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『Z世代への歴史の復讐問題④』★『日本史最高の英雄・西郷隆盛を理解する方法論>②』★『山本七平と尾崎行雄と並ぶ<憲政の神様>犬養毅の西郷隆盛論ーどこが偉かったのか!?』

      2024/10/26

日本リーダーパワー史(83)記事再録編集

徳川幕府末期から明治維新、明治、大正、昭和の戦争を経て、現在までの近代日本200年で、最大の日本人とは一体誰でしょうか。英雄と言いかえてもよろしい。
近代日本で最大の英雄とは・・・英知と果敢な行動力にたけて日本をチエンジしたトップリーダーは「勝海舟」であると、イザヤ・ベンンダサンこと山本七平は「日本人とユダヤ人」(1970、山本書店)で折り紙を付けているのです。「勝海舟こそ第一等の日本人であると」ー『そして、その海舟が自分以上の大人物とさらに驚いたのが、西郷隆盛です。つまり、日本最大の英雄、人物は西郷であるというわけだが、山本の説明を聞いてみることにしましよう。
 
山本七平はこう書いています。
「日本人を手っとり早く理解するにはどうしたら良いか、と外国人から相談をうけた場合、私は即座に『氷川清話』を読めということにしている。確かに、源氏・平家、枕の草子より徒然草、さらに漱石、鑑三、川端康成まで読み、さらに仏典から日暮硯、駿台雑話まで読めば良いのだろうが、外国人には(専門家は別だが)それだけ読破するのは到底不可能だから、私は前記の書をあげる。   
ただこの書にも難点はある。言うまでもなく『氷川清話』は勝海舟の談話を筆記したものだが、その中で海舟が言及しているさまざまの人物や、その人物が活動した明治維新という背景がわからないと理解できない。しかしそれらについてある程度の予備知識があれば、これにまさる本はない。
 

 まず第一に勝海舟という人物が、その時代の第一級(もちろん全地球上での)の人物であったことによる。これほどの人物は確かに全世界を通じて一世紀に一人も出まい。  

 彼と比べれば同時代のナポレオン三世などは紙屑のごとく貧弱である。三度の食事も満足にできない貧家に生れ、十二歳にして将軍家慶に見出されて以来、海軍の創設、感臨丸による渡米は言わずもがな、長州征伐、対外折衝、その他すべての難局には召し出されてその任にあたる。その間、反対派の刺客に常につけねらわれながら一人のボディガードも置かず、両刀さえもたない。現状を正確に分析し、当面の問題を解決する手腕は文字通り快刀乱麻を断つで常人とは思えないが、一方、遠い将来をも正しく予測している、実にすばらしい人物であって、まさに「政治天才」の民族の典型であり超人であるといってよい。

事実、彼のことを少しでも知った外国人で、彼に感嘆しない人間はいない。私なども、イスラエルの歴史に、こういう人がひとりでも居てくれたらと思う。

 彼のことを知れば、彼が、その時代の世界第一級の人物であったことに異論がある者はおるまい。ところが、この超人・勝海舟が「偉いやつじゃ」といって無条件で頭を下げている人間が、二人だけいる。西郷南州と横井小楠である。『氷川清話』でもこの二人を称賛しているが、小楠のことはくわしく書いてないので、ここでは彼の語る南州を取り上げてみょう。
 
 

海舟は、彼の名を口にするたびに、ただただ讃嘆しきっているが、これは尋常のことではない。彼は一面、非常に辛辣で人をくった人間であることは同じく『氷川清話』の次の一文で明らかなのだから。   「おれが始めてアメリカへ行って帰朝した時に御老中から『そちは一種の眼光を具えた人物であるから、定めて異国へ渡りてから、何か目をつけたことがあろう。つまびらかに言上せよ』とのことであった。そこでおれは『人間のすることは、古今東西同じもので、アメリカとて別にかわったことはありません』と返答した。

ところが『さようではあるまい。何かかわったことがあるだろう』といって再三再四、問われるから、おれも『さよう、少し目につきましたのは、アメリカでは、政府でも どこでも、およそ人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧(賢い)でございます。この点ばかりは全くわが国と反対のように思いまする』と言ったら、御老中が目を丸くして、『この無礼もの控えおろう』と叱りつけたっけ、ハハハハ……」と。
 
また海軍卿であったころ、来日したイギリスの海軍大将に平然と「貴国の女王陛下が喫せらるるものは何ぞ」と問い「大将あやしみてパンと肉をおいてまた他にあらんや」と答えると「足下も、まじめな大将なるかな」と言うぐらい、人を食ったところがあった。」
 
この眼中に人なしともいえる海舟が西郷だけは再三ほめたたえて「こんな大人物はいない」というのだから、その偉さは常人にははかりしれない。

また次のようにも山本は書いている。

 

「また勝海舟の彼(西郷)への態度であるが、この実に怜柳・俊敏な人間が、彼に対してだけは別人のようになってしまう。   有名な品川における西郷・勝の会談は、絶対にヨーロッパ的な意味における交渉ではない。唯一の交渉らしい点は、その前日に勝が、皇女和宮を人質にするようなことは絶対にしないと西郷に保証した一事ぐらいのものであろう。あとは、勝はすべてを西郷にまかせるという。

ところが西郷の方は、江戸のことはよくわからないから、すべてを勝にまかせるという。巧みにイギリスを動かして対馬からロシアを撤退させた、ある意味では実に狡知にたけた外交官勝海舟の姿はここにはない。   さらにいよいよ江戸城あけ渡しで、双方から六人ずつ委員が出る。官軍の六人委員が江戸城に入ってくるわけだが、城内には殺気がみなぎっている。

この六人を斬り殺して城を枕に玉砕しようという考えが、一瞬すべての人の脳裏を走る(海舟すらー彼の告白によれば)。官軍六人委員にもそれが自然に伝わる。

名をあげていないが、そのひとりは、気が動転したためかぞうりを片方だけぬいで片方はいたまま城内に入るという珍事まで起こす。

六人委員のひとり西郷は、席につくと居眠りをはじめ、やがてぐっすりと寝てしまう。-こういうエピソードが次から次へと語られ、それを語るたびに、海舟は、「西郷は偉いやつじゃ」と嘆声を上げるのだが、さてどこが偉いのか。軍の、超人であり、また徹底的俗人(すなわち非宗教的人間)であった膵は、西郷の何を偉いといっているのか。

一つの鍵がある。

「とにかく西郷の人物を知るには、西郷ぐらいの人物でなくてはいけない。俗物には到底わからない。あれは政治家やお役人ではなく、一個の高士だもの」という言葉である。西郷は政治家ではないのである。高士だという。高士とは何か、俗物にはわからないという。それならば聖人か聖者であろう」
 
ここで、英雄なり、リーダーを後世のものはどのように理解すればよいか、という問題が出てくる。私はこの連載の<日本リーダーパワー史(32)『英雄を理解する方法とは―
で、次のように書いている。
 
「偉人を理解することは難しい。英雄を理解することはさらに難しい。人物を理解する道は第一に、当人の書いたもの話したものを見聞して、自分も頭で判断することである。鵜呑みにしてはいけない。次はその人物を直接知る人間、当事者の証言であり、作家、学者による研究書は三番目である。作家の創作、研究では資料の少なさも手伝って、推測がどうしても入りやすい。特に、小説の場合はなおさらである。   事実ではなくフィクションだからである。どうしても、時代とともに偉人は美化され、英雄視されがちである。西郷隆盛、坂本竜馬しかり。日本の英雄として何十倍もの虚像が膨んでおり、その実像をつかむのは容易でない。
NHKが取り組む司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」の場合も言うまでもなく、歴史小説ドラマであり、これが竜馬であり、明治維新であり、日露戦争の真実であったと思うと、とんでもない歴史誤認を冒すことになる。
 
坂本竜馬と同時代の、それ以上の英雄である西郷隆盛もその実像をつかむことはさらに困難である。自らを語ることが余りに少なかった人物だから。
 
ぎに紹介する文章は、『起てる犬養木堂翁』(額田松男著、昭和5年9月刊)の中の掲載されている、『犬養毅による西郷隆盛、従道兄弟論』である。
 
『憲政の神様』といわれた偉人・犬養毅の西郷隆盛をどのように理解するようになったかの方法論である。隆盛と犬養は27歳違いで、犬養が22歳の時に隆盛は死んでおり、生前に面識はない。西郷の弟従道とは12歳違いの従道が先輩である。政治家になって以来、従道とは謦咳を接することとなり、その人柄、実力から兄隆盛の実像を推測、考察しており、政治家による立派なリーダーシップ論になっているので、ここに紹介する」と。

<犬養毅の西郷隆盛論>

 『西郷隆盛(南洲)は、維新の元勲の大立物として、多くの人々から日本第一の英雄と見なされている。とくに薩摩人は神の如く崇拝しているが、犬養毅は当初は深くその人となりを研究せず、実際それ程の人傑とも思わなかった、という。
薩摩人には、自国の先輩と言えば全員一致で推称する習慣があるから、南洲も最初はそれ程エライものでもあるまいと思ったのである。ところが、松隈内閣(大隈、板垣内閣)の出きた時に、南洲の実弟の西郷従道とたびたび会談の機会を得た。もっとも従道とは、西南戦争の時からの知り合いではあるが、その時、犬養は二十三歳の青年であるから、すでに高地位についている従道候が、十分の話をしてくれるはずもないので、深くはその人柄をも知らなかった。
それゆえ、政治問題で、じっくり腹をわって話したのはこの時初めである。で、段々話して見ると意外にりっぱな人物である、ところが薩摩人の評判を聞くと、その兄とは比較にならないといい、はなはだしきは『信吾どん(従道の本名)はバカだ』とまで罵るものもあった。
 
もっとも侯は学問は無い、そして平生は笑談ばかりしておられたから、一見してはいかにも平凡人のようであるがなかなかさうではない、政治上の事でも、大局にはちゃんと眼をつけている、細事には頓着せず、むしろ無学を看板にしてわずらわしさを避けていた実際の政治家であった。
それから真の武士で虚言いわない、一且、許諾したことは必ず尽力するという美点もあった。要するに大局についてこの見識を備えている点では、元老中でも決して遜色がないことがわかった。
 
そこで、犬養は考えた。世間でエライと推重される南洲は事実、正真正銘に偉いのではないか、それまでの自分の考えは間違っていたのではないか、従道候の謦咳に接したことで思うようになったという。そのわけは、従道侯と同じ腹から生れた最も密接の血脈であるからは、ますます同型の人物に相違ない。
そこで先づ、従道候を土台にして南洲の人となりを想像して見た、従道侯は無学だが、南洲は、ともかくも陽明学もやったり、相国寺に参禅もしていたから、修養の点では従道侯よりも優ぐれている筈である。従道侯は、南洲ほどの辛苦を嘗めてはいないー南洲は何回も島流しにされたり、反対派に迫撃せられたり幾度も死生の間を出入して、種々の難難苦労を経てきた人である。仮りに従道侯が儒仏の書を読んで、それに静坐の功夫や逆の鍛錬を加へたらとうなるかを、考へて見ると、侯の現在よりもさらに数等優れたるエライ人物になるべき筈である。
 
まことに従道侯は熱情の人でないが、兄の南洲は殊に従道侯は熱情の人でないが、兄の南洲は熱情の人である(月照と海に投じた一事に徹しても判る)政治界、軍事界に活動するにはどうしてもこの熱情がなくては、多数を感動させる事は出来ぬが、南洲にはこの美点がある。もし従道侯に学問と鍛錬とをえたから、犬養はこれをきっかけに南洲研究をやって見ようという気になった、という。これが南洲研究の動機である。
そこで維新前後の関係書類やら、南洲の人に与えた手紙などを種々見せてもらった。するとその手紙で、その人となりとその修練とを窺いしられて要するに本領の篤実光輝を認めたのである。
殊に晩年のものになるとー少しも理窟張ったところがなく、少しも奇異の感がなく、極めて平々凡々である、そしてその平々凡々の中に無限の意味がある。くらべてこの様な平凡は徹底的得カの人でなくては出来ないのである。
それからまた、薩摩で出来た伝記なども読んで見たが、如何にも南洲は天分がエライ、生れ付きが立派である、その上に種々の難苦にあって鍛錬されている学問と言っても、文字を読む方の学問は深くはないが、体得したる学問がエライ。相国寺の参禅で得たか、陽明学から得たか、いずれにしても心地上の徹底した偉人であることわかった。
が、しかし南洲といえども初めからそれ程大成した人物ではなかった、天分のエライ人ではあったが、月照とあい抱いて海に飛込むまでの南洲は、昔時の志士中の傑出した者という位に過ぎなかった。それが一旦、死を決して月照と共に海に投じ、さらに生きよみがえった時、始めてかつ然として一の光明を認めたに相違ない。その証拠には、その後の南洲の手紙を見ればよく判る、造語が非常に平易になってきている、もっともその前から既に平坦の心境に進みつあった思われる。
 
ある人にそれは南洲の島流しにされた時に、いろいろ世話した人であるがーある時『先生、家内を円満に治めて行くにはどうしたらようございますか』と問うた。すると南洲はそれに答えて『昔の聖人や賢人と言われれる人は、いろいろ厳しいことを教えているが、なかなか凡人には実行が難しいいものだ、
 
「そこでこうやって見るがよい、何かうまいいものがあったら、それを1人で食べないで家内に分けてやる、何か欲しいものがあったち、それを一人で貪らないで、矢張り家内にも分けてやる、コレ1つやって見るがよい』と言っている。
 
これは「人欲を去って天理に従う』儒学でいうとやかましい問題で、南洲のこの語は、これを平易に述べたまでで、それをこの様に平易に説いているところにー南洲の人格の円熟さが窺われるではないか。
 又、西南戦争の際、いよいよ軍が敗れて逃げ延びて行く途中、後から官軍がドンドン追撃してくる中を、度々、立留っては官軍の砲台を見て『うむ、これは立派なものだ、日本の陸軍もこれだけに進歩したか、喜ばしいことじゃ』と感服していたということである。
人間、このところに到れば、彼我なく恩讐なく、利害もなければ生死もない、宜に超々平として卓越したものである。そして最後に城山においては、兵児たちが弾丸を避けるために、穴を掘ってそこへ南洲を置いたが、いよいよ最後の襲撃にあって逃げ出した途中、脚部に弾丸が中って動けなくなってしまった。
すると『オイ、俺の首を斬ってくれ』と言って首を差し延べて斬らせた。月照と海に飛込んだ時はどうかというに、内にあっては島津三郎公の排斥にあい、外にあっては、その主張、抱負の行われるべき望みも絶え、どうしてもいかねといふ煩悶の極死を決したのであるが、城山においては生き延びられるだけは延びようとし、いよいよ生きられぬとなって、かつ然坦然として首を差し延べて斬らせた。
彼の党獄で殺された明の楊椒山が『怖死国富道求死亦害道』と言ったが、是は論語の『愛之欲其生悪乏欲、其死既欲其生又欲其死是惑也』より鍛錬し得たる心地で、真の丈夫は是でなくてはならぬ。
 前の南洲はまだまだ死を求める程度であるが、
 
後の南洲は、死を求めて又死を怖れず、超大無辺の心境である。この如き心的偉大は、維新諸傑の中においてはん然として一頭地を抜いている、南洲のエライのは即ちこのところである。この心的方面の大得カは、天地萬物一体の絶対心境に到達したものである。これは偉大の天分に多年の鍛錬功夫を積んで初めて大成したるもので、人の容易に企て及ぶところでない、晩年の南洲は確にこの境地に入ったのである。
ところが薩摩人などの西郷崇拝は、何かというと、やれ外交の意見がエラかつたの、軍事上の計画がどうだったのというが、外交の事ならば、木戸、大久保、又は後輩の大隈、伊藤、井上の方が、南洲よりはエラかつたかも知れぬ、軍事上の事ならば、大村の方がエラかったかも知れぬ。
ただ真心的方面の得カ、透徹の一点は、この人をおいて他に比較すべきものはない、南洲を見るにはその所を見なければならぬ。
 
この意味において西郷南洲は、異に近世の偉人といわなければならぬ。

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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