終戦70年・日本敗戦史(112) 戦後70年を考えるー文明の衝突としての大東亜戦争―玉砕、餓死、自決、捕虜殺害の「人権思想」の対立②
2015/07/24
終戦70年・日本敗戦史(112)
戦後70年を考えるー「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』の内幕
—<ガラパゴス日本の『死に至る病』は続くのか③>
文明の衝突としての大東亜戦争―玉砕、餓死、自決、捕虜殺害の「人権思想」の対立②
シンガポール・マレー半島の華僑虐殺
1942(昭和17)年2月15日に山下奉文司令官の第二五軍はシンガポールを占領した直後に〝華僑粛清命令〟を出した。一八歳から五〇歳までの華僑・華人男子を何カ所かの指定場所に集合させ、簡単な尋問をして「抗日分子」とみなされた者はトラックに乗せられて海岸などに運ばれ、機関銃で集団射殺されたのである。ちなみに、「建国の父」とも呼ばれたリー・クァンユー前首相も、この虐殺からの危うく″生き残った一人だった。 虐殺は一九四二年二月二一日から三月末まで続けられ、戦後のシンガポール側の調査によると四万~五万人(日本軍によると約五〇〇〇人)が殺された。 華僑虐殺は、シンガポールからマレー半島全域び犠牲者は五万人から一〇万人にのぼるとされている。
バターン死の行進はなぜ起きたか
フィリピンのマニラを攻めた日本軍は、バターン半島に立てこもったマッカーサーの米・フィリピン混成軍と激しい戦闘を繰り広げた結果、1942年4月九日、に占領して米・比軍は降伏。マッカーサーはオーストラリアに脱出した。約七万六千人(米軍一万二千、フィリピン軍六万四千)が捕虜になった。 日本軍は大勢の捕虜をバターン半島南端マリべレスからサンフェルナンドまで炎天下を110キロオドネル収容所までさらに十数キロを歩かせた。行進中は、食糧はもとより水さえわずかしか与えられず、収容所にたどり着くまでにフィリピン人捕虜約一万六千人、米人捕虜約千二百人が死んだとされる「バターン死の行進」事件である。
大江志乃夫「昭和の歴史③天皇の軍隊」小学館(1982年)によると、バタアン死の行進事件は二つあった、という。
『一つは辻政信大本営参謀が「大本営命令」と称して専断でだした捕虜殺害命令事件であり、第二がこの行軍事件である。辻の事件の証言者は第六五旅団の歩兵第一四一連隊長今井武夫大佐である。
今井は、四月一〇日、参謀の中佐から電話で、「バターン半島の米比軍高級指揮官キング少将は降伏を申しでたが、日本軍はまだ全面的に承諾を与えていない。その結果、米比軍の投降者はまだ正式に捕虜として容認されていない。
各部隊は手もとにいる米比軍投降者を、一律に射殺すべしとする命令を伝達する。貴部隊もこれを実行されたし」との報告を受けた、大本営参謀勤務の長い今井は、「正規の筆記命令で伝達されたい」と要求し、この口頭命令を無視したが、口頭命令にしたがって多数の米比軍捕虜を殺害した部隊もあった。』(大江前掲書)という。
一方、「炎熱下の〝死の行進″は、パタアン半島に食糧や収容施設がなく、自動車輸送力も不足していたことから、多数の捕虜をいそいで後方まで徒歩行軍させる中で発生した。しかし、実際には捕虜と230両の自動車を捕獲している。日本軍の捕虜蔑視の思想が生んだ事件」としている(同書)
生存率は0,24%という驚くべき事件「サンダカン死の行進」、
オーストラリアの戦争史上、最も残虐な事件
この「バターン死の行進」はよく知られているが、「サンダカン捕虜収容所の死の行進」はほとんど知られていない。これはオーストラリアの戦争史上、最も残虐な事件、悲劇といわれるもので「サンダカン死の行進」約2500名のオーストラリア、イギリス軍捕虜が収容されていたが、戦後まで生き延びたのはわずか6名でわず、生存率は0,24%という驚くべき事件である。
あの悪名高いアンボン捕虜収容所でさえ、生存率は23%、過酷な強制労働で知られている泰緬(タイメン)鉄道建設工事に従事させられたオーストラリア軍捕虜の生存率は72%である。
東京裁判での(オーストラリア代表)検察官によれば、「第二次世界大戦中、ドイツ、イタリアで一四万二三一九名のイギリス兵が捕虜となり、そのうち五・一%の捕虜が死亡、殺害された。これに対し極東では、五万〇〇一六名の英国兵が日本軍の捕虜となったが、実に二四・八%が死亡、殺害されたという(『極東国際軍事裁判速記録』第132号)。
800年前の源平合戦「源義経の鵯越」をまねたインパール作戦 (大馬鹿事件!)
以上のように、海外の占領地での虐殺や餓死が、日本の兵士が陥った「人間無視」の状況とまるで同じなことがわかる。
ガナルカナルの戦闘以上に異常事態となったインパール作戦も、こうした日本の封建時代の病理の自死思想と声のデカい猪突猛進型の人間が出世ラインにのぼり、独断でトンデモ作戦を指揮し、上の者もブレーキをかけられない前近代的な組織的欠陥が浮き上がる。
日本軍が敗退を続いていた昭和十九年三月、インドアッサム州の英印軍の重要拠点インパール攻略をめざす作戦が7万人の兵力で開始された。 制空権のない日本軍がわずか3週間の食糧しか持たず雨季の標高三千mジャングルの山をこえ約三百キロを突破して攻撃するというる超アナクロニズム(時代錯誤)な計画。
命令したのは第十五軍司令長官・牟田口廉也で、蘆溝橋事件当時の現地連隊長で名をはせた典型的な猪突猛進型の軍人で補給を完全に無視していた。 奇襲、速攻のため重火器は持たず、糧食輸送などは象、牛、馬、羊に搬送させるという800年前の源平合戦・一ノ谷の戦いでの源義経の鵯越(ひよどりこえ)をまねてたという噴飯もの。
大本営作戦課長も「無茶苦茶な積極案なり」と驚いたが、クレージーな牟田口に押し切られてしまう。 部隊の一部はジャングルを悪戦苦闘して、乗り越えては四月六日にはインパール北方百キロの要地コヒマを占領した。
しかし、四月中旬から糧食、弾薬の補給が途絶え、雨季の豪雨のジャングルの中で七万の将兵は飢餓と悪疫と英印軍の反撃に苦しみ四月末にはすでに作戦継続は困難となった。 上級司令部は撤退の決断がおくれ、南方軍が大本営の認可を得て退却命令を出したのは七月八日だった。
その間、前戦将兵の死傷は急増し、作戦中止決定後の退却行も困難を極め、退却路は餓死、病死者の遺体が連なる〝白骨街道〟の惨状を呈した。参加兵員七万余人、うち戦死三万六千、戦傷病四万余。「インパール作戦をふくむビルマ方面軍でも死者の78%、14万5千人かそれ以上が餓死者である」とー藤原前掲書は推定している。
サイパン・バンザイクリーフでの「集団自殺」
サイパン島の日本軍司令部が同島北部にあり、「絶対国防圏」のなかでも最重要な基地であった。東条首相もサイパン防備には絶大な自信を持ち、天皇にもその旨説明していたが、米軍との激しい戦闘が6月から1ヵ月間も続いた。
日本軍の戦死25000人、自決は5,000人、追い詰められた民間人らが、北端のマッピ岬まで逃げて、高さ80mの断崖から海に次々に飛び込む「集団自決」が起きた。
その数8000から1万人。日本兵に「泣く子は殺せ」と言われ、幼い子は窒息死させた犠牲者も多数に上った
。海は血で真っ赤に染まり、サメが群がったという。断崖は後に「バンザイクリフ」と呼ばれた。昭和19年7月18日、この敗戦の責任を取って、東条英機内閣は総辞職に追い込まれた。
テニアン、グアム両島も相次ぎ陥落し、日本全土が、B29爆撃機の攻撃圏内と、日本の敗北が決定づけられた。
1945(昭和20)年、敗戦は決定的なのに、国体護持のためだけに50万以上の
国民を犠牲にしたのはなぜか?
東條退陣のあと小磯国昭内閣(昭和19年7月-昭和20年)4月)、鈴木貫太郎終戦内閣が同4月7日である。 昭和天皇の終戦内意により鈴木貫太郎内閣が誕生したのは1945年(昭和20年)4月7日である。
すでに、ヨーロッパ戦線ではドイツが敗北し、5月8日には無条件降伏した。敗北が決定的なことは指導者、国民も知ってはいたが、降伏は絶対口外できる状況にはなかった。「七生報国」(楠木正成の「七たび人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん」との意味.)「死んでも、死んでも、死んでもやる」の狂信的なスローガンが連日叫ばれた。
大本営は最後まで一撃論にこだわった。一度、米軍に勝利、または大打撃を与えて、和平交渉に有利に持ち込みたい一心だった。 6月24日政府は「義勇兵役法」が決定した。
連合軍の日本本土侵攻に対処するため、全国民の軍事組織化を意図、15歳以上~60歳以下の男子、17歳以上~40歳以下の女子を国民義勇戦闘隊に編入できるとした。すでに沖縄戦では、全住民を軍の道連れにしていたが、この法律は、沖縄の本土化を意味した。国民皆兵によって竹やりなどで米軍にたちむかえという、原始戦法である。
7月26日に米英中の連合国は「ポツダム宣言」を発した。内容は「日本国は本州、北海道、九州、四国と諸小島に局限される」「戦争犯罪人の処罰」「全日本軍の無条件降伏と日本国政府によるその保障」などで、「受け入れなければドイツ同様の迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」と声明していた。
すでに10日前に米国は初の原爆実験に成功していた。 7月27日、鈴木貫太郎首相は記者会見しポツダム宣言を黙殺する声明を発し、「断固戰争完遂に邁進する」と言明した。
この「黙殺」は同盟通信社で「ignore it entirely(全面的に無視)」と翻訳されていた。 これから、9日後の8月6日、広島市へ原子爆弾投下、死者12万人から約30万人(現在まで)を出した。
9日には長崎市へ原子爆弾投下、死者75000人-15万人(現在まで)、同日の御前会議で「国体の護持」を条件に受諾を決定した のである。
10日連合国に「国体の護持」の条件でのポツダム宣言の受諾を打電。11日 米国は「降伏時より、天皇および日本政府の国家統治の権限は連合軍最高司令官に従属する(subject to)」との電文が届いた。
この訳について「制限の下におかれる」とする外務省と「隷属する」とする軍部の間の対立が激化した。 つまり、「国体」、天皇制が維持されるか、どうかの疑問であり、維持されるとみる外務省と「隷属する」『国体を否定される』と解釈する軍部の最後の抵抗である。
御前会議で採決の結果、同数となり、最後に昭和天皇が「受諾」の 断を示し8月15日、自ら終戦の放送をおこなった。
「大日本帝国憲法」(明治憲法)の内容と、召集令状(1銭5厘の人の命)
戦前までは「天皇君主制」である。「大日本帝国憲法」(明治憲法、明治23(1890)11月施行)では第一条で「大日本帝国は万世一系の天皇が統治す」第3条は「天皇は神聖にして侵すべからず」第11条は「天皇は陸海軍を統帥す」とあり、第20条に「日本臣民は法律の定めに従い兵役の義務を有す」とある。
つまり天皇が「統治権、立法、行政、司法、軍の全権」を握っていた前近代的な王権神授説なのである。
あとは7000万人の日本臣民のみ国家。臣民とは君主に直接に支配される家臣であり、国民のことをいう。共和国では人民という。である。参政権、選挙権を有する人民を市民ないし公民という。
これは、現在日本の政治体制である。戦争中は「赤紙」といわれる召集令状(1銭5厘の命)―現在の貨幣価値で約100円)で兵士をいくらでも集めることができた。
つまり、人の命は無価値に等しく、兵士の餓死、玉砕は大本営にとってはなんともなく、明治憲法通リに国体護持が最高命題となったのだ。文字通り『人の命、人権を大事にする』民主主義国家対「天皇君主制の大日本帝国」との文明の衝突の行方が誰の目にも明らかであった。
「召集令状・一銭五厘の命」 http://blogs.yahoo.co.jp/siran13tb/62189597.html
このブログを引用、転載すると、兵隊の命は「1銭五厘」と言われていた。
おわり
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