日本リーダーパワー史(315)「全政治家必読の(現状分析・国家戦略論)を読む」『大日本主義の幻想(中)』を読む③
·
日本リーダーパワー史(315)
「福島原発事故1年半「原発を一切捨てる覚悟があるのか」
「全政治家、リーダー必読の(現状分析・国家戦略論)を読む」
<ケーススタディー>
百年先を見通した石橋湛山の警世の大評論
『一切を棄てる覚悟があるか』
『大日本主義の幻想(中)』を読む③
-<朝鮮、台湾、樺太も棄てる覚悟をしろ、中国や、シベリヤに対する
干渉もやめろーいう驚くべき勇気ある主張を貿易デ―タ―などで
実証的に論じた歴史的な大論文>
前坂 俊之(ジャーナリスト)
① これは石橋湛山の「東洋経済新報」の「社説」大日本主義の幻想大正10年7月30日・8月6日,13日号「社説」の全文である。
② 第一次世界大戦後(1914―1918年))の日本は欧米各国が戦争中のスキに中国に「対華21ヵ条要求」を突き付けて満州利権を独占、青島も占領し「五・四運動」、中国の民族独立運動に火をつけ、欧米から猛反発を受けた。
③ この事態に米国はワシントン軍縮会議を提案して、日本の姿勢をけん制した。
④ 日本の帝国主義的、武力的な強引な姿勢「大日本主義」に、石橋は一貫して反対して、軍事力ではなく相互貿易主義の「小日本主義」を唱えて、「朝鮮、台湾、満州を棄てる、支那(中国)から手を引く、樺太も、シベリヤもいらない」という先駆的な「一切を棄つるの覚悟」「大日本主義の幻想」の警世の大評論を掲げた。
⑤ この「大日本主義」は明治の『富国強兵」「軍国主義」の延長線であり、結局、「大日本帝国の滅亡」につながるとして「小日本主義」『覇道から王道政治への転換』「軍縮論」を大胆に唱えのである。その意味では、日本の未来を予見した石橋のジャーナリストとしての大慧眼が示されている。
⑥ この論議は今でいえば「原発から全面撤退せよ」の主張と同じである。そして、「原発からの撤退とクリーンエネルギーへの転換」「TPP,FTAに加入しての全面開国」「核廃絶、原子力廃絶」を主張したのと同じである。原発をゼロにしても大丈夫、日本はやっていけるし、「核廃絶」と『脱原発、全面クリーンエネルギー政策転換』こそ日本の21世紀国家戦略として世界をリードしなければならない。
『大日本主義の幻想』(上)(『東洋経済新報、大正10年7月
30日・8月6日,13日号「社説」(中)
すなわち日本本土以外に、領土もしくは勢力範囲を拡張せんとする政策が、経済上、軍事上、価値なきことは、前号にほぼこれを述べた。しかし前号の吾輩の議論では、なおその証明足らずと言う人があるかも知れぬ。
たとえ内地との貿易額は、なるほど比較的僅少であるかも知れぬが、その外に、なおそれらの地方に、内地人が移住して生活しておる者もある、それが多いならば、たとい内地との貿易額は少なくとも、以てそれらの地方を経済的に価値なしとは言えぬであろうと。
我が国民の神経を尖らしつつあるいわゆる人口問題の解決に関係があるだけに、この論点は、相当主張する人が多いかと思う。しかしこれまた吾輩をもって論ずるに、事実を明白に見ぬ幻想である。試みに数字を示そう。
最近の調査によるに、内地人にして台湾に住せる者は十四万九千人、朝鮮に住せる者三十三万七千人、樺太に住せる者七万八千人 (以上大正七年末調査)、関東州を含める全満州に住せる者十八万一千人、露領アジアに住せる者八千人、支那本部に住せる者三万二千人 (以上大正八年六月未調査)、すなわち総計で八十万人には満たぬ。
これに対して我が人口は、明治三十八年すなわち日露戦当時から大正七年末までに九百四十五万の増加だ。仮に先に挙げたる諸地の内地人が、全部、明治三十八年以来移り住んだものとするも、九百四十五万人に対する八十万人足らずでは、ようやく八分六厘弱に過ぎぬ。一人でも海外へ送り出せば、それだけ人口問題が解決したわけと言えば、言えないことはないが、しかしそのため他方で、有形無形の犠牲をどれ程払っておるかを考うるならば、他にまだ選むべき道はあろう。
ひっきょう先方に住える者は、八十万人だ、内地に住む者は六千万人だ。八十万人の者のために、六千万人の者の幸福を忘れないが肝要である。
一体、海外へ、単に人間を多数に送り、それで日本の経済問題、人口問題を解決しようなどいうことは、間違いである。人間を多数に送るとすれば、いずれ労働者を送ることになる。しかし今日の企業組織では、いずれの国へ行こうとも、労働者が受くる所得なるものは知れたものである。大きな儲けを母国のためにするなどいうことは、とても出来ぬ。
大体において、行っておる者が辛うじて食って行くというだけのことである。されば外国にせよ、あるいは我が領土にせよ、海外の土地を我が経済上に利用するには、かくの如き方法によるは愚である。人口稀少にして、先方に利用すべき労力がない場合は別であるが、しからざる限り、労働者は先方の者を使い、資本と技術と企業脳力とだけを持って行く。
その上に労働者も持って行くなら、持って行っても、勿論差支えないが、それは必ず持ってかねばならぬものではない。悪く言うなら、資本と技術と企業脳力とを持って行って、先方の労働を搾取する。もし海外領土を有することに、大いなる経済的利益があるとするなら、その利益の来る所以は、ただここにある。さればたとえばインドを見ても、英国人は幾許も行ってはいない。
1911年の調査に見るに、総人口三億一千余万のうち、欧州人およびその同族なるものは二十万人足らずしかいない。英人は、またその一部であるのである。これで、英国がインドを領有する意味は、十分達せらるるのだ。
既に人間を沢山に送り出すことが、つまらぬ事であるとするならば、海外領土または勢力範囲が、我に与うる経済的利益は、大体において貿易の高および性質で計量することが出来ると言える。
何となれば、資本の技術と企業脳力とを持って行って、いかなる事業を先方で営もうとも、その結果は直接間接必ず貿易の上に表れてこねばならぬはずだからである。
これ、吾輩が、貿易の数字により、大体を抑えて、我が大日本主義には執着するの価値なしと、前号に述べた所以である。
もっとも更に正確に論ずるならば、その貿易なるものは、単に内地との貿易のみでなく、また外国との間の貿易をも見ねばならぬ。内地との貿易は小であっても、外国への輸出超過が大であり、その勘定が、外国から内地の輸入する品物代として支払われておるということもあろうからである。
しかし少なくも我が海外領土および勢力範囲には、さようの働きをしておるのはないらしい。台湾や朝鮮の外国貿易は年々少なからぬ輸入超過である。未だかつて輸出超過を示したことがないと言ってよい。関東州については、不幸にしてこの関係を明白にし得ない。しかし仮にこの働きがあったにしても、大したものでないことは想像出来る。
樺太は勿論問題でない。関東州の貿易に現るる以外の支那における我が事業ま
たはシベリヤにおける我が事業がこの働きをなしていないこともまた明白だ。あえてこの関係を精しくのぶる必要はないと思う。
あるいはまた、汝の議論は総て現在の状況を基礎にしておる、台湾にせよ、朝鮮にせよ、関東州にせよ、将来大いに発展するかも知れぬではないかと言う人があるかも知れぬ。こんな疑いは、吾輩が前号から提出した諸材料を、もし真面目に研究したならば、決して起らないはずである。
しかし吾輩は簡単に次の如く言おう。台湾を領有して二十五年、朝鮮関東州を我が勢力下に入れて十五年、この間我が国民は、ずいぶんの大勢力をこれらの地方に対してした。而してその成績が以上の如くだ。
また試みに最近十年の我が貿易の状況を見よ。米国との貿易は十二億四千万円殖えた、インドとの貿易も四億六千万円殖えた、支那へは多少の努力をしたからと言えぬこともないか知れぬが四億七千万円殖えた(実はそのいわゆる努力の結果、かえって対支那貿易の発展を阻碍したろう)。
英国との貿易さえも二億一千万円殖えた。而してこの間朝鮮との貿易は二億七千万円、台湾との貿易は二億一千万円、関東州との貿易は二億八千万円を増したに過ぎぬ。あれだけの大努力をして、いずれもの貿易がインドとの貿易だけにさえ進まぬとすれば、前途の予測も大概着きそうのものではないか。
さて以上は、吾輩の、いわゆる大日本主義無価値論の大体である。しかし世の中には、以上の議論をもってしても、なお吾輩の説に承服せぬ者があるであろう。彼らはけだし明白な理屈もなく、打算もなく、ただ何となしに国土の膨張に憧るる者である。故に吾輩もここでしばらく議論を一転し、以上述べたるところは総て吾輩の誤りであったと仮定しよう。
すなわち大日本主義は、我がため非常な利益ありと想像しよう。
而してもう一度、かの国土の膨張に憧るる人々のために、彼らの誤れることを説いてみよう。それは仮に彼らの妄信する如く、大日本主義が、我に有利の政策なりとするも、そは今後久しきにわたって、到底遂行し難き事情の下にあるものなること、これである。
昔、英国等が、しきりに海外に領土を拡張した頃は、その被侵略地の住民に、まだ国民的独立心が覚めていなかった。
だから比較的容易に、それらの土地を勝手にすることが出来たが、これからは、なかなかそうは行かぬ。世界の交通および通信機関が発達するとともに、いかなる僻遠の地へも文明の空気は侵入し、その住民に主張すべき権利を教ゆる。
これ、インドや、アイルランドやの民情が、この頃むずかしくなって来た所以である。思うに今後は、いかなる国といえども、新たに異民族または異国民を併合し支配するが如きことは、到底出来ない相談なるは勿論、過去において併合したものも、漸次これを解放し、独立または自治を与うる外ないことになるであろう。アイルランドは既にその時期に達した。
インドが、いつまで、英国に対して今日の状況を続くるかは疑問である。この時に当り、どうして、独り我が国が、朝鮮および台湾を、今日のままに永遠に保持し、また支那や露国に対して、その自主権を妨ぐるが如きことをなし得よう。朝鮮の独立運動、台湾の議会開設運動、支那およびシベリヤの排日は、既にその前途の何なるかを語っておる。
吾輩は断言する、これらの運動は、決して警察や、軍隊の干渉圧迫で抑えつけられるものではない。それは資本家に対する労働者の団結運動を、干渉圧迫で
抑えつけ得ないと同様であると。
彼らは結局、何らかの形で、自主の満足を得るまでは、その運動をやめはしない。而して彼らは必ずその満足を得るの日を与えらるるであろう。従ってこれを圧迫する方から言えば、ただ今日彼らの自主を、我からむしろ進んで許すか、あるいは明日彼らによってこれを椀ぎ取らるるかという相違に過ぎぬ。
すなわち大日本主義は、いかに利益があるにしても、永く維持し得ぬのである。果してしかりとせば、いたずらに執着し、国ど(国の金と軍隊の出血)を費やし四隣の異民族異国民に仇敵祝せらるることは、まことに目先の見えぬ話と言わねばならぬ。
どうせ棄てねばならぬ運命にあるものならば、早くこれを棄てるが賢明である。吾輩は思う、台湾にせよ、朝鮮にせよ、支那にせよ、早く日本が自由解放の政策に出つるならば、それらの国民は決して日本から離るるものではない。
彼らは必ず仰いで、日本を盟主とし、政治的に、経済的に、永く同一国民に等しき親密を続くるであろう。支那人、台湾人、朝鮮人の感情は、まさにしかりである。
彼らは、ただ日本人が、白人と一所になり、白人の真似をし、彼らを圧迫し、食い物にせんとしつつあることに憤慨しておるのである。
彼らは、日本人がどうかこの態度を改め、同胞として、友として、彼らを遇せんことを望んでおる。しからば彼らは喜んで、日本の命を奉ずるものである。
「汝らのうち大ならんと欲う者は、汝らに使わるる者となるべし、また汝らのぅち頭たらんと欲う者は、汝らの僕となるべLLとは、まさに今日、日本が、四隣の異民族異国民に対して取るべき態度でなければならぬ。
しからずしてもし我が国が、いつまでも従来の態度を固執せんか四隣の諸民族諸国民の心を全く喪うも、そう遠いことでないかも知れぬ。その時になって後悔するとも及ばない。
賢明なる策はただ、何らかの形で速やかに朝鮮台湾を解放し、支那、露国に対して平和主義を取るにある、而して彼らの道徳的後援を得るにある。かくて初めて、我が国の経済は東洋の原料と市場とを十二分に利用し得べく、かくて初めて我が国の国防は泰山の安(安心)を得るであろう。
大日本本主義に価値ありとするも、すなわちまた、結論はここに落つるのである。
これを要するに吾輩の見るところによれば、経済的利益のためには、我が大日本王義は失敗であった、将来に向かっても望みがない。これに執着して、ために当然得らるべき偉大なる位地と利益とを棄て、あるいは更に遠大なる犠牲を払うが如きは、断じて我が国民の取るべき処置ではない。また軍事的に亭フならば、大日本主義を固執すればこそ、軍備を要するのであって、これを棄つれば軍備はいらない。国防のため、朝鮮または満州を要すと言うが如きは、全く原因結果を顛倒せるものである。吾輩は次に、前号所掲の論者の第二点に答うるであろう。