名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑦『お客さまに尊敬されよ』(稲盛和夫)『トップは役員会に出席するべからず』(本田宗一郎)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言
・千言集⑦> 前坂 俊之選
飾らない人に信を置け
小原 鐵五郎(城南信用金庫会長)
金融マンは人相見といわれる。この人は信用できるかどうか。金を貸してもキチンと払うかて、印象をよくしようとうかどうか。
相手の態度、服装、言動から判断できなければし金融に従事するものとして失格である。
もちろん、融資にはそれに相当する担保や企業の財務内容のチェックが伴い、総合的弍判断するものだが、融資するか
どうかの基準はあくまでもお客の態度である。
小原は言う。
「外見には無頓着で、汚れたナッパ服を着たまま相談に来て、後ろから奥さんがお金を鳥に来るようなら信用できる。
逆に上等な背広をパリッと着て、高価なタイピンやカフスボタン、ピカピカの靴をはいてあらたまって来る人
は要注意である」と。
不誠実な者ほど外見を飾りたて、初対面の相手によい印象を与えようと策をろうしがちだが、ダマされてはいけない。
人間が信用できるかどうかは外見ではなく、人柄を見るべきだから。
お客さまに尊敬されよ
稲盛 和夫(京セラ創業者)
商いの極意とは一体何であろうか。
「ビジネスには利益、儲けが不可欠です。儲けとは漢字で『信』と『者』の組み合わせ
です。自分を信じてくれる者が増えるのが儲けの意味です。商売は『信用』というのはこ
の意味からも当たり前のことです」
稲盛はさらに、進んで「お客さまからの信用を超えて、尊敬されよ」と言う。
商いの極意とは「お客さまから尊敬されること」なのである。
商売は相互利益である。儲けたいと思えば、相手から信用されな
いとできないが、同じに相手も信用しなければ成り立たない。相手も儲かるようにしてあげる。
稲盛は言う。「いい物を安く、正確な納期で、素晴らしいサービスで提供すれば、当然
信用はいい物を安く、正確な納期で、素晴らしいサービスをお客様に提供することで、当
然信用を得られるが、売る側に徳性や人徳があるとすると、信用を超えて、お客様から尊
敬される。お客さまから尊敬されるならば、価格など問題でなく、無条件に買っていただ
ける」
運とはわが身を練って、運ぶことなり
安田 善次郎(富士銀行創業者)
この世には確かに運というものがある。問題はその運の神が、むこうから自分の方へ来
てくれるものか、逆に自分の方から取りにいくものなのか、この二つの判断の仕方によっ
て人生の成功と失敗が分かれてくる。運という字は「はこぶ」と読むから、わが身で、わ
が身を運んで行かなければ、運の神に会うことも、愛されることもない。
「果報は寝て待て」ということがあるが、これは「練って待て」が誤って伝えられたも
のだ。練るというのは、一生の間に艱難辛苦にあって心身を鍛練すること。世の中で悪戦
苦闘して、貧苦を克服することを避けて、ただ果報を待っていても来るはずがない。
運を「運ぶ」ためには、日ごろから「練る」ことをしておかねば、せっかく運を肩の上に乗
せても、身体がこれに耐えれない。運もろとも倒れてしまう。ことを成し遂げた人はみな
「運んだ人」「練った人」なのである。
“儲ける”には限度があるが“儲かる”のは無限大
市村 清(リコー、三愛総帥)
市村は、敗戦後間もない頃、明治神宮の宮司から「神宮関係の多くの人たちが、どうし
て食べていけばよいか困っている」と相談を持ちかけられた。結婚式場を作ることを市村
は提案し、東奔西走して資材をかき集めて明治記念館結婚式場を作った。
「こんなモッタイぶったところで、結婚式場をやっても、利用者は少ないだろう」と利
益など夢にも考えずに開業したが、開店早々、黒字になった。市村が数多く手がけた事業
の中で、黒字になったのはこれが最初であった。
市村はハッと悟るものがあった。
「結局、もうけようなんて気持ちが強くてはダメだ。もうかるようにならなければダメ
だ。もうけようという気持ちでは限度がある。いくら一生懸命にやっても、たいしたこと
はできない。しかし、道にのっとってやれば自然にもうかる。このもうかるは方は無限で
ある」と。この「か」と「け」の違いが商売の秘訣である。
仕事名人は命がけでケイコに励み、仕事を楽しむものだ
大倉 喜八郎(大倉グループ創始者)
何事によらず、名人上手となるためには、その芸に数を積み、場を重ねて錬磨習熟し、
技芸と心身とがあい合致して、不即不離の妙境に入らねばならない。
実業界でも同じこと、人間の才能というものは、そんなに違うものでないから、本人の
心掛けひとつで成功と失敗、金持ちと貧乏が分かれる。
三味線の名人といわれる団平や吉兵衛は現在でも朝起きると、必ず四十キロもある重いバチを使ってケイコに励み、
一日も欠かしたことはない。こうして自分が芸になり、芸が自分になる「入神の境地」になる。
私は過去何十年を一日のごとく、ひたすら自己の天職と信ずるところにむかって、奮闘
努力してきた。もう一つ必要なのは「仕事は楽しんですべきだ」ということだ。一生懸命
やっていれば暑さも忘れる。これこそ「無銭避暑法」ではないか。
人生に遅すぎることはない
安藤 百福(日清食品創業者)
安藤が日清チキンラーメンの製造に取り組んだのは一九五八年(昭和三十三年)、四十
八歳の時である。当時、ラーメンといえば、零細な家内工業で作られており「別にラーメ
ンでなくても、他に仕事があるだろうに」と周囲から変な目でみられた。
遅すぎた出発だ―と人は言ったが、安藤はそうは思わなかった。数々の事業を手がけて
つかんだ「食こそ人間の原点」という確信があった。即席メンの原理も、今となっては簡
単に思われるが、開発時は失敗の連続、文字通り寝食を忘れて没頭して、六十一歳の時に
カップヌードルを開発した。事業、人生に遅すぎることはない。人が言う、遅すぎた出発
の日清食品はわずか五年後に、一流会社の仲間入りを果たした。
トップは役員会に出席するべからず
本田 宗一郎(ホンダ創業者)
本田は創業当初を除いて役員会にはほとんど出席しなかった。昭和三十九年に役員室が
できてからは副社長も顔を出さず、4人の専務に経営を任せてきた。
創業した本田、藤沢らが出席すると、結論が一点に流れるのを嫌ったのである。会社を
興す人と、盛んにする人間では考え方が違い、創業社長がいつまでもガンバっていると、
会社のエネルギーは失われてしまう。このことを本田は身にしみて知っていたのである。
本田はこう書いている。
「私と副社長は創業者で、途中からすべり込んだ経営者とは違って、偉大な権力を持っ
ている。この偉大な権力を持って役員会に臨んでごらんなさい。
役員たちはぼくらの話を聞いていて、どう発言すれば、喜ばれるかと考えでしょう。はじめから筋書きは
わかっちゃっているんですよ。放っておきさえすれば、役員は経営に一生懸命になりますよ。役員
会で決めた結果を聞いて、悪ければもう一度練り直してくれと、一言いえばそれですむこ
とことですから」
五つ教えて、三つほめて、二つ叱る
立石 一真(オムロン創業者)
まずほめることが人の教育指導のコツである。人をほめることはやさしいようで、案外
難しい。とかく、他人の欠点が目につくというのが人情だが、人のよい点をみて、ほめる
ことが大切だ。人の長所に目をつけて、それを伸ばしていく。人を育てるためには、愛情
を持って眺めて、ほめて育てなければならない。
逆に、叱ることも時には必要である。自分の回りに、親切に叱ってくれる人、そうした
身内や先生、先輩を持っているほど幸せはない。ただし、ほめっ放しでもまずいし、叱る
だけや注意するだけでは逆効果である。「五つ教えて、三つほめ、二つ叱る」でバランス
をとりながら、愛情を持って指導する必要がある。
修・破・離
素野 福次郎(TDK会長)
これは素野の座右銘である。「修」とは学ぶこと。「破」とはこの学んだ知識を突き破
って、新たな創造の世界に入ること。そして、「離」はさらにもう一歩進んで新しい境地
に入ることをいう。
この三段階の過程で、新しいものをつくりだし、さらに発展させて、よりよいものを創
造していくサイクルが生まれる。
学ぶだけ、修めるだけでは次の次元に進めない。学んだものを否定して、格闘し、発展
させるためには破らねばならない。
科学が急速に進展する時代でも、新しい知識を学び、技術を生むのは人間である。
その創造の秘訣はこの「修・破・離」の弁証法、三段活用によって可能となる。
セールスマンは雲水たれ
丸田 芳郎(花王会長)
雲水の修業に民家を各戸ごとに回って、お布施をいただく『乞食』という行為がある。
雲水の心得に「一村を余すとも一戸を残すな」という言葉があるが、一つの村で一戸も余
すことなく全部回れという意味だ。
お経をあげ相手の幸せを祈り、同時に相手に布施する喜びを知らしめて、仏の道に導く
のが『乞食』の目的。仕事も生活も雲水の修業と同じ。
追われても、叩かれても戸口を訪れるのが雲水の務めであり、セールマンも全く同じで断られても、
断られても「本当に消
費者のためになる製品」ならば、何回もそのことを繰り返し、訴えなければなりません。
セールスマンはこうした修業が不可欠です。それだけの信念がなければ、本当のセールス
マンとはいえない。