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『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講座⑨』★<日本最強の参謀ー「杉山茂丸」の経済雄弁術⑦』★『細かい数字を百年の国策に取り交ぜ、談論風発、相手を煙幕に巻く』★『 その六尺近い巨体を擁し、堂々人を圧する魁偉なる容貌と、どこまでも相手を魅了せずにおかない長広舌は、まさに座談の雄者(下村海南)』

   

2014/03/06  日本リーダーパワー史(481)記事再録編集
①   その六尺近い巨体を擁し、堂々人を圧する魁偉なる容貌と、どこまでも相手を魅了せずにおかない長広舌は、まさに座談の雄者である。
②   庵主の座談には、硬軟とりどり、千紫万紅である。経済を口にして払い込がいくらで配当が何分、為替が何ドル、外債の利子がいくらと、ソロバンの細かい数字を、大日本の百年の国策に取り交ぜ、談論風発、相手を煙幕に巻き込んでしまう。

◎下村海南著『はきちがえ』四條書房(昭和八年五月刊)の『杉山茂丸と秋山定輔』より。

前坂俊之(ジャーナリスト)


明治国家の参謀、明治政府の大物を陰で操ったと言われる杉山茂丸について長年関心を持って、調査、研究しているが、このほど下村海南著『はきちがえ』四條書房(昭和八年五月刊)という本を古本屋で見つけ、その中に『杉山茂丸』についての珍しい文献があったので、以下で紹介する。(2003年7月に執筆)

下村海南(しもむら かいなん)は

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%AE%8F

1875.5.11~1957.12.9。和歌山県出身。 本名下村宏。
1898年東大政治学科卒業、逓信省入省。貯金局長を経て1915年台湾総督府民
政長官。早大、中大、東京商業大学で財政学の講師となる。その後,朝日新聞副社長、1945年終戦時の情報局総裁。児玉源太郎、後藤新平と親しかった杉山とは交流が深く、杉山が亡くなった時、下村は朝日に追悼記を連載している。

秋山定輔

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E5%AE%9A%E8%BC%94

は明治の新聞人,政治家。明治26(1893)年10 月に「二六新報」を創刊。最初はうまくいかず、休刊をへて明治33(1900)年に復刊。1 部2 厘の廉価で「万朝報」に対抗してセンセーショナルな紙面で労働者階級へアピールし、部数を伸ばした。その後激しい政府攻撃を展開して発行禁止処分も2 度受けた。

――――――――――――――――――――――――――――――
杉山茂丸と秋山定輔』(1) 人形と人形使い

吉田文五郎も、吉田栄三も1年づつ年をとって行く。文楽の人形浄瑠璃というものが、このままで続くのか、益々盛んになるのか、それとも次第に衰えて行くのか、それもわからない。しかし、文五郎なり、栄三の一年づっゆ年をとって行く事だけは間違いがない。
文五郎、栄三のあとをつぐ人が出るかどうか、それもわからない。また、人形作人として後世、後嗣ぐべき人なしといわれ、「人形道の神様」にたとえられている文三郎のような人、今後見られないといわれるが、果して、然るかそれもわからない。

維新の元勲として、伊藤博文あり、山県有朋あり、次いで新日本興隆の舞台に立役者として活躍せる者に、桂太郎あり、児玉源太郎,寺内正毅あり,後藤新平あり、田中義一あり、これらの人形を

躍らした文五郎、栄三にたとへんは言葉が過ぎるかも知れぬ。
しかし、少くとも絶えず、政界の裏面に活躍し、殊に日清、日露の二大戦役の前後を通じ、奇策縦横、彼の春秋の蘇秦、張儀にも比すべく、こうした立役者の帷幄に活躍せる者に杉山其日庵がある。

庵主は自ら「もぐらもち」と称している。常に地の底ばかりはいまはっているというのである。

人形とならず人形つかいになっておる、それも黒衣を着た人形遣いであるというのである。本人はそういはなくとも、筆者はそういっているのである。しかもその手馴れた人形は、ぽっりぽっりと無くなつてゆく。

おのれの命の影もまた一日一日と薄らいで行く。庵主は遠からず来るべき死に直面して、さきに『俗戦国策』なる一本を筆にしてある。
日常好んで剣を相し、義太夫を語るの外、文筆をよくして幾多の著書を公にしている。
しかし、何んといっても、其日庵主人杉山茂丸の真価は実にその便々たる大鼓腹と蘇秦糞くらへの口舌であらねばならぬ。

庵主の口舌は壇上て、大衆を前にし、とうとう懸河の弁を振うのではない。相手とサシで取り組み組み説き伏せるのである。相手が大物であればあるほど取組みやすいらしい。

その六尺近い巨体を擁し、堂々人を圧する魁偉なる容貌と、どこまでも相手を魅了せずにおかない長広舌は、まさに万人が等しく認める座談の雄者であらねばならぬ。

(2) 経済を口にする国士

由来、国士を以て任ずる人々の弁論は、とかく話に上下を付けて竪すぎる。熱烈過ぎて、常軌を逸しやすい、感情にはしり過ぎて、話しが抽象に陥りやすい。しかも庵主の座談には、硬軟とりどり、千紫万紅である。殊に経済なるもの口にする。

払い込がいくらで配当が何分だから利回りがいくらくになるとか、為替が何ドルを割ったから外債の利子がいくら
いくらになるとか、日歩がいくらの、コールが何厘だのと、ソロバンの細かい、細かい数字を、
大日本の百年の国策に取り交ぜ、談論風発相手を煙幕に巻き込んでしまうのである。

筆者が庵主の座談を耳にしたのは、大正4年、台湾赴任以来の事で、爾来すでに幾十回たるを算し切れない。
或る時はアパートの一室で、夜蔭に至るまで6 時間近くも、さしで話し合ったというよりは、庵主の立続けの快弁にみせられた事もある。

庵主の座談には、例の政界や軍服の立役者が軒並に出て来る、先方から云へば、杉山をかったとも、彼を利用したともいうであらう。

庵主からいえば芻僥の言を述べたに過ぎないというか、それともおれはただの人形の足使いであったーイヤ左使いであったとりふか、イヤ人形使い(シテ)として人形を躍らしたというか、それは分らぬ。

とにかく、その話題にのぼる役者の顔ぶれといい、劇場の大きさといい、舞台の装置といい、一筋書が日清、日露の戦役に織り込まれているのだから、聞いていると、とても面白い。

(3)「其日庵」と文五郎

話の筋がとても誇張されているなと思はれる事もある、イヤ、その法螺丸などいうニ
ックネームに徴してもありそうな事である。

しかし、一度新橋あたりの会席で主人となり、朝に野に文に武に名の売れた一流どこ
の客種をずらりとならべる、それだけでもかなり壮観であり奇観である。

後藤伯爵(新平)などは、いつも床の間正面か、その附近に鼻目がねをギョロつかせている。

その前へノソリノソリと乗り出して『おい後藤,一杯もらおうか』とばかりに、ドッコイショとエンコして、四本半になった指先をぐっとさし出すところなどは、我党の士をして快哉を叫ばしめ、気の弱い芸者をしてはらはらさせる。

それなれば「おい下村一杯もらおうか」とくるのかと思うと、中々以て左にあらず、『下村さん、下村さん』
とさんづけにする、こまい人形はつかいにくいと見える。

つまり威勢隆々飛ぶ鳥も落すような大物に、ぐわんと一本当身を喰はしておくだけで、
他は眼中に置かぬという形である。

このほど、台華社の楼上に見舞った時、
『明石(元二郎)死ぬ、寺内(正毅)も死ぬ、田中(義一)も死ぬ、団(琢磨)まで死んだ。貴様もいい加減に一緒に来いと、眞黒闇の中から野郎共おれの足を引張りよる。
しかし、此の時局を前にして、これを見すてて行けますかい、見物するだけでも生きてをらにやならぬと、寝台にしがみついてがん張るところだよ』
と寝台の上で哄笑する庵主を見た。

近頃は工場の機械で大仕掛に規則と先例で、堅めた千人一色の人形が大量生産で吐き出されてる。
型外れの人形は段々影をひそめて行く、時は次第に流れて使いなれた人形はいつの間となく亡くなってゆけば、
人形使いも一年づつ年をとってゆく。
さびしいと思うのは攝津越路去って後の、老いたる文五郎を見る文楽ばかりで無い。    
(3)訥弁の雄・秋山定輔

其日庵主人の声調は義太夫で叩き込んである丈に太い声である。バスの音である。
どうもソブラノ式の声は男子には割が悪い、言いづらそうであり又聞きづらい。大口喜六、小川郷太郎諸士の声などはソプラノ式に似て非なるものである、きつく、鋭く響く、やわらかみが少い、どう声の調子は濁った方が耳当たりが好い、キイキイ声の達弁は、却ってドス調の訥弁がよい。

訥弁はそこに何等かの真面目さを示している、あまりにしゃべり立てるのは人間の柄
が簿っべらであるような感じを与える。言葉のどもる人は重厚というような感じを与える。

僕の知る限りでは、その昔、逓信省で古市公威男を上官に仰いだ事がある。男のどもる調子が、我われにとても懐しい暖かい真面目な感じを喚び起した。

三宅雪嶺居士の如きもまさに、その一例である。さらに其日奄主人と相並んで連想されるのは秋山定輔翁であるが。翁は訥弁である。然しそれが雄弁以上に開く者の心を捉へる。(以下略)

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