『オンライン講座/日本興亡史の研究⑨』★『児玉源太郎の電光石火の解決力➄』★『児玉参謀次長でさえ、元老会議や閣議から除外されることが多かったので、軍部は国策決定の成否を知り得なかった。』★『児玉参謀次長に日露外交交渉の詳細が知らされなかった日本外交の拙劣ぶり』』
2017/05/29 日本リーダーパワー史(817)記事再録
『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉜
前坂 俊之(ジャーナイスト)
10月12日に就任した児玉次長も元老の不決断にイライラしながら、その内幕を10月20日、部長会議でもらしている。
「伊藤侯は、故田村中将より聞いたが、わが国の軍備いまだ充実していないので、戦争に決することを蹄躇しているという。田村中将は今日のように事態切迫していなかった時期だから、満州問題を利用して軍備の充実を図ろうとしたが、その意図は伊藤候に通じず、侯爵はこれを真面目に解釈して、わが国の軍備はいまだロシアに対抗するに足らずと思ったのであろう」と説明した。
続けて、『ただし、軍備の充実も程度問題である。われわれが充実しないものがあれば、ロシア側にもまた不充分な点もある。パワーバランスの比較で有り、現在のわが兵力をもってロシアと対戦しても、必ずしも必勝の計算が立たないわけではない』とも話した、という。
しかし、元老たちは田村前次長の戦力比較を信じており、開戦には二の足を踏んでいた。
10月24日開催の元老会議では、伊藤・山県・黒田・井上・松方、大山、西郷らの元老の外、桂首相、寺内、山本陸海相、小村外相のみが列席し、児玉次長も蔵相も伊東軍令部長も列席を許されなかった。
元老会議という最高の国家意思決定機関で、世界の大勢に通じた政軍戦略の決定時期を調査、研究してきた参謀本部の統括責任者の児玉次長が出席できないとは一体何事か。参謀本部は不満が渦巻いた。
この欠陥制度と運用の不備によって、開戦のタイミングはズルズルと先延ばしされていった。
一方、ロシアの軍事的外交は着々と進められており、日本の外交は拙劣さが一層目立った。
この頃の内閣の不決断、元老の優柔不断、軍事当局の繁忙、動員準備、大臣らの往来などは、日々の新聞紙上に刻々と掲載されている。軍事外交の必要性については戦争前から指摘されていたことだが、当時は軍事外交の思想は日本ではよく理解されていなかった。
わが陸軍唯一の智謀・児玉参謀次長でさえ、元老会議や閣議から除外されることが多かったので、もちろん軍部は国策決定の成否を知り得なかった。
ようやく10月30日になって、参謀本部各部長は児玉次長から、日露交渉の進展についての説明があった。しかし、この説明は日本側の単なる希望的な観測のもので、事実とは全く違っていた。当の児玉参謀次長にさえ、こんな情報を間に受けていたのである。
児玉は『日露の談判は、平和に傾きつつあるもののようだ。わが政府の提出した鴫緑江を中心として双方50キロを隔てた地域を中立地帯とすることは、ロシアも承認するかも知れない。
しかし、その代償としてロシアは、朝鮮南岸において日本が自由航行を妨げるような施設を建設しないように要求しているとのことである。』と語った。
これを聞いた各部長は、「ああ、大事は去った」と胸をなでおろして喜んだ。
部長からは次の質問が出た。『満洲およびシベリア鉄道が完成し、ロシアの満洲での兵備が完備した暁にはどうなるのか。この際わが国としては、少くとも満州に対する軍事の均衡を得るため、兵力をもって朝鮮を確保しなければならぬ。協定上この余地を存してあるだろうか。』
児玉次長は「それは必ずあるだろう」と答えたが、事実は全く違っていたのである。
児玉次長自身がこの外交交渉の詳細については知らされていなかった。
このときは丁度、小村外相がローゼン公使と第六回の会見を行なった時期であったが、ロシア側の回答書などは、児玉次長自ら総理邸からとってきて謄写するような有様で、常識では考えられないほどのお粗末さの情報不共有であった。
この国家重大の時局に総理自ら進んで軍事当局たる次長に情報を全面的に示して、外交と軍事との協力をはかるのは当然のことだが、それさえやってなかった。『桂総理の行為は、この期に及んでもなお軍事を度外視して成功を収めようとしていた。機密確保の必要とは云っても度が過るのではないか』と参謀本部員からは批判が噴出していた。
これらの弊害は、今日において依然同じであると「機密日露戦史」は指摘している。「将来戦のため、われらは大いに覚悟して予め意志疎通の方法を講じておかなければならぬ。机上の空論では研究し得ないところであるからである」
その後、故田村中将が伊藤侯をおどかした軍備不充実、戦争不可能のことを説明していたが、そのいきさつについて児玉新次長の説明によって伊藤侯もやっと諒解した。
しかし、外務当局は、12月10日、ロシア・ペテルブルグ発の粟野公使の電報を信じ、まだ平和を夢みていた。
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