日本リーダーパワー史(303)原発事故1年半「原発を一切捨てる覚悟があるか」⑩百年先を見た石橋湛山の大評論を読む①
2015/01/01
日本リーダーパワー史(303)
福島原発事故1年半―「原発を一切捨てる覚悟があるか」⑩
<ケーススタディー>
百年先を見通した石橋湛山の警世の大評論
『一切を棄てる覚悟があるか』を読む①。
<小欲を捨て、大欲、大志を持て>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
l これは石橋湛山の「東洋経済新報」の「社説」「一切を棄てるの覚悟―太平洋会議に対する我が態度」(1921年(大正10)7月23日号の全文である。
-1918年)l 第一次世界大戦後(1914の日本は欧米各国が戦争中のスキに中国に「対華21ヵ条要求」を突き付けて満州利権を独占、青島も占領し「五・四運動」、中国の民族独立運動に火をつけ、欧米から猛反発を受けた。
l この事態に米国はワシントン軍縮会議を提案して、日本の姿勢をけん制した。
l こうした日本の帝国主義的な強引な姿勢「大日本主義」に、石橋は一貫して反対して、軍事力ではなく相互貿易主義の「小日本主義」を唱えて、「朝鮮、台湾、満州を棄てる、支那(中国)から手を引く、樺太も、シベリヤもいらない」という先駆的な「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」の警世の評論を掲げた。
この「大日本主義」は明治の『富国強兵」「軍国主義」の延長線であり、結局、「大日本帝国の滅亡」につながるとして「小日本主義」『覇道から王道政治への転換』「軍縮論」を大胆に唱えのである。その意味では、日本の未来を予見した石橋のジャーナリストとしての大慧眼が示されている。
l この論議は今でいえば「原発から全面撤退せよ」の主張と同じである。そして、「原発からの撤退とクリーンエネルギーへの転換」「TPP,FTAに加入しての全面開国」「核廃絶、原子力廃絶」を主張したのと同じである。
『一切を棄つるの覚悟ーー太平洋会議に対する我が態度』(石橋湛山)
*1921年(大正10)7 月23日号「東洋経済新報」「社説」
昨日までも、今日までも、実際政治問題にあらずとか言うて、尾崎氏等一部少数の識者を除き、在朝在野の我が政治家に振り向きもせられなんだ軍備縮少会議が、遂に公然米国から提議せられた。
おまけに、太平洋および極東問題もこの会議において討議せらるべしと言う。政府も国民も愕然色を失い、なすところを知らざるの観がある。言わぬ事ではなかった。吾輩は、欧州戦争中から、必ずこの事あるべきを繰り返して戒告し、政府に国民に、その政策を改むべきを勧めて来た。しかるにこれを聴かず、事態を今日に推し詰めさせて、周章狼狽す、笑止と言うも愚かである。
もし吾輩にして日本国に関係なき局外者であるならば「ざまを見ろ」と言いたいところである。吾輩はそれほど、我が国の近状を歯がゆく、なげかわしく思っておる。愚痴に等しいとは知りながら、つい痛憤の言葉が出る。我が国の総ての禍根(かこん)は、しばしば述ぶるが如く、小欲に囚われていることだ、志の小さいことだ。
吾輩は今の世界において独り日本に、欲なかれとは註文(ちゅうもん)せぬ。人汝の右の頬を打たば、また他の頼をも回して、これに向けよとは言わぬ。否、古来の皮相なる観察者によって、無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も、実は決して無欲を説いたのではない。彼らはただ大欲を説いたのだ、大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。
さればこそ仏者の「空」は「無」にあらず、無量の性功徳を円満具足するの相を指すなりと言わるるのだ。しかるに我が国民には、その大欲がない。
朝鮮や、台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の、少しばかりの土地や、財産に目を呉れて、その保護やら取り込みに汲々(きゅうきゅう)としておる。
従って積極的に、世界大に、策動するの余裕がない。卑近の例をもって言えば王より飛車を可愛がるへボ将棋だ。結果は、せっかく逃げ廻った飛車も取らるれば、王も雪隠詰(セッチンズメ)に会う。いわゆる太平洋および極東会議(注・ワシントン海軍軍縮会議のこと)は、まさにこの状況に我が国の落ちんとする形勢を現したものである。
過去の繰り言は詮なき業の如きも、しかし吾輩は、この際の対策を樹立するがためには ー而して吾輩は、後に述ぶる如く、遅れたりといえども、まだこの形勢挽回の策ありと信ずる者であるー十分に過去の過ちを吟味しておく必要があると思う。
昔を今にすることが出来るならば、吾輩は、せめてこの春、尾崎氏が軍備縮少問題を提げて起った時、これを議会が取り上げて、我が国から進んでこの会議の招集を、英米に提議することにしたかった。
総て戦いは守ったのでは負けだ。進んで打って出でてこそ、我に有利な時と、地形と、戦闘の形式とが選択出来る。今回の会議にてもその通り、我からこれを提議するなら、自分の好きな場所、時、および問題の範囲等を選み得た。今更、問題の範囲について、米国に照会を発し、とかくの批評を世界から受くるが如きぶざまを演ずる要はなかった。
また我が或る新開は、事、極東に関するにおいてはその会議の開催地は当然東京たるべく、またその用語は日本語または支那語たるべきものなりと論じた。そうあったら、我が国にとっては、どれほど便利であったか知れぬ
。而してこれもまた、吾輩の説ける如く、我が国が主動者となって、この会議を開いたなら、ずいぶん実現し得たことであった。自分の方はこの会議の開催について、何の肝入りもせず、他人が心配してこれを催さんとすれば、とやかくと自分の都合を言う。
そんな事は、少しでも人間の儀礼を知る者のなし得ないところである。英米から発動し来らぬ限り、実際政治問題にあらずとして、他人の事の如く澄していた日本は、今更どうすることも出来ぬ。
ただ彼の言うままに、会議に列するか、あるいはこれを拒絶するか、この二つあるのみである。しかしながら我が国民の天でも、果してこの会議に列することを拒絶し得べしと考うる者があろうか。
或る新聞には、某閣僚談として屈辱的の会議なら、政府は出席を拒絶するとか書いておるが、それは心にもない、付け元気というものだ。裏面の魂胆は、世人言う如く果して日本いじめの会議であるにせよ、表面の旗は、軍備縮少であり、太平洋の平和である。
この会議に列することを拒む日本が、道徳的に、全く世界に立っ能わざる窮状に陥るはー従って貰全体を向うに廻して戦うの大民力がない限り、政治的に破滅の外なきは、小学校の生徒にもわかろう。
されば米国の輿論も、たかをくくり、日本が問題の範囲の何のとぐずついても、結局賛成して来ることは、わかっておるというておる。どんなに、たかをくくられても仕方がない。実際、その通りに相違ないのである。身を棄ててこそ、浮む瀬もあれ、会議の、主動者たる位地を彼に奪われた今は、ただ文句なしに、そこに飛び込み、浮かぶ瀬を見出すより外はない。
吾輩は、この点においてまた、我が政府が思い切り悪くも、而して結局米国の輿論の先見せる如く何の役にも立たぬ躊躇を示したことを遺憾に思う。而してこれを当然の措置であった如く承認する我が輿論の何ぞ低劣なる。彼らには、まだ、何もかも棄てて掛れば、奪われる物はないということに気着かぬのだ。しかり、何もかも棄てて掛るのだ。これが一番の、而して唯一の道である。
しかし今の我が政府や、国民の考え方では、この道は取れそうにもない。その結果はどうなるか、わかっておる。対支借款団交捗の際の満蒙除外運動の結末が、それだ。我が大使は、しきりに、その小欲の目標物を維持しようと努めるだろう。しかし結局は維持し得ない。而して日本は帝国主義だ、我利我利だという悪名だけが残る。満蒙除外運動の結末がそれだけた。
今度の会議の結末もそれなること明白だ。されば今の我が政府や国民の考え方で進んだのでは、どこまで行っても勝味はない、失敗に失敗を重ねるだけだ。
これに反してもし我が政府と国民に、何もかも棄てて掛るの覚悟、小欲を去って、大欲に就くの聡明があったならば、吾輩はまず第一に、我が国から進んで軍備縮少会議を提議し得たはずだったと思う。
何となれば軍備縮少なることは、問題として、別段に大した智恵もいらぬ、至極簡単なものである。あるいは縮少の方法に面倒があるという説もあったが、これも、この頃、政府筋の発表によれば、とっくに幾つかの具体案が我が政府には出来ていたのであると言うではないか。
しからば何を狐疑して、軍備縮少は実際政治問題でないなどと言うていたか。日く、例の小欲である。この小欲を遂げよぅとの心があるから、自ら臆して軍備縮少などとは言い出せない。これを言い出したら、自己の小欲を遂ぐるに障碍が起るべしと思った。なるべくならこんな問題は起さず、貧乏ながらに軍艦を作り、陸兵を養って、思うが如く小欲の満足を得たいと願った。
けだし彼らは米国といえども、我が尾崎に似た1,2の連中が軍備縮少などと騒ぐに過ぎずして、いわゆる実際政治問題には、にわかになし得まじと考えていたのであろう。それを我から持ち出して、自縄自縛に陥るには及ばぬと思っていた。これ、皆小欲に眼をくらまされた結果である。
第二に、仮に会議の主動者には我が国際的位地低くして、成り得なんだとしても、もし政府と国民に、総てを棄てて掛るの覚悟があるならば、会議そのものは、必ず我に有利に導き得るに相違ない。
たとえば満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか、またたとえば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。
何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保つを得ぬに至るからである。その時には、支那を始め、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。
インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に、日本の台湾朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ立つだろう。
これ実に我が国の位地を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の位地に置くものではないか。我が国にして、ひとたびの覚悟をもって会議に臨まば、思うに英米は、まあ少し待ってくれと、我が国に懇願するであろう。ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しとい、えども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救わるる。しかも、これがその唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。
以上の吾輩の説に対して、あるいは空想呼ばわりをする人があるかも知れぬ。
小欲に囚わるること深き者には、必ずさようの疑念が起るに相違ない。朝鮮、台湾、満州を棄てる、支那から手を引く、樺太も、シベリヤもいらない、そんな事で、どうして日本は生きて行けるかと。
キリスト日く、「何を食い、何を飲み、何を着んとて思い煩うなかれ、汝らまず神の国とその義とを求めよ、しからばこれらのものは皆、汝らに加、えらるべし」と。しかしかく言うただけでは納得し得ぬ人々のために、輩は更に次号に、決して思い煩う必要なきことを、具体的に述ぶるであろう。
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