梁山泊座談会★『若者よ、田舎へ帰ろう!「3・11」1周年―日本はいかなる道を進むべきか③』『日本主義』2012年春号
《日比谷梁山泊座談会第1弾》
超元気雑誌『日本主義』2012年春号(3月15日発売)
若者よ、田舎へ帰ろう!「3・11」1周年―
―日本はいかなる道を進むべきか③
問題点ははっきり分かっている。今の政治経済社会システムが機能不全に陥り、どうしようもないというのは、みんなはっきり分かっている。残されているのは行動である。若者は田舎に帰り、田畑を肥やし山河を守れ! 老人は都会に残り法匪(ほうひ)と戦え!
[出席者(五十音順)]
石飛仁(出雲古代史研究者)
岡敬三(航海史研究者)
楠原 佑介(地名研究者)
小宮 義宏(プロデューサー)
西来路秀彦(近代アジア史研究者・法政大学講師)
長沼 節夫(ジャーナリスト)
前坂 俊之(ジャーナリスト・静岡県立大学名誉教授)
本誌編集長・司会 (山岸修)
今こそ、木と水を大切に
西来路――― 少し、具体的な社会イメージの話をしたいのですが、最近テレビで見ていて面白かった事例があります。岡山の中山間部にある製材会社で、ものすごい量の木屑が出て、産業廃棄物としてそれを捨てていたわけです。しかし
これをチップに加工して、専用炉を作り燃やす。このエネルギーの熱でハウス栽培や、地域への給電を行い、年間相当の収益を売るまでに至ったという話です。
楠原—この間、NHKでやっていましたね。
西来路—-あのテレビを観ておられると話が早いですが、その木屑を燃やして発電ができるシステムを自己開発した。そのことによって、それを地域配電にして、年間収入1億円くらいの収入が逆に出るようになったということです。
これは今日の大型一斉配電という状況を覆している。今、小さな発電、キロワット数の小さな発電で家の四、五軒しか持たないと、こういうようなものというのは、全国的には東電というか、電力会社の大型配電の中に押しつぶされていますので、全く工夫されていません。例えばこういうものは、上手く作れば世界中に輸出ができるわけです。そうすると、岡山のこういった事例が、非常にいい参考になります。
それから、もう一つあるのは、実は、日本というのは、それこそ間伐材の残ったものを含めて、先ほどの楠原さんのご指摘のように、山林資源というのは、ものすごく豊かなのです。それも、世界市場では今や売れなくなった。そのために、逆に、豊富だと言えます。こうなると、それは別の可能性を持ってくる。
もう一つ、歴史的な背景だけ、そこでは言っていなかったので加えますと、世界遺産になった石見銀山ですね。あそこなどは実はもちろん坑木を周りの山から採っているのですが、歴代の差配代官の中に、一人、多摩の地方から行った代官がいるのですが、この人を含め、坑木用の木を切った後に、苗木を植えたのです、必ず。
それが今でも石見周辺の山の緑を作っている。足尾とは違う形での植樹をやって、それが今でも石見の周りの山々をつくっているということがある。これを先ほどの効率と成長と利益ということとぶつけて言うと、ポトシ銀山を思い出してください。あそこもスペインがインデオをこき使って作った、世界支配の財源的もとにした銀山なのですが、あそこは坑木になる木を切って切って、後に木を植えていないです。そこら辺のスタイルの違いが、日本の歴史の中の財産である。つまり、あの周りの山は、自然に生えた山ではないです。
だから、そういうサイクルの中でもう一度色々な位置付けができないわけでもなかろう――そういうファクトとして、一つご紹介させていただきます。
この話は実は、岡さんが、海から撮られた伊方原発の写真を見たときに、「ああそうか、中山間部って、荒れているけれども、木はやはりまだ今でも残っているのだな」というのがヒントにもなったのですが……。
岡— 昔は、植林は数十年を1サイクルにした輪作が基本でした。それを全部やめて皆伐したのは先の大戦中です。戦後はそれを早く回復させなければということで、用途も考えずカラマツや杉ばかりを単純林として植えてしまった。花粉症も、その副作用ですね。
本誌 —-昔の人たちの知恵を謙虚に学ばなければなりませんね。福島原発という大事故のために、とかく忘れられがちですが、昨年は西日本、北陸地方が台風12号をはじめとする大型台風による集中豪雨に襲われ、洪水、土石流れによ
る大きな被害が出ました。森林の生態系を破壊した付けが、自然災害を倍加することになったのですね。
楠原— 今の西来路さんの補足を言わせてください。一つ指摘しておきますと、今から10数年前だと思いますけれども、アメリカのカリフォルニア州全体が、電力不足に陥った。
その時にカリフォルニアの資産家、金持ちたちが日本から買い漁ったものは何かといいますと、一家族、数家庭の需要を賄える程度の小型水力発電機だったという。これをつくっているのは三菱電機です。三菱電機に私の高校時代の友人がおりまして、技術者ですけれども、「小型水力発電が売れに売れて、我が社はもうコンピューター事業から撤退して、そっちに投資するというような話になっているよ」ということを話していたのが印象に残っています。
先ほど言いました、余った材木、使わなくなった材木をチップにして燃やすという方法も、要するに熱効率を考えれば、アバウトに捉えたらとても効率が採算に合わないのではないか、とよく言われますが、実は、日本人というのは、そういう細かな技術を改良する力は伝統的に持っているはずです。
要するに、誰かが言った「縮み志向」、ダウンサイジングという点は、日本人はものすごい能力を持っている。多分そういう技術で、もちろん私の言う「鎖国論」は極論ですけれども、外貨を稼ぐといったら、重厚長大なシステムではなくて、小さな技術を売り物にするしかない。
人口減少時代には、細々と稼いで凌いでいく。それから、今蓄積されている2000兆円の大赤字は、石原慎太郎知事からは叱られるかもわかりませんけれども、極論すれば、私は東京都から政府機能を全部移転して、政府および公共機関が持っている土地、建物は全部中国人なら中国人に売り払ってしまって特別行政区にすればいい。
多摩地区は別ですけれども。東京の23区は全域を特別都市として、もちろん中国から来た人にもしかるべき選挙権を与えて、東京都は自立した政策選択をすればよろしい。今、防災が叫ばれていますが、これは外国人に不動産を売る業者の責任でやってもらう。ただし日本全体としては、これからは、地方に足を置かなければ駄目だというのが私の考えです。
前坂――― 水力発電というのはどういうものですか。
楠原―――― 小さな幅でも一定の流れがある水路に小型発電機を置き、一家庭なり二家庭なりに、電力を供給する。すでに岐阜県郡上市の石徹白、ここは九頭竜川の源流域で、元は福井県に属していたところですが、小規模水力発電でエネルギーの自給自足を始めています。端的に言いましたら。アメリカ人はすでに十数年前、部分的それを経験している。なんで日本だけが巨大発電、広域給電にこだわらなければならないのか。
長沼 ―――私の故郷の長野県南部の飯田地方では今、小規模水力発電を各所につくって、これから自給自足をやっていこうではないかということが、一つの運動にまで盛り上がっていて、自治体もかなり興味を持って、飯田市も応援しています。
また太陽光発電が全国で一番普及した地域でもあります。そういう小型のエネルギーを全国に張り巡らしていくという、これからはやっていかなくてはならない。
本誌――― 送電一如の九電力独占体制に風穴を開けていかなければいけません。
楠原――― 全国一円に同じ方式ではなくて、地域地域で地域特性に合った形で自給すればいいのですよ。
長沼――― それは大事ですね。それから先ほど楠原さんが言われましたけれども、これからの社会は、今までのような成長志向=格差拡大・金持ち社会ではなくて、成長を知らない〝現状維持〟社会でいいはないかという話ですが、今の経済の推移でいくと、〝現状維持〟も難しいです。最近の『日経』で明治大学の教授が推定しているところでは、この人口減少社会では、1000万ぐらいの移民を入れて、それでやっと日本の経済は維持できるだろうという話をしていますが、果たしてそれでいいのか。
楠原――― 私はそうは思わない。社会構造を変え、一人一人が意識して生きるスタイルを変えるだけでいい。
小宮――― 先ほど成長の話がでましたね。やはりまず経済成長というのは、まずそのものさしの問題だと思うのです。基本的には、生活を計量的な発想で考えることをまず捨てる。完全にはできないでしょう。行政とか色々なレベルでは計量的な統計は必要でしょうが、ただ地方に生活の拠点を移したときに、経済統計に出てこないような部分で、もう少しきちんと生活が支えられていくのではないでしょうか。
今、僕は東京にいて、外国人は、東京は非常に暗いというわけです。若い人たちもそういいます。それは、やはり借金があったり、就職先が決まらなかったり、将来に対する不安はものすごくあるわけです。だから稼いでも今はお金を使わない。こんな状況で、当然経済がよくなるわけがないですね。
でも、いわゆる
GDPとか、経済統計に出てこないようなところで生活を支えることができれば、将来に対する不安というか、日々の不安というのは、多少は減ってくる。それは、根本的な問題で、僕は、このことがもっとも重要ではないかなと思います。
昨年、JRAの2歳牝馬の女王になった馬の名前は、ジョワドヴィーヴルと言うのですが、これを訳すと、〝生きる歓び〟。同名のルネ・クレマンの映画もありますが、これは、偶然と思えませんでした。今の日本社会に欠けているもの、それは、まさに生きる歓びではないでしょうか?
石飛 ―――その通りですね。植林の話が出たので少し言わせてほしいのですが、これは元々古代出雲時代のテーマでもありました。砂鉄の問題です。鉄を作るということは、炭を使ことですから、木を炭にしなければならない。この木がないと鉄を作ることができないという関係です、その循環構造が古代からありました。そこでスサノオは民びとに植林を教えるわけです。
その後スサノオと稲田圃のイナダヒメとの結婚伝承がありますが、それは、砂鉄を含んだ山を崩した後にできた小さな面積の溜まり場で稲作をやるようになったことの説話化ですね。非常に原始的なプリミティブな構造が縄文時代から日本に育って伝えられてきたのです。
ところがその後日本人は、大自然と共に循環の中にあるという生活史を忘れてしまって、2000年かけて大事な営みの原理を隠して、権力闘争史だけを問題にしてきてやって来た。権力闘争史以前に本当の日本の営みがあった、そこが希望の岬ではないかと思います。
今さまざまお話が出てきていますけれども、結局、この絶望的な経済国家は、一回潰れればいいと思うのです。これから日本人が生きる芽となるものは、等身大の、今お話が出たように、「喜びと共にある生き方」にこそ新しい価値があり、幸せ感がある。
それを見つけ出すことが肝心だと思うのです。その一つひとつを見つけることのみが大事であって、経済大国としての維持というものをいくら言っても、もはや取り返しがつかないところに僕は来てしまっていると思います。ですから、等身大の幸せな生き方というのが大事ではないか。生活の周辺を豊かにしていくにはどうしたらいいか、そこだけを考えていくことが大事だと思います。
本誌—- それこそ、日本の文化革命ですね。
石飛 —これからの生活について、一つだけ言わせてください。必要なことは、今まで2000年間無視していた女性の力、母性と言ってもいいと思いますが、母親の力。そういうものが一体何かということをもっと考えるべきだと思います。女性の社会がくればいいというような小さな話をしているのではなくて、非常に大事な生命誕生の根幹を成す営みとは何かということです。産んで子どもを育てる。
古代はみんな通い婚だったわけですけれども、女の人のところに這っていって、種を植え付けるというのが男の仕事だったわけですけれども、それは、大地とともにあった生命の成り立ちに沿うということであり、生命の誕生を厳粛に受け止め直ぐに始まる育児について、男は助け試練の生活史を助けて巨大な大自然の中の営みを教えていく循環のアヤをはぐくんだのではないでしょうか。覇権を求めない、戦争をしない、そういう世界をもう一度イメージして、これまでの男権で押し捲ってきた戦争史の世界観を変えていくべきだと思うのです。
生活のイメージをもっと周辺幸せ路線に代えていくことをすべきだと思います。
権力闘争と収奪の浅ましい歴史を変えるイメージトレーニングをもっともっとやるべきだと思います。そうすれば、私は周辺に幸せを呼び込むことができるだろうし、それが生き延びる方法として出てくるだろうというふうに、強く今日は言いたいのです。
科学至上主義から技術の知恵へ
本誌—先ほど、前坂さんはあえて、10年後、20年後から見た際の、日本の暗い展望を出されたように思います。しかし、それは、日本がこれまでのような官僚主導、利権誘導、中央集権政治を踏襲して行った場合の姿、な訳ですね。そ
れに対して、今、いくつかの地方の試みや、古い日本の経験に基づく知恵が紹介されました。私も、それがこれから日本を再生させる、支えの一つになっていくのではないかと思います。
それに関連して一言付け加えさせていただくと、私の尊敬する人に、京都大学名誉教授で上田篤さんという方がおられます。先生は、明治維新以来の日本の選択の誤りとして、大久保利通の官僚至上主義とともに、西欧流の科学至上主義を挙げています。近代科学はデカルトの理論から始まって、仮設と論証に基づく演繹的な論理、つまり頭の中の話がほとんどなのです。
それは、全てが唯一神に還元されるキリスト教と同根の論理です。ご存知のように、近代西欧社会はこの二つのものから成り立っている、と。これに対して、技術というものは、帰納的で、実験と経験の積み重ねによって蓄積された知恵です。よく、「科学技術」というようにひとまとめにしていうけれども、「科学」と「技術」とは、まったく別物である、と上田先生は言う。
そして、日本は伝統的に科学ではなく、技術の国なのです。技術によって立ってきたものが、明治以降、科学万能主義になって今日の社会を帰結した。そして、今回の福島の事故も、科学至上主義のもたらしたものであり、本来の知恵である技術を尊重していればこんなことにはならなかったと言われています。
岡—- 江戸時代に伸びた工業・生産技術の経緯をみますと、役所が絡んでいないところから発展しています。徳川に攻められて大阪城が焼かれ、権力が江戸に移った後も経済の中心はずっと大阪にあり、それは明治維新まで続きます。
江戸には文化も経済もなかなか育ちませんでした。日本の近代繊維工業も明治15年に純民間企業の大阪紡績(後の東洋紡)から出発しています。
堺屋太一さんと長谷川論説副主幹の対談(1月3日『東京新聞』)を読んで驚いたのですが、堺屋さんによれば、通産省は戦後目標として東京一極集中の完成にまい進してきた。その完成が実は日米繊維交渉で実現できたといいます。そのときアメリカとの交渉よりも、当時大半の繊維会社は大阪にあったのですが、彼らをどうやって叩き潰すかがいちばんの目標であった、といいます。そしてすべて東京に本社を移転させ、それによって東京一極集中ができあがったというのです。内閣も知らないところで官僚がすべて進めたそうです。
まさしく〝主権在官〟そのものですが、一極集中が完成してどうなったかといえば、日本の崩壊が始ったのではなかったか。そういう官僚機構が中心にいて、一極集中からの脱皮など考えられるはずがありませんね。
本誌— もう一回、日本が本当の技術の心を思い出してほしいということが上田先生のお話です。それは先ほど楠原さんが事例で出していた話、それから、西来路さんの岡山の小さい会社の話を出していた話に重なります。日本はそう
いうところからもう一回スタートすべきである。それは決して、いわゆる机上の学問の科学による発展のみを目指す経済計画と違うことなのです。本来日本人が持つよさをもう一回思い出すということが大事です。
小宮— それは僕に少しフォローさせてください。要するにやはり日本は明治以降、本格的に、西洋近代科学というか、西洋文明が入ってきて、その本質的なものというのはテクノロジーなのです。それは、テクノ(=技術)とロジック(=論理、数理)、要するに、技術と、先ほどおっしゃった科学とが一体化したもの。
本誌—- テクノロジーと技術は違うと?
小宮— 違うのです。それは上田さんだけが、言っているわけではなくて、この問題について、いち早く、もっとも重要かつ本質的な問いを投げかけたのは、アンドレ・ルロア=グーランです。
人間と文明について、僕の言葉で簡潔に言うと、文明は、薬と同じで副作用がある。これまで、西洋文明は、僕たちに多くのものをもたらしたけども、その副作用が、今、明らかになりつつあるのではないでしょうか。この10年、僕は、チェコの第3世代のシュルレアリストであるヤン・シュヴァンクマイエルという芸術家兼映画監督を、日本に紹介するという仕事をやってきたのですが、彼の仕事の重要な部分は、西洋近代文明に対する批判です。
繰り返しになりますが、西洋近代文明というのは、テクネーと数理的な科学が一体化したものがベースになっていると言われていますが、さらに、そこに資本というものが加わって、今や、急速なスピードで、人間という存在を大きく変えつつあるのです。
僕らは、今、このような大きな転換期に立っている。それは、誰もが日常的に感じていることでしょう。そして、僕たちは、このような現実と、向きあっていかねばならないのですが、この大いなる変化を、どのくらいのタイムスパンで考えるかということが重要なのです。そのときに、まさしく文明と技術、あるいはテクノロジー、そして、人間の存在を考えていく必要があるし、その中でやはり原発のことを考えていかないと駄目だろうなと、僕はそう思っています。