『歴史の復習問題・オンラインZ世代のための日本戦争史講座①』★『日本興亡史3回目の転換点・戦後の安保体制を見直し自立防衛政策(GDP2%)を構築へ』★『明治・大正の軍国主義(強兵富国)から『昭和の平和ボケ経済GDP主義』へ『令和の平和国際経済(GHP)安保主義へ大転換へ』
終戦70年・日本敗戦史(114) <世田谷市民大学2015> 戦後70年 」記事再録
◎<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題があったのか、500年の世界戦争史の中で考える>①
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16,17世紀の世界史は大航海・植民地競争時代, 17,18,19,20世紀前半までは帝国主義・植民地主義の・戦争時代で西欧列強は地球規模で植民地獲得の戦争を続けてきた。19世紀半ばには大英帝国とロシア帝国が2大覇権国にのし上がり、極東の中国、日本、朝鮮に侵攻してきた。
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この約500年間の日本の歴史はどうだったのか。戦国時代の天下統一の内戦(朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592を除き)、その後、徳川幕府成立(1603)、徳川鎖国時代(1639-1856の約250年間)までは、国内内乱もなく世界史に稀な一国平和主義国として存在してきた。
島国国家の日本と違い大陸国家で国境が陸続きのヨーロッパ各国、豪族が支配する領地は血で血を洗う戦争の繰り返しており、英仏百年戦争(1337-1453の116年間)は、その前の戦争である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89
大陸国家の場合は、陸続きなので、日本で考えれば戦国時代のように、それぞれが隣の領地を取ったり、取られたりの歴史が続いた。国民国家が誕生する以前の絶対王政期、近代社会前の中世、封建的社会である。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%AE%B6-64248
一方、日本は元寇の役(1274、1281)以来、鎌倉時代、足利時代、戦国時代になり天下統一の内戦が続き、戦国時代の秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)(1592-1598)のあとは、徳川家康が天下を握り、徳川幕府成立(1603)、徳川鎖国時代(1639-1854)の約250年間)までの約500年間、対外戦争は行っていない。一国平和主義国として存在してきた。これは日本が大陸から、離れた太平洋上に存在し(日本海での朝鮮との距離は40キロ)、太平洋での北アメリは距離は数千キロある「海の要塞国家」といってよい地政学的な立地条件に合ったためだ。
西欧諸国は隣国同士の戦争を繰り返し、大航海時代からは世界に金銀宝石をもとめ、ヨーロッパにはない香料、物資をもとめての略奪・貿易を行い、イギリスの産業革命後は蒸気船、鉄砲、大砲を装備した軍艦で世界に乗り出し、早い者勝ちの侵略・植民地獲得に動いた。18,19,20世紀前半の帝国主義時代である。
●「19世紀前期までに、世界領土覇権を握ったのはイギリスとロシアである。この2大覇権・戦争国家がいかに各国を植民地にしていったか、その歴史を年表風にたどってみる。
大英帝国の膨張・発展史ー<英国の植民地世界制覇「大英帝国」の道①(18,19世紀)
・1588年―英国はスペイン無敵艦隊を撃破、スペイン・ポルトガル覇権を奪う
・1600年ー東インド会社(東洋貿易を独占する権利を持つ)を設立。
・1607年―北アメリカのヴァージニアに植民地、1732年のジョージアにいたる
まで北アメリカ東海岸に13の植民地を作り、プロテスタントや経済的
に困窮した移民を送り込んだ。
・1652年―約20年間に3回の英蘭(対オランダ)戦争を行い、海上権をめぐりフランス
とも何度か戦い、フランスの海外植民地を奪った。
・1757年ーフランス側についたベンガル軍を破り、インド・ベンガルを入手
・1801年―隣のアイルランドを併合する。
・1819年―シンガポールを占領し、オランダからマラッカを奪い、マレー半島を保護
領とする。
・1828年―オーストラリアを流刑植民地に。原住民のアボリジは狩猟の対象とされ約1000万人を虐殺した。
・1840年-ニュージーランドを流刑植民地として獲得。
・1857年―から2年続いたセポイの反乱を鎮圧、ムガール皇帝を退位させ、インドを直接植民地とした。
・1869年(明治2)-スエズ運河が開通したが、6年後の1875年に英国が支配権を獲得し、ヨーロッパとア
ジアを結ぶ大動脈を完全に握った。
・1843年(天保14)―香港を英国統治とする。着々と勢力圏を拡大し、極東最後の日本、韓国に迫ってきた。
19世紀のビクトリア女王時代(1837―1901)に産業革命による圧倒的な 経済力と海軍力、砲艦外交を背
景に世界の7つの海を支配。一大植民地大帝国を築いた。日本では幕末の天保八年(大塩平八郎の乱のころ
から明治34年に当たる。
・1877年-ヴィクトリア女王がインド皇帝となり支配権を確立。
・1886年―ビルマ(ミヤンマー)を植民地にする。
・こうして古代ローマ帝国「パクス・ロマーナ」に匹敵する「パックス・ブリタニカ (イギリスの平和)」の18、19世紀の海洋大帝国を築き、世界を支配した。
●「ロシアの膨張主義②日本が鎖国で眠っていた間に、ロシアは大膨張し日露戦争の原因に』
・一方、ロシアは15世紀にタタールのくびきを脱する。日本で信長の時代に、小さいモスクワ公国が東に向けて一大膨張を繰り返し、ほぼ300年でユーラシア大陸の上半分、アラスカまでを占領する。同時に、ロシアは冬はマイナス30、40度になる寒冷大国である。
暖かい土地をめざし、南下政策も同時に進めて、隣国との500年の戦争を続けてきた軍事・侵略。膨張国家である。不凍港の獲得を目指して「黒海」を手に入れるためオスマントルコとは何度も戦争する。一方、シベリアから、南下して朝鮮・中国・日本の不凍港を求めて、侵略を続けてきた。その500年の歴史を年表風に以下で、紹介する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%81%8F%E3%81%B3%E3%81%8D
ロシアの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
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・1555年(織田信長、清洲城を奪う)イワン四世、シベリア侵略をスタート。
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・1581年(信長、キリスト教学校許可)シベリア西部を征服する。
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・1600年(関ケ原の戦い) キバア、ブカラのイスラム国を属国と宣言する。
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・1638年(徳川家光。キリスト教禁止) ロシア人、オホーツク市を建設。
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・1648年(将軍家光。江戸市中諸法度) ベーリング海峡を発見
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・1654年(将軍家綱。玉川上水完成) ロシア、ポーランドと戦う。
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・1687年(将軍綱吉。生類憐れみの令発布)ロシア、黒竜江地方を占領する。
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・1707年(将軍綱吉。富士山噴火) ロシア、カムチャッカ占領。
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・1768年(十代将軍家治) ロシア、トルコと戦い、71年クリミヤを占領、
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・1772年(将軍家治。江戸大火、凶作多発)ロシア、オーストリアとプロシアで、ポーランド分割
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・1783年(将軍家治。百姓一揆取締令) ロシア、クリミヤを併合
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・1792年(将軍家斉。ロシア使節、根室に来航) ロシア軍、ポーランド侵入
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・1801年(将軍家斉。姓、町人の名字帯刀を禁止 グルジアを併合
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・1827年(将軍家斉。薩摩藩、財政改革に着手)ロシア、イギリス、フランス連合艦隊、トルコ艦隊撃破。
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・1853(十三代将軍家定。ペリー米艦隊、浦賀来航)ロシア、トルコと開戦。ロシア使節プチャーチン、長崎に来航、幕府に修交互市および蝦夷方(北海道、樺太、千島)の境界画定を要求。日露交渉の始まり。
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・1854年(安政元。将軍家定。日米和親条約、日米和親条約調印) クリミヤ戦争が始まり、英仏はトルコを助けてロシアに宣戦。
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・1857年 (安政4。将軍家定。ハリスと下田協約締結)ロシアが黒竜江北岸に進出
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・1858年 (安政5。将軍家定。日米修好通商条約調印。オランダ、ロシア、イギリス、フランスも調印
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愛嘩条約でロシアは黒竜江州を設置。
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・1860年 (万延元。十四代将軍家茂。咸臨丸渡米。桜田門外の変) 北京条約で、ロシアはウスリー江東
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岸地方をとる。
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1861年 (文久元。将軍家茂)ロシア艦4隻が突然、対馬に上陸し「防備のために土地を借りる」と脅迫、
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幕府は英米に頼んで退去させた。
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1864年 (元治元。将軍家茂。禁門の変。下関戦争) ロシアは中国と伊翠(イリー)界約を締結
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・1868年 (明治元。十五代将軍慶喜。戊辰戦争。9月8目、明治改元) ロシア、 布蛤拉汗(ブバラ・バン、現ウズベキスタン)を保護国とし、サマルカンドを降す。
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ロシアの大膨張(欧州からシベリアまで、南下へのスピードは1日100平方キロ、領土拡張の目的の戦争は22回で、通算102年余に及んだことをクロパトキンは自慢している。
・フレデリック・シューマン著『ソ連の内政と外交』によると、1613 年にロマノフ王朝が成立して以来、1913年までの300年間の領土拡大のスピードは、平均100平方キロにのぼる。
・日露戦争の敵将、クロバトキン将軍は次のように具体的な数字をあげている。「ロシアは18,19世紀の200年で、平和の持続は71年8ヵ月。128年4ヵ月間はことごとく戦争に費し、この間、外国と戦争をしたのは33回、内戦は2回に及んでいる。
その戦争の内訳を見てみると
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領土拡張の目的の戦争は22回で、通算102年余
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防御の戦争は4回で通算4年余
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一般外交上の利益に基いて行った戦争は7回、出征2回で通算10年余
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内乱は2回にして6年
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暴徒の鎮圧は5回で6年ーー
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その結果、200年間で戦争参加兵員は1千万人、死傷者は100万人 (クロバトキン『回想録』)
●『ヨーロッパ列強の植民地主義で獲得した領土拡大面積のベスト10」
・1914年の時点で、イギリスは本国の約100倍、フランスは約20倍、ドイツは約6倍
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ベルギーは約83倍、ポルトガルは約23倍、オランダは約59倍、イタリアは約5,3 倍の植民地を世界中で獲得し、アフリカ全体の85%が植民地になった。アフリカ人7000万人が虐殺されたり、奴隷となって世界に売られた。
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アフリカ分割会議≪ベルリン会議)はヨーロッパ各国が参加して、どこを自国の植民地にするか弱肉強食の帝国主義会議が1884年(明治17年)に開催された。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%88%86%E5%89%B2)
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残されたのは極東(北東アジア)中国・日本,朝鮮だけ。英国、ロシア、ドイツ、フランスが迫ってきた。
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いわばユーラシア大陸の下の海から『ライオン英国』が、北からは『白熊ロシア』のj猛獣国が肉食禁止の草食動物の仏教・儒教国のおとなしい日本・韓国を一飲みしょうと迫ってきた。
③ロシア、イギリスと同時に、アメリカの西進(侵略)に触れないと片手落ちになる。
アメリカの西進(西への侵略)は太平洋のハワイ, グァム、フィリピンと手を伸ばし 日米が、太平洋で戦う宿命は、1898年にすでに兆していた。
スペインがアメリカのテキサスを領有したのは、十七世紀の終わり、一六九〇年ごろである。しかし、スペインは、南米やメキシコなどの金のとれる植民地の経営に忙しくて、テキサスまで力はおよはず、開拓はほとんど進んでいなかった。
フロンティア精神という美名をかかげたヨーロッパ移民の白人混成開発(侵略)部隊は、十八世紀の問に西進して、東部十三州が独立したころ(1776)には、相当数がフランス領のルイジアナを越えてスペイ領のテキサスに進出(侵入)し、アジアから、一万年以上前に移住した原住民のモンゴロイドであるアメリカインディアンの領土と生活権を侵略していった。
今日、われわれが見る西部劇(1970年ころまでに)では、インディアンは兇悪な蛮族で、白人の開拓部隊や騎兵隊が善玉に描かれているが、これは白人の独善、虚偽であって、アメリカの大地ははもともと原住民のアジア民族のインディアンの居住地であり、祖国であり、領土である。
これは日本でも同じであって、西部、南部のことはよくわからないが、本州北部と北海道は原住民アイヌの領土であったのである。1821年、メキシコがスペインから独立すると、テキサスはメキシコ領となったが、このころからアメリカ人の移住が激増し、一八三六年にはテキサス共和国として独立した。
しかし、テキサスの白人たちはアメリカ合衆国の一州であることを希望し、1845年、アメリカはテキサスを併合してテキサス州とした。日本で言えば弘化二年で、嘉永六年のベルリ来航に先立つことわずか8年前のことである。
テキサスの独立を認めていなかったメキシコは、テキサスとメキシコの境界線をリオ・グランデ河まで南に下げようというアメリカの要求に怒り、一八四六年、米墨戦争(米メキシコ戦争)がおこった。
しかし、メキシコはアメリカの敢ではなく、一八四七年七月、首都メキシコ・シティは米軍の占領するところとなり、メキシコは降伏した。メキシコはテキサスの併合を認め、アメリカはニューメキシコとカリフォルニアを千五百万ドルで買収した。千五百万ドルといえば、現在の貨幣で四十五億円(1975年の時点)である。むろん百三十年前の1ドルは、今よりもぐっと値打ちがあったであろう。
一八六七年、アメリカがロシアから720万ドルでアラスカを買ったとき、ある政治家は、「あんな寒い僻地に払うなどはもってのほかだ」、と憤慨したそうだが、当時としては千五百万ドルはかなりの金に違いない。
当時のニューメキシコは、現在のニューメキシコ州とアリゾナ州を合わせた地域を指す。試みに面積を計算してみると、カリフォルニア四十万六千平方キロ、アリゾナ二十九万二千、ニューメキシコ三十二万五千で合計は百二万三千平方キロに達する。これは日本本州の五倍に近い。現在これだけの土地をドルで買うとすると何兆ドル要るのか、天文学的数字となるであろう。
このようにして、戦争によって領土を増やして来たアメリカが、東京裁判で日本を侵略国として裁いたことに、私は疑問を感じる。
●アメリカのハワイの植民地化、併合(1898年)
ァメリカは1847年(弘化四年)、カリフォルニアを領有したが、それからわずか六年後の嘉永六年(一八五三)には、ベルリの艦隊が浦賀に入港しているから・その西進の速度は推して知るべしである。
カリフォルニアと日本の間には太平洋があり、太平洋の中心にはハワイ諸島がある。イギリス、フランス、アメリカなどの列強は、一八四〇年ごろから、その領有権を主張していた。
ハワイは、1776年(アメリカ独立の二年後)、英人ジェームス・クックによって発見されたが、もともとこの島はカナカ族の王国であった。しかし、アメリカが徐々に権益を増やし、一八八七年、パールハー・バーの海軍基地使用をハワィ王国に認めさせた。太平洋戦争の大きな種子は、このときにまかれたとも言える。
一八九三年、ハワイに革命が起こり、翌年、共和国となった。テキサスと同じく、この国でも在住アメリカ人の併合運動が盛んとなり、1898年、ハワイはアメリカの領土となった。ここにアメリカの太平洋経営の基礎は固まった。
日本が日清戦争で清国を破ってから三年後のことである。
1898年は、アメリカの太平洋経営にとって、記念的な年であった。米西戦争によってスペインを破り、プエルトリコ、グアム、フィリピンを領有したのがこの年である。
米西戦争の原因は、キューバの内乱である。一八九五年・キューバ人が、支配者スペインに対して反乱を起こした。そこで、キューバのサトウキビや・ハバナの葉巻に対して、五千万ドルの資本を投下していたアメリカの資本家たちは、資産防衛のため政府を動かした。
二十四代の大統領クリーブランドは、帝国主義に反対で、厳正中立を宣言していたが、二十五代のマッキンレー大統領に、苦境に立つキューバ人を救うと称して、スペインに宜戦を布告した。
アメリカの艦隊は、マニラ湾とカリブ海でスベインの艦隊を撃破した。かつての侵略王国スペインにはもう昔日の面影はなく、新興国アメリカの前に屈し、前記の諸島を割譲したのである。
米西戦争は、世界史のなかで大きく扱われてはいないが、アメリカが世界の覇者となる道をひらいた重要な意味をもつ戦争であった。米墨戦争でアメリカのフロンティアーは太平洋に達したが、米西戦争によって、アメリカは太平洋に重要な拠点を得た。
世界地図をひらいて太平洋をみると、ハワイ、グアム、フィリピンはほぼ一直線上にある。この直線の北方でもっとも短距離に位置しているのが、日清戦争によって台湾を領有した日本である。
日米が、太平洋で戦う宿命は、戦略的に言えば一八九八年にすでに兆していたと言える。
アメリカは、ヨーロッパ人が東からアメリカ大陸に上陸してつくった国で、そのエネルギーは西進を叫んでやまない。彼らの望んでいたのは、終局的には、アジアであり、中国であった。中国の「唐の時代」(618年 – 907年、7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯を支配する大帝国であった。「大唐の国」と「ローマ帝国」が並び称せられた当時の世界の二大覇権国であり、ヨーロッパ人の憧れの的であった。
アメリカは東から遠回りして、太平洋を越えて中国を目ざした。いつかはアメリカと中国の二大国は激突する運命にあった。しかし、中国は日清戦争によって日本に叩かれてからは、東洋の主権を日本に誤り渡していた。アメリカのエネルギーがアジアの東岸に達したとき、日本は中国の代わりにアメリカと激突した。以上のように
英国、ロシア、アメリカの3方から開国を迫られ、「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」(狂歌)弱小鎖国島国日本の運命は『風前の灯火』となったのである。
つづく。
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