発生しやすい環境が作られたり、別の原因で起こった地震の影響を受けやすい環境が作られることである。そのことは今日では否定できない。
(つづく)
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