片野勧の衝撃レポート(71)★『原発と国家』―封印された核の真実⑧(1960-1969) アカシアの雨がやむとき(下)
片野勧の衝撃レポート(71)
★『原発と国家』―封印された核の真実⑨(1960~1969)
アカシアの雨がやむとき(下)
片野勧(ジャーナリスト)
■キッシンジャー秘録
一方、キッシンジャーはこう証言する。
「1969年7月18日、くだんの佐藤の使者(筆者注:若泉敬のこと)が私に会いにやってきた。以来、二人は、両国の官僚機構の頭越しに、秘密のチャンネルをつくりあげた……。佐藤としては、核、繊維問題について、その基本的な原則問題でニクソンと了解に達したい意向だ、とのことだった。この基本的問題が片づきしだい、その細目の処理を双方の官僚に命じようというわけだった。私がニクソンに電話をかけ、佐藤の方針を伝えると、ニクソンはすっかり乗り気になって『それでやってみよう。国務省の面倒をみているわけにはいかない』といった」(『キッシンジャー秘録』第二巻、小学館)
日米の黒子は合意議事録に両首脳がサインする段取りを話し合った。会談は第三者が入ってはならない。完全に佐藤とニクソンの二人だけにしなければならない。キッシンジャーが策を示す。
「じつは大統領執務室に隣接して小さな部屋があり、そこにいろんな美術品が置いてある。そこで、会談の終わりごろ、『ふだん誰にもお見せしないんだが、今日は私の好きな美術品を特別にご覧にいれましょう』と言って、佐藤氏を招き、大統領と二人が入ったらドアを閉める。そこに前もって別の入口から自分が入っていて、議事録を二枚出してイニシャルを記入してもらう。こういうのはどうだ」
「なるほど、それはいいアイデアだ。それが自然な形でやれれば結構だ」と若泉は納得した。
1969年11月17日午前10時過ぎ、佐藤首相を乗せた日航特別機が羽田空港を飛び立った。日米首脳会談の初日。ワシントン時間11月19日午前10時、佐藤とニクソンはホワイトハウスの大統領執務室へ入った。通訳しか付き添っていない。会談は1時間40分続いた。日本のメディアは一斉に、こう伝えた。
「1972年、核抜き、本土並みで沖縄返還が決定」
若泉はあくまでも黒子に徹し、ワシントンには赴かず、東京に留まっていた。その夜、佐藤から国際電話が入った。
「万事うまくいった。ありがとう」
■原発と核兵器結びつける内調の報告書
若泉が中国の核実験直後(1964年10月)に内閣調査室(内調)に提出した報告書「中共の核実験と日本の安全保障」。中共とは、共産主義国家・中国のことを指す。書かれたのは1964年12月2日。ということは、中国の核実験からわずか2カ月後である。(中日新聞社会部編『前掲書』)。
この報告書は原子力技術と軍事利用を結びつける視点から書かれたものだ。世界唯一の被爆国でありながら戦後、原発建設に踏み出した日本が、原子力の平和利用を信じた国民の知らないところで、政権を支えるブレーンらが原発と核兵器を結びつける議論をひそかに進めていたのだ。
しかし、密約にせよ、中国の核実験の脅威にせよ、その場しのぎの外交は、自民党政権の暗部にそのまま現在に受け継がれているというのは、歴史の皮肉というほかない。
■潜在的に核を保有したい
私は米スリーマイル島原発事故(1979年)が起こる前から約40年、「反原発」の旗を掲げ、原発建設に警鐘を鳴らしてきたルポライターを訪ねた。鎌田慧さん(77)である。2015年12月11日――。約束の時間(午後5時)の15分前にはすでに来ていた。お茶の水駅から歩いて6、7分の、とある会館の5階会議室。
――佐藤内閣は極秘裏に核保有の可能性を研究していたと言われていますが、それに対する鎌田さんのお考えは?
「あなたがおっしゃるように、当時の外務省文書の中に、核の傘による抑止力だけでは不十分との見方から首相直轄の内閣調査室に核保有についての検討をさせていました。日本の保守派は核兵器保有するとは言わないけれども、潜在的に核能力を維持したいのです」
岸は安倍晋三首相の祖父。その安倍も核保有合憲論である。官房副長官時代から「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核を保有することは憲法を禁ずるところではない」と公言している。石破茂も同じようなことを言っている。鎌田さんの証言。
「要するに、政府は表に『原子力の平和利用』の看板を掲げ、その裏で『軍事利用』を結びつけ、核武装したいのでしょう。福島第1原発事故後も政治が原発ゼロを進めることができないのは、そのためです」
国家による欺瞞、虚構、幻想、無責任……。言葉は熱を帯びてくる。
「原発は安全保障に資するという形になって、地下水脈でしっかりと原発と核兵器はつながっています。つまり、政府は原発と核兵器を一体化する政策を進めているわけです。そういう将来を見据えたうえで、今、再稼働を着々と進めているのです」
国策民営によって形成された原発を見る鎌田さんの目は、怒りに燃えている。
「政府はあくまでもプルトニウム開発はエネルギー政策の一環であるとし、『核燃料サイクル』という一見、エネルギーの安定供給を連想させることを言っていますが、真の目的は核兵器製造の技術的ポテンシャルを保持するためです」
プルトニウムは原発使用済み燃料中に生成される。今、日本にはプルトニウムが43トンあると言われている。長崎型原爆5千~6千発。それをどうするか。その解決を見出せないことに鎌田さんは苛立っているようだった。
■再稼働は人類の英知に対する挑戦
――故郷を失い、今なお故郷に戻れない人々がいるというのに、新たに再稼働を進めようとしています。なぜ、再稼働なのか。その問いに、鎌田さんは語る。
「20万人にも及ぶ福島の人たちの居住権と人権を奪って、なおかつその補償もできてない中で、川内原発や高浜原発など再稼働させようとしているのは政治的犯罪といってもいいでしょう」
さらに言葉を継ぐ。
「政治のやり方というのは犠牲者が発生しても、その犠牲者を振り返ることもなく、前へ前へと進んでいく。極端な表現かも知れないが、戦車が人間を踏みつぶして前へ進んでいくと同じように、どんなに犠牲者が出ても、決めた方針で進む。犠牲者を見捨てる形で人権を踏みにじるのが国家の仕組みです。それが再稼働というもので、それは人類の英知に対する挑戦です」
穏やかな口調だが、出てくる言葉は厳しい。
■『自動車絶望工場』当時と何ら変わらない
「日本は広島と長崎に原爆が落とされ、また東京や大阪など大都市をはじめ、地方都市が空襲に遭い、木っ端みじんにやられても、結局“聖戦”という形で戦争を止めることができなかった。と同じように、これから犠牲者が出るだろうと予測されているのに、原発を推し進めていく。事実、150人以上の子どもたちに甲状腺がんが現れているのですよ」
今、福島の現場で、どれほどの労働者が被曝の恐怖にさらされているだろう。鎌田さんは1972年秋から6カ月間、愛知県豊田市にあるトヨタ自動車工場で期間工として働いた。当時、34歳。その体験をもとに書いたのが『自動車絶望工場』(講談社文庫)だ。合理化を進める企業と、疎外される労働者――。
「40数年たった現在も、その構造は変わっていません。とくに日常的に被曝させる原発労働者の環境はひどいものです。原発による白血病と認定される被曝労働者はこれからもどんどん増えていくでしょう。そういう惨憺たる状況の中で、川内原発や高浜原発など危険な原発を再稼働させようとしているのは戦前、ポツダム宣言を受け入れなかった頑迷な軍部政府とそっくりです」
――なるほど。
「そもそも自分で申請しないと労災認定されません。しかも下請け労働者・孫請け労働者ですから、弁護士を探して費用を払って訴えることは不可能です。また日本人には弁護士事務所に行く習慣がないですから、闇に消えた被曝労働者は多くいるはずです。それがそのまま捨てられてきたというのが実態です。これから除染・廃炉作業が進むにつれて、被曝労働者は増えていくでしょう」
――小泉純一郎や細川 護熙(もりひろ)、菅直人、村山富市など首相経験者も原発廃止を訴えていますが、どう思われますか。
「保守・革新の首相経験者も原発はダメだと言っているわけだし、保守層にも浸透してきています。一刻も早く政治決断しなければなりません。私たちも原発廃止法案をつくって政府に働きかけましたけれども、叶いませんでした」
■市民が国境を越えて連帯を!
さらに話を続ける。
「今、中国はものすごい勢いで大気汚染が進んでいます。これからどれだけ被害者が出るかわからない。それを政府がチェックしない、というより生産性向上運動をやってきたわけで、ともかく儲かればいいという形で公害を生み出してきました。大気汚染、水質汚濁、水俣病、イタイイタイ病など公害の教訓はあるのに、その教訓に学ばないで工業開発、工場生産に走っています。それを止めない責任は大きい。その上、中国も原発を増やそうとしています。原発をいかにして止めていくか。世界は重大な岐路にさしかかっています」
原発は地球全体に影響を及ぼす。フクシマは「核の脅威」を再び見せつけた。放射性物質は国家の領空を超えて地球を蝕んだ。こうした地球的問題に対して、一国だけで向き合えるのか。
「原発に限らず、地球環境という視点で取り組む時代です。そのために国家に縛られない市民が国境を越えて連帯することが必要です」
原発事故を機に効率・市場経済を優先するシステムの危うさが露呈したはずだった。しかし、日本もその教訓を生かす方向には進んでいない。なぜ、失敗から教訓を学べないのか。
■原子力開発のメッカ・下北半島
鎌田さんは青森県で生まれた。故郷には東北電力の東通原発や大間原発のほか使用済み核燃料再処理施設(六ヶ所村)がある。原子力開発のメッカである。県の委託を受けた日本工業立地センターの『むつ湾小川原(おがわら)湖大規模工業開発調査報告書』には、こう書かれている。
「当地域は原子力発電所の立地因子として重要なファクターである地盤および低人口地帯という条件を満足させる地点をもち、将来、大規模発電施設、核燃料の濃縮、成型加工、再処理等の一連の原子力産業地帯として十分な敷地の余力がある」
この報告書が書かれたのは1969年3月というから、すでにこのころから一連の原発施設をつくる計画があったというのだ。
「わが青森県は、日本でもっとも危険な県です。太平洋岸に配置された米軍三沢基地があり、猛毒プルトニウムや使用済み核燃料を収容した再処理工場など、六ヶ所村には危険施設が広がっています。さらに東通原発、大間原発もあり、また航空、陸上、海上各自衛隊の基地も配置され、原子力船『むつ』を送り出したところです」
まさに軍事と核産業の集中地帯である。さらに言葉に気迫がこもる。
「1969年5月、新全国総合開発計画が閣議決定した時、すでにこの地域が“原子力産業のメッカ”として運命づけられていました」
結果的に「むつ小川原開発」は幻の巨大工業開発計画として雲散霧消したが、その跡に残ったのが「原子力のメッカ」だった。下北半島ならぬ核半島――。「核のゴミ捨て場」とされる使用済み核燃料再処理施設や東通原発、大間原発……。
「政治の光が当たらないへき地、過疎地ばかりですよ」
――なぜ、過疎地なのでしょうか。鎌田さんは答える。
「原発は危険だから、どうしても人口の少ないところへ持っていくのが、つくる側の発想です。ですから、山を越えた峠の向こうとか、岬の向こうとかにつくられています。私は『離隔』という言葉を使っていますが、『離す』『隔絶する』というのが原発をつくる条件です。ところが、フクシマの原発事故の経験によって80キロ圏内も危ないとなってきました。80キロ圏内となると、もう日本で安全というところはどこもありません」
それは日本海岸の若狭湾岸、太平洋に面した福島県の浜通りにも言えることだ。それにしても、政治の空白地帯に限って今、脚光を浴びている、この無念さをどう晴らしたらよいのか。
■日本は「原発体制」下の国
――鎌田さんは、日本は「原発体制」下の国だと言っていますが……。
「先ほども申し上げたように、原発と原爆、原発と核兵器はつながっています。それを製造するメーカーは三菱、東芝、日立、IHI(旧石川島播磨重工)などで、それを支えてきたのが政府、官僚、電気事業連合会、経団連、学者、マスコミです。みんな一体になって原発を正当化するために総力戦を展開してきたのです」
激動の時代を生き、常に権力と対峙してきた鎌田さんの視線は政治家にも向く。
「原発ほどカネで人心を惑わす汚い事業はありません。原発利権をむさぼっているのは一部の財界・政治家・学者・マスコミの連中です。柏崎・刈羽原発では田中角栄の秘書が4億円もっていったという話もあります」
さらに続ける。
「政治家は日本を巨大な国にしたいのです。それで自分の名声を残そうとする。今の安倍政権はまさに富国強兵です。小国でいいと言ったのは歴代首相の中で石橋湛山ぐらいでしょう」
■原発は民主主義の対極に存在する
――40年以上、反原発を掲げて全国を駆け巡った結論とは?
「原発は民主主義の対極に存在する、ということです。民主主義とは全く相反するもので、原発があること自体が民主主義ではないということです。民主主義は人権・生活・平和の基盤です。原発は戦争につながり、つくる過程でも民主主義を破壊します。秘密的で事故が発生しても外へ出さない一種の軍需工場です。ですから原発と民主主義は対極に存在するというのが、私の意見です」
鎌田さんは共著『下北核半島』(岩波書店)でこう語っている。
「フクシマ原発事故の悲惨は、まだ継続中である。放射性物質による被害地は不気味に拡大している。遅すぎた教訓は、核は総てを喪わせる、という事実だった」――。
鎌田さんは作家でノーベル文学賞受賞者の大江健三郎さんや内橋克人さん、落合恵子さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん、鶴見俊輔さんらと「さようなら原発1000万人アクション」を続け、署名や集会などの活動を行ってきた。
そして2016年3月26日(土)には「さようなら10万人大集会――福島原発事故から5年 チェルノブイリから30年」を代々木公園で開く予定だという。
インタビューを終えると、鎌田さんはそのままその大集会の打ち合わせの場へ。果たして原発のない社会は実現するのか。JR御茶ノ水駅までの道、言外の意味を考えながら自問した。外はすっかり暗くなっていた。(かたの・すすむ)
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