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<衝撃深層レポート②>☆『地名学が教える尖閣・竹島の真相はこうだ』(下)楠原 佑介(地名情報資料室主宰)

   

 
                                                                                   <衝撃深層レポート②>
 
『この地名が危ない!』で注目の地名学者が、尖閣・竹島が日本固有の領土
たるゆえんを懇切に解き明かす
 
☆地名学が教える尖閣・竹島の真相(下)
 
楠原(くすはら) 佑介(ゆうすけ)(地名情報資料室主宰)
 
            <季刊『日本主義』2012年秋号(第19号)掲載>
 
 
島が「釣魚台」とされた経緯
 
 中世の日本の遣明使、それに伴う勘合貿易は、中華の権威を借りて日本列島と周辺の権威を高めようとするものではなく、もっぱら貿易による経済的利益が目的だった。琉球王国の場合も、大洋に囲まれた島々を領域としているから、政治的権威を獲得するというより貿易による利益が主要目的だった。
 
 琉球国は冊封関係の大陸側拠点として福州(現・福建省)に琉球館を置いた。これは現在の概念でいえば、領事館であるとともに商社の現地支社の性格が強かった。
 明・清朝と琉球との朝貢・冊封関係は約五〇〇年間に及ぶが、その内容を以下に纏めておく。
 
琉球→明・清への進貢船 二四一回
明・清→琉球への冊封船 二三回
琉球→明・清への謝恩船 二三回
 (奥原敏雄『明代および清代における尖閣列島の法的地位』による)
 
しかも琉球側は一回ごとの進貢船も謝恩船も中国側の冊封船よりは小型だったが、隻数は膨大な数にのぼった。当然の話で、琉球側の目的は中国から貴重な産品(中国産だけでなく世界各地の特産物)をできるだけ多く輸入するのが目的だから、船の数も従事者の数も多くならざるをえない。
中国側から派遣される冊封船には、水先案内を兼ねて琉球国の官人が乗船する。服州を出港した冊封船は台湾海峡東口の澎佳嶼沖から東へ針路を取り尖閣諸島北方に達する。
 
まず見えてくるのは現在の魚釣島だが、そこで中国側の冊封使が案内役の琉球官人に尋ねる。
「あの島は何という?」
「あれは、我が国のウミンチュー(海衆)はユクン島と呼んでおります」
「ユクンとはどんな意味だ?」
「魚のことです」
「何? 島に魚がおるのか?」
「いや、島に魚はおりませぬが、魚が釣れる島ということだと思います」
「そうか、ならば釣魚台じゃあ。周の太公望こと呂尚の話に通じる。めでたいことじゃ」
 
こうして冊封使は「釣魚台」の名を帳面に記録した。渭水のほとりの釣魚台と南シナ海のユクン島はまったく異なる地理的条件下にあるが、科挙で採用された中国の官僚は頭の中に文科的知識が詰まっているから、そんな矛盾には頓着しない。琉球の官人も、大陸のおエライさんがそう言うのなら、それでいいと判断し、釣魚島を和語に読み直して魚釣島の名が定着した。……
 
中国「民主派」もまた華夷思想か
 
今回、尖閣諸島魚釣島に不法上陸した香港の保釣連盟の連中はかつて〝民主派〟の人脈に連なっていた、という。
民主派がなぜ他国の領土に不法上陸して騒ぎを起こすのか、不思議といえば不思議である。
 
私は物心ついてわずか六〇年余りの人生だが、そのささやかな経験からいえば中国人は時の権力に対しては反対しても根底には自国・自民族への強すぎるほどの自負があると見る。それは古代以来の華夷思想に通じるはずで、この強烈すぎる自民族・自国文化への自負を捨て自己を客観視できるようにならない限り中国の民主化は見果てぬ夢だろう。
 
もう一つ、香港人の「釣魚嶼」へのこだわりは、本誌第二号の拙論で指摘した故・井上清京都大学教授の著作にもその一因がある。
 
井上教授は、海底油田・ガス田の存在に気づいた台湾・中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めるとすぐ、日本の左派系学術誌や親中派組織の機関誌に同調する論を発表し始めた。そしてそれらの論考を纏めて昭和四十七年十月、『尖閣列島――釣魚諸島の史的解明』なる一書を日本で刊行した。
 
この著作は五カ月後、中国語に翻訳されて香港の七〇年代社から『釣魚列島的歴史和主権問題』というタイトルで刊行された。この書名はまさに、香港人や世界各地の華僑を含めた全中国人の〝愛国心〟を強く刺激する。
中国通の友人の話では、この書はのち北京でも刊行されたが、今回の上陸事件前、北京版のほうは品切れ絶版だったが、香港ではまだ販売されていたという。自由を尊ぶはずの香港人も、容易には華夷思想から抜けきれないのである。
 
島名語尾「~嶼」の分布範囲
 
ところで、尖閣諸島の島名についてだが、東から順に赤尾島嶼(日本名は大正島)、黄尾嶼(日本名は久場島)、そして今回も香港人の不法上陸の現場となった釣魚島の中国名・釣魚島嶼と、その島名語尾に「~嶼」の漢字が使われていることに、初め私は強い違和感を抱いていた。なお、正式な島名として現在「釣魚台」と称しているのは台湾側だけで、中国政府は「釣魚島列嶼」と呼んでいる。
 
島名語尾の「~嶼」は、琉球王国が中国文化の影響をそれだけ強く受けていた証拠か、とも思われた。ところが地名学的に調べてみると、どうやらそれはまったく間違いで、むしろ島名語尾の「~嶼」は日本人が使い始めたものかもしれない、と思うようになった。
漢字の「嶼」は「山」偏に(つくり)は「與(与の旧字)」を組み合わせた会意形声文字である。「与(與)」の字は「与党」とか「与力」という用語から分かるように「くみする」が原義で、「嶼」はもともと現代語でいえば島々が複雑に組み合った群島を指す用語ということになる。日本列島はさしずめ、どこまでがどの島か判然としないほど複雑に組み合った長崎県五島列島や島根県隠岐の島前の島々などに使ってしかるべき字であった。
 
そうした字義の漢字を、本家本元の中国がなぜ絶海の孤島に使ったのだろうか。私の疑問は、そこから始まった。まず、「~嶼」という島名語尾の分布を調べてみた。
 
中国沿岸の島名にはかなり地域差があり、北部の黄海沿岸などでは「~島」型が圧倒的に多いが、長江河口付近では「~洲」が多くなり、その南の浙江省沿岸では「~山」型が色濃く分布する。一番有名なのは舟山列島である。日本でも「~山」型の島名語尾は宮城県牡鹿半島沖の黄金山があり、沖縄の先島諸島のうちの八重山も島名語尾の「~山」の存在を抜きには由来を語れない。
 
そして「~嶼」型の島名語尾は、台湾海峡に面した福建省から台湾沿岸で圧倒的な分布を示す。このことから、私は次のような結論に達した。
 
島名語尾「~嶼」の成立経緯
 
当初、島名語尾「~嶼」が日本では尖閣諸島でしか見られないから、これは中国系の地名かと思われた。
 
ところがある日、『風土記』丹後国逸文に「浦嶼子」の表記を見つけた。浦島太郎のお伽噺の元となった逸話である。この話は『日本書紀』雄略天皇二十二年七月条に記載があるが、『日本書紀』のほうは「浦嶋子」と「嶋」の字を使っている。
 
「浦嶼子」と書く『風土記』逸文は、もとは『釈日本紀』に記載されたものだから、『釈日本紀』が編纂された鎌倉後期には「嶼」の字を「島」や「嶋」と同じく普通のシマの意で使っていたことになる。
「~嶼」の字を使った島名語尾は、日本から倭寇集団を通じて中国南部に伝えられたのではないだろうか。であるなら、尖閣諸島の島々に「~嶼」の島名語尾が散見されても、違和感を持つ必要はまったくない。
つまり、この島名語尾は日本人が「嶼」の漢字の字義を誤って使い、それが中国南岸や台湾沿海に伝わったのだ、と考えるべきである。
 
元寇と倭寇
 
鎌倉後期の元寇ののち、朝鮮半島沿岸・中国大陸北部で倭寇が盛んに活動するようになった(前期倭寇)。
 
この前期倭寇は九州北部の武士団・海賊衆の集団で、日本側の規制と朝鮮半島側の懐柔策などで鎮静化し、やがて部隊は中国大陸の東南岸に移る。これが後期倭寇で、日本人も一~二割はいたが、その構成員の多くは中国沿岸の海賊だったとされる。
 
倭寇の評価について、朝鮮半島や中国では日本人の残虐性を示す例として喧伝されることが多い。だが、残虐性をいうのならば、元寇における蒙古人・高麗人の残虐さをも指摘しなければならなくなる。
 
韓国では、豊臣秀吉の文禄・慶長の朝鮮侵略が今でも折にふれ日本人批判のタネとして語られるらしい。日本の武士政権にとって、元寇をきっかけに鎌倉幕府がもろくも崩壊したことが、トラウマとして刻み込まれていたのであろう。
 
私は、国際関係を武力で解決しようとする行動に賛成しない。武力は怨念を呼び、怨念は相手方の新しい怨念を呼び起こすだけだからである。ここでいう「武力行使」とは、一九五二年、韓国の李承晩大統領が武力を背景に海に不当なラインを設定し、それまで韓国人が一度も主体的に利用したことのない日本海の竹島(本当は「松島」。後述)を一方的に自国領に取りこんだ行為も、当然含まれる)。
 
話を元に戻せば、倭寇の本質は海の倭人がともに連携して地域権力を確保しようとする動きだった、のではないか。ここでいう倭人とは、鳥越憲三郎が中公新書収載の一連の著作で述べた、古代中国で北の黄河流域に対し南の長江下流域で栄えた長江文明を育んだ民族集団の倭族のことである。
 
鳥越によれば、倭族は北の黄河文明を支えて中原を席巻した騎馬民族に押され、長江下流域から四方に四散して行く先々で小王国を建てたが、日本列島の倭国もその一つである。
だが、朝鮮半島沿岸や大陸の辺境には国家を樹立できなかった部族が散在し少数民族として取り残されていた。「倭寇」とは、そうした海の倭族の連携活動ではなかったか、と私は思う。
 
島名に「尾」の字が含まれるわけ
 
ところで、尖閣諸島の東の二島、久場島と大正島の中国風表記は「黄尾嶼」と「赤尾嶼」である。二つの島名にともに「尾」の字が使われていることも、一見中国風の命名であるかのように見えて、実は日本の地名文化に由来することを告げている。
漢字の「尾」はシカバネカンムリの「尸」に「毛」を組み合わせた会意文字で、「毛の生えた動物の尾っぽ」を示す。中国の地名を悉皆調査したわけではないが、めでたくあるべき地名に「尾」などは使うことはないのではないか。
 
ところが、日本では地名には無数に「尾」の字が使われている。
東京・八王子市の高尾山の名は誰でも知っているが、同じ高尾山が全国に一九あり、同じ表記でタカオヤマのほうは二四カ所もある(二万五〇〇〇分一地形図記載地名のみ)。ほかに「松尾」などの地名も全国にある。
 
日本人はなぜ、「尾」の字を好んで地名に使うのか。それは日本語のヲは凸型を意味するからである。山など凸型の地形もヲなら、下腹部に着いた凸型の性器もヲであり、動物の臀部に付いた凸型の器官も日本語ではヲになる。
そこで、山など凸型の地形には性別語の「雄」も器官名の「尾」も使うのである。
だから、黄尾嶼・赤尾嶼の名は日本人が命名したと結論するほかないのである。
 
「独島」も「竹島」も間違い
 
 東シナ海の尖閣諸島とともに、日本海の竹島もかまびすしい。竹島は江戸時代からの歴史を考えれば、疑いなく日本領である。韓国側の称する独島は武力による占拠とともにデッチ挙げられた虚称であり、古地図に載る于山島に当てる説も、「于」の字は「つかえて曲がる」という字義であるからには双子型カルデラを持つ鬱陵島の別称と見るべきである。カルデラは鍋の底のような地形で、水は行き止まって外に流れ出ない。「于山」も「鬱陵」もともにそういう地形を表現したものである。
 
 韓国側は「独島は我が国固有の領土」と主張してやまないが、鬱陵島から九〇キロ以上も離れた絶海の孤島に朝鮮半島の漁民がわざわざ出かけるはずがない。朝鮮王朝が立ち入り禁止の空島政策を取っていた鬱陵島には、欲しい漁獲物は有り余るほどあった。九〇キロ以上も離れた水もない岩礁に往復する然性は、皆無だった。
 
 一方、山陰の漁民は江戸時代初期は当時の竹島(今の鬱陵島)に毎年出漁していたが、その航路の途中にある当時の松島は絶好の投錨地だった。
 元禄九年の「竹島渡海禁止令」以降、山陰漁民は漁獲は竹島(鬱陵島)ほどは期待できないが、途中の松島に出漁した。
 
 明治三十八年(一九〇五)の竹島の日本領土登記を韓国と親韓派の学者連は「韓国が外交権を日本側に握られていた状況したで無断で強行された」と非難するが、当時、朝鮮人(韓国人)は誰ひとり島に主体的に出漁する者はいなかった。
 
 江戸時代から日本領であることは歴然としていて、日本人しか出漁しない島の帰属について、何で他国に通告する必要があろうか。もし、それを非難するのならば、一九五二年に強行された李承晩ラインの設定こそ、非難の対象になる。
 
 ただし、いわゆる「竹島問題」では日本側にも非がある。その一つは、江戸時代は「松島」の名で知られた島名を日本領として登記する際、一地方役人の短慮から間違えて「竹島」としたことである。「松島」の名が記載された江戸期の資料はもう日本側の領有権主張の資料として使えない。
 
 もう一つの過ちは、一九六五年の日韓基本条約締結のとき、根本的解決を図らなかったことである。そして、国際司法裁判所に提訴する作業を怠ったこと。国際司法裁判所への提訴は韓国の同意が必要、というのは言い訳にならない。
 
 韓国が応じようと応じまいと、毎年、提訴のポーズだけでも示しておくべきだった。
 日本が「竹島」の名で島を領有したのは一九〇四年から一八五二年までの四九年間、それ以後の韓国領「独島」の時代は六〇年になる。国際司法裁判所が江戸時代の「松島」を日本の実績と認めてくれるかどうか、微妙な問題である。
 
 幸い、今回の李明博大統領の上陸は、怠慢だった日本の政治家・役人の目を覚まさせた。国際世論も、日本が丁寧に説明すれば、歴史的経緯を理解してくれるだろう。
 
日本人は戦後の六七年間、半島有事・台湾海峡有事に備えたアメリカ軍駐留を、経済的な負担のみならず語りつくせぬ代償を支払って耐え忍んできた。
台湾人はともかく、韓国人に対しては日韓基本条約で基本的な賠償は済んでいる。それでもなお、相互に協議を続けると約束したのに李承晩独裁政権同様に島を占拠し続け、挙句、「日本海の名を消せ」とか「慰安婦に国家賠償せよ」とか「対馬は韓国領だ」とか、無理難題を吹きかけてくる。
 
言っておくが、日本は韓国ナシでも国際社会で生きてゆける。だが、韓国は日本ナシではどうなるのか。
中国は伝統的に「朝鮮半島は自国領」と考える国である。韓国だけでそれに対応できるのか。
いわゆる「竹島問題」および「北方領土問題」について、地名学の観点からもっと詳述するつもりだったが、紙幅が尽きた。次号で改めて論じると約束して筆を置く。
 
(続く)
 
楠原(くすはら) 佑介(ゆうすけ)  
一九四一年、岡山県生まれ。京都大学文学部卒業。出版社編集部退職後、地名研究家として活動。「地名情報資料室・地名110番」主宰。住居表示・市町村合併などによる地名の変更に警鐘を鳴らす。主な著書に、『「地名学」が解いた邪馬台国』(徳間書店)。『こんな市名はもういらない!』(東京堂出版)。『こうして新地名は誕生した!』(ベスト新書)。『この地名が危ない』(幻冬舎)。『古代地名語源辞典』(共著、東京堂出版)。『地名用語語源辞典』(共著、東京堂出版)。『地名関係文献解題事典』(共編、同朋舎出版)など多数。
 
 
 

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