<日中韓三国志・新聞資料編>『台湾出兵』(1874明治7年)についての英『タイムズ』報道』<尖閣列島問題の参考記事>
2015/01/01
<日中韓三国志・新聞資料編>
『台湾出兵』(1874年・明治7年)についての英『タイムズ』
の報道』<尖閣列島問題を考える歴史参考記事>
の報道』<尖閣列島問題を考える歴史参考記事>
前坂俊之(ジャーナリスト)
台湾出兵(たいわんしゅっぺい)は(1874・明治7年)に明治政府による台湾への軍事出兵である。日本にとっては最初の海外派兵である。牡丹社事件(ぼたんしゃじけん)、征台の役(せいたいのえき)、台湾事件(たいわんじけん)とも呼ばれる。
1874年7月31日付、英「タイムズ」
日本の台湾遠征 臨時通信員記事、長崎.6月1日
台湾から帰還したばかりの高砂丸(元ぺニンスラ・アンド・オリエンタル汽船デルタ号)によって.日本の台湾遠征の5月27日現在における進捗状況に関し、以下のようなニュースがもたらされた。
おそらく貴紙の読者の興味をひくものと思う。しかし.詳細を述べる前に.遠征の初期の諸段階について.また,遠征開始当時日本を悩ませていた問題についてひと事触れておくのが適当だろう。
さらには.諸外国の公使によって日本の方針に差し挟まれた異議についても触れておくのがよいだろう。というのも.彼らの異議は日本のこのたびの企てにとって.また,日本が西洋列強から得たばかりの信用にとって致命的なものになりそうだと.ひところはそう思うわれたこともあったからだ。
私が日本に住むようになってから7年が過ぎたが,その間にこの国では数々の仰天するような変化やある程度の進歩があった。しかし,疑う余地のない失敗もいくつかあった。そうした失敗の故に.日本は外国からおそらくたいした同情も示されないまま、ただ独り苦しんできたし.今もなを苦しみ続けている。しかし,このたびの台湾遠征に関して言えば.日本に浴びせられた非難は当を得ていないように思われる。
日本が外国から反対されるなどは全くとんでもない話だ。あらゆる文明国は.たとえ物質的な援助は無理にしても精神的な支援は与えてしかるべきなのだ。それというのも.日本の目下の遠征の目的は,台湾の野蛮人によって虐殺された日本臣民の恨みを晴らすことにあるからだ。彼らは.難破して台湾の南岸に打ち上げられた外国人を過去から現在に至るまで機会あるごとにことごとく虐殺してきたのだ。
昨年,判事が外交使節として北京に赴いた目的の1つは.台湾の南東岸で難破した日本船の乗組員約50人の虐殺に対し補償を要求するところにあった。ところが.同島のその部分は中国の管理下にはないので.その地域に関する要求は台湾に直接行ってほしいというのが副島に対する返答だった。
それ以来,台湾遠征は常にあり得べきこととなったのだ。日本はル・ジャンドル将軍という台湾通の顧問を擁していたので,遠征問題が忘れ去られたり必要な準備が不十分にしかなされなかったりするようなことはまずあり得なかった。日本はいざ出陣という段になるまで意図を隠し通したし.真のもくろみの代わりに朝鮮遠征のうわさが広まるのを放置し続けたが,それは責めるべきではないだろう。
というのも.折あしく今年の早春に佐賀で反乱が起こり,政府軍はそれに対処しなければならなかったから,無分別で不手際なこの反乱が鎮圧されるまで台湾に関してはなにもできなかったのだ。しかし.反乱の平定後.本来の計画の遂行に対する誘因は以前にも増して大きくなったに違いない。
なぜならば、不満を抱く臣民にとって外敵の征伐に出かけることほど格好の仕事は見当たらなかったからだ。しかし.ただ1つ悔やまれたのは.台湾の気候を考えてみるとき季節が都合の悪いほうへ向かいっっあったということではあるまいか。同島南端への上陸にとって都合のよい季節風はすでに吹きやもうとしていたし.下手をすれば仕事がなしとげられる前に台風シーズンが到来するおそれがあったのだ。
にもかかわらず日本は計画の遂行を決意し.本年4月.台湾への遠征に最も便利な長崎に兵を結集させ始めた。ところが・そこにきて彼らに難儀が降りかやゝった。それも,ほとんど予想だにしなかったようなところから。
外国の公使たちが,日本は中国が台湾の蛮人に対する管理権を否認したと言っているが,日本のそのような説明は納得できないと言い出したのだ。イギリスおよびその他の国々も,台湾で行われた自国民の虐殺に関し中国に補償を要求したとき.同じような否認の弁を中国から幾度となく聞かされているにもかかわらずだ。
そして,日中間に生じるかもしれない紛糾といった難題を持ち出し.他の国々が即刻行動をとるようなことをなんの通告もなしに.自国の民と名誉を守るために日本はいかなる権限に基づいて行動をとるつもりかと詰問したのだった。
こうしてイギリスおよびアメリカの公使たちは.きたるべき遠征に両国の臣民が加わることを禁止する命令を発するに至ったが,アメリカの場合この禁止令は,主要な外国人顧問-元アモイ駐在アメリカ領事で台湾ではその名をとどろかせているル・ジャンドル将軍と,アメリカ海軍では文句なしに有数の切れ者将校であるカッセル大尉-の手を引かせるという意味合いを持っていた。
しかし,この公使命令の影響力はそこにとどまらなかったように思われる。というのも.台湾に兵員を運ぶために日本が行った外国船の用船契約のうち最初の2件-ヨークシャー
号とニューヨーク号-がキャンセルされてしまったからだ。これに加えるに.自前の輸送船のうちの1隻は耐航力に欠けることが畏繊到着後に判明した。そのようなわけで.自国の岸を離れる前にすでに.どう見ても日本人は完全に失敗するだろう予想された。
集合基地は台湾の南西にあるリャンキヤウ(恒春)湾こするとあらかじめ決められていた。同湾に最初の船団が到着したのは5月の10日から11日にかけてだろた。石炭を補給するためにあらかじめ基隆こ立ち寄った艦隊は目的のものを難なく手に入れたが.アモイに寄港した輸送船団は補給品をそれほどたやすくは入手できなかった。アモイでは水先案内人が,もし日本人に手を貸せば投獄すると領事から脅されたりもした。
リャンキヤウいう村で上陸がつつがなく行われ.海岸にキャンプが設営された。日本隊はボートの賃貸料を気前よく支払ったので近隣の中国人は進んで彼らに手を貸した。
西郷従道将軍がデルタ号で到着するまでは.たいしたことはなにも起こらなかったようだ。
しかし.5月22日.彼の船が投錨するやいなや.中国のコルベェット艦が砲艦を引き連れて姿を発した。大砲を突き出したコルベット艦の乗組員は全員が部署につき.すぐにでも戦闘ができるよう準備万端を整えていた。デルタ号に乗り組んでいたヨーロッパ人数人は中国艦の準備のほどを目にすると.砲撃されるに違いないと瞬時に予想した。
しかし.5月22日.彼の船が投錨するやいなや.中国のコルベェット艦が砲艦を引き連れて姿を発した。大砲を突き出したコルベット艦の乗組員は全員が部署につき.すぐにでも戦闘ができるよう準備万端を整えていた。デルタ号に乗り組んでいたヨーロッパ人数人は中国艦の準備のほどを目にすると.砲撃されるに違いないと瞬時に予想した。
中国艦のサイズから推して.そのとき湾内にあった日本艦隊が残らず捕獲されることは容易に見てとれた。しかしながら,コルベット艦は静かにいかりを下ろしたのでデルタ号の兵員は直ちに上陸を開始した。コルベェット艦の責任者として福建総督により福州から派遣された官吏が.日本の司令官に会見を申し入れた。
しかし.西郷将軍は翌日、陸の上で会いたいと言ってこの要求をすぐには受け入れなかった。会見は翌朝日本のキャンプ内で.400人の護衛兵が将軍を取り囲む中.日本の旗が揚げられた徴のテントの前で行われた。中国側の官吏はいかにもおずおずとした様子で前へ進み出てこの上なく丁寧に挨拶したが.西郷将軍はのびのびとしたヨーロッパ風の礼をもってそれに対し.手を差し出して相手に自分のテントへと招き入れた。明らかにされたところによると.この会見の大筋は以下のとおりだった。
中国側の官吏は台湾全土の所有権は中国にあると断言し,日本の遠征の目的を問いただした。それに対し西郷将軍はその種の問題は日本政府および中国のしかるべき当局間で北京において満足のいくように処理されるだろうと述べるとともに.自分は特命を帯びて当地にやってきたのだと返答した。
遠征の最終的方針に関してはいかなる約束や誓約もなされなかったが.会見はきわめて友好的な雰囲気のうちに終わり.日本隊にあらゆる援助を与えよとの布告書が官吏によって全中国人に発せられた。
その後,2隻のコルベェット艦が両国国旗に敬意を表して礼砲を放ち.中国艦隊は直ちに停泊地を後にした。中国による抵抗に関する問題はこのようにして難なく処理されたのだった。もし中国側に日本軍の上陸を阻止しようという気があったのなら.コルベェット艦が到着したときに海上にあった大量の財貨や約2000人の兵員もろともに日本艦隊全体を捕獲できるだけの力が彼らにはあった。しかし,戦闘準備を整えてやってきた目的が何であったにせよ,彼らには戦う意志は明らかになかったのだ。
一方.日本軍は上陸後すでに敵に遭遇し、野蛮人との間に最初の衝突を起こしていた。丸腰でキャンプを迷い出た若い兵隊数人が待伏せに遭ったのだ。1人がその場で射殺されたので,残りの者たちはあわててキャンプに戻り.死体を取り戻すよう仲間に訴えた。死体が発見されたとき首は切りとされていた。
翌朝、約50人の兵隊が呼び集められ.翌々日には100人が呼び集められた。両部隊とも.目についた野蛮人はことごとく追い立てた。野蛮人は相手との間に十分な距離が保たれている間は反撃したが.日本軍が刀を振りかざして肉薄すると逃げ去った。
日本軍は容赦なく攻撃し.2日間で16の首を戦利品としてキャンプに持ち帰った。あらゆる角度から戦いを目撃していた外国人たちの証言によると.この小遭遇戦における日本軍の突撃ぶりはあっぱれだったという。彼らほど勇猛果敢に戦える者はほかにはなかったに違いないが.ただ1つ残念だったのは,熱意のあまりだれもかれもが最前線に群がったことだった。
デルタ号がリャンキヤウを後にするまでに.台湾のその地域の住民を構成する18部族のうち16部族までが西郷将軍に服従を誓い、残る2部族の征服に向けてあらゆる援助をしたいと自発的に申し出た。
難破船の乗組員に対し働かれてきた凶行の大部分は残る2部族のうちの牡丹族の仕業であると目されている。彼らは今や人類の共通の敵となってしまったのだ。5月27月現在・
日本軍は大々的な進軍は行っていないが、牡丹族を完全に包囲するための計画は着々とできあがりつつある。現在予定されている作戦行動の結果に関しては次回の報告でお伝え.できるものと思う。
南部のいわゆる中国人村は皆.台湾に到着した日本軍を喜んで迎え入れた。この地
域の住民は大部分が混血で.中国に対し忠誠の義務を感じてもいなければ.中国から保護を受けてもいないので、野蛮人たちと常に戦争状態にあり、彼らから金品をゆすられている。しかしながら.西郷将軍が兵をくり出して自分たちの村を領有し.野蛮人たちの絶えざる侵略から守ってくれるなら日本兵をいくらでも支援すると申し出たのは.住民1000人から成るl村だけだった。
デルタ号が台湾を離れるまでに日本軍の犠牲者は死者が9人,負傷者が20人から30人ほどにのぼった。看護を受けた者はわずか10人で.キャンプ内の健康状態は良好だった。しかし,水は不足気味で質が悪く.気温は日陰でさえも95度にのぼるほどだった。
夏が終わるまでは暑さが日本軍にひどくこたえることは間違いないし、避けがたい台風が.決して安全とは言いがたい目下の錨泊地の船船に大きな被害をもたらすことも間違いなさそうだ。しかし・われわれ外国人は.この遠征を敢行した人々のエネルギーを認めねばならないし、彼らの大いなる成功を心から祈るべきだろう。
台湾が日本臣民の荒れ狂う不満のはけ口になったことは事実だが、遠征の大目的は全文明世界から擁護されてしかるべきではあるまいか。ところが.中立を守りつつ妨害を加えるというのがこれまでわれわれのとってきた唯一の行動なのだ。
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