高杉晋吾レポート(26)ダム災害にさいなまれる紀伊半島⑩ダム難民(4)椿山ダムの巻
高杉晋吾レポート(26)
ダム災害にさいなまれる紀伊半島⑩
<和歌山県新宮、田辺本宮、古座川、白浜、日高川中津、
日高美浜町の現場ルポ>
日高美浜町の現場ルポ>
高杉晋吾(フリージャーナリスト)
ダム難民(4)椿山ダムの巻
企業の生産活動か?住民の命や生活権か?―
河川法の改正と財界の反撃
河川法の改正と財界の反撃
企業の生産活動が、生産による利益を至上にして、住民に対する命と生活を守る責任を放棄してきたことを見るためには矢張り、戦後の重化学工業の発展と高度経済成長は水俣事件、新潟水俣病事件、イタイイタイ病事件、四日市ぜんそく事件等、四大公害事件を考える必要がある。
これらの四大公害事件に特徴的な問題は企業の生産活動が住民の命、健康、財産等を奪い去っても生産活動が優先された結果として生じた。このことは裁判における住民の主張が認められ、住民原告が勝利した。
だから、企業の生産活動の社会的有用性は当然認められるが、住民の命や財産権間d江奪って強行されることを許すものではない、というのが企業の社会的責任であり、四大公害裁判の判決の趣旨である。
電力会社によるダム活動も企業の社会的責任と全く同じことだろう。電力の生産は、社会的に必要なことは誰でも認めるが、だからと言って下流の住民の命や生活を奪ってでも無制限に進めてよいものではない。命や財sなと限定的に言うばかりではなく、私がすでに述べたように、次のような環境侵害行為や政治的な専横行為も許されるものではない。
(1) 周辺地質の大きな激変、
① その結果として地質崩壊(深層崩壊)
② 上流の堆積、下流の河床削減
③ 海辺の激変
④ 地域社会への打撃
(2) 水質汚濁
① ダムに堆積したヘドロの常時微量流出による河川の汚濁
② 魚介類、海草の死滅
③ 観光業界、林業、漁業業界などへの社会的打撃
などなどである。また、より広く視野を広げれば、
(3) 裁判の嘘、
ダム裁判の特徴は、意図的にダム操作による加害者・電力会社やダムを管理する国、県の言い分のみを取り上げ、被害者である住民の証言は取り上げずに敗訴に持ち込む役割を露骨に担っていることである。
(4)電力業界を中心にする財界の社会専制支配
福島第一原発事故によって明らかにされ始めたように、電力業界は、平然と事実を捻じ曲げることに掛けては、政治的、社会的専制支配を行ってきた。
本来、住民のための『公共事業』であるはずの電力事業を、私企業の利権として9電力に寡占支配させることが専制支配の一歩である。
しかも、私企業が利益を得る行為である発電を行うことを政府が無条件に容認し、住民の命や財産まで奪ってざえもこれを許容し、被害者である住民が抗議しても、規則などを盾に住民に反撃するという状況がいまだにまかり通っている。
ところがこれらの行為が大手を振ってまかり通っているのが、私が見た新潟、奈良、和歌山での電力会社や国交省のダム管理行為である。
スーパーファンド法が武器、常習的市民社会への犯罪処罰を
私は日本もカーター元大統領のアメリカに学んで『スーパーファンド法』を制定する必要があると思う。生産活動の社会的有益性を頑固に強調して、その結果が齎す住民への危害を一顧もせず、逆に自分に都合のよい法律や規則を盾に住民の命や財産が奪われることを平然と繰り返す反社会的存在に対して、アメリカはスーパーファンド法で強行に取り締まった。スーパーファンド法について簡単に触れておこう。
1978年、アメリカでは『ラブキャナル事件』が発生した。
ラブキャナル運河に化学合成会社が過去に投棄した様々な有害化学物質により、後に建設された小学校や住宅を利用していた人々の健康に重大な被害が出た事件だ。この事件により州と連邦政府は該当地域の住宅や土地の買い上げをし、有害化学物質の除去・浄化作業を現在も行っている。
更に被害者救済のために『スーパーファンド法』を制定した。スーパーファンド法とは重大な公害が発生した場合、汚染の調査や浄化はアメリカの環境保護庁が行い、汚染責任者が明らかになるまで石油税などから積み立てた信託基金(スーパーファンド)により除染を行う。また、拡大責任を適用し、浄化の費用負担を有害物質に関与した全ての潜在的責任当事者(たとえば該当企業に融資した金融機関、関連物質を輸送した企業等々)が該当するとも記載され、この法律で逮捕され獄中にいる社長も多い。社会的責任とはこういうものである。
日本版スーパーファンド法、秦野市の実践に学ぼう
日本では神奈川県秦野市がスーパーファンド法日本版というべき『秦野市地下水保全条例』を施行。企業への抜き打ち調査を含む徹底調査と、企業の汚染責任の明確化都条例化により、汚染源企業の全てが汚染浄化費用をすべて負担することによって秦野市の地下水は浄化された。私もこの問題の取材に当たった。
これは清冽な名水として名高い地下水が水無川左岸東岸に集中した工業団地を中心にしたテトラクロロエチレンなどの土壌汚染によって汚染され、秦野市の環境生命にかかわる問題となった事件であった。
秦野市の津田信吾技官、横浜国立大学大学院の浦野紘平教授らが徹底して調査、対策を練り、汚染源を水無川左岸、右岸の工業団地にあることを突き止めた。彼等は、徹底調査を行う傍ら、俗称「地下水人工透析装置』(汚染された地下水脈の水をくみ上げ、浄化し、再び地下水脈に戻す装置)を開発し浄化作業を進めた。
企業の汚染浄化費用は企業が積み立てた『秦野市地下水汚染対策基金』によって賄われた。
この秦野市の「汚染者責任」の実践は原発問題にも、ダム問題にも適応できる全国的な課題であり、一秦野市だけの問題ではない。
秦野市地下水汚染解決における実践は、秦野市ができるなら全国でもできることを指示している。
東電、電力会社のあらゆる専横支配に対する全国民的な課題ではないか?
ダム難民(4)椿山ダムの巻
凄まじいダムの害、再生に向け、生き抜く住民の力
日高川沿いに椿山ダム下流の12号被害の爪痕をたどる
12月16日(金曜日)
予定 午前8時、田辺ステーションホテル出発。高速道路で中津に行く。
午前10時、日高川町役場中津市所中津振興課、奥村氏(0738-54-0321)を訪問し課長に状況を聞く。12月8日午前に10時、奥村氏にtel.「中津の関係区長に連絡し、高杉に連絡する」とのこと。中津は椿山ダムへの日高川町の地域であるが、日高川沿いの旧中津村であり、日高川でも椿山ダム放流の被害を最も顕著に受けた箇所である。
午前中、田尻地区。熊代憲和(のりかず)区長.0738―55―0061,090―1142―2954.
12月16日、朝8時、快晴である。気温は昨日より2度ほど低い。
田辺ステーションホテルを出発。田辺南部白浜海岸県立公園の海岸を左に見ながら印南(いなみ)に。印南から海岸を離れて、北北西に進む。和佐というところで日高川左岸にぶつかる。そのあたりから、日高川は東北東に遡上する。
これから日高川町中津支所の中津振興課奥村氏を訪問する。
車は快調に飛ばしているが、前方の空は黒い雲が発達している。
前方の山波がみえるが、風力発電の風車が横並びにずらっと並んでいる。かなりの数だ。
日高川が車の左側を流れている。
中津地区での日高川は、日高川(ひだかがわ)は、和歌山県中部を流れる二級水系の本流。総延長では熊野川、紀ノ川に次いで和歌山県を流れる河川の中で3番目であるが、県内だけの長さに限れば最長となる。なお、日本一長い二級河川である(2008年10月現在)。安珍・清姫伝説の舞台としても有名である。和歌山県最高峰の護摩壇山に源を発し、山間部を大きく蛇行。途中椿山ダムを経て、丹生ノ川、寒川(そうがわ)、初湯川(うぶゆがわ)、江川などの支流と合流しつつ、田辺市北部、日高川町、御坊市の河口部にある日高港を経て太平洋に注ぐ。
岸辺は台風12号の爪痕が著しい。岸辺の樹木が片はしから根っこを露わにして、下流に向けてなぎ倒されている。高さ10メートルくらいの樹木に上流から流されてきた衣類などが引っ掛っているのが無残である。
やはり雨が降り始めた。
出発する前は椿山ダムまで行くつもりだったが、距離と時間の関係で無理だと分かったので中止にした。
やがて道の駅「sanpin中津」という珍しい名前のみやげ物店やレストランのある店に入った。窓際の下がすぐに日高川だ。
窓から見える日高川周辺は岸辺の竹藪や樹木は根こそぎ洪水に流され、かなり高い樹木の枝には上流から流された民家の布や漂流物が引っ掛かって風に吹かれて揺れている。
道の駅の対岸は洪水の跡がかなり激しい。建物やいろいろな物が流された形跡が著しい。HDCフイルトンという工場跡がみえる。そのあたりの手前の住宅はすっかり流されてしまって土台だけが残っている。
そこで働く女性に聞いてみた。
「此処の水に浸かりましたか?」
「ええ、ここは大丈夫だったんですけどね。この道の駅の前後は全部浸かりました。」
「対岸は此処からみるとひどいですね」
「ええ、あそこは別荘が四軒あったんです」
「工場の近くに割と大きな白い家がみえますけど」
『あああの家も浸かりましたわ。あれも人が住んでいるよ』
「サンピンだけ残してあとは全部水に浸かりましたよ」
対岸からみると、道の駅sanpinの建っている岸辺の斜面の藪はすっかり激流になぎ倒されて、あれはて荒廃した光景になっている。
sanpinから見えた白い二階建の家の庭で一人の人が働いていた。
「ここの人は大阪の人です。今は大阪に言っておられます。此処は止まりましたが、戸の上の家が三軒流されました」
白い二階建の別荘はHDフイルトンという工場や他の三軒の別荘よりは高い土地に建てられていて、下流の側には石垣がある。石垣には大量の流木などがひッかかり、洪水の激しさを物語っていた。
庭で働いていた人は増水の急激さを語った。
中津支所で中津の被害状況を聞く
日高川町役場中津支所についた。奥村課長補佐が被害状況について話し始めた。
「来られた道でみられたことですが、県道御坊中津線はカーブが非常に多い。しかも、陥没しているでしょう。集中豪雨ではダムも想定以上の流入があります。想定以下ではダムの影響も少ない。58年前に大洪水はあった。その時よりは水量は少なかったが、勢いは非常に強かったという声が多いです。もう一つは58年前の大水害の教訓を生かして建てられた家は被災を免れていると。その教訓を生かさないで建てられた個人の家は床上浸水や流されたりしている」。
ダム神話でダムが出来たから安全だと信じて建てた家は気の毒ですが流されていると奥村氏は言うのである。
「何かダム神話を信じて建てた家は水害にあった、という根拠はありますか?」
「場所によって違いますが、古い人が昭和28年の経験で、役場の二階ほどまで来た。今回はもっと低かった。ダムが出来たから安全だと考えた人はさらに低い位置に家を建てたので今回の洪水でやられた訳です」
つまりダムが出来たら洪水を防ぐことが出来る、というのは神話=つまり嘘だったというわけである。
椿山ダムの流入量と放水量は、次のようになっている。
2011年9月3日午後9時、流入量は毎秒2159トン。
放流量は 1500トンだった。
9月4日午前0時、流入量は 3310トン
放流量は 3266トンに上った。
これは全く前例のない放流量であった。その後も放流量は飛躍的に上 がって行き
同日午前1時、 放流量は3763トン
同 2時, 3877トンに達した。
こうして同ダムとしては空前の放流量を記録、ダム下流でも、死者、行方不明者、住宅全壊、半壊、農地冠水、道路崩壊などなどの災害を記録。誰もが言う一気に日高川が増水したという大洪水を招いたのである。
奥村氏は中津支所管内の被害状況を中津地区の地図を開いて主な被害の地域と状況を説明した。
説明された主な被害は21か所。実際の被害はこれよりはるかに多いが農地の冠水などは数え立てればきりがないので説明から省き、建物などの被害を中心にした。
中津の日高川最上流部は平岩、最下流は道の駅サンピンのある船津である。
全壊家屋63棟、半壊家屋61棟、床上浸水212棟、床下浸水269棟
死亡3、行方不明1.
道路被害状況、83か所
日高川のダムは上流から小森ダム、椿山(つばやま)ダムがある。日高川は椿山ダムの下流5キロ余の三十木(みそぎ)付近で突然南下し、南方の犬ヶ岳山を巻いて田尻、坂野川を経由して犬ヶ岳西部を再度北上し、中津支所付近に三十木と高津尾の間は巾着の袋の締め口のようになっており、距離も短い。
犬ヶ岳山を巻いた茶金絞り型の日高川の曲線の内部こそ私たちが目指す中津水害の視察目標であり、田尻地区こそ中心的視察地点なのである。
私たちは、田尻地区の被害状況をみるために熊代憲和(くましろのりかず)区長を訪ね支所を出発した。まず、中津支所を東に向けて出発した。支所周辺も災害を激しく受けている。伊佐の川、高津尾川、等が支所付近で日高川に合流しており、日高川の増水で逆流し、支所上流で溢流した。
支所を出発して間もなく、古めかしい関電の発電所があった。赤茶色のレンガで建築された古典的な高津尾発電所である。
しばらく県道たかの金屋線を湾曲しながら南下をつづけると崖沿いに作られていた従来の道路が全部崩落して通行止めになり、日高川沿いにバイパスが作られている個所があった。犬ヶ岳西北山麓の崖崩れである。凄まじい崩落ががけ下をふさぎ、その下部にバイパスは作られていた。
さらに、南下をつづける。佐井地区では広大な農地が冠水し、道成寺カントリークラブが広大な面積を占めている。名前でわかるようにこのあたりは安珍清姫のゆかりの地である。周辺の家屋が床上浸水していた。坂野川でも宅地が床上浸水し農地が冠水していた。
三佐(みざ)は犬ヶ岳の真南の地域だが此処も住宅が床上浸水している。
三佐でカーブし、1キロ北上すると目指す田尻である。
田尻地区で被災現場を見る
田尻地区の区長さんが今日案内していただく熊代憲和(のりかず)区長である。携帯電話で連絡を取りながら.接近してゆく。
自宅前に車を止めると、すぐに県道御坊・中津線沿いの4―5メートル高い地点の自宅から熊代さんが手を上げながら出てきた。熊代さんは三年前まで元県庁職員だ。
「これからすぐ川沿いの被害を受けた四軒の家に行きます。」
「四軒はもともと此処に住んでおられた方ではないんですね?」
「そうです。もともと此処に住んでいた人ならあそこは洪水が来ると知っているから、あそこの家を建てない。大阪やよそからきた人たちや」
私は、熊代さんに案内されて日高川沿いの四軒の家を訪ねた。
熊代さんは
「ここはやられて行方不明が一人出たけど、復旧は速かったんですよ」と言った。
復旧が早かった理由は後でわかった。
「皆さんは危ないのに::と心配したけど、業者が地元の人やから言えなかったんや」
すぐ近くに川中第一小学校があり、明治8年7月15日創立とある。
私は県道を超えて被害に遭った四軒の家に行った。四軒の家は小集落の様に木立に囲まれて日高川沿いにたたずんでいた。
小集落の入り口にパン工房〔麦っ子〕があった。安大(あんだい)さんという大阪から来た人の工房であった。
「大阪では、子供に喘息があってね。空気の良い否かに住みたいときた。着たらすぐに子供の喘息は治ったで」
安大さんの住居は「パン工房麦っ子」のすぐ裏にあった。
「安大さんの住居は半壊よ。地元の人がみな出て、流木を片づける。家を直す。泥をかき出す。皆一生懸命にやったでねえ」
45歳から48歳くらいの年かっこうの安大さんが白いかっぽう着のような仕事着と帽子でパン工房から出てきた。
「お仕事中済みませんね。安大さんは大阪からここに来られた時、ここは水害が起きる場所だとお聞きになっておられなかったですか?」
安大さんは18年前、1993年にここに来られたという。
「パン工房の設備も、家財も日高川に流れて行った」
「ええ、ダムが出来たから大丈夫やと聞きました。水に浸かったのは9月3日の12時から9月1時4日の1時の間でした。避難したのは12時頃です」
「その時は眠っておられたんですか?」
「いやあ、激しい雨と日高川の洪水の轟音で眠るどころじゃありません。起きて様子を見ていました」
「起きておられた。それで様子を見ていたら?」
彼はちょっとパンを見てくる、と言ってパン工房に戻ってからすぐに帰ってきたが、「パンが焦げちゃった」と笑った。
「もう日高川は轟々と流れていて、水の高さはこの家の敷地の高さまで水がきていました。あっという間に床上50センチまで水がきました。外部に置いてあった大きな冷蔵庫はすぐに流れてゆきました。私らは12時頃、家族と集会所に逃げました。川から敷地まで水賀き始めていました」
工場のパン機械等も全部水に浸かり、家の畳も全部換えた。
藤本さんの場合
パン工房の安大さんの一軒おいて隣に藤本元さんの家があった。
夫人がまず顔を出した。
「私たちは14年前にきました」。
生まれたのは福岡であった。
大阪でプレス加工の会社で定年まで勤めた。
「洪水の話なんかありませんでした。被害は大きかったですよ。家の中はタンスからテレビから畳からふすまから全部やられました。全部流れて何もなくなりました」
元さんが穏やかそうな顔を出した。
「ダムがあるから安心しとったですよ。14年間は水が日高川の下の方でした。ところが当日は大阪の息子の方に行っとたんですよ」。
〔息子の家では台風が来るというから大阪から支所の役場に度々電話していました。ところが役場の人はここらがどういう水害になっているのか、見に行っているから
役場にいないのでわからんという話ばかりで、様子がさっぱりわかりませんでした。」
藤本さん夫婦は大阪から早朝、戻ってきた。
「戻ってくるにも、あそこで一時間、ここで二時間と通行止めばかりで、そこのトンネル越えたところでまた立ち往生でした。犬が岳の西側、中木谷の山道を抜けてきました。ところがトンネルで立ち往生ですわ。」
「帰ってきましたらね、水は引いていましたが、玄関は水勢に押されて『く』の字型に中に家の中側に折れ曲がっているし、うちの中は泥だらけ。上流の牛の団地から流れてきていますから、牛糞で臭いんですよ。裏の入り口も開きませんからバールで開けました。」
だが、村のひとたちが総出でヘドロをかき出し、片付けてくれました」。
藤本さん夫婦がここに来た時は畠の広さに感動してここを選んだ。昭和28年には大きな洪水があったが、その後、「椿山ダムが出来たから洪水がきても大丈夫」と不動産業者も信じていたようだ。
「うちの人があっちやこっちや見に行って、此処が良いと、気に入って、もうあした二は手付金を払うって」
中村さんの場合
さらに隣の中村さんに話を聞いた。
「ここに来たのは平成8年12月4日に入りました。此処は借地ですよ。地主さんに『此処は水害なんかないですか』と聞きました。」
「あらあ!そうしたら?」
「椿山ダムで水害の調整をするんでまず心配はない、って地主さんは言っていました。地主さんもそう信じておられた訳ですよ」
中村さんは大阪の堺に住んでいた。鉄鋼業の農機具メーカー、クボタにいた。定年で辞めた。静かな土地で暮らしたいと考えてここに来た。
「私の趣味は木工なもんで、都会では木屑が隣近所の迷惑になる。ここでは木が豊富やし、木屑もそんなに問題にならんと思いましてね」
みないろいろな思いでこの土地を選んでいるのだ。
夫人は
『その日、裏の川の水の量に気を取られていました。家のベランダがごとごとと妙な音を立てている。見たら、大変な水が流れていました。区長さんが『みな避難しなさい』と大声で怒鳴っていました。だから主人は裸足で逃げました。車は扉を開けることも難しかったんですが、とにかく車で逃げることができました』
家の内部の柱に水跡が付いている。
中村さんの場合、実は大阪にも家がある。
〔そこに帰ろうか〕
と夫婦で洪水の後、相談した。だが大阪に帰ることを思いとどまったのは熊代さんや住民の温かい協力であった。
「区長さんはいろいろと声をかけていただいて皆さんが駆けつけていただいて、畳を上げていただいた。女の方も長靴はいてねえ、バケツ持って来てくださってねえ」
「うちのねえ、いとこや親戚のものがきてねえ。もう大阪に帰りなさいと言ってくれたんですよ。でもねえ。皆さんの協力があるからねえ。こんな良い土地はないですよ」
彼らにはこの家で夢があった。残った色あせた写真があった。
イギリス風のガーデンを15年かけて庭に育ててきた。水に浸かった写真を見ると本当にイギリス風ガーデンに賭けた、中村夫婦の夢が伝わってくる。
木製のアーチに弦バラが咲いている。
全部流れてしまった。
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