『Z世代のための日本戦争学講座①』★『今日(2024/12/08)は80年前の真珠湾攻撃(太平洋戦争開始)をした日で、この4年後に日本は敗戦・亡国した』★『日米戦争反対論者の山本五十六連合艦隊司令長官はなぜ開戦に踏み切ったのか?」★『当時の日本の政治、軍事、社会情勢が戦争に流されていった状況を振り返る』
2024/12/08
日本リーダーパワー史(55)記事再録編集
歴史インテリジェンスからみた太平洋戦争と山本五十六①
陸軍と海軍がことごとく対立、陸軍なって国家なし、海軍あって国家なしの無政府状態で、ましてや国民おやです。
政治家は軍人をまったく押えられずシビリアンコントロールできなかった。(たまたま、6月25日朝刊毎日新聞にはオバマ大統領がアフガニスタン駐留米軍司令官の大統領やアフガン政策を批判したかどで首にしたことを報じていました。米国のシビリアンコントロールが厳然と守られており、大統領が最高権力者で権力の1本かがきちんと実施されている)
④ 中国の悪しき科挙制度をまねた官僚の世界も同じ。

⑧ ここで紹介するのは、山本五十六を間近にみたジャーナリストの証言です。
大艦巨砲より航空戦略を重視・墓標にみる山本元帥像
海軍黒潮会記者・萩原伯水(元日経記者)
海軍報道の刷新をはかる 山本次官、黒潮会を重視
② 海軍軍事普及部の刷新
③ 黒潮会の重視=海雷情報は黒潮会を通じて行うを重点に刷新を図った。
これまで軍事普及部の委員長は予備役編入直前の将官ときまっていたが、それでは迫力がないので山本次官は委員長に現役のパリパリ比叡艦長 金沢正夫大佐を据え、軍令、軍政両面にわたって機密を知り、生きた報道ができるように近代化を図った。
一方、黒潮会に対しては海軍のことは一切黒潮会を通じて公表することにし、極力海軍に関する情報が多岐にわたって流出するのを防ぐようにした。従って黒潮会との関係は緊密となり、代々の次官、局長で黒潮会に顔を出した人はなかったのに、山本次官はよくノコノコと記者クラブにやってきて、雑談をしたり将棋を指したりしていた。
とくに支那事変が勃発してからは、正規の黒潮会員以外に地方紙の記者も出席すにようになり、見当はずれの質問や意見も出たが、山本次官は面倒くさがらず、いちいち丁寧に返答して正しく理解されるよう努めていた。それというのも海軍のことは全部黒潮会を通じて発表するという方針を貫くためで、この間の消息を物語る次のようなエピソードがある。
記者会見でも、こんなことをきいてもいいのかと、こちらがいぶかる質問にも山本次官の答えは直裁簡明だった。省内の責任者らが機密事項としていることもあけすけに話した。だがそれだけではなく、イエスかノーかは答える。
しかし信義は守れーというのが山本流の行き方だった。三国同盟に関する発言でも、歯にもの着せぬ反対論なので勇ましかった。それだけに敵も多かったように思う。
太っ腹だったエピソードの数々
次に掲げるのは福田耕氏の話である。福田耕といえば岡田啓介首相の秘書として二・二六事件の銃火の先礼を受けた有名な人だ。氏は昭和一三年上海眞如無線台と劉行の受信所修復のため華中電気株式会社の社長として大陸に赴任し、上海を拠点として占領地区の通信事業の復興に従事していた。ところが通信に絶対欠くことのできないトランスミッターがない。
当時の中国人は日本の技術水準を知らない。トランスミッターはどこの国の製品かときく。日本電気という会社の製品だというと、そうかも知れないがホントは何処ナンだときく。要は眞如無線台の無線電話開設のためのトランスミッターだからドイツから買えば安く、しかも早く着く、しかし私はドイツからは買わぬ、あくまで日本製を据えて中国人の蒙を開きたいということで、上京して山本次官に訴えた。
山本は軍令部第二第四部長、軍務局の関係者を次官室に集めて会議を開いてくれたが、会議中、山本は終始一言もいわない。私は憤慨して上海に帰った。ところが上海に着くと、山本から一通の電報が待っていた。
「船橋海軍無線所に十五キロの通信機あり。それを使用あり度し」私はトンボ返りで再び上京、宿願を達してそれを現地に運んだ。即刻、東南亜の通信に使ったことはいうまでもない。ところでくれたのでもなく、貸したのでもない。ただ使っておれというだけだ。こんな太っ腹の芸当は、普通の軍人や会社経営者にできることではない。黙っていたのはその間中、心当たりを探していたのに違いないと思うと憤慨したのが恥ずかしかった。
以上は福田氏の喜寿の祝いを西園寺公ゆかりの興津の水口庭で開いた席上、福田氏が披露したもの。太っ腹といえば戦前のことだが、山本が霞ヶ浦航空隊の副長兼教頭の時、大雨による洪水が起こり周辺に住んでいた海事家族が困っていた。それを見て、公金五万円を支出して被害家族を救済したことなどー若い時から大胆なことをやってのけた語り草が残っている。この性向が後年の真珠湾攻撃に繋がっていると、いえなくもない。
山本次官の肝いりで練習艦隊に同乗
このような状況のもとに、海軍を担当する記者も、「国際的な視野でものを見るようにならなければならない。それには練習艦隊に便乗させるのが一番よい」ということになり、抽選の結果、読売新聞の等々力栄君と私が選ばれた。
それはいいが六カ月にも及ぶ軍艦生活を覚悟しなければならない。健康状態はどうか、医務局で診てもらったところ、なんとか保つでしょうという。
山本次官自身も余程国際法を勉強したものと見え、支那事変の当初すなわち一二年八月、日本海軍機による駐支英大使ヒエーゲッセン氏誤爆事件、同年一二月の米艦バネー号撃沈事件の処理に当たり、厳しい国際世論にもかかわらずクレーギー英、グルー米大使と接衝を重ね円満解決をもたらした。
「戦争記事」より「上海復輿」を取材
次官いわく「ああそうか、ご苦労だ。だが戦争の記事は一行も要らない。それより上海をどうするか、作戦上の必要からやむを得ず上海を壊してしまったが、あそこは国際都市で一日も早く復興させなければならない。それにはどうしたらよいか、それを見てきてくれ。」
山本次官と日経編集局長・小汀利得のインテリジェンス
カーン氏に会って来意を告げ、上海復興についての意見を求めたところ、支那の幣制統一が蒋介石政権の強化に大いに役立ったことなどひとくだり述べたあと戦争は勝っても負けても双方にとってロスだ。早く止めなければならぬ。さあ大変だ、そんなことを書いたら直ぐ憲兵隊に引っ張られるだろう。しかし取材した以上記事にしないわけにはいかない。とにかく一本の原稿にまとめて本社に送った。一過ばかり経って送られてきた新聞を開いたら「戦争は双方に損」という見出しで、私が書いた記事が四段で載っている。その筋の呼び出しが今日か明日かとひやひやしていたが結局なにもなかった。
ドイツ、イタリアは頼りになる相手ではない
山本元帥が信念の人だったことは有名だ。その証になる二つの事例を挙げたい。
⓵三国同盟反対のことだ。
山本はアメリカ駐在武官として二度もアメリカに駐在し、アメリカの軍備はもとよりその国の資源、工業力、国民感情などをよく知っており、米内は米内で第一次世界大戦とその後のロシア革命に至る欧州各国の情況を具さに見ており、独、伊は頼りになる相手でないことは百も承知だった。日、独、伊防共協定は昭和11年1月、広田弘毅内閣の時調印された。その後大島浩武官とリッペントロップとの間で、有事の際の軍事援助まで規定しようとする議論がなされたが、防共協定から相互援助に至る全過程において、わが海軍の態度は初めから消極的だった。
②もう一つの信念の発露は航空第一主義の戦略の主張である。
その論拠は巨舷を造っても不沈はあり得ない。将来の飛行機の攻撃力は非常に威力が増大し、砲戦が行われる前に飛行機の攻撃により撃破されるから、今後の戦闘には戦艦は無用の長物になる。というものであった。
しかし長年培われた海軍の伝統である海軍首脳部の大艦巨砲主義は崩せなかった。山本の航空第一主義の戦略思想はいつごろ生じたのか、山本は大正8年には米国の国情研究のため、また大正14年には駐米大使館付武官として2度にわたってアメリカに駐在した。当時は第一次世界大戦の終了後で、欧米では戦略思想が海戦主義から航空本位のものに変わりつつあり、特に英、米、仏、独が中心をなしていた。この欧米戦略思想の変化が山本に影響したことは否めない。
日本将来の国防は航空第一主義でなければならぬことを力説したのである。将来の海上決戦は、従来のような観舷式的な軍艦をならべた戦いではなく、航空戦だというのが彼の主張だった。
大佐で副長兼教頭の彼は下士官、兵と一しょに机を並べて教青を受けた。運用術、機銃の操作、通信その他全般にわたって教育を受けた。無類の頑張り産と、何事でも徹底的に研究しつくさねぼやまぬ性向とで、霞ケ浦航空隊在勤一年有半は山本にとって貴重な経験の連続だったようだ。
その証拠には支那事変の勃発後は内地の基地から南支那海を渡って中国本土を攻撃するいわゆる渡洋爆撃すら可能になったのである。
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