前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

「Z世代のための台湾有事の歴史研究」★『2023年台湾有事はあるのか、台湾海峡をめぐる中国対米日の緊張はますます高まってきた』★『過去千年にのぼる中国・台湾・日本・琉球の戦争と歴史のねじれを研究する』①

   

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

 ヨーロッパでは、多くの国々が互いに国境を接し、中世から近代、現代へと戦争の絶えることはなかった。十八世紀初頭より十九世紀後半までの百七十年間に、百回余りの戦争が行なわれた。

しかし、アジアにおいては、中国が中心(中華という)であり、その周辺は朝貢国であった。遠い外周の朝貢国(中央アジアや東南アジア)で反中国の動きがあれば、北京の命令を受けて軍隊が出動して鎮圧し、さらに外側にある国々に威力をおよぼして版図(国土)を拡大していた。明の時代から、清朝の乾隆帝の時期にかけて、中国は世界史上最大の版図を持っていた。

 

日本は中国にとっては、東の夷(えびす=野蛮人)の国である。中国の四周の国々は、東夷・南蛮・西戎・北秋北狄(とうい・なんばん・せいじゆう・ほくてき)と古来より称されていて、夷・蛮・戎・はいずれも野蛮人という意味である。

中国にとって東夷になっていた日本は、海の彼方の国であり、日本が遣隋使、遣唐使を送ってきたころは、中国に対して礼をなす国と思っていた。足利義満の時代には朝貢国としての礼をとっていたので、この東の小島はたいして問題とされてなかった。

 

元の末期より明を経て、清の初期までの三百年近くにわたって、中国の沿岸を荒らした日本の倭寇(わこう)は、手強い相手として警戒されていた。

倭寇とは「倭は日本」で「寇は泥棒」のことで日本の泥棒、海賊という意味だ。松浦水軍などによる倭寇ははじめは貿易商人として進出していが、次第にエスカレートし海賊になったという。「当時の「疇海図編」によると、倭寇の8割までが中国人で、南京城まで占領した。その倭寇の指揮官を務めていたのが戦に強い日本の野武士たちで、海をわたって朝鮮、中国まで、九州の野武士、漁民がたちが出稼ぎにいっていたわけです」と(樋口清之著「日本女性史発掘」(婦人画報社 1979年)で書いている。

いずれにせよ、東夷である日本は倭寇として中国人に恐れられていたのは事実であり、徳川時代にはいり200年間はその被害はなかったが、近代の幕明けとなった清の末期に中国の前に日清戦争となる倭寇が再び現われてきたというわけだ「寇」の意味は「自分の国土に攻め入って来た外国の軍隊」で、蒋介石は日本軍とはいわずにこの「倭寇」を用いていた。                                  

  • ヨーロッパ(大陸国)と中国、日本(島国)の関係                                 

 清国は一八四〇年の阿片戦争によって、日本は一八五三年、ペリー艦隊の黒船の来航によって開国を強いられた。日本は、徳川幕府の滅亡によって、急速に西洋型の近代国家への道を切り開いたが拓いたが、中国では、清王朝の旧態依然たる保守主義、事大主義、朝廷、官僚の腐敗によって近代化への脱皮がおくれてしまい、西欧各国によって植民地にされてしまった。

                                   

●「台湾出兵で日本は敵国となる」

  • 清国がいつから日本を仮想敵国として意識するようになったのかというと、一八七四年の日本による台湾出兵(台湾征討)からである。

一八七二年(明治五年)、琉球の漁民が台湾に漂着して、五十四名が殺される事件があり、翌年に鹿児島藩を通して明治政府に伝えられた。生き残った十二名が翌年那覇に帰還して判明、北京に外交交渉に行っていた柳原前光からも伝えられていた。                                                          

七三年三月に、外務卿副島種臣(そえじま・たねおみ)が日清修好条約の批准に北京に赴いた際に、本事件についての交渉を行った。

清国側は「琉球は清国の藩属国であるから、国内問題であって、日本が口をさしはさむとではない」と述べ、「台湾の住民は化外(げがい)の民」(教化のおよばない野蛮人の意味)なので、責任は取らない」と回答した。

  • 「琉球王国」帰属問題

 琉球は徳川幕府の時代から薩摩藩に入っていたので、明治政府も当然日本の領土であると考えていた。薩摩藩は琉球は同時に中国に対して朝貢していたのを知っており、それを認めていたので、琉球は日本、中国のいずれに属するのかはっきりしていなかった。

琉球王は帰属をはっきりした場合には、他の一方より強引に攻められることを恐れて、薩摩藩に対しては武士の駐在を認め、清国には朝貢の使を送っていた。薩摩藩士もその辺の事情はよくわきまえて、清国官吏が来た時には隠れていた。

 清国が化外の民のやったことであるから、責任はとれないと言明したため、七四年(明治七年)二月に台湾征討を決定し、四月に西郷従道の率いる三千の兵が、恒春半島に上陸した。

「当時台湾の西側半分は、清国の領土となっていたが、東側半分は人を食べる生蕃人が住んでいて、どこの領土っきりしていなかった」(中公新書・毛利敏彦著『台湾出兵』27頁)。

 

 清国政府は、四月十四日にイギリス公使からの情報として日本の出兵を知り、沈葆楨(福州船政局長、のち南洋大臣)を総司令官とする五千人の軍隊を北部台湾に派遣し、福建艦隊を膨湖島、基隆、淡水等の防備に当らせた。
しかし清国軍は日本軍とは戦わなかった。沈荏棟が「日本は鉄甲艦を二隻持っているが、福建艦隊はすべて木造艦である」と北京へ上奏したので、避戦を決定した。
清朝政府は日本に対し、出兵費用として五十万両の補償を行い、後に琉球に対する主権を放棄した。東海の小島の小国、日本に対して戦わずして退いたことは、清国の朝野に大きな衝撃を与えた。

 

<以上 参考・引用文献は深堀道義著「中国の対日政戦略」(1997年 原書房)の第1章 日清戦争」です。)

 

 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
速報(221)『日本のメルトダウン』ロバート・フェルドマン氏と富士通総研・柯隆氏の今年の世界、中国経済の見通し』

速報(221)『日本のメルトダウン』   ★『ロバート・フェルドマン氏 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ ニュース・ウオッチ(183)』「 AIで人事部いらず? データで最適配置 :日経」●『米第3艦隊が東アジアへ活動範囲を拡大、中国との緊張悪化で』●『英国のEU残留は楽観できない、離脱なら世界恐慌の懸念も』●『電気動車からドローンまで「次のIT」を支えるあの電池』

 『F国際ビジネスマンのワールド・ ニュース・ウオッチ(183)』   …

no image
速報(407)『日本のメルトダウン』『景気認識が好転=「アベノミクス」効果か』『日経平均2万円超え長期繁栄の予兆=武者陵司氏』

    速報(407)『日本のメルトダウン』 &n …

no image
☆書評『新渡戸稲造ものがたりー真の国際人、江戸、明治、大正、昭和をかけぬける』(柴崎由紀著、銀の鈴社、定価1500円+税)

☆書評『新渡戸稲造ものがたりー真の国際人、江戸、明治、大正、昭和をかけぬける』( …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(115)●「安倍妄言」に、米韓両国も戸惑う(7/30)」○「沖縄知事選の動向を気にする安倍政権(7/28)」

   池田龍夫のマスコミ時評(115)   &nb …

no image
日本最高の弁護士正木ひろし②―ジャーナリストとしての正木ひろしー戦時下の言論抵抗―

―ジャーナリストとしての正木ひろしー戦時下の言論抵抗―   -Hiro …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑩』★『児玉源太郎の電光石火の解決力➅』★『児玉は日露外交交渉は不成立の見通しを誤った』★『ロシア外交の常套手段である恫喝、武力行使と同時に、プロパガンダ、メディアコントロールの三枚舌外交に、みごとに騙されたれた』』

 2017/05/31  日本リーダーパワー史(818)記事 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史]』(30)記事再録/大震災とリーダーシップ・日立創業者・小平浪平の決断力 <大震災、福島原発危機を乗り越える先人のリーダーシップに学ぶ>

 日本リーダーパワー史(138)   大震災とリーダーシップ・日立創業 …

no image
『百歳学入門』(224 )『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学』➀『高齢化率は日本 26.6%で世界一、百寿者は6万7824人、90歳以上は約200万人』★『「六十、七十 はなたれ小僧、八十,九十男盛り、女ざかり、百歳わしもこれから、これから』<彫刻家・平櫛田中(107歳)>の烈語!

『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学入門』 前坂俊之 (静岡県立大学名誉教授、 …

★『Z世代のための日本政治史講座㉒』★『歴代”宰相の器”とな何か!』★『日本の近代化の基礎は誰が作ったのか』★『わしは総理の器ではないとナンバー2に徹した西郷従道』★『なんでもござれと歴代内閣に重宝されて内務大臣三回、海軍大臣七回、陸軍大臣(兼務)一回、農商務大臣などを歴任、縁の下の力持ちに徹し、有能人材を抜擢した』

     2012/09/09 &nbs …