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『Z世代への日本リーダーパワー史』★『 帝国ホテル落成式は日本で初めての500人の大パーティー。開会式の2分前に突然、関東大震災が起きた』★『犬丸徹三支配人は調理場の火災を恐れて、全館のスイッチを「切れ!」と命じた。隣の東京電力本社でも火災が発生、従業員はすでに全員退退避した』★『避難の人びとにも無料で部屋を提供、日比谷公園の避難民にも炊き出しを行った』

      2024/09/04

日本リーダーパワー史(155)記事再録

『 決定的瞬間における決断突破力の研究 ③』

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
私はこの日本リーダーパワー史(136)で「帝国ホテル・犬丸徹三・関東大震災で示した決断と行動力<大震災、福島原発危機を乗り越える先人のリーダーシップに学ぶ>を書いた。その後、犬丸の自伝とも言うべき「ホテルと共に70年」(展望社、昭和39年、430頁)を全巻通読して、その波乱万丈の人生と犬丸の傑出した人間性とリーダーシップに改めて感動した。
特に、関東大震災の起こった日がまさにライトの新館の落成披露宴の日であり、この未曾有の大地震に犬丸が示した沈着冷静、瞬時の判断力と決断、即実行は日本人の中でも決定的な瞬間でのリーダーシップのお手本ではないかと思う。その決死の行動力は、いま読み返しても手に汗握る。
 
今回の福島原発事故との対比でいえば、帝国ホテルと東電はご近所である。関東大震災では東電は火災が発生し、全員避難してしまったが、東電からの類焼を防ぐために、水道が出ない中で
犬丸は全従業員がバケツ消火隊を作って、正門前の池の水をバケツリレーして、必死で類焼を食いとめている。リーダーシップのあるなしが、決定的な分かれ目になったのである。
 
再び、関東大震災、東海地震が迫りつつあるといわれる今、犬丸の危機突破力は日本人全体に大きな示唆を与えるものと思われる。『この時、歴史が動いた』9月1日の犬丸の行動をたどってみたいと思う。

犬丸徹三の運命の九月一日

 起工から七年、幾多の難関、紆余曲折を経て、ここに帝国ホテル新館は漸く完成、帝都の中心部にクリーム色の軽快斬新な全貌を現わし、東京市民を瞠目させた。
 
 
内部の飾りつけも終って、大正十二年九月一日を期して、はなやかに落成開館の披露宴を催すこととなった。当時は未だ現今の如きパーティーをおこなう習慣がなかった。朝野の名士約500名を昼食に招待して、盛大な祝宴を張り、続いて演芸場で余興を公開するという順序とし、私はこの日、早朝から、その準備に忙殺されていた。私としては帝国ホテルに入社して、ここに五年を閲し、副支配人及び支配人として、新築工事に関係してきただけに、全館落成には心量の感慨と喜びを禁ずることができなかった。
 
正午少し前、準備まったく完了して、来賓の到着を待つばかりとなった。私は紋付きの羽織袴に白足袋という礼装に威儀を正した後、念のため、それぞれの係の責任者を支配人室に集めて、各部門とも万遺漏のないことを確め、なお二、三の指示をおこなった。これが終ると、各員は支配人室を去って、それぞれ館内所定の部署に就き、室内には私のほか庶務係二人のみが残った。
 

突如、大地震が襲来したのは、まさにその時である。

 
私としては、この日支配人として初めての晴れの舞台であり、そこへ図らずも歴史的な大惨事が突発したのである。
 
時計の針はちょうど十一時五十八分を指していた。私は何か異様な鈍い地鳴りの如き物音葺にしたと思った途端、足もとから突き上げてくる激動を全身に感じた。はげしい地震である。大地が大揺れに揺れ、建物は突き上げられ、突き下げられ、前後左右に揺れる。
 
「地震だ」
「危ない。気つけろ」
「これは大きい」
と私たち三人は、思わず口々に呼びながら、壁に両手を支えて、辛うじて起立していた。
最初の震動が終ると、私はまっしぐらに料理場へ馳せつけた。それはまったく無意識の行動であったが、その時、私の脳裡には、料理場には常に火があるのだという考えが潜在的にひらめいたのだと思う。
 
 ところが料理場は、料理人たちが全員逃げ出したらしく、人影一つ見当らない。そして一隅には電気炉があかあかと燃え、その上に油を入れた大鍋が乗せられたママ放置してある。しかも、その周囲の床上には油滴が点々とこぼれて、それが盛んに小さな火焔を上げているではないか。
 
 危ない。鍋に火が入ったならば、爆発を起こして万事休すのである。私はただちに床上の火焔を踏み消すとともに、大声を発して、「誰かいないか」と叫んだ。
 
 すると彼方の調理台の下から三人の菓子職人が、のこのこはい出してきた。私は彼らに鍋の処理を命ずるとともに、壁間の電気スウィッチに飛びついた。料理場全体の電気を消そうとしたのであるが、スウィッチを切っても電流が切れない。炉は依然あかあかと燃え続けているのである。
 
 いまは一刻の猶予も許さるべきではない。私はとっさの考えで変電室に走り、電気技師に、「メイン・スウィッチを切れ」と命じた。しかしメイン・スウィッチを切れば、当然全館が消灯される。私としては大英断である。技師「メイン・スウィッチをですか」
 不審気に反間してくるのを、私は、「そうだ。早く切れ」 と怒鳴り返した。
かくしてメイン・スウィッチが切られたため料理場の炉は消えたが、それと同時に館内の電灯も一せいに消えて、薄暗くなった。
 
 裏玄関を出ると、向かい側の東京電灯本社は早くも火災を起こしたらしく、窓からもうもうたる黒煙が噴出している。営繕主任を呼んで、「あの火を消せ」と叫ぶと、彼はただちにホースを中庭の消火栓に連結し、それを伸ばしつつ、筒先を持って勇敢にも東電社屋に飛び込んだが、走り出てきて、「ホースから水が出ません」という。
 
 おそらく激震のため水道管が破裂し、消火栓が役に立たなくなったのであろう。東電の従業員たちも、すでに社屋を見捨て全員退避した。われわれとしても、かかる事態となっては、火が次第に東電の全屋にまわるのを空しく傍観するほか、何ら手段の施しょうもない有様であった。
 
 私はこの時になって、漸く自分の羽織袴姿に気づき、支配人室へ戻って、急ぎこれを脱し、乗馬服に長靴の軽装になった。
 
 やがて東電の方角から火の粉が風に乗って飛来し始めた。私はそれが新館の庭内に入るのを防ぐため窓のシャッターをすべて閉鎖させた。すでに消灯してある上に、シャッターを閉じたので、館は手探りしなければ歩行不可能なほどの暗黒状態を呈した。

    必死の防火活動

 
 落成開館披露の当日、しかも祝宴開始の直前にかかる大災禍が発生するとは、如何なるめぐり合わせというべきであろうか。しかし祝宴開始中、この地震が起こっていたならば、来賓の誘導にも大混雑を来たしたことであろう。それを考えれば、時刻の早かったことは、まだしもよかったといい得る。もちろん、この惨事の突発で披露は自然中止となった。
 
 しかし、この災厄は期せずして新館の建築の優秀性を天下に実証する結果をもたらした。この建物は継ぎ目が随所にあり、地震に遭った時、全体がたわむように造られており、また重心が極度に低いところにおかれている。私は日本古来の建築である、五重塔、三重塔の類が地震や暴風によく耐えるという点で、その構造に、このホテル新館と軌を一にする要素があることに、大きな興味を抱かずにはいられない。
 
事実この時の大地震にさいして、浅草寺、谷中天王寺、上野東照官など東京市内の各五重塔は、たわみ揺れながらも木造建築の真価を十二分に発揮して、遂に倒壊することがなかったが、煉瓦造りの浅草十二階凌雲閣は、第一震によって、もろくも中央部から折れ崩れた。
 
私は最初の激動のなかにあって、新館の建築については、何の不安も抱かなかった。それは、さらに続いた数十回の余震にもよく堪えたのである。ライト氏の設計は、この建物の強固なる耐震性を充分、実証してくれた。
晩夏のこととて、窓々には布製の日除けが取りつけてあったが、やがて、これに火の粉が舞い落ち、点々とくすぶり、炎を上げ始める。私は従業員を督励して館の内外を走りまわり、火をたたき消し、日除けを外さなければならなかった。
 
 火の粉は屋上にも無数に落下する。破損したガラス窓からは容赦なく黒煙が入る。しかし、水が出ないため消火は思うに任せない。たたき消し、踏み消すだけである。
 私の脳裡には、いまここで、新館が焼失したならば、これを再建することは、私の生きている間には、おそらく不可能であろうとの考えが、閃光の如くひらめいた。私は励声一番、従誉員を叱咤した。
 
「水がなければ、身体で火の粉を防げ。どんなことがあっても、この建物を燃やしてはいけない。
命がけで守るんだ」、
 
これに呼応して、誰彼が競って屋根によじ登り、シーツを裂いて紐とし、これにバケツを吊して、汲みおきの水を入れ、リレー式に運んで、直上に振りかかる火の粉を消すことに努力した結果、これはひとまず終息した。
 
すると今度は北側の道一筋を隔てた愛国生命保険のビルディソグが、窓から共煙を噴き始めた。飛び火が入ったもののようである。これは現在の日生ビルの位置にあった。従業員はすでにこぞって避難したらしく、屋内には人影二つすら見出すことができい。もし、建物が炎上すれば、ホテルも、かならず類焼の厄に遭うにちがい。一難は去って、また一難が迫り来たったのである。
 
 私は愛国生命ビルを指して、
「あの窓を閉めろ。なかの火を消せ」と叫んだ。すると、たちまち何人かがビルへ走って、火を消し、窓を閉じて帰って来たので、われわれは思わず歓呼の声を発し、いっせいに拍手した。
 しかし、かかるうちに四辺の建物には濠々たる黒煙と紅蓮の炎が上がり、帝都は一面凄惨なる
火の海と化した。強風次第に吹きつのって、愛国生命ビルは、ふたたび飛び火を受け、危殆に瀕したので、宿泊客全員の協力を得て、水を運び、しきりに窓に打ちかけたところ、これが効を奏して、この建物は炎上することなく、その形を全うし得たのである。
 
 
表玄関から電車通りへ出てみると、日比谷公園は大八車を曳き、ふろしき包みを背負って続々避難する群衆で溢れんばかりの状態であった。
 
私は自己の独自の判断で宿泊客のすべてに対し、宿泊料を無料とすることを思い立ち、ただちにこれを断行した。また外部から仮りの宿を求めて避難してきた人々に対しても同様の取り扱いをおこなったが、食事は料理場使用不可能のため、シチューの如き、きわめて簡単なものを提供し、同時に付近の建物から焼け出された人々には炊き出しをおこなって、握り飯を提供し、非常な感謝を受けた。
 
 
九月一日の夜は一睡もとることなく、従業員を指揮して防火活動に努力した。四方に起こった火災は、紅蓮炎々と天を焦しして凄惨きわまりなく、しかも余震が時々襲来する。人心の不安動揺を懸念した政府は即刻、非常徴発令及び戒厳令を公布した。
明けて二日を迎えたが、火勢は依然猛烈で、内幸町でも、多くの建物が順次焼け落ちて行く。
 
 午前五時過ぎであった。睡眠不足の身体で新館の表玄関へ出て、西南の方を眺めると、眼前の日比谷公園の森の彼方、赤坂葵町の米国大使館から大倉男爵邸とおぼしきあたりへかけて、盛んに黒煙が上っているではないか。
 さては大倉邸も羅災か、と私が取るものも取りあえず、葵町へ馳せつけると、憂慮したことが的中して広大な男爵邸はすでに全焼しており、これに隣接する大倉集古館もまた、倉庫を残すのみで、同様灰燼に帰していた。  

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

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