梶原英之の政治一刀両断(8)『政治空白はなぜ続くかー電力業界が仕切り屋の座を下りたからだ』
梶原英之の政治一刀両断(8)
『政治空白はなぜ続くかー電力業界が仕切り屋の座
を下りたからだ』
を下りたからだ』
梶原英之(経済評論家)
●小沢氏が出てくるのは分かっていた
民主党の代表選挙ほど国民の期待と離れた政治現象はない。いまさら<政治>と呼ぶことはないほどである。
この「一刀両断」がアップされ読まれる頃には代表選が行われ新首相が生まれているだろう。しかし誰が新首相になろうと同じなのだ。3・11以後を<政治空白>といい、菅時代の<空白>を脱するため代表・首相を選ぶのが代表選の目的とすれば確実に失敗し、訪れるのは一層の<政治空白>でしかない。
小さな理由を挙げれば仮に小沢氏推薦の海江田氏が首相にならなくとも民主党は小沢氏の顔の影響力の下で国家の危機に対応せざるをえないとバレてしまったからだ。
しかしもっと大きな理由がある。バブル崩壊以後の政治や経済は東京電力を筆頭にする電力業界が方向を決めていた。ところが3・11の<先進国初の原発大事故>で、電力業界は”政治”にその存在の形を決められる立場になったからである。政治家にとって見ればお伺いを受ける先がなくなったからである。例えば衆議院解散の時期である。政治献金はもちろんだが、電力会社は地域の選挙情勢の精通している。コメの作柄、収穫時期など送電線見回りの時に見ている。各産業の景気は電気メーター通りである。
しかし今後は国民の放射能汚染の予想外の広がり、原発への拒否感から、電力業界は自分が生き延びるのが必死で、政治家に指示できる力は失った。
●場当たりとヤミクモ。お先真っ暗だ
それにしても代表選と国民の乖離はひどい。今回新首相とマスコミの蜜月期間はないだろう。マスコミはそろって菅下ろし一色の政治報道をしたが菅辞任表明(8月26日)から後の論評にまったく新首相待望がない。小沢が顔を出した途端、それまで菅下ろしに熱中していたマスコミは民主党に嫌気が差したのだ。これはあまりに、近眼的時評である。
菅が辞めれば、小沢氏は復活するのは眼に見えていた。6・2の内閣不信任案失敗の裏はその予行演習だった。菅の脱原発くらい評価しておけばよさそうなものだが、そうできないマスコミの事情もあったのだろう。場当たりの政治をヤミクモに批評した。お先真っ暗とはこのことである。
●政治家は短命覚悟だから外交が出来る
代表選に入っても、テレビでは他に言うことがないから、日本は首相の在任期間が短いから外交で甘く見られる。長く持つ首相が欲しい、といったこの一年はやった床屋政談で番組をまとめていた。
日本はリーダーが短命な国なのだ。
明治憲法以来、日本の首相の在任期間は短かった。伊藤博文は四回首相になったが内閣の寿命の最長記録は日清戦争を戦った第二次内閣の四年と二十日。しかも連続しての首相在任はない。伊藤にして明治政権の難局を解決する大仕事をしたあとは却って国内、閣内の対立が深まり、その都度陰に隠れざるを得なかったのである。
●ギリギリの外交に成功した鳩山、田中角は短命政権
戦後は外交に尽くし長期政権だったのは吉田茂だけだ。敗戦後の首相候補は幣原喜重郎(戦後首相になった)、芦田均、重光葵など英語が出来る外交官から選ばざるをえなかった。選択肢が少ない中で吉田茂は英国大使だったり東条英機の引き摺り下ろしに協力するなど重光、芦田に比べGHQに受けのよい経歴だった。
長期政権で外交に力があった例として必ず引き合いに出されるのは佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎だが、米国大統領に接近し得えたから外交上手といえるのか。国益を米国に絡め取られただけではないか。
一方鳩山、田中は米国に嫌われがちな外交課題に突破口を開いた。日中国交あ回復で戦後外交の滞貨を一掃した田中角栄は連続して二年五ヶ月政権を担当したが第二次内閣第二次改造まで四度改造した。党内が大揺れで無理が祟って短期政権だったのである。鳩山一郎の日ソ国交回復は政権どころろか残り人生が短い不安から、シベリア抑留者の早期帰国だけは果たそうと考えたのである。を急いだ捨て身の交渉が実ったのである。
戦後十年たってもソ連に捕われている数万人(人数は今も不明)を帰国させることに米国は冷淡だった。日ソ平和宣言の出来栄えは、抑留者の帰国との取引だったのだから仕方のない面が多いのである。苦しい外交もあって、鳩山政権はほぼ二年だった。
●外交は政治家の勉強でしかない
鳩山、田中の二人は首相になった時、歴史にないほど国民の期待が集まっていた。そのエレルギーが外交力であった。外国首脳と知り合いだからといって外交に成功しないのである。
つまり政権が四、五年続かないと首脳外交で力がないというのは、米国一辺倒の評論家や元外交官がいうことだ。われと思わん政治家が外交に識見を持つことは、いつの時代も本人の勉強である。
●人気がない人が首相になる民主党というシステム
この四月に上梓した「日本経済の診断書」(PHP)で「暑い時の暑苦しい代表選挙」と昨年の代表選挙での小沢氏を批判した。代表戦で勝って小沢首相が誕生。政治をすっきりさせるべきだったのだ。小沢氏が菅氏に負けたのは、小沢氏が代表、首相に向かって本気でなく、全力を尽くしたと思えなかったから批判した。
首相の責任を負わずにキングメーカーだけを続けたいとして”政治工作”を続けられては、政党内閣制度が不朽化する。首相にあらかじめ国民的な期待、人気がない人がなるのだから外交力などありえない。
●しかし長期の<政治空白>には別の理由がある
しかし、3・11で始まった<政治空白>は民主党政権が終焉し、政界再編が行われても十年くらいは続く可能性がある。今回の首相選びは国民の「気付き」を早めただけだ。日本政治は大きな病気にかかった。
その政治に降りかかった理由は、フクシマの原発事故、放射能汚染の影響が日に日に深まり、終わりのない戦いであることが国民に分かってきたからである。
皆いきさつを越えて、国家が長期の撹乱要因を抱えたことを正直に語るべきだ。東京電力自身が、六月末の株主総会の頃には、放射能の被害と福島県民の生活被害がこんなに大きいとは考えていなかったハズである。除染、農作物の汚染はあと一月でモット広がる。数値の話でなく社会にこんなに負担になり東電の存在に関わるリスクだと東京電力自身は考えていたのかどうか。話すだけのプライドを持って欲しい。
資本主義で自由主義の国では、ソ連のチェルノブイリとは比較にならないほどの生活撹乱→→政治破壊要因になるのだ。
社会主義国家にして原発事故は国家を分裂させた、いわんや資本主義国家にしてである。
バブル崩壊以後の政治や経済は東京電力を筆頭にする電力業界が方向を決めていた。それが<先進国初の原発大事故>で、電力業界は一転その存在を政治に決められる立場になったからである。そして日々、電力業界の損筒の基盤は悪化しているのである。
●この株価で電力業界は持たない
電力会社の株価は事故前のざっと十分の一である。東電は事故の補償そのものだが、後の電力会社は原発を持っていることのリスクが株価に顕われ、そして長期間続く情勢である。電力会社は技術の塊ではない。資本の塊である。長期に低い安定した資金を得ることが永続の元である。それが競争であることは松永安左エ門が云い続けたことである。
しかし十分の一の株価が続くのでは、続かない。長期的な手は一つしかないのだ。原発部門を国が買い上げる。株価の正常な電力会社を再生させるために、株価が安いうちに原発リスクを国があい上げ、原発・発送電公社を作るしか日本に安定した電力供給を続ける手はない。
ところが、その時国民は事故を起こしたペナルティーとして地域独占をヤメロといったり、国は何十年後かには原発を増強する計画だろうとか、原子力学者の処遇の意味は・・・とか色々要求する。それを片付けるのが政治なのだが、永年の習慣で電力業界にお伺いをたててきた政治家と官僚は思考停止になっているのである。
この惨状を前に、国民がこの際文句をいうのは当然である。 いまの民主党にも、次の解散で政権に返り咲くかもしれない自民党にも政治としての思考力を取り戻して、電力の再編に成功させるエネルギーはない。よって<政治空白>は長期化するのである。
●電力会社に気力ないだろう
そこまで電力業界が政治に影響力を持ったのが<裏金><接待攻勢>の結果だったと話をしているのではない。電力業界がその程度の存在であれば筆者も長期の<政治空白>などを予想しない。
たしかに電力業界が定期修理後の原発再開で、裏側の力を使ったのは九州電力の玄海原発や北海道電力の泊原発で見たばかりである。
九電が県会議員にカネを配ったり、やらせメールのお膳立てをしたのは事実だ。しかし再開はこの数年の収益と電力供給のための議論だ。ここで話すのはもっと長期の話だ。(といって泊の再開が時宜を得たといっているのでもないが)
●佐賀県に年六十五億円
二十八日の朝日新聞には九州電力は佐賀県関連の三つの事業に年間合計六十五億円の寄付をして、突出していたと出ている。地方政治と電力業界の関係の氷山の一角である。これは裏のカネではない。佐賀県にしてはこの「寄付」がなければ事業(県政)が出来なかった。企業で云えば資本金のようなものである。
●税金だけでは回らない国
日本は税収以上のことを国家がしないと、やってゆけない国だった。そこで政治、行政にその時代の金持ちを必要とした。
●バブルの崩壊が電力業界を浮上させた
政治、行政の資金不足を補った代表的な組織は銀行、証券、土建だったがバブルの崩壊でこの三業種はその力を失った。
しかしバブルの崩壊後、政治や行政の資金不足を補えるのは九電力会社(いまは沖縄を含めて十電力である)がつくる電力業界だったのである。
地方政治にも関係がある選挙マシーンとしても電力しかなかったのである。電力は発電所、電信柱を発注し建築、土木業界に大きな影響力がある。
しかし電力は地域独占を認められている公益事業である。一つ間違えば、多くの特権を失い普通の事業会社に転落する危険を身を持って知っていた。
●平岩会長の「共生」思想からエコが生まれた
そこで智恵を発揮して日本の原理を大きく変えたのが経団連会長だった平岩外四である。筆者は当時財界担当記者だったから、この眼で見ているが、平岩会長はあたらしい経済の原理として「共生」というスローガンを作った。
共生とはバブル崩壊で迷惑をかけたが財界も新しい原理で再出発するという再生のスローガンだった。その内容は①環境②経済界のメセナ③自民党への政治献金とりやめだった。
この政治献金の問題は、自民党の凋落を招き政治の流れが小沢氏に大きく傾いたのも事実である。
●<環境に良い原子力発電>こうして作られた
あれから二十年。最も効果的だったのは日本の政治、行政に「環境」を持ち込んだことだった。すでに環境庁もあったが、公害問題の処理で渋々つくったようなものだった。環境環境とうるさい記者や評論家は警戒されていたのである。スリーマイル事故以後の反原発運動も財界には忌避されていた。その環境派を最大限、経団連の発想の中に取り込んだのである。
この結果<原発は環境に良い>というキャッチフレーズが大手を振って歩き始めた。
公共事業からバブルの刻印を消したのである。環境、エコという葵のご紋があれば霞ヶ関の官庁街で大手を振って新規事業、予算要求の名目となった。
しかしエコムードを作るためには、マスコミの動員、審議会の設置、NPO運動など国民運動を起こす資金が税金以外から必要だった。環境の名の下に官庁の外郭団体がいくつ作られたか分からないが、その後官僚の天下り先になったのは云うまでもないが、電力業界の寄付などが元になければ存在しなかったのである。電力業界が人手を提供したことも大きな要因だった。
●エコ国民運動を巻き起こした電力マネー
エコは国だけではない。地方行政にも恩恵は大きかった。環境に良いというお墨付きがあれば公共事業も続けられたのである。環境がよすぎてクマやシカの方が自動車より多い地域で高速道路が出来たのは、エコだったからである。グリーンツーリズムには国の支援が当然となったのである。
そして電力会社にとって「環境によい原子力発電」という観念を国民の頭に埋め込むことに、成功したのである。
3・11が壊したのは、政治の周辺にある組織への電力業界の出資である。八月になって東電が賠償原資をつくるため保有するKDDIの7・9%を売却するというので総務省は大慌てと言う。資本金の形が違ったらNTT対KDDIという競争の形が変わってしまうからだ。
佐賀県の六十五億円だけではない。立地県だけでもない。電力のカネが多くのところで狭義の企業収益以外で使われているのが当たり前の国になった。
●いまの政党には電力大手術は出来ないようだ
脱原発に向けても、電量が持っていた政治力の元を解明、解きほぐさなくては電力の安定が危ぶまれるのだが、そんなエネルギーは政治になく、電力会社にもない。
再生エネルギー買取法案こそ、この電力会社経営の安定を前提にしている、ことに留意すべきだ。
●独占企業は本業外にカネ使えるのか
東京電力は三十一年ぶりの電力料金アップを申請すると報じられている。「総合原価主義」に基づき経済産業省が査定するのだが、三十一年間にわたり政治献金、宣伝費とか、他産業への出資など電力と関係ないマネーの流れを政府は国会に報告すべきである。
競争がない、宣伝の要らない独占企業がそんなカネを適法に使えたのか政府は責任ある判断をすべきだ。
一方アナリストとか証券業とか、みずほ銀行(旧興銀)のように電力業界の資金調達で儲けて、その経営内容を見てきた“プロ”は、電力業界の株価はどうしたら経営継続可能な価格にもどるのか、その本気の見通しを国会で説明すべきだ。今の国会議員などそういうことは、各“プロ”は命がけで見通しを述べなくてはならない。
●結局、解散で国民の真意を集約するしかない
筆者が衆議院の解散を急げというのは、こうした(人により違うだろうが)時々刻々骨身に浸みてゆく学習効果を、政治に表現するのは何回かの解散、選挙による民意の集約でしかないからである。
( 敬称略)
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