片野勧の衝撃レポート●太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災 『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』㉓
太平洋戦争<戦災>と<3・11>震災
『なぜ、日本人は同じ過ちを繰り返すか』㉓
<原町空襲と原発(下)「震災」を写真に残したい>
片野勧(ジャーナリスト)
「石橋カネの日記」
私は熊谷さんの取材を終えて、次に訪ねたのは八戸市江陽に住むC石橋カネさんの居宅である。彼女は大正13年(1924)2月21日生まれ。89歳。戦前・戦中、日記をつけていたという。「石橋カネの日記」である。
「戦争中は紙がない時代でした。自分でも読めないぐらい細かい字で、さざ紙に書いたりしました」
戦中のジャーナリストや作家の日記は数多く残っている。たとえば、松浦総三『戦時下の言論統制』(白川書院)によると、戦争の矛盾を批判した清沢冽『暗黒日記』。身辺雑事を記録風につづった作家の一色次郎や山田風太郎、永井荷風、徳川夢声の日記。そのほか、獄中や戦場体験を記録した河上肇『獄中日記』や古川緑波『悲食記』など。
これらの日記の中で、清沢冽『暗黒日記』を除いて、ほとんどの日記は空襲の怖さや身辺雑事、食べ物に関するものが多く、戦争に対する批判が少ない。おそらく、戦争に疑いの目をもてば、憲兵に捕えられると知っていたからだろう、と松浦氏は述べている。
戦時中の日記は重要である。戦争という非日常的な出来事が映し出され、歴史資料として庶民の息づかいを知ることができるからだ。無名の庶民の「石橋カネの日記」も例外ではない。
八戸には、「石橋カネの日記」以外に「大久保源太郎の日記」があるが、女性の視点から書かれた「石橋カネの日記」は断然、面白い。戦争体験の希薄な現代にあって、当時の生活や考え方を知る上で貴重な資料ばかりではなく、八戸空襲に関する資料としても、これほど貴重な日記はないだろう。
石橋さんは当時、21歳。女子挺身隊員として、種差防空監視哨に勤務していた。八戸空襲のあった7月14日の日記にはこう書いている。(『八戸市史―近現代資料編 戦争』から抜粋)
「今朝不意に母が『かね! 起きろ、敵だ!』と云ふ。いそいで起き上ったら、飛行場(高館)の方で、ゴロゴロと雷様のなるやうな音。父は雷様だべと云ってゐたが、つヾいてダッダ……と機関銃の音。『そら敵だ』とばかりふとんをかむりハダシで壕へ。
こんなに不意に艦載機が来やうとは夢にも思ってゐなかった。おそろし、おそろし、敵は去ったやうだ。夕べのごはんをにぎって食べる。隣のあねさんは火をもやして巡査にひどくおこられたとか。又もや爆音機関銃の音。夕方浜の方から逃げるわ逃げるわ」
当時、よほどのことがない限り、普通の庶民の日記は検閲されなかった。そのために空襲の様子を見たまま、考えたまま書かれているのが多い。国文学者の吉田精一は日記についてこう書いている。「日記は自分にだけ語りかけるものであって、他人が読むことを予想しない」(『随筆入門』新潮文庫)。
なるほど、「石橋カネの日記」も公開を前提としていないから、自由に伸び伸びと書かれている。石橋さんに限らず、戦中の庶民の日記は、食べ物を書くときと、炎に追われて逃げるときだけ、生き生きと描かれている。生きるか死ぬか――という瀬戸際に立たされていたからだろう。
その一方、庶民の日記には戦争の全体像を捉えた客観的な記述は少ない。つまり、政府や軍部に対する批判的日記が少ないのが、戦中の庶民の日記の特徴である。戦中の日記は、たいてい、「石橋カネの日記」と大同小異である。
それは、ちかごろの批判精神の薄い日本人の姿に似ている。当時、日本に民主主義はなかった。しかし、民主主義がなかったからといって、済ませる問題ではない。やはり、批判精神があって民主主義が育つことを忘れてはならない。
終戦の8月15日の「石橋カネの日記」。
「今日母と共に、畠へかぶの肥をかつぐに行く。大そう暑かった。お昼になり私は一足先に家に帰る。途中、遺がい、裏のよしちゃんの家より、ラヂオで君が代を歌ってゐた。一体何事ならんと思ったが、大して気にもとめず家へ帰る。昼ごはんを食べ戸棚の前へながまってゐたら、父が裏より入って来たが、いきなり『日本が降伏したさうだ』との話。私は、夢かとばかり驚いた。日本にも降伏と云うコトバがあったのかと我が耳をうたがひ、しばらくは信じられなかった。
その夜七時のラヂオで亦、『ホウ送』があった。隣組の人達は皆、向ひに寄った。やがて、ラヂオによっても、我が降伏は、動かせぬ真実となってしまった。何故、日本は降伏などしたのだ。一そ、爆弾で死んだ方も良いではないか。広島へ、おそるべき原子爆弾を落したさうであるが、おとしても降伏よりはましだとも思ふ。
明日は勤務である。まだ当分列車は通らない見込み。また歩いて行かう」(前掲書『八戸市史』)
「なぜ、降伏などしたのか。いっそ爆弾で死んだ方がましだった」――今の若い人たちには、この言葉は信じられないだろう。しかし、この言葉は、きわめて日本の伝統性に依拠したものだろう。
「国(郷土)のため、君(天皇制国家)のために死ぬ」――。当時の日本人にとって、政治は国民のものでなく、天皇が決定するものだった。それが天皇と民衆との関係だったのである。
戦争も国民がまったく知らぬところで決定されていた。それに口出しすると、手錠をかけられる。だから、戦局が悪化し九分九厘、勝ち目のないところまで追い詰められても、まだ日本は絶対に勝つと信じ込まされていたのだ。
それはマスコミと決して無関係ではない。戦中の新聞や雑誌はすべて“撃ちてしやまん”“空襲なんぞ恐るべき”で塗りつぶされていた。マスコミは内務省や情報局の検閲下にあり、一方的な報道だった。日本は負けると思っていながら、マスコミは「勝った、勝った」と煽っていたのだ。
さらに、敗戦後、言論の自由が与えられたにもかかわらず、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が作ったプレス・コード(新聞遵則)によって、空襲・戦災に関する報道は禁止された。したがって、空襲・戦災に関しては市民の体験記や日記を重要な資料として見てゆくより外になかったのである。
先の清沢冽『暗黒日記』に、こんな記述がある。
「日本には不敬罪がいくつもある。一、皇室。二、東条(英機)。三、軍部。四、徳富蘇峰――これらについては、一切の批判はゆるされない」(19・4・21)
この状況は現在の日本にも当てはまるようだ。今日のマスコミで批判を禁じられているのは、「一、皇室。二、高級官僚」と言っていいだろう。もちろん、戦前の言論弾圧とはその質は相当違うけれども、言論は封じられているのだ。もっとも、日本に限らず、欧米でも韓国でも、軍隊を持つ国家は言論を統制し、国民に真実を知らせまいとするものだ。
敗戦と今回の大震災を比べると
――ところで、石橋さんは3・11、どこにおられましたか。
「自宅にいました。揺れが長く続くものですから、外へ出たら、町内の班長さんが避難しなさいと。でも、私は腰が痛くて歩けなくて……。家にいました」
電気はストップ。テレビは映らない。
――敗戦のときと、今回の大震災を比べると、どんな違いがありますか。石橋さんは答えた。
「敗戦のときは、すべてを失ったという感じでした。それでも、みんなが一体となって、この事態を乗り越えようとしていました」
――現在はどうか。
「正直言って、当時ほどの危機感はないですね。政治家も国民もマスコミも……。とくに政治家は政局しか考えていないのではありませんか」
復興の道筋をどのようにつけるのか。日本の再建に必要な財政的な裏付けをどうしていくのか。きちんとした復興政策を打ち出してほしいと、石橋さんは願う。
胸を打つ生徒たちの感想文
青森県南部町立の、とある中学校。2010年10月8日。子どもたちは戦争をどのように受け止め、アメリカにどんな感情を持っているのか――。2学期になって行った平和教育の講演会。
講師に迎えられたのが石橋カネさんである。話のタイトルは「私が見た戦争」。石橋さんは子どもたちの目を見つめ、分かりやすい言葉を探しながら語りかけた。50人近くの生徒たちは、じっと石橋さんの八戸空襲や戦争の話に耳を傾けた。石橋さんは語る。
「東京大空襲とか広島・長崎の原爆のことは知っていたけれども、私達の住む八戸にも戦争があったのを初めて聞いたという子どもたちの感想文を読んで、私は驚きました。日本の平和教育はどうなっているんだろう、と」
石橋さんは八戸空襲だけでなく、戦時中の食糧難についても話をした。
「わが家は農家でしたから、白いご飯を食べていました。しかし、配給の人たちの主食はカボチャや大根でした。しかし、誰もが同じような境遇で、貧乏は当たり前のことでした」
生徒たちは、そんな時代もあったのかと、みんなびっくり。「よく、戦争の中を生き抜いてきましたね」という生徒もいた。あるいは、「戦争は遠い場所で起こった出来事と思っていましたが、今、考えると、そう思っていた自分が情けない」という生徒も。さらに、石橋さんは言葉を継いだ。
「勉強は大事ですよ」
友だちと遊んだり、机に向かって勉強することがなかった時代が、再びあってはならないことを石橋さんは強調した。
私は、石橋さんにお願いして、感想文のいくつかをコピーさせてもらった。たとえば、3年生のK君の感想文。
「石橋さんから戦争の講話を聞いて、大切なことをたくさん教えていただきました。人に対する接し方、命の大切さ、今わたしたちが生きていることが、どれほどすごいことなのかを改めて知ることができました。……(中略)わたくしたちは恵まれた環境で暮らしています。このような状況があるのは、平和主義の憲法をつくってくれたからだと思います。戦争は、とても無駄なことだと思っていたけど、昔、戦争があったから、今の平和な日本があるのかなと思います」
もうひとつ、1年生のK君の感想文。
「戦争は本当に、むなしいものだと思いました。なぜなら、人も亡くなってしまう。食べ物もなくなってしまう。戦争をやって何一ついい事はないと思いました。
しかも、その戦争は歴史に刻まれていってしまう。でも、この戦争を語りつづけていく事によって、戦争のむなしさを世界の人に訴えて、これからも少しずつ戦争をなくしていくべきだと思いました。
ぼくたち、日本の国は法律の『非核三原則』により『核兵器をもたず、つくらず、もちこませず』=(戦争をしない)という法律があって本当によかったと思います」
自民党憲法改正草案の懸念
今、憲法改正論議が盛んに行われている。自民党が示した憲法改正草案を軸に、発議要件を定める第96条や「戦力不保持」をうたった第9条などで議論が交わされているが、自民党案は、これまでの「憲法で政治を縛る」という正統な立憲主義の系譜から逸脱している。
「長い歴史と固有の文化を持つ日本国」がまずあって、個人は「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る」存在と位置づけている。これは「個人」の可能性を最大限生かすという理念と真逆で、まず「国家」があるという考え方である。つまり、個人より公益を鮮明にしているのだ。
さらに「戦争の放棄」を定めた憲法第9条の「陸海空軍その他の戦力は保持しない」「交戦権は認めない」と戦力不保持をうたった第2項も削除。代わりに「国防軍」の創設を明記したほか、集団的自衛権行使も新たに加えた。
私はこうした動きを見ていて思うのは、子どもたちの「戦争をやって何一ついい事はない」という感性の鋭さである。このK君の作文を政治家たちはどう読むのか。
本来、戦争と無縁であるはずの子どもたちが、戦場で右往左往させられた時代を教訓にしなければならない。史実をしっかりと受け止めるべきだ。
私は齢90を迎えようとする石橋さんの話を聞いているうちに、あどけない少年、少女の顔が浮かび、重なった。
1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。近刊は『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。
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