『オンライン講座・日本はなぜ敗れたか、ベンチャーがなぜでないのかの研究』★『 日本の統一教育(文部省)の欠陥、「個性無視、型にはまった人間を粗製乱造した画一的な教育制度が日本を滅ぼした」★『いまも政府、文部省の中央直轄のダイバーシティー(多様性)無視の失敗教育を繰り返し、2度目の日本沈没寸前!』
/終戦70年・日本敗戦史(67)
A級戦犯指定の徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』⑯
日本の人材欠乏が、官学に基く事は、私は久しい以前より、憂慮した所であった。そこで明治の末期から大正の初期にかけて、予は「統一病」と題し、今のように型にはまった人間を製造する教育では、到底、国家の御用に立つべき人間は、出来るものではない。一旦緩急あれば、国家はたちまち人材の欠乏に困るであろう事を、しばしば警告した。
しかし当時は、誰れも顧みる者はなく、ただ官学で世の中を吹き回し、単に官界ばかりでなく、民間私立の事業にも、採用される者は、まず官学の秀才という事になって来た。
即ち官学と私学とに差別を置くばかりでなく、官学中でも卒業の成績によって、その採用は定められた。つまり、官学における試験の点数が、社会での出身のために、物を言う事となった。こうして社会の各方面に、配置されたる人間は、植木屋がハサミで揃えたような人間、活版屋が活字で印刷したような人間、トコロテン屋が器械で押し出したような人間が出で来たのは、当然でもあり、必然でもある。
とにかく今日では、昔の事といえば、一切合切が悪い事にしてしまう癖があるが、我等は如何なる場合でも、物には表裏があり、楯には両面ある事を、忘れてはならぬ。
明治維新の際に、人物の輩出したのは、徳川氏時代は各藩割拠の賜といわねばならぬ。同じ日本人でも、維新頃の薩人(鹿児島県人)と長人(山口県人)は、必ずしもアテネ人とスパルタ人程の相異はなかったとしても、相当の相異があった。また肥前(熊本)といい、土佐(高知)といい、皆なそれぞれの特色があった。その他、越前にせよ、肥後にせよ、筑前にせよ、金沢、仙台、米沢、庄内、会津、桑名、何れもそれぞれの特色を持っていた。
幕府その物もまた、一個の特色があった。
それで維新の事業には、皆なそれぞれ相当の道具立てが揃っていた。公家からも武家からも、江戸の通人、各藩の田舎者が皆な銘々の特長を持っていた。それでそれぞれ用に立ったのである。しかるに維新以来、殊にその中期以後は、官学全盛の世の中となって、それが社会の中堅所を支配した。いやしくも法学士の銘を打てば、津軽人でも鹿児島人でも、壱岐対馬人でも、北海道人でも、ちゃんと立派に、法学士的のタィプが出来上がっている。
それが何年組とかいう事になり、陸海軍では、それが何期生という事になり、何れも学校その物を、社会に延長させて行ったからして、なるほど品物は揃うたが、揃った品物は、唯だ一色という事になった。あたかも満洲で大豆が出来るように、如何に大豆が出来ても、大豆以外には何物もないという事では、全く困るに相違ない。
ところが日本の人物は、いわば大豆一式であって、米もなければ麦も無く、馬鈴薯もなければ、サツマイモもなく、野菜もなければ魚肉もななく、肉類もなく、豆ばかりでは豆腐を造る事さえも出来ない。今度の亡国も、いわば統一教育の悲哀を示したものと、いう他はない。
我が官学の教育では、文武何れの方面にしろ、一通りの技術だけは教えたが、如何にしてこれを用い、如何なる場合にこれを用い、如何にこれをその時、ところで適用させるかという事は、一切教えていなかった。
従って官学の秀才は、学校で教えられたものを、そのままこれを鵜呑みにして、これを実際に応用する事になったから、応用された社会こそ、実に当惑千万といわねばならぬ。
要するに総ての学問は、教えられたとしても、我が官学には、人間学なるものは、全く抜きにしておかれた。そのために、政治方面においては、人間学を知らない地方官、司法方面においては、人間学を知らない裁判官、実業方面では、人間学を知らない実業家、軍隊におてもまた同様であって、彼等は唯だ士官学校や、兵学校や、陸海軍大学校で教えられた通りの事を、施こすばかりで、同僚が何者であるか、上司が何者であるか、部下が何者であるか、敵が何者であるか、味方が何者であるか。それ等の点には、一切無頓着であった。
こんな人間をかき集めて、彼等に軍国の大事を托したる、日本国こそ不幸なるもので、遂に今日の状態まで、我れ自から我れを引きずり落として来た。今更ら誰をか怨むべき。今更ら誰を咎むべき。我等はいわゆる亡国の種を播いて、亡国の巣を収穫したる事の現在を見、今更らながら、因果応報の恐るべき鉄則に、戦慄する者である。
官学のみを咎めるたが、日本の私学も、明治の中期頃までは、やや特殊の気風を持っていたが、明治の末から大正昭和になっては、私学は全く官学に似て非なるものとなった。私学はただ田舎娘が、都会の女を学ぶように、官学を模倣して、一歩でもそれに近かづく事を祈願としていた。
例えば政党などというものも、従来は特色ある人物が輩出したが、やがてはその総裁幹部には、官僚の古手、即ち官学出身の人間を迎え、彼等の手によって、支配される事となり、政党その物も、また一種の官僚的雰囲気の中に、棲息する事となった。新聞なども、また殆どその通りと言うさしつかえあるまい。
(昭和22年1月30日午前、晩晴草堂にて)
関連記事
-
1940年(昭和15)、津田左右吉著の『神代史の研究』『古事記及び日本書紀の研究』 など4著書を発禁処分にし、津田を出版法違反(安寧秩序紊乱) で起訴された『出版暗黒時代」②
昭和戦前期に『言論の自由」「出版の自由」はあったのか→ 答えは「NO!」ーー19 …
-
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」-「日英同盟の影響」⑭ 1902(明治35)年11月8日『米ニューヨーク・タイムズ』 ●日露戦争開戦2ゕ月前『満州を条約をうまく利用して占領、開発したロシア』★『嫉妬深い日本ですら,ロシアの領土支配に武力で立ち向かおうとはしないだろう。ロシアの支配権はそれほど確立しているのだ。』
★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日英同盟の影響」⑭ 190 …
-
『世界一人気の世界文化遺産「マチュピチュ」旅行記』(2015 /10/10-18>「朝霧の中から神秘に包まれた『マチュピチュ』がこつ然と現れてきた」水野国男(カメラマン)⓶
2 2015/11/02★< …
-
『Z世代への昭和国難突破力の研究』ー「最後の元老・西園寺公望(92)の臨終の言葉』★『アジア、太平洋戦争の敗北を予感、「いったいどこへこの国をもって行くのや、こちは(お前たちは)・・・』
2011/05/12 /日本リーダーパワー史(151)記事再録 ★『最後の元老・ …
-
日本リーダーパワー史(826)『明治裏面史』 ★『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス㊵』★『ナポレオンも負けた強国ロシアに勝った日本とはいったい何者か、と世界各国の人種が集まるパリで最高にモテた日本人』★『レストランで「あの強い日本人か」「記念にワイフにキスしください」と金髪の美女を客席まで連れてきて、キスを求めたかと思うと、そのうち店内の全女性が総立ちで、次々にキスの総攻撃にあい、最後には胴上げされて、「ビーブ・ル・ジャポン」(日本バンザイ)の大合唱となった』これ本当の話ですよ。
日本リーダーパワー史(826)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露 …
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑪』★『児玉源太郎の電光石火の解決力⑦』★『日英同盟によって軍艦購入から日本へ運航まで、英国は日本を助けて、ロシアを妨害してくれたことが日露戦争勝利の要因の1つ』●『児玉、山本権兵衛の『インテリジェンス』と『最強のリーダーシップ』の証明でもあった』
“Online Lectur …
-
『大谷翔平「三刀流(打投走)」のベーブ・ルース挑戦物語②』★『2018/04/05 /MLBデビュー戦で,これは[スポーツ界の大事件」を超えて「世界的な事件」であるとはヤンキース4番、アレックス・ロドリゲス選手(現在、野球解説者)のコメントだが、私は「メジャーリーグの星」への奇跡のストーリの始まりではないかと思った』
2018/04/05 2018/04/12記事転載 前坂 …
-
『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論③」の講義⑪『日中韓150年対立・戦争史をしっかり踏まえて対中韓外交はどう展開すべきか➂ー尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(中)(1901年(明治34)11月「中央公論」掲載)『中国に国家なし、戦闘力なし』
前坂 俊之(ジャーナリスト) この『清国滅亡論』の全 …
-
「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実㉗「朝鮮,属国状態にされる」「日本は高圧的手法で全行政官庁を掌握.朝鮮人を国なき民として放置」
「 英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が 報道した「日韓併合への道 …