片野勧の衝撃レポート(35)太平洋戦争とフクシマ⑧悲劇はなぜ繰り返されるのかー原発難民<中>「白河以北一山三文」⑧
太平洋戦争とフクシマ⑧
≪悲劇はなぜ繰り返されるのかー
★「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」
原発難民<中>「白河以北一山三文……」⑧
牛舎には牛一頭もいない
車を降りて、話を聞く。男の人の名前は岩間政金さんという。大正14年(1925)12月11日生まれの88歳。牛舎には牛一頭もいない。閑散とした風景である。
――大変ですね。牛をすべて失って……。
「この牛舎はうちのものではないのですが、みんな放射能でやられてしまったのは悲しい」
――住まいはどこですか。
「浪江町の津島というところ。テレビでも良く紹介されるダッシュ村です」
ダッシュ村というのは、日本テレビ(NTV)番組が地図に新たな名前を残すために新たにつくった、いわば架空の村である。所在地は福島県双葉郡浪江町西部の津島地区。しかし、注目が集まって人が押し寄せるような事態や、悪質ないたずらを避けるため、長らく公表を控えてきた。
ところが、2003年1月の火災事故の際、『福島民報』が住所を報じたために広く知れ渡った。それでも日本テレビ側は非公表を貫いてきた。
2011年3月11日午後2時46分。地震が発生した。ロケ中だったダッシュ村も大きく揺れた。地震発生から4日後の3月15日付け公式サイトで、こう告知した。
「建物や施設に重大な損壊はなく、出演者ならびに全スタッフの安否はすべて無事が確認されています。また、動物たちも無事です」
さらに、ダッシュ村は東日本大震災による放射能漏れ事故を起こした福島第1原発の20~30キロ圏内にあり、退避指示に従って出演者やスタッフが村から引き揚げたのである。
大震災から、ちょうど1カ月後の4月11日、浪江町全域が放射線の累積線量が年間20ミリシーベルトに達する恐れのある「計画的避難区域」に指定された。当地へ立ち入ることは長期間、制限された。そのために日本テレビは2011年4月24日の放送で初めて所在地を公表したのである。
この時の浪江町津島(ダッシュ村)の放射線量のデータは、田んぼが12μシーベルト/h、枯れ葉が35μシーベルト/h、牧草地が18μシーベルト/h(2011年7月16日に測定、NTV調べ)。この数字は相当高い線量率を示している。
400頭の牛をすべて失う
――放射能で牛はどうなりましたか。私は岩間さんに聞いた。
「困ったものです。うちは400頭の牛を飼っていましたが、放射能被害ですべてを失いました。政治家も次から次へと来てくれましたが、何の手も打ってくれないし、もう政治は信用できませんね」
私は岩間さんに戦争体験についても話を聞いた。
――終戦時は何歳でしたか。
「たしか21歳でした。兵隊で満州にいました。しかし、戦争で負けて鉄砲も取られ、山の中を逃げました」
敗戦後、満州ではソ連兵による収奪や強姦、殺戮が行われた。岩間さんは約1年間、5人の兵隊と一緒に山の中を転々とした。そんな中、食べるものがなく、栄養失調で餓死していく者は数えきれないほどいたという。
――その時の心境は?
「山の中は寒くて死にそうでした。今、思うと、よく帰ってこられたものです」
岩間さんは中国遼寧省の南西部にある葫蘆島から日本に引き揚げてきた。岩間さんははっきりした引き揚げ年月日は覚えていないが、インターネット(ウィキペディア)で調べると、葫蘆島からの引き揚げは1946年5月7日から開始され、同年末までに101万7549人が日本に送還された。
――ところで、牛を失い、家を追われた今回の原発事故と、戦争の悲惨さを比べて、どう思われますか。
「戦争の方がはるかに辛かったです。だって、生きるか死ぬかの瀬戸際ですから。私の同級生は皆、死にました。一人として残っていません。その点、原発事故で死ぬことはないし、皆さんの支援もありますので、戦争とは全然、違います」
戦争と原発――。この2つの国策に翻弄されながらも、岩間さんは今、生きていることに喜びを感じているようだった。
岩間さんにインタビューしているところへ1台の車が入ってきた。岩間さんと約束していた古山久夫さん(当時、55歳)とその妻である。古山さん夫妻は標高700メートルの鶴石山(いわき市)の牧場に避難していた。
しかし、その牧場は電気が通じない。道路は砂利道。彼も怒りを込めて、こう語る。
「避難せよ、といっても仮設の牛舎をつくってくれなければ住めないよ。こんな山頂では買い物もできない。東電は、まだ俺の牧場へもきていないよ。ひどいもんだ。現場を見ないでは話にならんよ。賠償のめども立っていないんだ」
政治家はよく「大所高所から」という言葉を使う。大所高所からでないと、物事の全体像が見えないということらしい。しかし、自分が高い位置にいては、庶民の生活はわからない。庶民の心情や、その生活の実情からだんだん離れていく。
「政治家も避難所で生活してみろよ」
避難区域や警戒区域などに指定されて避難を余儀なくされた古山さん。
「政治家も1週間なり10日なりでも避難所で生活して見れば、我々の気持ちもわかるはず。しかし、誰一人として我々の生活の中に飛び込んできた人はいない。生き物を扱っている人が一番、苦労していると思う」
もちろん、実際に被災地に入り、被災者が何を必要としているのかを聞き、それを受けて法案をつくっている議員もいる。被災地から選出されたわけでもないのに、何度も被災地に足を運び、ボランティア的な活動をしている議員も。しかし、自分の利害しか頭になく、権力抗争に明け暮れている議員がいかに多いことか。
古山さんは健康診断も受けるよう勧められた。しかし、受ける暇がない。震災から八カ月も経っているのに、いまだに収束のめどが立っていない。戦後、開拓の酪農家として今の浪江町に入植した古山さんだが、その苦労をいっぺんに吹き飛ばしてしまったのが、原発事故であると、にがにがしくこう語る。
「息子も今、南相馬市原町で酪農を営んでいるが、この原発事故で家族がバラバラになってしまったよ」
不安。怒り。諦め。分断。岩間さんや古山さんに限らず、20~30キロ圏内に住んでいる多くの人たちは、何を見、何を考えているのだろうか。突然の避難命令によってふるさとを追われ、それに先立つ地震・津波で一瞬に親や夫、妻、子ども、親類縁者を亡くしてしまった彼ら彼女らは、被災地を彷徨うこともできない。
家族がバラバラになるとは、どういうことか。「故郷」を棄てるとは、いったいどういうことなのか。故郷という空間のなかには美しい過去が紛れ込んでいる。その過去を棄てようというのか。
福島の地で、故郷という言葉が特別な意味をもって語られ出したのは、3・11原発事故後のこと。原発事故で生まれ育った土地を離れて生きる経験は、ある意味、新しい「故郷」を生み出した。それは、たとえば、小学唱歌で歌われた「春の小川」のような、国民のふるさと・美しきわが故郷として。
しかし、意気消沈している人びとにとって、“さあ、いつでもここに帰っておいで”と呼びかけられても、無理だろう。今までどれだけの人が、その甘い呼び声に惑わされてきたことか。
映画「原発被災地になった故郷への旅」
「映画と講演がありますよ」――私は長年、反原発運動を続けている大貫淑さん(81)に紹介されて出かけた。東京・国立市の、とある公民館。2014年2月21日午後6時30分。小さな会場だったが、40人は集まっていただろうか。
「原発被災地になった故郷への旅」――この映画の舞台は福島第1原発から20キロ圏内の町、南相馬市小高区。
映画の主人公は、小高区出身の小説家・志賀泉さん。彼は1960年生まれ。福島第1原発から一番近い双葉高校出身。二松学舎大学卒業。2004年、『指の音楽』(筑摩書房)で太宰治賞を受賞。現在、川崎市在住。彼は語り始めた。
「小高から帰ってきて、夜に東京の街を歩いていると、明るさと騒々しさで頭が痛くなるんです。そして無性に小高に帰りたくなる。どっちが正しい世界だろうといつも思うんです」
胸に去来するものがあるのか、彼の目にはどこか憂いを含んでいた。小高区は震災後、警戒区域に指定され、住民に避難指示が出されたが、現在、日中の立ち入りは自由になった。しかし、瓦礫の撤去や復旧工事は遅れ、除染作業も進まず、市に見放されるのでは、と不安を抱く住民は少なくない。
映し出される映像は放射能への不安をことさら煽り立てているのではない。原発事故でいまだにふるさとに帰れない被災者の姿を取り上げているのでもない。ただ、ひたすら、津波や原発事故で傷ついた故郷を歩き、少年時代を語っていく物語。
それは、たとえば通学路――。人はだれでも自分の通学路を持っている。そこには、その人の成長過程が刻まれている。愛媛県出身の映像作家・杉田このみさんは、人それぞれの通学路の思い出を映画にしようという企画を温めていた。この企画を聞いて、志賀さんは、かねてから親交のあった杉田さんに話を持ちかけた。「被災地の通学路を撮ってみては?」と。
汚染されたふるさと。それでも風景はやさしく美しい
志賀さんは通学路を歩きながら考える。「放射性物質は目に見えない。一見、のどかに見える里山も実際は汚染されている。しかし、汚染された海や街並みや里山が、どうしてこんなに美しいのだろう」。
やさしく美しいふるさと。それは、少年時代の思い出として。また原発被災地となった故郷への旅として。
志賀さんは、この日の講演でこう語っていた。(以下、志賀さんのブログの一部抜粋から)
「小高区の海辺に塚原という集落があります。そこの海水浴場で子どものころ、よく泳ぎました。同級生の家もあるのでなじみの深い土地です」
その小高区の塚原に住んでいた人が、こんなブログを書いていた。――「春、家に帰ったら、畑にフキノトウが生えていた。放射線量は国が定めた基準値以下なので、天ぷらにして食べた。春を感じた。おいしかった」。
見方によっては危険だと思われるかもしれない。しかし、被災地で危険を承知でフキノトウを食べるのは、原発事故に負けまいとする強い意思表示ではないのかと志賀さんは思う。
「正しいとか間違っているとかいう問題じゃないんです。生き方の問題なんです。それが理解できるかどうかが、つまり、都会から被災地を見る視線と、被災地を故郷として見る視点の違いなんです」
かみしめるように語る志賀さんの話を聞いていて、私は思った。これは被災地出身者だからこそ、見えてくる風景ではないのか、と。(かたの・すすむ)
片野 勧
1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。
続く
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