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終戦70年・日本敗戦史(92) 戦後70年を考えるー「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』 内幕<A級戦犯に指定の徳富蘇峰の戦争批判

      2015/06/19

終戦70年・日本敗戦史(92)

戦後70年を考えるー「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』

の内幕<ガラパゴス日本『死に至る病』は続くのか④>

              前坂 俊之(ジャーナリスト)

A級戦犯に指定された徳富蘇峰の戦争批判

以上の経過を見れば「誰もが望まない戦争」を「清水の舞台から目をつむって飛び降りた開戦」であり、「ドロナワ式、戦争目的のない、長期ビジョンのない、出たとこ勝負の開戦」だったことが良くわかる。

戦争の発端とそのプロセス、結末直結し、歴史の因果はめぐる。「清水の舞台(清水寺)から目をつむって飛び降りた自殺戦争」は、その戦略も作戦も泥縄式に作られたため、支離滅裂となり『自滅の死闘』を繰り返し文字通り「ジリ貧をさけようとして、ドカ貧」の最悪の結末になった。

大東亜戦争の理論的指導者として、A級戦犯に指定された徳富蘇峰は支那事変(日中戦争)は「世界史上最も愚劣な戦争」とレッテルを貼ったが、(この徳富自身が戦争中はさんざん戦意昂揚のデマゴローグを書きながら、敗戦後には一転して自身の責任を棚上げして指導者を罵倒している無責任、無節操はきびしく批判されるべきですが、それはさておき)、次のように日記に書いている。

「わが大陸政策は、陸軍そのものの部内でさえも、歩調が揃っていなかった。いわんやわが国の外交政策、国際戦略の上で、廟謨(びょうぼ、政府の戦略)が一定し、1つの筋書に基づき、陸海軍の両翼、車の両輪の如く、同一の目的に向って、同一歩調をとるなぞという事は、事実の上には、皆無に近かかった。

それは支那事変中ばかりでなく、発展して大東亜戦争となっても、またこの通りであった。最後の終戦に瀕する際まで、陸軍は陸軍、海軍は海軍、外交は外交、廟謨廟謨(びょうぼ、政府の戦略)は廟謨、めいめい勝手の建前によって、勝手な行動をしたのである」と言い切っています。(昭和22年1月17日午前、晩晴草堂にて)(「終戦後日記」4巻)

また、「大東亜戦争は、専ら陸軍が責任を負って、海軍は嫌や嫌やながら、そのお相伴を食ったというような事を言う者があるが、これは決して公正の論ではない。海軍は、必ずしも当初から、米英と開戦する事を、希望したのでは、なかったかも知れないが、日本の方向を、北から南に、大転換をしたのは、海軍の力である。

言わば、陸軍に手柄を与えようとして、海軍がちょっかいを出し、出したちょっかいが、意外に大事件となって、その後は事件の本家本元たる陸軍が、引き受けねばならぬ事となり、陸軍の手の届かないところは、海軍がこれを引伸ばし、海軍の伸ばしたる手に乗って、陸軍がまた進出し、互にマラソン競走の如く、競争して、あげくは大東亜戦争となったのである。(昭和22年1月17日午前、晩晴草堂にて)(「終戦後日記」4巻)

山本五十六の功罪、科学技術への無知、インテリジェンスの欠如

 

さらには山本五十六の功罪、日本軍部、海軍、陸軍の科学技術への無知、インテリジェンスの欠如についてもつぎのように、言及している。

「わが陸海軍は、そのする事なす事、敵側には一切筒抜けであった事は、例えて言えば、山本五十六連合艦隊司令長官が、戦死したことも、日本では偶然のように考えているが、アメリカ側の発表する所によれば、山本が海軍諸基地の、巡視に出掛ける情報を、米国側では探りあて、それを当時の海軍長官ノックスより、現場の司令官に通報し、それによって山本の巡視を、途中に待ち受け、これを墜落せしめたるものであった。

(米側の暗号解読で待ち伏せして撃墜された)あたかもイノシシ撃ちが、猪が必ずここを通るという報知を得て、そこに待ち構えていたのと同様である。これは一の例であるが、一以て十を知るべしである。」(昭和22年1月⒒日午前、晩晴草堂にて「終戦後日記」4巻)

この徳富蘇峰の指摘は、日本軍人だけでなく当時の政府はもちろん、知識人にも共通した科学技術への音痴、科学的合理的精神の欠如を示すものであり、現在の日本でのインターネット、ICT(Information and Communication Technology)は「情報通信技術」の意味)への無理解につながっている、と思う。

太平洋戦争での勝敗を分けたテクノロジーは「レーダー」の開発だが、山本に象徴される日本海軍トップのインテリジェンスは日清、日露戦争当時の山本権兵衛、斎藤実、東郷平八郎、秋山真之と比較すると数段劣っていたといえる。特に、インテリジェンス(情報戦略、無線通信、レーダー、暗号などの最新技術の研究・開発・導入)では無知をさらしたのである。

山本には米海軍のような情報参謀がついておらず、日本海軍は米英独からもレーダーの開発におくれ、太平洋戦争前から日本海軍の暗号は米側に解読されていた。

真珠湾攻撃からわずか半年後のミッドウエ―海戦の情報戦に完敗

日本海軍の暗号は1936(昭和9)年、ドイツから暗号機械エニグマを買い入れ、改良して作ったもの。米軍は「暗号の天才」フリードマンらが1940昭和15年)8月に、これを解読する九七式印字機の模造機制作に成功した。この結果、ルーズヴエルト大統領は、解読された日本の外交電報に常に目を通しながら、日本の手の内を見ながら戦略を練っていた。

開戦1ヵ月後の昭和17年1月20日、日本海軍の伊号124潜水艦がオーストラリア近海で機雷敷設にふれて沈没した。米海軍は潜水夫をもぐらせて、潜水艦の金庫から作戦暗号書などを回収した。米太平洋艦隊司令部戦闘情報班はすでに解読していた日本海軍の暗号通信の半分の「D-一般暗号書」と、この回収した作戦暗号を解析照合して、日本側の機動部隊が太平洋上で新たな作戦計画を展開する情報をつかんだ。

しかし肝心の攻略地点は分からない。暗号には「AF」の文字がよくでてくる。これが攻略ポイントの暗号ではないかと、米側はトリックを仕掛けた。ミッドウエー米基地から暗号ではなく日本側がすぐ読める平文で「ミッドウエーでは真水蒸留機が故障している」とのニセ電文を発信した。

これを傍受した海軍軍令部第四部特務班は直ちに「AFは真水が不足している」と暗号電を前線へ打返し、ミッドウエーが攻撃地点であることがばれてしまう。強い電波で、わざわざ平文で発信するトリックにやすやすとだまされたのである。

一方、米海軍はどうだったのか。ニミッツ米海軍太平洋艦隊司令長官は情報参謀を常に横におき、暗号解読で得た日本側の作戦情報を分析、日本側の裏をかく「待ち伏せ作戦」を展開、高性能のレーダーで日本の機動部隊の位置をいち早く確認して、先制攻撃を加えた。

同年6月5日からのミッドウエー海戦では日本は虎の子空母4隻と熟練した歴戦のパイロット110人を一挙に失い太平洋戦争敗北への分岐点となった。日本海軍はこの敗戦をひた隠しにして、戦闘員を口封じに前線に飛ばし、山本司令長官は敗戦責任にはほおかむりしたのである。

『海軍甲事件』でも日本暗号は絶対に解読されていないと結論

結局、暗号システムの基本が解読されると、乱数表をいくら取り替えても、すぐに解読されてしまうことに日本側は気づかなかった。日本海軍は「日本の暗号は絶対に解読されない」とのうぬぼれから敗戦までじゃじゃもれの暗号システムは変えなかった。その結果が、山本五十六機が撃墜される原因につながる。

1943年(昭和18)1月29日、伊一号潜水艦がガダルカナルで輸送作戦中、ニュージーランドの駆逐艦に追われてリーフに座礁した。中には艦船・基地の呼出符号一覧表や古い暗号書が残された。米海軍はこれを回収して、日本海軍の最新の編成や配置を読み解く絶好の資料とした。

4月18日、これらの暗号解読によって山本五十六長官の前線視察日程を知った米海軍は、ブーゲンビル島上空で陸軍P38戦闘機隊を待ち伏せさせて、山本長官機を撃墜した。

これも暗号解読によるものとバレないように様々な偽装工作を行った。事前にブーゲンビル島上空に頻繁に偵察、攻撃機を飛ばし、偶然の出会いのように仕組んだ。さらに、ニミッツはラバウル付近の原住民から山本長官機の行動予定表を入手したというニセ情報を米軍内に流して、二重三重に隠蔽した。

「海軍甲事件」(山本長官撃墜事件)を調査した海軍委員会は、「この撃墜は山本長官行動予定の電報を解読せねば不可能。しかし、この電報の解読は強度最高のD暗号を使用しているので理論的には不可能。偶然に遭遇したと判断せられる」と結論した。太平洋戦争は山本五十六の「情報戦の完敗」だったのである。

「よくもこんな状況で戦争を始めたもんだ」と驚いた米軍

準備の全くない「出たとこ勝負の戦い」だった点は、兵器の開発、生産の面に露呈した。40年前の日露戦争で使われた旧式の三八式歩兵銃(米軍は機関銃、火炎放射器)や、山砲、大砲が中心で、歩兵戦が中心でノモンハン事件(昭和13年)でソ連製の大型戦車に完敗した軽小の日本戦車も改良せずそのまま生産し、火器も弾薬も生産が間に合わず、兵器工場も老朽化したままだった。

戦争に突入しても机上の増産プランは資材の欠乏、熟練工の不足、設備の不完全によりオンボロ兵器しかできなかった。

敗戦後、日本に進駐した米軍総司令部の兵器部長代理のケープ大佐は、「よくもこんな状況で戦争を始めたもんだ。日本の兵器生産方式は近代的工業国より20年年遅れ、熟練工や技師数も不足していた。」

「日本軍首脳部は、物的戦力の主体たる兵器の担当者(陸軍省兵器局)に計ることなくその同意を得ずして、独断的に米英開戦を準備し決行した。十分の兵器の整備を待たず、物的戦力の準備なくして、無謀にも大戦に突入したのである。」(加登川幸太郎著「陸軍の反省(上)」(文教出版、1996年 25P)

陸海軍の対立、分裂、非協力、陸軍内でも上下関係の不一致、各部局の相互連絡、コミュニケーション、協力体制の不備、ロジスティックス,兵站部門の軽視など日本の末期症的な組織バラバラ欠陥を指摘している。

つづく

 - 戦争報道

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